~53~ エクトルの憂慮

 浴室のドアが閉まった音を聞き、エクトルは小さく溜息を吐いた。

 緊張していたわけではないが、これからされる羽琉の話が気になって、イネスの料理の味もよく分からなかった。

 羽琉の手前、そんな素振りを見せるわけにもいかず、だからか余計に力が入っていたようで肩が痛い。

 ビズはいつものようにできたが、羽琉を苦しめてしまうような過剰なスキンシップは抑えないといけない。羽琉への愛が重すぎて自重するのは難しいと思うが、羽琉のためならばエクトルは喜んで自制する。

 エクトルにとっては羽琉が一番だ。その羽琉が悲しみや苦しみに涙することがないよう……エクトルの持つ最大限の優しさで羽琉を包んであげたい。ずっと守っていきたいという思いだけは、エクトルの中で変わらない強い思いだった。


 それからしばらくして、「すみません。遅くなりました」と羽琉がお風呂から上がってきた。

 リビングで雑誌を読んでいたエクトルは雑誌をソファに置くと、「いいえ。そんなに待っていませんよ」とにっこり微笑む。そして羽琉においでおいでと手招きをした。

 羽琉は頭からタオルを被った状態のまま、エクトルが促した隣の位置に腰を下ろした。

「慌てて上がったんですか? 髪がまだ濡れていますよ。ドライヤーを使っても良かったのに」

 ふふっと笑いながら、エクトルは羽琉が被っているタオルで髪の毛を拭いた。

「ありがとうございます」

「いいえ。拭く力が強くないですか? 痛くはないですか?」

「大丈夫です。すみません。手間を取らせてしまって……。僕のことは大丈夫なので、エクトルさんもお風呂に入ってきて下さい」

 羽琉がそう言うと、エクトルの拭く手がピタリと止まった。

 不思議に思った羽琉が乱れた前髪の間から上目遣いでエクトルを見つめると、沈んだ表情で羽琉を見つめている真剣な眼差しとかち合った。

「私がお風呂から上がるまで、リビング(ここ)で待っていてくれますか?」

「え?」

「リビング(ここ)にいてくれますか?」

 不安そうに揺れるエクトルの碧眼に、羽琉はハッとした。

 エクトルはこの前のことがトラウマになっているのかもしれない。こうして羽琉に確認して、待っているという約束をして欲しいと願うほどに、エクトルにとってはショッキングな出来事だった。それを彷彿するような状況になりたくないのだろう。

 羽琉は髪の毛を拭いていたエクトルの手に自分の手を添えると、にっこりと微笑んだ。

「ちゃんと待ってます。安心して下さい」

 羽琉の答えでようやくエクトルも安心したのか、安堵の表情で「では、お風呂に入ってきます」と言うと、自分の手に重ねられた羽琉の手の甲にキスをしてから浴室に向かった。

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