森に住むということ
行商人の馬車で街道を揺られて、半日。
日が傾く頃には、カイナはユウキと徒歩で森へ分け入っていた。故郷であるユズルユ村は、
カイナは必要最低限の手荷物を片手に、魔法を
「この
そうは言っても、地図を目の前に広げるのは忘れない。魔法で浮かび上がる光の文字や記号は、幼少期に山野を駆け回った頃のままだった。
ユウキがそっと身を寄せ、地図を覗き込んでくる。
「えっと、歩いて小一時間ってとこかな? 地元だよね、カイナ君の」
「ああ」
「地図、必要?」
「勝手知ったるなんとやらでも、大自然を
「なるほどね」
ハキハキと端切れのいいユウキは、よく通る声が活力に満ちている。耳にここちよくて、まるで楽器が歌うような
だが、こうしている今もそこかしこに危険が忍び寄っている。
自然の中では人間など、ちっぽけな存在でしかない。
「頻繁にではないが、モンスターも出る。あまり側を離れるなよ」
「うんっ」
「……
「それについては、そのぉ……はは、えっと……借金がありまして」
「借金? 金貸しにか」
「ううん、友達に」
「やれやれ、そういうことか」
カイナは溜め息を
今ならまだ、日があるうちに村へと入れるだろう。
進む先は獣道のようなもので、慣れた者でなければ森の奥に迷い込んでしまうだろう。だが、この地形は大自然の織りなす芸術品であると同時に、村の者たちが管理してきた先祖代々の大切な土地でもある。
ユウキに合わせてゆっくりと歩いたが、そんなカイナを彼女は追い越し振り向く。
「それと、お墓参りかな。どうしても一度、行きたいと思ってたの」
「ユズルユ村に
「ううん、違うけど……わたし、凄く遠いところから来たんだけどね。でも、いい機会だし、会ってみたくて。あのセルヴォ君と共に旅したカイナ君と、あともう一人」
「……カルディアの墓に参るつもりか。まいったな」
「駄目?」
「いや、そんなことはない。……ありがとう」
カルディアは、カイナやセルヴォと共に育った
そして、今はもうこのユグドルナのどこにも存在しない。
魔王との決戦に挑み、カイナたちを
それからの一年で、世界の情勢も親友も、なにもかもが変わってしまった。カイナ自身さえも、変わらざるを得なかっただろう。
だからこそ、まだ変われる。
失い亡くす中で、カイナはまだ生きているのだから。
「カルディアと知り合いだったのか?」
「ううん、でも……謝りたくて」
「ん、そうか」
「えっ、そんだけ? 普通、もうちょっと踏み込んで聞くでしょ」
「いや、いい。お前の気持ちだけで十分だ。それに、
「嫌わないよー、もぉ! ただ、そだね……いつか話せたらいいかなって」
それだけ言って、ユウキは前を向く。
背中に揺れる黒髪を追って、少しだけカイナも歩調をあげた。
他愛もない話が行き来して、お互いの武勇伝や
「そうか、あの重装甲は機械式のカラクリなのか」
「そそ。わたしの力を重量で安定させ、同時に瞬間的に増幅することができるの。……すっごく高かったんだからね。伝説の武具もかくやという値段でさあ」
「それで借金か」
「まーねっ!」
一昔前の冒険者ならば、なにも不思議なことではない。
あのセルヴォでさえも、剣士として武具の調達には常に気を配っていた。
だが、それも銃の登場によって過去の歴史になろうとしている。
「友達がね、機械に詳しくてさ。それで作ってもらったんだけど、お友達値段でもすっごいコストが掛かっちゃって」
「だが、良い品なのだろう。お前の活躍は聞き及んでいる」
「うんうんっ! ……まあでも、戦う場所を失っちゃった。そっかー、あんまし活躍し過ぎても駄目なのかあ」
「いや、それは……ん? ――ユウキ、待て!」
不意にカイナは、前を歩くユウキの手首を握った。
酷く細くてすべやかで、力を込めれば左手でも握り潰せそうだ。そして、振り向くユウキがわずかに
