第195話 ゴオ近衛隊長

 王都レヴェノアに帰ると、街のなかは明るかった。


 街路灯もあれば、家々の窓からこぼれる明かりもある。城壁の外に広がる闇が嘘のようだった。


 東の門から入り、城にむかう。


 道すがらに甲冑を着こんだマニレウス、それに百名ほどの兵士とすれちがった。


 深く考えずとも、これはわかる。ナルバッソスがひきいた兵士たちとの交代だ。戦闘をひとつ終えたいま、ナルバッソスの隊は撤収てっしゅうさせて休ませる必要がある。


 次も選びぬいた部隊だろう。暗闇のなかで任務をおこなえる兵士はすくない。そして指揮官はナルバッソスのほかでいえば、マニレウスが適任だ。コリンディアでは第二歩兵師団の十番隊をひきいた熟練の兵士だった。


 こんなものは、すぐに用意できるものではない。事前に兵を選定しておき、待機させていたはずだ。


 歩くさきにある王の城を見あげた。軍師ラティオ、まさに用意周到。


 王の城から目をおろす。私のさきを歩く近衛兵の集団、その中央にアトボロス王の背中を見つけた。まわりの近衛兵にくらべれば小さな背中だ。


 その背中を見つめていると、不安が押しよせる。


 今宵こよいはうまくいった。だが、たまたまだ。ヒューデール軍参謀の諜知隊によって周辺の状況がつかめていた。そしてラティオ軍師の策により、兵士を埋伏させていた。


 王の短絡的なおこないに、苦言をていする臣下はすくない。やはり私が言いつづけるべきか。


「兵士たちが感謝していたぞ」


 うしろから声をかけられた。


「ナルバッソス殿」


 歩くさきはおなじ、城にむかうようだ。撤収作業を終えた報告か。手早いものだ。


「明日はイーリク隊長にも、おごらねばならんと、兵士たちがさわいでいたぞ」


 死者を笑うのは無礼だが、それほどまでにダリオンは嫌悪けんおされていたか。


「私には不要です。今宵、剣のひとふりすら、しておりません」

「貴殿から声をかけられなければ、いまだコリンディアの歩兵かもしれん」


 そうか、引きぬいたときの話か。


「それを言えば、あの引きぬきは軍師ラティオの発案」

「いや、イーリク殿がコリンディアの夜を駆けまわったおかげだ」


 たしかに、昼は動けないので陽が落ちると朝まで駆けまわっていた。いっせいに声をかけることはできない。不満を持つ者ひとりに声をかけ、その者からまた信頼できる者を紹介してもらう。その繰り返しだった。


「早い段階でナルバッソス殿が参加された。そのおかげもあります。副長は参加されるのか。そう多くの者から聞かれました」


 当時の副長は笑った。


「それは怖いからだろう。おれも怖かった。国を捨てるのだからな」


 さらりとそう言うナルバッソスに感心した。まえから思っていたが、おのれを飾るところがない。


 そして荒々しい者が多いのが軍隊だ。そのなかにおいて、ナルバッソスはきわめてやさしい。


「アトボロス王の、おっしゃるとおり」

「なにがだ?」

「グラヌス隊長でなくナルバッソス殿と会っていても、助けてくれただろうと」


 褒められた本人は笑顔を見せたが、首をふった。


「心よりうれしく思うが、おれでは王を守れなかっただろう。おれは凡庸だ」

「ぼんよう?」

「役立たずとは思わぬが、なにかひいでたものがあるでもない」

「ハドス守備隊長も、おなじようなことを言っておられた気が」


 またもナルバッソスは笑った。


堅才けんさいゆうか。あれは爪をかくしておるだけ。いや、近衛隊のふたりは、おとなが遊んでいるだけだな」


 ふたりというのは、ゴオ近衛隊長もということになる。遊んでいるのだろうか。そういえばボンフェラート宰相も似たようなことを言っていた。


 話ながら歩いていると、城のまえに着いた。さきほど街に入り明るいと思ったが、ここはもっと明るい。


 階段にいくつかある踊り場には、両わきにかがりが焚かれていた。頭ほどの高さがある石柱の上に、鉄の大きなかご篝火かがりびが作られてある。まきが燃えて真っ赤な炎をだしていた。


