ユズルユ村いいとこ、何度もおいで

 突然の遭遇戦を切り抜け、カイナは刺々とげとげしい空気に貫かれながら歩いた。敵意にも似た静かな怒りを発散しているのは、先程の弓使いの少女だ。

 彼女は村の入口が見える丘の上まで来て、振り返った。


「村についたのです! おかえりなさい、にぃに!」

「あ、ああ。ただいま、サワ」

「はいなのですっ!」


 そう、カイナをにぃに……兄と呼ぶ少女の存在。カイナには生まれ育ったユズルユ村に、沢山の妹たちがいた。弟たちもだ。皆、同じ人間を母として育てられた。その人は、カイナにとっては武術の師匠でもある。

 小柄なショートカットの少女、サワはこう見えてもカイナの次に年長の姉でもある。

 だが、今は子犬のように満面の笑みで見えない尻尾を振っていた。

 それも、あとからユウキが現れると先程の殺気に凍り固まってゆく。


「ふう、到着かあ。わぁ、風光明媚ふうこうめいびってやつだね。ここでセルヴォ君やカイナ君が……そして、カルディアが育ったんだ」


 ひたいに手を当て、ユウキが開けた景色を見渡す。

 湯けむりをくゆらす故郷は、最後に見た時から全く変わっていなかった。山間部の谷間にある集落で、あちこちに大小様々な温泉が湧き出ている。湯治とうじに訪れる病人や怪我人も、この村ではゆっくりと心身を休めて笑顔になるのだ。

 なつかしむ気持ちが込み上げたが、カイナはゴホン! と咳払せきばらいを一つ。

 純真無垢を絵に書いたようなサワが、眉間みけんにしわを刻んでユウキをすがめていた。


「で、あなた誰ですか? なんなのですか。にぃにの悪い虫ですか? そうなんですか? ……返答次第では、あたしにも考えがあるです。実力行使は不可避なのです」

「こらこら、サワ」

「だって、にぃに! サワは……サワは寂しかったのです。にぃには、旅立ってから手紙も念信ねんしんも送ってくれなかったです。一度も村に帰ってきてくれなかったのです」

「それは、その、悪かった。こいつはユウキ、客だ」

「お客様……ああ、よかったのです! あたし、てっきり……でも、外様とざまの無関係なお客様なら、問題はないのです! ……そうでないのなら、クフフフ」


 多少、妙なこじらせ方をしているが、懐かしい妹のサワだ。

 彼女が、よこしまゆがめた顔を引っ込めたので、カイナも故郷に戻ってきたと実感できた。改めて満面の笑みで、ガシリ! とサワが腕に抱き着いてくる。

 はず、だった。

 だが、彼女がしがみつこうとした右腕は、羽織はおった上着の下にはなかった。


「あ、あれ? にぃに、腕が……」

「ああ、やられた。一撃で持っていかれた」

「え、嘘……だ、だって、にぃにはあんなに強くて、母さんだって」

「世の中、上には上がいるんだ。サワ、お前も危ない真似まねはよせ。……と言っても、聞くようなお前じゃないかも知れないがな」


 サワは表情を強張こわばらせたが、すぐにカイナの現状を理解してくれたようだ。だが、まだ動揺もあらわで震えている。

 そんな彼女に、不意にユウキが歩み寄った。

 あまりにも自然に、そして優しい所作しょさだった。

 ユウキはそっとサワを抱き締めると、その頭を撫でる。


「ごめんね、びっくりしちゃったんだよね? わたし、ちょっと行くあてがなくて、カイナ君に助けてもらったの。少しの間かもしれないけど、末永くお世話になるね? サワちゃん」

