第18話 祖父が救急車で搬送されました
「今回はちょっとマジメな話になります」
「どうされたのですか」
「アタシの祖父が救急車で搬送されたの」
「ええ!その、おじいさまはご無事だったのですか ? 」
「まず、時系列に沿って説明するわね」
「はい」
「祖父は今年で90歳になるけどまだまだ元気で車の運転もしてるの」
「はい」
「趣味は渓流釣りで、次の日も釣りに行くって楽しみにしてたの」
「はい」
「渓流釣りの場合は川のどの場所に入るのかが重要になって来るわ」
「それには、どのような意味があるのですか ? 」
「魚がいない場所で釣れる訳が無いでしょ。祖父は長年の経験から自分が入るべきポイントを知っているの」
「なるほど」
「でも、そのようなポイントは他にも知ってる人がいるからなるべく早く行って場所取りをする必要があるの」
「なかなか大変なんですね」
「そうなのよ。だから祖父は明日の朝には午前4時半には出発したいって言ってたわ」
「はい」
「それが午前1時半くらいに、唯一起きていた私の部屋に祖父が来たの」
「1時半ですか」
「身体が思うように動かないって。そのまま横に倒れてしまったわ」
「それは・・」
「祖父の家系は脳梗塞で倒れた人が結構いるの。そして、脳梗塞ではいかに迅速に処置するかがとても重要なの」
「どういう事ですか」
「脳梗塞とは脳の血管が詰まってしまう事。つまり脳内の血流が止まってしまうのね。そうなると酸素や栄養が行かなくなってしまうから脳の神経細胞が死滅する」
「はい」
「つまり時間との闘いなの。処置が早ければ早いほど死滅する神経細胞を少なく出来る。逆に処置が遅いと死滅する神経細胞が増えて身体を動かせなくなるような重大な後遺症が残る。最悪の場合は死も覚悟しなければならない」
「・・なるほど」
「祖父が脳梗塞かどうかはアタシには判断できない。でも可能性はゼロじゃないから、アタシは迷わず119番にスマホで通報した」
「賢明な判断だと思います」
「こちらの住所と氏名を名乗ったら、救急車を向かわせるから待つように。と指示されたわ」
「スマホで通報したのですよね ? 」
「そう。警察や消防署に通報する時はスマホでする事が重要なの。あちらにはアタシのスマホの番号が表示されるから、向こうとの連絡がいつでも可能になる。固定電話で通報したら電話の前から動けなくなってしまうから」
「よく覚えておきます」
「それから親を起こした。父はその日も仕事があるから、母に起きてて貰ってアタシからの連絡を待つようにして貰う事にした。少し動転してたから落ち着かせてる間に救急車が到着したわ。それが午前1時40分」
「それは動転されるでしょうね」
「救急隊員の方が2名来て祖父に声をかけるけど、喋る事は出来ても意味のある事は言えない。そしたら緑色の担架を持って来て、これから市民病院に搬送します。この方の保険証を持ってきて下さい。って言われたからアタシは祖父の保険証と通院している病院のお薬手帳と祖父が履くサンダルを持ってパジャマの上からカーディガンをはおって担架に乗せられた祖父と一緒に救急車に乗ったわ」
「パジャマのままで行かれたのですね」
「さっきも言ったように脳梗塞なら時間との闘いなの。身なりなんかに構っている場合じゃ無いわ。とにかく母にはアタシが付いてるから大丈夫よ、って言い残して救急車は出発した。それが午前1時45分」
「あなたも不安だったのでは ? 」
「アタシは自分が出来る最善の事はしたつもりだから、腹は括ってた。祖父がどうなるかは祖父の運命に委ねるしか無い、ってね。そして救急車は市民病院に到着した。午前2時5分」
「流石に早いですね」
「真夜中だからあまり車も走って無いからね。普通なら40分くらいかかるわ。アタシは救急車には初めて乗ったけど殆ど振動を感じなかった。載せている患者への刺激を極力減らすように設計されているんでしょうね。祖父は担架に乗せられたまま移動式のベッドに移されて処置室に運ばれたわ。私は救急隊員の方に、これが祖父が飲んでいる薬ですってお薬手帳を渡した。そしたら、祖父の保険証を提示して受付を済ませて下さいって言われたから受付を済ませて家に連絡を入れたわ。それが午前2時20分」
