ACT.03「そして始まる、再起への道」

懐かしい朝

 夢を、見ていた。

 カイナは、何度も繰り返す悪夢の中にいた。

 そしてその目は、一人の少年を見据みすえている。

 黒いマントを羽織はおり、闇の中にたたずむその男は……震えていた。

 肩をわななかせて、くぐもるように低くうなっている。

 その姿から、カイナは目が離せなかった。


(ああ、またこの夢だ……すまない、カルディア。ごめん、ごめんよ……)


 そう、忘れようにも忘れられない記憶。

 決して忘れてはいけない、トラウマの痛みさえもいとしい過去だ。

 死ぬまで一緒だと思ってた、幼馴染おさななじみの仲良し三人組がいた。いつも一緒、なにをしても一緒だった。最後までずっとそうだと、信じてた。

 だが、死が二人の少年から一人の少女を奪った。

 魔王討伐を目指す旅の勇者と呼ばれはじめて、間もない頃だった。


『クソッ、死ぬな! 死なないでくれ! しっかりしろ、カルディア!』

『ああ……セルヴォ、泣かないで。私、平気よ』

『なにを、なにをされたんだ! こんなに血が!』

『わから、ない……息が、もう……目も、なにも』


 カイナはその声を、背中で聴いていた。

 カルディアは血を吐き、そのまま血の涙に濡れて倒れた。

 抱き留めたセルヴォももう、自慢の剣を手放している。

 今、敵に……目の前の魔王に身構え闘志をしめせるのは、カイナしかいなかった。目もらせず、肩越しに振り返ることすら許されない。

 そう、目の前の黒い影は同年代に見えても……ひたいつのがあって、肌の青白い魔王なのだ。

 その顔だけが、見えない。

 黒い靄の中で震える魔王の表情だけが、記憶の中で欠落していた。


『セルヴォ、大丈夫よ。私は……ずっと、楽しかった。あなたたちと一緒で、よかった』

『なら! これからも一緒にいてくれよ! 僕は……君がいなきゃ、僕は!』

『ごめん、ね。返事、するの、忘れてた、よ、ね? 私は』

『いいんだ、僕が悪かったんだ! 君を困らせた! 僕は、三人でいるだけでよしとすべきだったんだ! それでも、僕は、君が――』

『嬉しかった、よ? ありが、と……愛して、くれて……恋して、くれ、て……』


 そう、セルヴォはカルディアに恋心を抱いていた。

 それをずっと、カイナは知らなかったのだ。

 つまり、セルヴォはカルディアを妻に迎えて子をなし、新しい家族をやっていきたかったのである。それだけは、わかる。それが幸せな結末なのも、ずっと理解できていた。

 そして、カルディアの最期さいごの言葉は今も、カイナの胸の底に刺さっている。

 彼女は何故なぜ、セルヴォではなくカイナに語りかけたのだろう。

 二人はお似合いだと思ったし、心から祝福できた。

 けど、魔王と対峙して一歩も動けぬカイナに、カルディアは言ったのだ。


『ねえ、カイナ……セルヴォの、こと、お願いね……? お願い……私、あなたになら……だって、あなたは――』


 絶叫。

 けもの咆哮ほうこうにも似た、慟哭どうこく

 全身で叫んで、そして目が覚めた。

 上体を起こして、呼吸をむさぼる。

 カイナは覚醒の朝を迎えて、汗に濡れた我が身に震えた。

 あれは夢、現実ではない。

 現在ではなく、取り返しのつかない過去だ。

 そう自分に言い聞かせて、いつものように平常心を励起れいきさせる。だが、心臓は痛いほどに脈打っていた。その鼓動が、昨晩の露天風呂を思い出させる。

 あの時の高鳴りは、もっと柔らかくて温かかった。

 今は、戦慄にしびれるような、心臓が痙攣けいれんしたような痛みがある。


「夢、か……そうだ、夢だ。もう一年もつのに……まだ、俺は」


 ここはユズルユ村の実家で、自分の部屋だ。

 振り返れば、窓からこの地方の天界樹ユグドラシルが見えた。この時期、春の風物詩ふうぶつしである薄桃色うすももいろの花びらが天界樹を覆っている。それはまるで雪のように、このさとにも桜色の花吹雪はなふぶきを毎日運んでくるのだ。