「う、うぐぅ……すぐいなくなるのか、ずっとなのか、はっきりするです」

「まあ、そこは成り行きで。わたし、お金もないんだよね、あはは」

「……駄目女だめおんな。こっ、こんな人をにぃにに近付けてはいけないのです!」


 ユウキの包容を振り払うと、不意にサワは弓を構えた。矢筒に手が伸びたが、そのまましばし黙考もっこうを挟む。そして、結局弓のつるを外して歩き出した。


「とにかくっ、みんなに知らせるです! にぃにが帰ってきた、それも祭の前に! 今年の樹礼祭じゅれいさいは、とってもいいことが起きそうなのです!」


 転がるように走り出すサワを追って、カイナも歩を進める。

 すぐ横に並んだユウキに、申し訳なくてついぎこちない言葉が溢れた。


「その、あれだ、済まない。サワは昔から、こう、妙なとこがあって」

「妙? おかしくないでしょー、よかったじゃん? お兄ちゃんのこと、大好きなんだ」

「俺も、サワのことを大事に思っている。……確かに、ふみの一つも送るべきだったな」

「テレパシー的なの、念信、だっけ? 魔法でチョチョイじゃないの?」

「そうなんだが、改まって言葉を選ぶと、いつも、なんというか」

「ああ、照れくさいのね。わかるー、なんかめっちゃわかるなあ。ふふふっ」


 幸い、ユウキは気を悪くした様子はなかった。

 それでほっとして、カイナも足取りが軽くなる。

 だが、安堵から出た言葉に意外な展開が待っていた。


「それにしても、サワの奴……そろそろ年頃だし、いた男の一人や二人、いてもいいものを」

「……ちょっと、マジですかー? カイナ君さあ、それ本気で言ってる?」

「兄の俺が言うのもなんだが、サワは利発で賢い子だ。妙に腹黒い時があるが、基本的には器量良きりょうよしで優しい子なんだ。俺にはそれがよくわかる」

「いやいや! いやいや、いーやっ! わかってないじゃん!」

「そ、そんなことは」

あっきれた、そういう系なんだねー、カイナ君。トホホ、同情しちゃうなあ、サワちゃんに。残念系男子かよー、もぉ」


 訳がわからない。

 かわいい妹の幸せを祈るのは、兄ならば当然なのだが。

 けど、プイ! と顔を逸したのもその時だけで、改めてユウキが顔を覗き込んでくる。大きな黒い瞳がキラキラと、まるで星空のように輝いていた。


「それで? その、樹礼祭ってなに? お祭りなんだよね?」

「ちょっと待て、ユウキ……お前はどこの生まれだ? 何故なぜ天界樹ユグドラシルたたえる感謝の祭を知らないのだ。……ひょっとしてお前、魔族なのか?」

「まさかぁ、違うけどさ。違うけど……ま、いっか! お祭り、楽しみだねーっと!」


 サワを追って、ユウキも走り出す。

 二人はじゃれるように、しかし本気の敵愾心てきがいしんとニマニマした微笑ほほえみとで駆けていった。もう仲良くなってしまったのかと、カイナも自然とほおを崩す。勿論もちろんこの時、彼は自分の認識が大いにずれていることに気付かない。

 そして、村の門をくぐればすぐに見知った顔が集まってきた。


「おやおや、カイナじゃないかね? こいつぁ驚いた!」

「おーい、みんな! セナさんちのカイナが帰ってきたぞ!」

「セルヴォは一緒じゃないのかね? ……最近、都会の方は騒がしいみたいだが」

「例の、魔王とかいう魔族が暴れておるんだろ。やれやれ」


 あっという間に、村を離れていた数年の時間が埋まった。

 誰もが笑顔で、カイナを迎えてくれる。

 村人たちにもみくちゃにされながらも、カイナは周囲を見渡した。


「村長にまずは挨拶をしたい。セルヴォのことも、話したいんだ」

「ああ、村長の自慢の息子だからな、セルヴォは」

「よし、誰かひとっ走りしてくれ! 村長も呼んでくるんだ!」

「となれば、今夜はうたげだな! どれ、羊を一匹潰して祝うか」

「我らが村の英雄の凱旋だ! さあさあ、忙しくなるぞ!」


 基本的にユズルユ村は、その規模の小ささゆえに村人たちの団結力が強い。仲の悪い者同士もいるが、温泉を代々守ってきた間柄でもある。だから、最低限のことはわきまえているのだ。

 ここにはまだ、魔王の侵略も闇の軍勢も、外の世界の遠い話だ。

 だが、今のままではいずれ……そう思えば、先程のダイオウカマキリも気になった。


「そうか……もしや、魔王に呼応して魔物たちの生態系も変わってきているのか? 確か、魔族にはそうした力を持つ者もいると聞くが」

「どうしたね、カイナ。ささ、まずは村長とセナさんに挨拶じゃ」

「ああ、そうだった。すまない」


 ふと見れば、サワはまだユウキを追い回している。

 そして、それを笑って見ている若者たちも武装していた。狩りの道具ではなく、剣や槍を携えている。革鎧を着込んだ者もいて、なかなかに本格的な装備だ。

 村人の一人が、サワとその仲間たちで自警団をしているのだと教えてくれた。

 聞けば、最近は物騒ぶっそうなモンスターも周囲をうろつくようになったという。

 先程それを間近で見て触れたカイナは、世のうつろいをひしひしと感じた。この平和な村も、明日には魔王の軍団に侵略されるかもしれない。

 その時、自分は大切なものを守れるだろうか?