 ふいにナルバッソスが足を止めた。


「やはり、よいものだな。城があるというのは」


 見あげるさきを私も目で追った。アトボロス王が先頭で階段をあがっている。


「王の飛びだし、ナルバッソス殿は、どう思われましたか」


 ふと気になって聞いてみた。この熟練の兵士ならば、どう思うだろうか。


「イーリク殿」

「はっ」

「さきほど申したはず」

「はっ?」

「おれは凡庸ぼんようだ。おれごときがわかる話ではない」


 ナルバッソスはそう言うと、静かに笑い階段をあがっていった。


 重臣ならともかく、隊長たちでは言えないのだろうか。


 アトボロス王は、ときに少年王と呼ばれるように、他国の王、または歴史の王にくらべ若い。だが年齢に反し、多大なる偉業をなしてきた。その王に対し口をだすのは、いささか気が引けるのかもしれない。


 考えにふけっていると、みなは城に入っていた。すこし遅れ、私も階段をあがる。


 重臣でも隊長でも言いにくいのなら、もっと特殊な者が言うしかないのではないか。


 私は自室には帰らず、二階にある近衛隊の詰所へとむかった。


「なにか用か」


 入るなり、声をかけられた。


 部屋の中央にむけて置かれた大きな机がある。そのうしろにゴオ近衛隊長の姿があった。


 思えば、この部屋に入ったのは今日が初めてだ。近衛隊は独自で動く。とくにこれまで話す必要もなかった。


 ゴオは自身の大剣たいけんを壁にかけると、大きな机にある椅子いすを引いて座った。近衛隊長の席だろう。


 五英傑、そしてヒックイトの族長。このテサロア地方で名をとどろかせた豪傑が、まるで文官のひとりのように職責をこなすのか。近衛隊長の席についたゴオを見て、そう思った。


「アトボロス王ですが、あまりに危険だと思われませんか」


 歓迎されていない気配は悟っているが、口をひらいてみる。


「危険か」


 ゴオ近衛隊長は、ひとことつぶやいただけだった。


 しばらく待っていたが、次の言葉はない。もういちど聞こうとしたとき、入口の扉があいた。


「隊長、仲間外れにされた文句を受けますか」


 入ってきたのはハドス王都守備隊長だった。いや、この場合は近衛副長なのか。


「これはイーリク殿」

「お邪魔しております」


 目があい、あいさつをかわす。それ以上の会話はなく、ハドス副長はゴオ隊長へ顔をむけた。


「引き継ぐことはありますか」

「ない」


 私がいるからだろうか。短いやり取りでハドス近衛副長は去っていった。


 ハドス殿は、引き継ぎと言った。


「ここから交代ですか?」


 ゴオ隊長は答えなかった。それは近衛隊の職務として外部には言えないのか、私がわずらわしいだけなのか。


 しかし痛感する。近衛兵は昼も夜もないのだと。ここからの責任者はハドスがするのだろう。


 入口の扉があき、近衛兵のひとりが入ってきた。手にはふたつの皿を持っている。


 ひとつの木皿にはパンが載っていた。もうひとつ木椀は、なにかの汁か。


「あれから、なにか食べたか?」


 あれからとは、私が昼の戦闘で気を失ったことを言っているのだろう。


「いえ、とくになにも」

「なら、もうひとつ持ってこい」


 ゴオ近衛隊長は、食事を持ってきた近衛兵にそう告げた。


 その近衛兵からも歓迎されてない目で見られたが、すぐに私の食事も用意された。


 この部屋は、隊長席と思われる大きな机にゴオがいる。ほかに四人掛けの卓と椅子いすがいくつかあった。近くの卓につき、受けとった皿を置く。近衛隊長とおなじ、パンとなにかの汁だ。


 無言で食べはじめる近衛隊長にとまどいながら、私も口にする。木椀のなかに入っていたのは、肉の切れはしと野菜を煮たものだ。うまいとも、まずいとも、どちらでもなかった。


 食事の量は、それほど多くない。あっという間に食べ終わると、ゴオ隊長も食べ終えていた。


 なにか会話があるでもない。気まずさを感じていると、窓の外から鐘の音が聞こえた。これは、もと領主であるペルメドスの館にある鐘の音だ。日付が変わったことを知らせている。