「お母さまは大丈夫でしたか ? 」
「スマホには父が出たわ。やっぱり眠ってはいられなかったみたい。祖父の様子を聞かれたから処置室に入ってるって答えたわ。何らかの進展があったらまた連絡するって言ったら、わかったお前も無理はするなよって言ってくれた。ちょっと涙が出ちゃった」
「あなたも大変でしたからね」
「それから受付の長椅子で処置が終わるのを待ったけど、この時間が1番長く感じられたわ」
「そうでしょうね」
「腹は括ってるつもりだったけど、どうしても悪い事を考えちゃうからね。それから30分くらいしたら祖父の名前が呼ばれたから処置室に入って行った。そしたら祖父が点滴を受けながらベッドの上で寝てたから、アタシは安堵したわ」
「え ? 何の説明も受けていないのに ? 」
「脳梗塞じゃ無い、ってわかったからよ。もし脳梗塞だったら緊急手術をしてる筈だから。緊急外来の方がみえて、CTスキャンとレントゲンを撮ったけど命に別状は無いって。今は他の患者さんの処置をしているから詳しい説明はしばらく待って下さいって言われたわ。それが午前3時」
「命に別条が無かったのは不幸中の幸いでしたね」
「まあね。それから家に電話したわ。父もホッとしてた。祖父は失禁してたからタクシーで帰るにしてもどうしよう ? って言ったら父が着替えを持って車で迎えに来てくれるって言うから、そのまま処置室で待つ事にしたわ。そしたらねぇ」
「おじいさまに何かあったのですか ? 」
「祖父は寝てるだけ。それより隣のベッドの人が・・。カーテンで覆われてたけど苦しいって声が聞こえるし、かなり慌ただしく人が動いていたから重症みたいなの」
「緊急外来ですからね」
「しばらくして祖父の目が覚めたから大丈夫 ? って聞いたら、俺はなんでこんな所にいるんだ ? って言うの。アタシの部屋に来てからの記憶が無いみたい。喉が渇いたって言うから自販機で水を買って来て飲ませたわ。それから父が来てから、さっきの人が来て検査結果を教えてくれたの。CTスキャンでは脳内出血は無かったけど念の為に医療機関でMRIで脳内の検査を受けた方が良いって。それからアルコール濃度が基準値を上回っているって」
「アルコール ? 」
「祖父はお酒を呑むのが楽しみなのよ。上に書いたように釣りに行く予定で早起きしなきゃいけないから、普段飲んでいる睡眠導入剤を飲んでから焼酎を呑んだらしいの。これは父から聞いたんだけど」
「それは・・」
「そう。睡眠導入剤とお酒は絶対に一緒に飲んじゃいけないの。それを同時に飲んだから副作用と言うか身体の自由が効かなくなったみたい。その事はしっかりと祖父に言ってきかせなきゃいけないわ。それから歩けるかどうかを確認してから父が持って来た着替えを着せて、アタシは会計を済ませて父の車で3人で家に帰ったわ。家に着いたのは午前5時だった」
「お疲れ様でした」
「・・話はこれで終わりじゃ無いの」
「え ? 」
「祖父と父は先に車に乗せて会計はアタシ1人でしたの。そこには長椅子が6個置いてあってアタシは1番後ろの席で会計の計算が終わるのを待ってたわ。そしたら斜め前の長椅子に救急隊員の方が2人座ったの。そこへ30代くらいの女の人が処置室から出てきて隊員の方の隣に座ったわ。その女の人はずっと下を向いてたけど肩が震えはじめてハンカチを顔に当てて泣き出したの。どうして、どうして、って言いながら。アタシはいたたまれなかった」
「・・・・・」
「心の中で、どうか安らかにお眠り下さい。としか言えなかった」
「・・それは」
「良いの。緊急外来では、そう言う事はあり得る事だから。アタシ達にもいつそのような事があるのか判らないから。だから、アタシは生きている事のありがたさと1分1秒でも無駄にしてはいけないと思ったわ」
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