 だが、温かな朝日の中でカイナは凍えていた。

 そんな彼に、無邪気な声が投げかけられる。


「わー、にぃにが起きたー!」

「カイナにぃ、おねぼうさんだよー?」

「なんか、怖い声……にぃに、怒ってる? どうしたのー?」


 見れば、扉の隙間から弟や妹が覗き込んでいる。

 カイナは不器用に微笑ほほえんでベッドを出た。


「少し、怖い夢を見た。だが、大丈夫だ。おはよう、みんな」


 カイナは、よく無表情というか、仏頂面ぶっちょうづらだと言われる。

 自覚はないが、常に真顔でいるらしい。

 カイナとしては、冷静沈着なセルヴォの方が何倍も鉄面皮てつめんぴだ。それを、どっちもどっちだと言ってた女の子は、いつも優しい笑顔を浮かべていたのを思い出す。

 その万分の一でもと思えば、弟妹たちは笑顔で雪崩なだれ込んできた。


「夢? ゆめだー、あたし知ってる! 悪夢、っていうんだよねー」

「にぃに、だいじょーぶ? えと、えと、ぎゅーってしたげるけど」

「それより、ご飯の時間だよ? 今日はね、ふふ、すっごいの!」

「そうそう、朝から御馳走ごちそうだよー!」


 駆け寄ってきた弟や妹を、順々に撫でてやる。

 昔と違って、腕が一本しかないから忙しかった。

 だが、逆にこうも思う。

 時分にはまだ、左腕が残されている。五体満足ではなくても、四体は残されたのだ。そして、左右の違いなく触れる弟妹きょうだいたちが愛しい。


「御馳走か……サワは料理が得意だったが、楽しみだな」

「そう、そうなの! でもねー、ウフフ」

「今日の朝ごはんは、ねー?」

「ねーっ? ニハハ、にぃにの連れてきたお嫁さんもね」

「あっ、お前なあ! そういうのは、義姉あねっていうんだぞー? カイナにぃの奥さんだからさあ」


 ちょっと、いまいちよくわからない。

 けど、周りを囲む子供たちと部屋を出た瞬間、理解した。

 カイナの実家は大きな家だが、豪華で金のかかった邸宅という訳ではない。ようするに、デカい山小屋みたいな、大勢の子供たちが暮らす家なのだ。

 養母のセナは、あちこちから戦災孤児を拾ってきては育てた。

 カイナ自身も、彼女に拾われこの地で育った身である。

 数十人の子供たちが、人里には珍しいエルフと暮らす家。

 その廊下を、朝から疾風が駆け抜けていた。


「グヌヌーッ! 絶対に負けないのです!」

「おっ、サワちゃんイイ気迫! ほらほら、もっと頑張ってー?」

「ムギーッ! 筋肉ダルマの怪力女になんか、負けないですーっ!」

「わっはっはー、わたしは君たちの六倍の力があるんだよー」


 物凄い速さで、目の前をユウキとサワが通り過ぎた。

 二人共、屈んで廊下の床に木の実を押し付け猛ダッシュしている。半分に割ったそれは、遠く南国から行商が売りに来る果実だ。中身はくり抜いて食べるが、皮はこうして床や壁をこすれば汚れが落ちる。

 だが、余裕で笑ってるユウキに対して、サワは必死の形相ぎょうそうで歯を食いしばっていた。

 たびたび目にする、妹の『普通の女の子はしてはいけない顔』に、朝からカイナは目眩めまいを覚えた。それでも、顔を手で覆いつつ食堂に歩く。

 朝食が並ぶ大きなテーブルでは、すでにセナが仕事を始めていた。


「おはようございます、母さん」

「おう、カイナか! なんじゃ、さっき悲鳴が聴こえておったぞ? カカカッ、なにか悪い夢でも見て寝小便でもちびったか」

「悪夢でしたが、ご心配なく」

「なんじゃ、つまらんのう。昔は、なかなか寝小便の治らぬガキであったが」


 セナは、広げた羊皮紙ようひしにペンを走らせている。

 その周囲には、無数の魔法陣が広がっていた。

 セナはエルフだ。普通は遠くの森深くに住んで、人間の俗世とは絶対に関わろうとしない人種なのだ。それが今、遠くより念信ねんしんで送られてくる文章を紙に起こしている。これは後ほど、朝の新聞として広場に張り出されるものである。

 エルフは魔法に長け、一人で複数の術を行使することも可能だ。

 腕っぷしと気風きっぷのよさばかり目につくが、セナはこの村で一番の術士だった。

 その仕事は、都会の新聞や連絡を文章に起こすことである。


愚息ぐそくよ、我が子カイナよ。なかなかに面白いことになってるのう」

「な、なにがですか?」

「うむ、おぬしが連れてきたユウキとかいう小娘じゃ。見たところ、普通ではないが」

「鎧をまとって槍を持ち、戦場を駆ける強者です。その胆力たんりょく膂力りょりょく、敬服に値するかと」

「馬鹿者、昔からお主は……はぁ、なんでそういうとこしか目に入らぬのじゃ」


 やれやれと肩をすくめて、セナはペンを置いた。

 そして、食堂が賑やかになる。

 畑に出ていた者や、水をみに出ていた者、このセナの館に住まう多くの弟や妹たちが集合しつつあるのだ。

 セナはこの地で、孤児を引き取り育てている。

 魔王が挙兵する前から、王国の統治下でもいくさは絶えない。その都度つど、弱き者たちが殺され、親の庇護ひごを失った子供は増え続けていた。ほかならぬカイナ自身も、そうしてセナに拾われた身である。


「どれ、飯にするかのう! で……サワはなにをやっとるんじゃ。例のユウキとやらも、変に構ってくれるのう。ま、よい……実によい。ふふ、サワも張り合いがあるじゃろうて」

「し、しかし、母さん。その、二人はなんというか」

「昔から言うじゃろ? 喧嘩けんかするほど仲がよいと。それに、あれは喧嘩じゃあるまいて」

「はあ」


 そうこうしていると、ユウキがやってきた。食堂に顔を出した彼女は、今日もほがらかな笑みを浮かべている。遅れて現れたサワは、肩を上下させて息を荒げていた。


「おまたせー! 家の掃除、おっわりましたー! まあ、居候いそうろうとしてこれくらいはね」

「ぐぬぬ……ユウキ! 勝負はまだついてないのです! これから、二人で用意した朝食を全員に食べてもらうです。そこで、真の決着が」

「あっ、それはパス、っていうかわたしの負けかな。サワちゃん、滅茶苦茶めちゃくちゃ料理上手いもん」

「そっ、それほどでも、あるのです!」

「あっ、カイナ君。そのサンドイッチ、わたしがはさんだんだよ? 食べて食べてー! みんなも食べて! 今朝の食事は、ほぼ全部サワちゃんが作った絶品だから」

「そ、そうなのです……ユウキは、簡単な、作業、しか……」


 疲労困憊ひろうこんぱいといった様子で、サワは崩れ落ちた。それでも、差し伸べられたユウキの手を振り払う。

 それをカイナは、見ていて思った。

 

 カイナという男、どこまでも乙女心の機微きびがわからない少年なのだった。

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