「ここで交代だ。近衛隊は一日を三つの組でまわす」


 なんの話かと思えば、さきほど私が「交代ですか」と聞いた答えか。以前から思っていたが、このかたは、この国で随一ずいいちのとっつきにくさではないだろうか。


 その隊長は、おもむろに席を立ち、書物などがならんだ棚にむかう。三冊ほどの書物をまとめて引きぬくと、そこに葡萄酒アグルの瓶があった。


「飲むか?」


 予想していない言葉で、反射的にうなずいた。酒瓶のよこに木杯も重ねて置いてある。ふたつを器用に片手で持つと、席にもどりながら酒をついだ。


 そのひとつを机のはしに置く。私の分だろう。椅子を持って隊長席のまえに移動した。


 そういえば城が攻められた日の夜だ。酒を飲んでいる場合だろうかとも思えたが、これ以上なにか起こるとも思えない。また、なにかあれば軍師が対応するだろう。


「近衛隊は、城で食事をするのですか?」


 疑問に思っていたので聞いてみた。


「昼も夜もない軍務だ。近衛兵用の食堂をつくらせた。護衛番の始めと終わりに食わせている」


 そういうことか。さきほどのハドス殿も、食事をしてから夜の番というわけか。


 私は部屋をふり返った。


「ここでは、だれも食べないので?」

「食べる。食堂だけでは席が足りないのでな」

「ですが、だれもいないようですが」


 近衛隊長が、私をじっと見た。


「そうか、私がいるからですか」


 ゴオは答えず、木杯を口にした。私も葡萄酒アグルがあるのを思いだし、机の上にある杯を取った。ひとくち口にふくむ。


 葡萄ぶどうの香りと樽の香りが強いが、まろやかで飲みやすい。


 王の酒場で初めて飲んだ味を思いだした。あとで聞いた話では、あの葡萄酒アグルは初めてレヴェノアで売った葡萄酒アグルだったそうだ。初めて売るので里一番の上物を持ってきていたらしい。


 そのときとおなじ、または、さらに上の味がする。


「これほどの上物は・・・・・・」

「おれは、もと族長。一番の酒が送られてくる」


 ゴオが言った。おどろいている私を気遣きづかってくれたのか、ただの自慢なのか、表情からはわからなかった。


「なぜ、棚にかくしているのです?」

「ハドスが見つけると盗んで飲むのでな」


 吹きだしそうになるのをこらえた。目のまえにいるのは五英傑のゴオだ。その酒を盗む。これまでの歴史でいたのだろうか。だが、ハドス殿ならやりかねない気もする。


 もうひとくち、今度は味わうようにゆっくりと飲んだ。そしてふと近衛隊長をながめた。


 私に父がいれば、このぐらいの歳だろうか。壮年の猿人は、ゆっくりと葡萄酒アグルを飲んでいた。ゆっくりとだが、淡々と休むことなく杯を口に持っていく。


 あのザクト殿から引き継いで、どうなるものかと思ったときもある。だが、ヒックイト族の族長をしていたほどの男で、かつてあったアッシリア国とウブラ国の大戦では軍隊にいた男だ。隊をまとめ、ひきいるのは余裕か。


「王の立ち振る舞い、それを言いにきたか」


 ふいにゴオが口をひらいた。


「私が最初に聞いたこと。いまさら、それを答えますか」

「物申す、そんな面構つらがまえだったからな。めしのまえに話せば、めしが遅れる」


 そんなことでと思ったが、私であっても調練が終わり、いざ食事というときに部下の兵士が相談にくれば明日にしてもらうだろう。それに付き合うとすれば、やさしいアトボロス王ならありえる。あとはナルバッソス殿ぐらいか。


「おまえへの答えは簡単だ」

「と、申しますと」

「近衛隊には関係ない」

「関係はあるでしょう。もっともあると言えます」


 ゴオは葡萄酒アグルをついだ。私の杯にも入れる。


「近衛兵とは、王を守る、それだけだ。王の所業を考えるのは、任務ではない」


 この隊長は、国の会議にもいっさいでない。それは無責任ではないのか。


「守ってさえいれば、それでいいと?」


 私の言葉に、ゴオは口に持っていった杯を止めた。それはすこしの間で、すぐもとのように葡萄酒アグルをゆっくりと飲んだ。


「わかっておらぬな」


 なにをだろうか。


「おまえらは、負けても次がある。近衛隊の負けは王の死だ。次はない」


 今度は私のほうが口に持っていこうとした杯が止まった。


「それは、歩兵隊でも精霊隊でも、おなじです」

「おなじではない。守れなかった責任を問われるのは近衛兵。ほかの隊が問われることはない」


 そうか。反論したいが、そのとおりだ。歴史のなかでは、王を守れなかった近衛兵が全員まとめて処刑された例もある。


「兵士の本番は戦場。だが、われらに本番などない。毎日が戦場であるからな」


 すこし昔のことを思いだした。結婚式をおこなっていた市民が、アトボロス王に殺到した。あのとき近衛兵は殺気立ち、剣をぬいた。大げさだと思ったが、あれが戦場というのなら、わかる話でもある。


