歴史の終焉と、始まりと

 カイナたちは一昼夜、小休止を挟んで王都へと歩いた。

 シエルが自転車なる新発明を出したが、悪路で結局使い物にならず、バテた彼をカイナがおぶることになった。

 そうこうして、どうにか無事に山越えを終えると……王都の姿は一変していた。


「随分と賑わっているな」


 街並みへと分け入ったカイナには、酷く活気付いて見えた。

 それはどうやら、ユウキやシエルも同じ印象を持ったようである。

 三人は今、マントを羽織はおってケープを目深に被っている。そんな格好が目立たない程度には、往来に人がごった返していた。

 多くは魔族で、ゴブリンやオーク、コボルトといった魔物もいる。

 シエルはその様子に瞳を輝かせていた。


見給みたまえよ、カイナ。ユウキも。魔族は、ある程度亜人あじんたちの言葉がわかるようだ。非常に興味深い言語体系だね」


 耳慣れぬ言葉が行き交っているが、魔族は様々なモンスターと言葉を交わしている。うなったりほええたりの猛獣もいるし、ウェアウルフのような獣人も多かった

 すでにもう、ここは人間が住む王国の首都ではない。

 魔王が率いる軍勢に占領され、魔族たちの居場所になりつつあるのだ。

 それに、見たところ治安もよく、略奪や破壊が行われた形跡はない。


「王都の人たちは、どうなったんだろ……カイナ君、もう少し回ってみていい?」

「ああ、それは俺も気になった。恐らくオロチは、あそこだろうからな」


 カイナが僅かに視線をあげれば、王都の中心部に巨大な王宮がそびえ立っている。そこが王国の中枢で、無数の騎士たちに守られていた王家の象徴だ。

 その威容はそのままに、普段のようなきらびやかな雰囲気が影を潜めている。

 ひるがえる王家の旗もなく、ただ静かに占領下の城下町を見下ろしていた。


「軽く見て回って、騎士団の生き残りや市民たちがいないかを調べる。シエル、もう歩けるか?」

「んー、もう少しカイナに抱きついてたいけどね。ユウキが怖いし、降りるとしよう」

「べっ、べつにわたしは! ……そりゃ、気にならない、ことも、ないけど、さ」


 もごもごと口ごもるユウキをよそに、カイナは静かに背からシエルを降ろした。

 同時に、改めて周囲を見渡してみる。

 戦いが行われた形跡が、全く見当たらない。

 焼けた家屋かおくもなく、何度か訪れた光景がそのまま広がっている。そして、人間だけが消えていた。変わって、魔族とモンスターたちが闊歩かっぽしているのだ。


「やはり、王は……戦わずに逃げたのだな」


 忸怩じくじたる想いが、カイナの胸中を過る。

 実はカイナは、以前この国の王に謁見えっけんしたことがあった。

 セルヴォやカルディアと共に、旅の勇者として招かれたのだ。その頃にはもう、カイナたち三人はあちこちで魔王オロチの軍勢を撃破し、幹部クラスの魔族も何人か退しりぞけていた。