 今はまだ、としか答えられない自分がもどかしい。

 そう思っていると、不意に背筋を緊張が駆け上がった。


「カイナッ、この……親不孝者めがっ! なんじゃ今更いまさら! 何年ぶりだと思っておる!」


 若い女の声が、鋭いパンチとなって頭上から襲った。

 飛び込んでくる一撃を避けるために、思わずカイナは身を投げ出す。そのまま地面を転がり、距離を取ってから身構え立ち上がった。

 今まで自分がいた場所が、陥没かんぼつして大きくえぐれていた。

 その中心で、土砂煙どしゃけむりのなかから細い影が振り返る。


「ただいま戻りました、母さん。……師匠」

「おう、なんじゃなんじゃあ? その腕はどうしたかや!」

「やられました。相手は手練てだれの魔族です。一撃で切り落とされました」

「痛みは?」

「今も少し。ですが」

「……このっ、未熟者がああああっ!」


 持って生まれた美貌を台無しにする、憤怒ふんぬの形相で女性が踏み込んできた。その耳が、怒髪天どはつてんくがごとく尖って屹立きつりつしている。そう、彼女はエルフだ。

 周囲は呑気のんきに、やいのやいのとはやし立てている。

 だが、カイナにはその攻撃を避けるのが精一杯だ。それも困難で、自分でも思い知らされる。やはり、右腕を切り落とされたことで肉体のバランスが失われた。まだ自分は、左右非対称になった己の肉体を上手くあつかえていない。

 加えて言えば、攻防一体の両拳は半減してしまっている。

 それなのに、母にして師の猛攻は苛烈を極めた。


「このっ、アホンダラがっ! そのザマでこれからどうするのじゃ! この村でずっと、ぼんやりと生きるつもりかや!」

「いえ、それは! 考えてはいます! し、しかし」

「問答無用っ! ワシは、そんな子に育ててなどおらぬし、そんな男に鍛えてはおらぬ!」

「そうですが! ええい、さばききれない!」


 防戦一方の中で、不思議と殺気は感じない。

 当然だ、カイナの母は……師匠であるエルフ、セナは百戦錬磨ひゃくせんれんまの達人だ。自称『』とうそぶいているが、あながち嘘とは思えぬ程度には最強である。

 そのセナが、殺す気こそ感じないが激怒していた。

 そして、彼女の攻撃がテンポアップする。

 得意の蹴りが織り交ぜられると、否応なく手数で負けるカイナも心を決めた。


「そう、これだ……活路を開き、再び戦う力を得るには! ――見えたっ!」


 しなるむちのように、空気を引き裂きセナの回し蹴りが迫る。

 カイナもまた、迫る一撃に蹴り上げで対抗する。

 すでにもう、決めていた。

 一度田舎いなかに帰るなら……再び修行し、隻腕せきわんでも戦える技を身につける。そして、利き手の拳を失ってなお、カイナは二本の足で、自分の足で立って歩けるのだ。

 肉が肉を打つ音が響き、蹴りと蹴りとが交差した。

 村人たちの喝采かっさいの中、片足を振り上げたままセナが鼻を鳴らす。


「フン、あいも変わらず未熟な蹴り! 腰が入っとらんのじゃ、腰が!」

「そうです。俺は、師匠が授けてくれた打撃、投げ、絞めと関節技……その全てを体得しながら」

「全ては教えておらん! じゃ、じゃから、うむ。そ、そのぉ、よ、よよよ、よく帰ってき――」

「そうでしたか。俺はまた、修行を積んで強くなりたい。もう一度、いや、今度こそ。次こそ、セルヴォを守りきって、最後まで戦い抜くつもりです」


 その言葉に、セナはポッと頬を赤らめた。

 そしてどういう訳か、見えない二撃目の蹴りが襲って、そこでカイナの意識は途切れる。真っ暗な闇に落ちる感覚は、はっきりと師の妙技を身に受けたとは感じていた。

 だが、自分を失神させた蹴りは全く見えていなかったのだった。

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