だが、構わずカイナは自分へと
「ちょ、ちょっと、カイナ君っ! こっ、ここ、こんなとこで!? もっと順序とかムードとか、それに今朝会ったばかりで」
「……魔物の気配だ」
「あっ、そういう……それだけかあ」
「当たり前だ」
「はーい。ちぇー、ちょっと自信失うよ」
ほどなくして、なにかが木々をかき分け地を踏み締める音が聴こえてくる。
肌がひりつくように震えて、緊張感が五感をいつも以上に鋭敏にしていた。
やがて、ゆっくりと巨大なモンスターが姿を表す。
それは、人の何倍も大きな昆虫の魔物、鋭い両手を持つダイオウカマキリだった。小さく
「わお。結構大物だね」
「静かに。……妙だな、この辺りにこんな危険度の高い魔物が」
「ねね、カイナ君っ。わたしの鎧、出してよ。これくらいの相手なら」
「待て、他に音がもう一つ。
やがて、森の奥からもう一匹が姿を現した。
さらに一回り大きい、二匹目が
春の陽気に木々が芽吹く中、モンスターたちの活動も活発になる。だが、ユズルユ村の周辺でこんな危険種を見るのは、カイナは初めてだった。
せいぜい、凶暴化した
森は村に恩恵をもたらすが、深入りすれば命の保証はない。
それでも、森の
「さて、どうするか」
「やっちゃう?」
「却下だ。お前が危険だし、俺は今はお前を守る自信がない」
「逆だよ、逆。わたしがカイナ君を守るから。だってほら、これから
「……どうも調子が狂うな。このままやり過ごせるなら、それにこしたことはないが」
その時だった。
完璧に気配を消していたカイナとユウキは、同時に雄叫びを聞く。
自分を奮い立たせるような絶叫は、年端もゆかぬ女の子の声だった。
そして、雄のダイオウカマキリに矢が突き立つ。
「当たった、当たりました! 次の矢で……トドメなのですっ!」
一撃を受けて身を
やや荒いが、なかなかの
そして、
「チィ! ユウキ、お前はここにいてくれ!」
「ちょ、ちょっとカイナ君! ねえ、キミは!」
この場にいるなら恐らく、村の住人だろう。狩人とは思えないが、弓の腕は見事だ。
だが、戦いの技術はそれだけに限らないし、弓の扱い以外は
飛び道具を撃つということは、自分の居場所を教えるということ。
相手が複数の場合、慎重にならなければいけないのだ。
その証拠に、残された雌が羽根を広げて身を
その先へと、カイナは全速力で自分を押し出した。
「クッ、間に合うか? いやっ、間に合わせる!」
強引に弓矢の
そして、いつも通りに半身に構えて左腕をかざす。カイナの武術は攻防一体、今までは右利きだったので、左手で防御し右手で
だが、今はその両方を腕一本でこなさねばならない。
やれるかやれないかは、考えなかった。
やるという意思だけは、あの日から変わらずカイナの中にあった。
絶叫とともに、
「――ッ、グ! 避けても
一瞬、先日の敗北が脳裏を過る。
あの時も、鋭利な刃に身を
避ければ後ろには、セルヴォがいたのだ。勇者たちのリーダー格、民の救世主たるヒーローを殺させる訳にはいかなかった。なにより、友をこれ以上死なせたくなかったのだ。
その時の記憶がフラッシュバックし、大鎌を振り下ろす魔族の女が思い出される。
そして、浮き上がった恐怖が再び心の奥底に去ってゆく。
だが、失った右腕はまだ痛んだ。
「カイナ君っ! 大丈夫? もぉ、無茶だよっ!」
「だが、無理じゃなかった。そら、奴も逃げてゆく」
「トドメは?」
「必要ない。無駄な
「だねっ」
駆け寄ってきたユウキが、やたらぺたぺたと触ってくる。その手をやんわりと払いのけると……目の前に突然、木の上から
それは小さな身体に大きな弓を持った、カイナのよく知る少女なのだった。
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