 その功績を讃えられ、王宮に招かれたのである。

 威厳に満ちた姿で、うわさたがわぬ賢王という印象を受けた。

 だが、民を捨てて王は逃げたと聞いている。

 王だけではない、騎士や貴族たちも皆、高貴なる義務を放棄してしまったのだ。


「どしたの? カイナ君」

「いや、なんでもない。戦火に焼かれなかったということは、奪い返せばまた人の都となる。ここは前向きに考えておくさ」


 カイナは、周囲を警戒しつつ歩き出す。

 住んでいる人種こそ様変わりしてしまったが、王都は平和だった。

 そこかしこに歌が満ちて、拍手と喝采かっさいを呼んでいる。魔族も魔物も、陽気に酒を飲んでは踊っていた。見慣れぬ楽器の調べも、祝祭の音楽をかなでている。

 シエルは興奮気味に、そうした光景を興味深く見渡していた。


「それにしても、驚いたね。このユグドルナには、こんなに大勢の魔族が」


 無理もない。

 魔族はこの世界、ユグドルナに古来より住まう少数民族である。エルフやドワーフ、ホビットといった亜人種で、それはゴブリンたち魔物に近い種族も一緒である。

 魔族は肌が青白く、頭部に角が生えている。

 容姿端麗ようしたんれいで魔法に長け、その寿命はエルフと同じく長い。

 だが、その数は少数とされ、決まった里も持たない。そう、魔族は昔から国を持たぬ民なのだ。そして、邪悪な眷属けんぞくとして忌避きひされ、差別を受けてきた。

 奴隷として使役する人間は跡を絶たず、それを咎める声も少なかったのだ。


「ついに魔族は、王と国を得たか」

「それだけ見るとさ、カイナ君。これって……悪いこと? そりゃ、話し合う前に戦争しちゃったのは、いけないと思うけど」


 そぞろに歩きつつ、声を潜めて隣のユウキと言葉を交わす。

 正直、カイナには答が見付からない。

 それに、正解があるとも思えない問だった。

 この世に生を受けたならば、自由を求め、幸福を欲するのは世の常だ。しかし、どの種族に生まれるかを誰もが選べない。たまたま魔族に生まれたからと、奴隷や愛玩動物ペットとしての一生を決めつけられてしまう……それは、不幸なことだ。

 だが、だからといって暴力で状況を覆すことは是非が問われた。

 少なくとも、力を振るう前にやるべきことがあったように思える。

 武道をこころざす者として、そのことをカイナは母にして師匠のセナから常に言い聞かされてきた。

 しかし、どうやらシエルの意見は違うようだ。


「話し合って分かり合えるなら、そもそも戦争なんて起きないのさ。ほら、ユウキ。カイナも。美味おいしそうだからね、買ってみた。王国の通貨が使えたよ」


 振り返ると、シエルが肉を頬張ほおばっている。

 なんの肉かはわからないが、脂を焦がしたいい匂いが漂ってくる。彼は片手で骨付きのそれをあぐあぐと頬張りつつ、カイナとユウキにも二つ差し出してきた。

 あきれた様子を見せたユウキだが、彼女の腹は正直にキュゥゥと小さく鳴る。

 腹が減っては戦はできぬというし、カイナもいただくことにした。


「当たり前の話だけど、人は話し合っても分かり合えない。これは魔族に限らず、エルフや他の亜人、ゴブリンといった魔族寄りの種族も同じだ」

「ちょ、ちょっと、シエル。身もふたもないこと言わないでよ、もぉ」

「厳然たる事実さ。話し合いで解決するなら、騎士団も軍隊も必要ないんだからね」


 はふはふと肉に舌鼓したづつみを打ちつつ、シエルはカイナたちを追い越し歩いた。

 見れば、周囲には出店や屋台やたいがひしめき合っている。

 カイナは、ゴブリンの笑顔を始めて見た。涙を流すコボルトも、それをなぐさめる同族の女もだ。野で鉢合はちあわせすれば恐ろしい魔物だが、彼ら彼女らにも喜怒哀楽きどあいらくがあるのだ。

 様々な料理の雑多な匂いと、商品を売る呼び込みの声。

 その中でシエルが振り向く。


「俺はね、カイナ。両親が望むような男には生まれなかったし、生きられない。俺は俺だ、身体は男でも中身まで男としては振る舞えないんだ」

「なら、それでいい。むしろ、それがいいんだ。男らしくより、お前らしくいてほしい、シエル」

「世の中の全てがカイナ、君みたいな人間だったらよかったさ。でも、実の親でさえ子がわからないんだ。俺がどれだけ言葉を尽くしたと思う? それでも父上は、母上は……跡取りとしての立派な男児がほしかったのさ」


