第二章 壊れていく日常、連鎖する悪意その二

「私の教室はこっちです、恵さん」


 由奈ちゃんに手を引っ張られて辿り着いたのは、普通教室棟の二階。木製のクラス名表示プレートに二年三組と書かれた教室だった。

 教室内の人数はざっと見回してみて、三十八人。由奈ちゃんによれば、一学年につきクラスが五つ。全校の生徒数は六百十六人とのことらしい。

 それだけ頭に入れて、私は教室から離れた。教師は騙せても、同級生の顔を知らない生徒はさすがにいまい。教室内に長く留まるのはリスクがあり過ぎる。


「私は予告にあった生徒達の暴動の兆しがないか、学校内を探索してるよ。何かあったら電話して欲しい。すぐに駆けつけるから」


「いえ、恵さん。ご迷惑じゃなければ、私も一緒に同行させてください。あのチェーンメールの内容……もしかしたら亜希が今、学校に来ているかもしれないんです。そう思うと、私……じっとなんてしてられません」


「やれやれ、困ったな。授業はどうするんだい?」


「今日は抜けます。亜希のためなら、それくらいのことはっ……」


 よほど亜希ちゃんのことが心配なのか、由奈ちゃんは食い下がった。

 小動物のような顔立ちに、凛とした眼差し。私の胸が計らずもときめく。やはり私は容姿の整った美少女からの頼みは断り辛い。

 彼女が馬の合わない女生徒に呪いをかけたことは褒められないが、根は友達思いの良い子なのだと思った。

 それに、この提案は私にとってメリットもある。私の側にいれば守ってあげられるし、何より私は予告にあった他の二人の顔を知らない。面識がある彼女がいてくれたら、亜希ちゃんともう一人の女生徒も見つけやすくなるのは確かだろう。


「しょうがないな、じゃあついてきて構わないよ。けど、約束して欲しい。私からの指示には必ず従ってくれるって」


「分かりました。約束します、恵さん」


 由奈ちゃんの顔を見つめ返し、私は彼女の手を取って校舎の廊下を歩き出した。

 腕時計を見ると、八時十分。そろそろ授業が始まり出す時間だ。今はまだ廊下に出歩いている生徒も僅かにいるが、いずれ姿を消すだろう。

 そうなったら、出来るだけ教師と鉢合わせしないように気を付けないといけない。

 玄関で見た間取り図によれば、湘南高校は東側に普通教室棟と図書館。西側に理科棟と家庭科棟が一棟ずつ。正門がある南側には管理棟、北側には体育館がある。

 他にもテニスコートやプールがあるが、そこは後回しでいいだろう。まずは今いる、普通教室棟を三階から一階にかけて調べていきたい。

 感情の色を見る私の共感覚は、壁を隔てていてもセンサーのように人がいる位置を探ることが出来る。

 廊下でばったり教師と顔を合わせるリスクは、これで減らせる。しかし、それでも出来るだけ手早く済ませてしまいたい所だ。


「……亜希は私と同じクラスで、中学校から一緒だったんです。ちょっとおっとりしてるけど、好きな漫画やドラマの話で知り合ってすぐに意気投合した、親友なんです。教室にいないってことは、もしかしたら保健室登校してるのかも……」


「ああ、私もその可能性を考えてた。保健室は確か……管理棟の一階だったな」


 亜希ちゃんが本当に今日、学校に来ているなら保健室はあり得る。普通教室棟を一通り回ってみたが、昨日、襲撃された時の、あのどす黒い色は見えなかった。

 なら、次に行くべきは確かに望みがありそうな保健室だ。私達は一階から管理棟へと続く、渡り廊下に出た。

 天候は今にも降り出しそうな、曇り空。これから学校で起こるかもしれない不穏な暴動の予兆をしているかのようだ。

 管理棟の一階には、校長室や事務室など教員部屋がある。見つからないように注意を払いながら、管理棟入り口の扉から潜った。

 保健室は管理棟一階の端にある。暴動がいつ起きるか分からない以上、あまりモタモタしている余裕はない。

 最悪、教師と顔を合わせても体調不良で保健室に行こうとしていると主張すれば言い訳は立つかと思い、大胆に早足で進んだ。

 保健室の扉をがらりと開けると、私達は頭を下げてから入った。中では保険医の先生は不在らしく、女生徒が一人だけ、ベッドの上で休んでいた。


「あ、亜希っ!」


「由奈!」


 あの少しぽっちゃりしている子が、亜希ちゃんらしい。確かに右耳が滅菌ガーゼで覆われていて、包帯で固定してある。例の事件の被害者で間違いないだろう。

 由奈ちゃんは彼女に駆け寄ると、勢いよく上半身を抱き締める。そして声を詰まらせて泣き始めた。

 その感動的な再会を見た私は、照れ臭さから指先で頭をぽりぽりと掻く。


「とりあえず亜希ちゃんは見つかった訳か。後は、もう一人の……真奈美ちゃんって子を捜して保護すれば、暴動が起きたとしても全員の身を守ってあげられるな」


 しかし、最後の秋山真奈美という女生徒。由奈ちゃんの口ぶりだと、自力でコックリさんの死を予告する呪いを切り抜けているという。

 前々からどんな女の子なのか、興味が湧いていた。今日こそ会えると思っていたが、どこにいるのだろうか。


「亜希、どうして学校に来ちゃったのよ。今朝届いたチェーンメールの予告、見たはずでしょ? 今日は学校で大変なことが起きるって。それに今朝、何度もかけたのに、何で電話に出てくれなかったの?」


