視点がぶれる、とは?

 さて皆様、5W1Hを用いたあらすじ制作法、どうでしょうか。

 使いやすそうだなと思ったら、是非やってみてください。また、あらすじを作る手段はこれだけではありません。世の中には沢山の手法があり、自分に合ったものが一番なのです。正解はありませんが、あなたが「これがしっくりくる!」と思うものが一番ですね。

 で、5W1Hの中に……「Who」ってありましたよね?

 そう、「誰が」です。

 今回はちょっと、よく小説創作界隈で言われている「視点」のお話をしたいと思います。時々「視点がぶれてる」なんて言葉を聞いたりする、例のあれです。


 まず、最初に……あなたは「視点の整合性を保つために小説を書く」という訳ではありません。あくまであなたは、そして多くの小説家は「」のが本来の目的です。

 そして、視点を適切に管理して作品を仕上げるのは、これは目的ではなく手段です。

 従って、遮二無二しゃにむにになって視点の管理に神経質になる必要はありません。市販されている書籍の中にも、視点がぶれてる作品は無数にあります。それほどまでに、視点を保って小説を書くことは難しいのです。

 今日は、そんな視点の存在を理解し、上手く創作に活かしてほしいと思います。


 あらすじ作成中の5W1Hの「Who」、つまり「誰が」という項目……ここに書かれる名前のキャラクターが、いわゆる小説の「その文章での視点保持者」になります。ながやんのあらすじだと複数のキャラが登場することがありますが、そこに書かれてるキャラの誰かが視点保持者となります。

 基本的に視点保持者は、章が変わる、文章が一度区切られる等がない限り、変わりません。因みにながやんの作品は、ほぼ全ての小説が主人公視点で書かれています。一貫して終始主人公が視点保持者になる作品が多いですね。例外はスパ◇ボ「」カクヨム等、ごく一部の作品になります。


 視点保持者というのは、そのシーンで「読者の代理として物語を体験するキャラクター」です。なので、手っ取り早くながやんは主人公にしています。主人公こそが、読者に一番感情移入されてほしいキャラだからです。

 ただ、例えば群像劇を書く時は、その場その場で視点保持者は変わるでしょう。

 また、普通の物語でも主人公の知らない事実を書く場合は、主人公以外の視点が必要になります。

 そうですね……もっとざっくり説明すると「視点保持者とは、読者が遊んでるゲームのプレイヤーキャラクターである」ってとこですかね。


 モンスターハンターというゲームがありますが、皆様は御存知でしょうか。最大四人で同時にプレイできて、一人一人がモンスターを狩るハンターとなって巨大な竜と戦ったりするアレです。

 そう、クエストを受注して竜を狩る、それが一つの物語だと思ってください。

 当然ながら、プレイヤーは自分のキャラクターの全てを知ることができます。例えば装備、大剣なのかハンマーか、それともボウガンか。それに、持っている道具、体調の変化や体力の残りを知ることができます。

 しかし、一緒に竜を追いかけてる他の三人の情報は、ごくごく限定されたものしかわかりません。例えば、仲間がどんなアイテムを狩りに持ち込んでいるか、これはわかりませんね。体力や居場所はゲームの仕様上わかりますが、着ている防具の強化具合とか、一緒に共闘しているこの瞬間、どの素材が欲しくて戦っているのかとか。

 これが、物語の中で視点保持者が持つ制約です。

 自分が知ることしか書いてはいけないし、知らないことを書いた瞬間「本来それを知っているキャラに視点がぶれた」ということになります。

 ちょっと、例題を見てみましょう。




 目の前の死体に、太郎はぞっとした。

 ながやんがその場で、血の海に沈んでいたのだ。

 太郎は黙って、仲間たちを振り返る。花子もロドリゲスも、彫像のように固まってしまっていた。

 太郎は思った……この中にもしかして、犯人がいるのか?

 そして、花子はロドリゲスが犯人だと確信しているのだった。




 はい、どうでしょうか。

 この短い文章の中で、最後に視点が太郎から花子にぶれた、移ってしまったことにお気付きでしょうか。何故なら「花子がロドリゲスを犯人だと決めつけてるのは、花子自身にしかわからない事実」だからです。それは、太郎がエスパーでもない限り知り得ない事実なんですね。

 このように、太郎が視点保持者の場合、花子は勿論、ロドリゲスの思ってることを知ることはできない。従って、書き方にも注意が必要だということです。

 因みに、少し直してこうすると、常に太郎の視点で話を運ぶことができますね。




 目の前の死体に、太郎はぞっとした。

 ながやんがその場で、血の海に沈んでいたのだ。

 太郎は黙って、仲間たちを振り返る。花子もロドリゲスも、彫像のように固まってしまっていた。

 太郎は思った……この中にもしかして、犯人がいるのか?

 思わず仲間を注視すれば、先程から花子は怯えたような目でロドリゲスを睨みつけている。どうやら彼女は、ロドリゲスが犯人ではと疑っているようだった。




 さあ、どうでしょう。

 なにが違うか、おわかりでしょうか?

 太郎の視点で「花子がロドリゲスを睨んでいる」という事実(これは太郎が見て感じた情景で、太郎視点のもの)を挟んで「どうやら彼女は」と太郎の思考を書く。

 こうすれば、視線をぶれさせることなく読者に「花子はロドリゲスが犯人だと思ってるらしい」と伝えることができます。

 このように、視点の変更は些細な場所に潜んでて、うっかりスナック感覚で軽率に視点をぶれさせてきます。ながやんもすぐやらかしますし、こうして説明してる全てが正しいことを言ってるとも限りません。

 まあ、だからまずは書く。見直して、気付いたら直す、くらいで最初はいいかと。


 因みに、一人称視点の小説では視点のぶれは起きにくくなります。

 一人称視点の文章は、前提条件として「一人のキャラクターの目で見て体験した物語」があるからです。先程の文章が一人称視点ならば「そして、花子はロドリゲスが犯人だと確信しているのだった」と書いても、それが一人称視点のキャラクターの思い込み、憶測だと解釈されるからですね。


 三人称で複数のキャラの視点を使い分ける時は、注意が必要です。

 ですがまあ、いわゆる「神の視点」で全員の全てを掌握した視点から、ありのままを書く作品も存在しない訳ではありません。ただ、そうなると読者に無造作に多くの情報が投げつけられることになり、混乱しやすくなります。

 それに、神視点で全てを知れる前提になると、感情の機微やミステリーの謎などが軽くなってしまいます。まあ、そこは使い分けが必要かなと思いますね。

 皆様も是非、余裕があったら文章の視点に気をつけてみてくださいね。

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