 だけど、とシエルは言葉を切る。

 そして、肉を食べ終えて周囲を見渡した。

 驚いたことに、かごを背負った獣人の男が歩み寄ってくる。

 どうやらゴミを拾って回収しているらしく、シエルは無言で残った骨を渡した。既にもう、王都は魔王軍の手に落ちて……魔族たちの手で新たに生まれ直しているのだ。

 ゴミ拾いの男を視線で見送り、シエルは真っ直ぐカイナに向き直る。


「それでも、だ。それでも……カイナ。人は分かり合えないからこそ、分かり合おうとしなければいけない。分かり合えない、は結論ではなく前提条件だ」

「……そう、だな。完全な理解が不可能でも、折り合うことで得られるものが両者にあるはずだ。そうしなければ、結果的に血が流れることになる」

「そういうこと! だから、まずはオロチに会おう。会って話してから、戦うかどうかを考えるさ。それでいいだろ、ユウキ……ユウキ?」


 ふと見やれば、ユウキが呆然ぼうぜんと立ち尽くしている。

 その視線を追えば、突然今までの考えが吹き飛んだ。思慮深く達観したシエルの言葉が、沸き立つ感情であっという間にかき消されてしまう。

 熱狂的な興奮で叫ぶ魔物たちの中央に、信じられない光景が広がっていた。

 すぐにユウキが、見ていられないとばかりに飛び出そうとする。

 その手首を瞬時に、シエルが握って制した。


「――ッ! 放して、シエル! 助けなきゃ」

「ここは抑えろ、ユウキ。周囲にバレたら、俺たちで手薄なオロチに向かう計画が台無しになる」

「でもっ!」


 ユウキの怒りはもっともだ。

 多くの群衆の中心で、ある商品が売買されていた。

 それは商品として扱ってはいけないもの……だ。

 人間が今、奴隷として売り買いされている。

 それはかつて、魔族がそうだった。

 だからだろうか、さも当然のように魔族たちは捕らえた人間を売りさばいていた。手枷てかせをはめられた母親と幼い娘が、台の上に載せられりにかけられているのだ。

 カイナはすぐに、身を捩るユウキの肩をポンと叩く。


「ここはこらえろ、ユウキ」

「カイナ君までっ!」

「お前が助けに行く必要はない」

「カ、カイナ君?」


 すかさずカイナは一歩踏み出し、マントを脱ぎ捨てた。

 突然、往来に人間の姿が現れ、周囲から視線が殺到する。

 だが、構わずカイナは地を蹴った。

 跳躍で人垣ひとがきを超えて、むちを持った奴隷商人のコボルトの前に降り立つ。そのまま、軽く繰り出した裏拳でコボルトを吹き飛ばした。


「危険を冒すなら、それはいつだって俺の役目だ。俺が助けるっ!」


 周囲にざわめきが巻き起こって、あっという間に殺気と敵意が押し寄せる。

 カイナは意に返さず、身を寄せ合う母子を背にかばった。

 理屈はわかっているし、悪手を打ったという自覚もある。だが、見過ごしてはいけないものを見てしまったのだ。

 一触即発の空気で、すぐにカイナは目配せする。

 先に行けと伝えたつもりだが、ユウキも姿をさらした。それで渋々、シエルももそもそとマントを脱ぐ。


「カイナ君っ、だーかーらっ、そういうとこ! そういうとこなんだから」

「やれやれ、難儀な性格をしているね。けど、悪くはない」


 シエルはすぐに、魔法で小さな拳銃を取り出す。

 ユウキは素手すでだが、シエルと背中を合わせて身構えていた。

 一戦交えるもやむなしだが、ここで数人を助けて終わるつもりはない。大局的には、魔王オロチによる侵略そのものをやめさせねば、この悲劇は繰り返されるのだ。

 そして、魔族たちはこうした悲劇の中で長い時を生きてきたのである。

 さてどうするかと、カイナは油断なく周囲をにらむ。

 わざと捕まり、罪人として魔王の前に引き出されるという選択肢もあるが、その前に処分されてしまってはもともこもない。

 妙案が浮かばぬ中で、諦めもまた考えられない。

 りんとした声が響き渡ったのは、そんな時だった。


「そこまでさねっ! お前たちっ、この人間はあたしが預かるよ! いいねっ!」


 誰もが振り返る先に、あかいドレスの麗人れいじんが立っていた。

 それは、オロチの腹心であるカエデだ。

 カイナは驚く……魔王軍の将として、彼女は戦場にいるのではなかったか? だが、確かに昨日遠眼鏡とおめがねで見た時、カエデの姿は確認できなかった。

 彼女は溜め息に肩を竦めながら歩み寄ってくる。


「もう少しお行儀よく来れないのかい? まあ、オロチ様の言う通りになったねえ」

「……お見通しということか」

「ついてきな、オロチ様がお会いになる。必ず勇者たちは……ユウキは来る、そう言ってたからねえ」


 それだけ言って、カエデは歩き出す。

 その背を見送る、あらゆる魔物たちが片膝かたひざを突いて頭を垂れた。

 驚きつつも、カイナは黙って仲間たちとそのあとを追う。

 一度だけ振り返れば、先程の親子は母子別々の魔族に買われ、引き裂かれる鳴き声がいつまでも聴こえてくる。それはずっと、まるでカイナにこびりつくように、頭の中で反響し続けるのだった。

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