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柿本人麻呂は本当に草壁皇子を大事に思っていて、いくつも歌で偲んでますよね。ふと振り向くと皇子の気配が、のような。
そして全く趣は違ってしまいますが、「三笠」と聞くと神戸の者はいわゆる「どらやき」が浮かびます。「文明堂」の「三笠」の包み紙にこの歌が書いてあるので、子供の頃から慣れ親しんでいます。
残念ながら当地でも厚い雲に隠せて、光がうっすら見えているだけでした。本当に雲隠れって言葉がぴったりのような。
最近はせわしなく、昔ほど空を見上げる時間がなくなったような、そして見上げても建物で隠れて見える範囲も狭くなっているような具合ですが、こんな日はやっぱりちょっと顔を上げてみたくなります。
作者からの返信
コメントを下さってありがとうございます。
草壁皇子は27歳と言う当時としても短命のお方ですからね(>_<)
そのお人柄も含めて柿本人麻呂さんは思う所があるのでしょうね。
ほぉ、「どらやき」の包み紙に短歌が書いてあるなんて良いですね(^.^)
私は「三笠」と聞くと日露戦争での日本海海戦で東郷平八郎氏が乗っていた旗艦「三笠」が頭に浮かびます💦
私は先ほど月を観てきましたが、ほぼ満月のキレイな月でした。
満月は「望月」ですね(*^^)v
悟りとは、いかなる時でも平然としていることである。
脊椎カリエスで病んだ正岡子規の言葉です。
不遇の中で詠んだ子規の句は身に沁みますね。
作者からの返信
コメントを書いて下さってありがとうございます🌷
書いて頂いたお言葉は、正岡子規だからこそ私達の心に響いて来るのでしょうね(^.^)🍑
本当に病に臥せっていながらの言葉には重みがあります🌳
私には、まだ「悟り」を語るのはとてもおこがましい事なのですが次のような言葉を知り私も少しでも「悟りの境地」に触れてみたいと思っています(^.^)🍎
「人が悟りの境地に至るのはとても難しい。しかし、悟りに近づこうとする行為そのものも悟りの一部である」