 私は葡萄酒をひと息で飲み干し、ゴオ近衛隊長を見た。熟練の兵士、そういう意味で言えば、ゴオ殿がもっとも熟練だ。


 そしてかつて、もうひとりの熟練兵がいた。あのザクト殿がしばらく近衛隊を作らず、ひとりで受け持っていた意味が、いまわかった気がする。


「近衛隊とは、過酷な責務。このイーリク、わかってきました。ならばと疑問が生まれます。わかっていてゴオ殿は引き継がれた。なぜなのか、それがわかりません」


 ゴオは答えず、葡萄酒アグルをゆっくりと飲んだ。


いにしえおきてとは、それほど強いものですか?」


 ヒックイト族に伝わる古い言葉だ。恩を受ければ、それとおなじ大きさの恩を返すまで里に帰るな。そんな意味を持つ。


 もと族長は、ふっと笑った。


いにしえおきてか・・・・・・」


 それだけつぶやくと、葡萄酒アグルを口にふくみ虚空をながめている。


「近衛隊にも、ほかの隊に知られていないおきてがある」


 ふいに口をひらいた。


「この隊の規則ですか」

「規則、というより習慣か」

「どのような?」

「近衛兵だけ、最後の夜をともに過ごすのは、アトボロスだ」


 思わず、目を見ひらいた。


「いまなんと?」

「無論、王の都合がつけばだ。そして家族がいる者なら、その家族が望めばだがな」


 最後の夜とは、死者が過ごす地上で最後の夜だ。場合にもよる。夏の暑い日や死体がきれいでなければ、すぐに埋葬する。そうでないとき、ひと晩は家族や親しいものが見守るのが古くからの習わしだ。


 それを王みずからがすると。破格のあつかいだ。


「アトボロスから提案されたとき、おれは不要だと断ったぞ。だが、あやつは引かなかった。他国の王にくらべ、自分は危険が多いからと」


 思わず席を立った。窓辺にいき、このレヴェノアの街を見つめる。


 王はみずからの行動が、味方を危険にさらすとわかっているのか。


「失礼させていただきます」


 ゴオ近衛隊長にそう告げ、近衛隊の詰所をでた。


 王の心が、わからなかった。


 この二階から城壁の上にある歩廊へとつながることを思いだし、廊下をはしへと歩いた。


 外への扉をひらき、城壁の上にでる。東の門へとつづく城壁だ。戦闘のあった場所が見えるかと思ったが、城壁の外は暗闇だった。


 さきほどの馬を駆けさせた王の背中を思いだす。ランタンの灯りはあっても、照らすのはすこしさき。暗闇にむかって王は全力でかけた。まだ十八だ。怖くはないのか。


 王のおこないによって、兵士たちも危険になる。いつか、そう話そうと思っていた。だが、さきほど、それも無駄だとわかった。


 王はみずからの行為が危険だと承知している。そして危険をもっともかぶる近衛兵にむくいるため、約束を交わしている。近衛兵が死ねば、最後の夜までともに過ごすと。


 城壁の外に広がる闇を見つめていたが、ふり返り街の灯りをながめた。石壁にもたれ腕を乗せる。


 城の近くは空き地だ。石畳にそって鉄の棒が立っている。そこにランタンが吊るされてあるのが見えた。街路灯だ。


 火の消えたランタンの下に人がいた。役人だろう。油を入れにきたか。


 空き地のむこうには、レヴェノアの家々がのきをつらねる。ほとんどの家は真っ暗だが、まれに灯りが点いている家もあった。


 レヴェノアの街は二階建ての家が多く、家の造りがおなじ。石の土台、漆喰の壁、それに赤茶けた瓦の屋根。


 この無数の家々に、何万人もの市民がいる。


 王の城を見あげた。最上部である五階の窓には、まだ灯りが見えた。


 人々の頂点。そこに立ってみなければ、その者の心はわからないのだろうか。


 ながめてわかるものでもないのに、私は王の城をじっとながめつづけた。


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