第166話 第二の故郷
北へ北へと二日にわたり舟を走らせ、アグン山のふもとに着く。
テサロア地方の北部は初めてだ。それも最北のアグン山。
白におおわれた世界だった。歩く道は雪がのけられ茶色い地面が見える。それ以外は真っ白だ。木々の枝葉にも雪は積もり、目に入るすべてが白かった。
それでもヒックイトの里へとつづく山道の入口までくると、時代が変わったのだと痛感した。山道の入口には、見はりの猿人がふたりいたからだ。
昔の話では、山の深くに住む
外界とへだたれた村なら山の入口に見はりなど不要だ。だがいまは、ふたりもいる。人の出入りが多いということだ。
「おお、族長が里帰りされたぞ、レヴェノアの王もいっしょだ!」
見はりの猿人がわれらを見つけ、駆けだしていった。そうか、里帰り。もう今年最後の日だった。
アグン山の山道を登る。登るにつれて人は増えた。ヒックイト族のむかえだ。
「やれやれ。グールがでたとの話だが、もう終わっとるようじゃ」
言ったのは、となりを歩くボンフェラート宰相だ。さきほどヒックイト族の猿人と話をしていた。くわしく聞いたらしい。
アグン山にでたグールは三匹で、もう退治できたとのことだった。おれたちが舟にゆられていた二日間のあいだに終わったと。
「では、われらは無駄足を踏んだと?」
「まあ、ゴオ近衛隊長をはじめ、ヒックイト出身の者も多くいる。暮れの里帰りにはなったようで、まるで無駄でもなさそうだわい」
山道を登りきると、大きな
「砦を造ったか。里も変わったのう」
ボンフェラート宰相がつぶやいた。ならば、これはあとになって造ったものか。
砦の入口は大きく開門されており、なかには大勢の人が待っている。その人垣がわれた。五十あたりに見える猿人の男が歩いてくる。かなりの
「ヒックイト族の現族長、ガラハラオじゃ」
となりのボンフェラート宰相が小声で教えてくれた。ならば、あれが軍師ラティオの父か。
「ゴオ族長、おかえりなさいませ」
ガラハラオが、おれたちのまえで言った。
「いまは族長ではない」
うしろからゴオ近衛隊長はそう答え、ガラハラオのまえに歩みでた。
新旧の族長が連れだって砦のなかに消えていく。やはりここはヒックイトの里。レヴェノアの王がきていても、もと族長のゴオにあつまるか。
そう思ったが、離れたところにいるアトボロス王は、猿人の婦人に抱きしめられていた。
かなり力の強い抱きしめられかたで、背の低いアトボロス王の足が浮いている。
「タジニよ、われらが王を窒息させるつもりか!」
ボンフェラート宰相の声に、婦人が腕をといた。
「母子の再会に水をさすんじゃないよ!」
宰相はタジニと呼んだ。ならばあれが軍師ラティオの母。もはや家族のようなものなのか、われらが王と。
その抱きしめられた王も、うれしそうな顔をしている。ここにくるまで、王は深刻な表情だった。心配していたのだろう。
タジニという婦人だけではない。次から次へと、屈強そうなヒックイトの男たちが、アトボロス王にあいさつする。それが懐かしそうに声をかけたり、王の肩に気安く手を置いたりとするのが意外だった。
「宰相、聞いた話では、王がこの里にきたのは一回限りのはず」
「あの王のまわりにいるのは、ラボス村へいった連中じゃ」
なるほど、あの救援が間にあわなかった村か。
ヒックイトの猿人にかこまれた王のあとを追い、砦のなかに入る。そこは大きな広場だった。
おれたちや近衛兵は、どうしたらよいのだろうか。そう思っていたら、現族長であるガラハラオが帰ってきた。
「ボンフェラート、近衛兵には使用していない小屋に案内する。まきや寝具は、こちらで用意しよう」
宰相が、なぜだか笑って現族長をながめた。
「ガラハラオ、無口が信条じゃったおぬしが、よくしゃべるようになったのう」
「まったくだ。性にあわぬが、だれひとり代わってもくれぬ」
ラティオの父親は無口だったのか。それでも人の上にたつのなら、変わらざるを得ないか。
「アトは、うちに泊める。それでよいな?」
宰相がうなずこうとしたとき、別の声が割って入った。
「族長、せっかく、アトボロスがきたんだ。宴会をせねば」
屈強そうな猿人のひとりが言った。ラボス村に同行した者だろう。そのとおりだと賛同する声もあがる。
「ちょいと、あんたら、アトはここまで舟できたんだ。ゆっくり休ませな!」
しかるような声をあげたのは、軍師ラティオの母親タジニだ。
「そりゃねえぜ、せっかく会えたのになぁ」
「見ねえあいだに大きくなって」
ヒックイトの男たちから不満の声があがった。
「アトは、うちの子だよ。親子水入らずを邪魔するんじゃないよ!」
「それを言うなら、おれたちゃ、ラボス村で里にこいと誘ったんだ」
「おお、そうだ、あのとき、みなで相談したな」
「そんならもう、ヒックイトの息子だ」
「おお、ええこと言う。レヴェノアの王は、ヒックイトの息子か」
「あんたら、宴会したいだけだろうに!」
婦人は怒ったが、男たちに押しきられた。
広場の一角に大きな天幕があり、そこを
「よい機会じゃ。おぬしらもこい」
ボンフェラート宰相が声をかけたのは、おれとノドム、そしてケルバハン船長だ。
これはあれだ、テレネという娘の村でボンフェラート宰相が言ったことだ。アトボロス王なら近隣があつまると。おどろくことに、それはレヴェノア国だけでなく猿人の里でもおなじになった。
「予想外のことばかりだな」
となりにいた熊人の船長、ケルバハンに声をかけた。
「まったくだ。どれほどの上物がでることやら」
ケルバハンが答えたのは、アトボロス王のことではない、そう思った。
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