~16~ 甘い日課
気持ちが昂り過ぎて寝坊するかと思ったが、次の日も羽琉はちゃんと定時に目を覚ましていた。そして日課になっているエクトルを起こすため、少し身を整えてから自室を出た。
「エクトルさん」
控えめにノックをしてから声を掛けたのだが、いつもならすぐ返ってくる入室許可の返事が今日はなかった。
どうしよう。
羽琉が起こしに来るようになってから――いや、それ以前もだが――エクトルは部屋に鍵を掛けていない。まぁスペアキーを羽琉に渡してあるので鍵を掛けていても無意味なのだが。
エクトルからの返事がないためドアを開けて良いのか羽琉は逡巡した。しかし出勤時間もあるので、意を決したように息を吐くと「失礼します」と言い、おずおずとドアを開いた。
開けた瞬間、すんっと部屋の匂いが出迎える。
エクトルは香水を使用しないので、ボディソープやシャンプーの匂いだと思うのだが、同じ物を使用しているのに羽琉とはまた違った匂いだ。
部屋に入って左側に設置してあるベッドを覗くと、布団に隠れてエクトルの顔は見えないが呼吸に合わせて布団が上下していた。どうやらまだ眠っているようだ。
珍しいこともあるなと思いつつ、羽琉はベッドに近寄った。
気持ちよく寝ているところを起こすのはかなり気が引けるのだが、これは羽琉の仕事でもある。
もしかしたら何か仕事をしていて、昨夜寝るのが遅かったのかもしれない。
そんなことを思いながら「エクトルさん」と布団に手を掛けると、いきなりその手を取られ引っ張られた。
「え⁉」
態勢を崩した羽琉は、自身の体で寝ているエクトルを潰さないよう空いた手で何とか体を支えたが、図らずもエクトルに覆い被さっているような格好になってしまった。
「おはようございます。羽琉」
「お、おは……おはようございます」
にっこりと微笑んだエクトルは羽琉の首に手を回すと、自分の胸に引き寄せた。頬を染める羽琉をエクトルは寝たままの状態でギュッと抱き締める。
その状況に混乱してしまった羽琉はどうしたら良いのか分からず、エクトルの腕の中で硬直してしまった。
そんな羽琉の心中を知ってか知らずか、エクトルは抱き締めている腕の力を強くする。
「幸せです」
エクトルは熱い吐息と共に羽琉の耳元で甘く囁いた。
「エ、エクトルさん……」
さらに顔を赤らめた羽琉のこめかみにエクトルはちゅっとキスをする。
「あ、あの……お、お仕事は……?」
羽琉が動揺しながら訊ねると、「今日は取引先に寄ってから出社するので、時間に余裕があるんです」と再び羽琉にキスをした。
これまでよりも濃密なスキンシップに羽琉はついていけない。ただ嫌ではないので、どうすれば良いのか分からずに全身を強張らせつつも素直に受け入れていた。
「満足しました。そろそろ起きますね」
しばらくして、ようやく羽琉はエクトルの腕から逃れられたのだが、ベッドから下りた時、足に力が入らずそのまま床に両膝を突いてしまった。
慌てて起き上がるエクトルの横で、羽琉はバクバクする心臓を抑えるように胸に手を当てる。
「羽琉? 驚かせてしまいましたね。寝たふりなんてして、すみません」
「へ? い、いえ。あ、びっくりはしましたが……」
嫌ではなかったと言外に含むと、エクトルはそれを察しふわりと微笑んだ。
ベッド横で膝を突いている羽琉に手を貸し立たせると、エクトルは「先に行ってて下さい。すぐに行きます」と言い、優しく羽琉を促した。
いつもの調子のエクトルに少しホッとした羽琉は「はい」と肯くと、リビングへと向かった
動揺する羽琉の様子に、気持ちを暴走させてしまったことを申し訳なく思ったエクトルだったが、それでもちゃんと受け入れてくれる羽琉になおさら愛おしさが溢れる。
この想いはきっと尽きることはないのだろうと噛み締めながら、エクトルは朝の支度を始めた。
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