「……実はね、由奈。スマホは、床に叩き付けて壊しちゃった。着信音が怖くて、あんなもの持ってられないよ」


「馬鹿、そんなことしたって、コックリさんの呪いは関係なく襲ってくるでしょ」


 由奈ちゃんは亜希ちゃんの額を指先で軽く小突いて、泣き顔で笑う。しばしの間、私はそのやり取りを見守っていたが、あまり時間はかけられない。

 こほんと咳払いをしてから、二人に向かって声をかけた。


「えーと、お二人さん。喜び合ってる所を悪いんだけど、これから予告に名前があった真奈美ちゃんも捜しに行かないといけない。由奈ちゃん、もういいかな?」


「……っ。秋山、真奈美……あんな奴にどうしても会いにいかないといけないですか?」


 私に背中を見せながら、由奈ちゃんの肩がわなわなと震え始める。

 何しろ、呪いの儀式を行った程、嫌っている相手だ。彼女達の間に、イザコザがあってもおかしくない。

 しかし、彼女の意向がどうだろうと、女の子を見捨てるのは私の流儀に反する。由奈ちゃんが協力しないなら、私だけでも捜しに向かうつもりだった。

 ただし、私は真奈美ちゃんの顔を知らない。だが、暴動が始まったなら生徒達の感情の流れを読んで上手く特定してみせるつもりだ。

 しばらく待ってみても、やはり由奈ちゃんは私に背後を見せたまま動かない。協力を得るのは無理かと諦め、踵を返して保健室を出ようとした、そんな時だった。

 視界に異変が生じる――いや、共感覚が乱れ、正常な働きを失い始めた。

 感情の色が見えない。あの時と同じだ。経験則ではこういう場合、ある一つの鮮烈な感情にピンポイントで絞られ、他の感情が見えなくなっているのだ。


「始まるみたいだな、今回もまた」


 私は迅速に保健室の外に駆け出て、廊下の窓から管理棟の外を見回す。すると、予想していた通り、それは起きていた。

 普通教室棟の窓という窓から、漆黒のどす黒い感情が漏れ出している。私は振り返り、保健室にいる由奈ちゃん達に叫んだ。


「どうやら最悪の事態が現実のものになったらしい! 鍵をかけて絶対に保健室の外に出るんじゃないぞ!」


 それだけ言い残すと、私は廊下を駆け抜けて管理棟玄関を飛び出す。向かうのは、あの漆黒の感情が渦巻く普通教室棟だ。

 そんな時、またしても再び、黒猫が私の視線を横切った。またか、なぜ……そう思って、目をこすってもう一度見てみたが、今度は影も形もなくなっていた。

 夢か幻か、闇色の感情が出現する度に、あの黒猫が尽く現れる。疑問は尽きなかったが、すぐに余計な考えを捨て去った。

 普通教室棟の玄関から、十数人の生徒達が走り出てきたからだ。顔が黒い靄で覆われていて、表情は窺い知れない。

 正気を失っているのだろうか。まるで血に飢えた野生動物のような生徒達の唸り声が辺りに響く。

 しかし、躊躇はしなかった。次々と校舎内から外に押し寄せてくる生徒達の人ごみの中を、玄関を抜けて私は突っ切っていく。


「誰かを襲う気なら私が相手になってやる! かかって来なよ、徒党を組んで勝てると思うなら!」


 立ちはだかる生徒達の肉の壁を前に、私は左足で床を踏み抜いた。その加速した勢いを乗せて放った、右足での前蹴り。

 横幅がさほど広くない、廊下。直撃と同時に生徒達がバランスを崩し、重なるように後ろへ倒れていく。

 それでも免れた他の生徒達が、私を敵と認識して次々と襲い掛かってきた。その度に彼ら彼女らを殴り飛ばし、掻き分けていく。

 タイマンでは自分が一番強い自信はある。数で攻めてきたとしても、個の実力で圧倒するのは難しいことじゃない。

 とはいえ、ただ操られているだけの生徒達を殴るのは、正直、気が引ける。しかし、状況が思い迷うことを許さなかった。

 私は生徒一人の足首を両手で掴む。その生徒を遠心分離機のように振り回して、周りの生徒達を薙ぎ払った。


「だらぁあああっ!!」


 かたや教室の壁に頭から突っ込み、かたや窓ガラスを突き破って校舎外まで吹っ飛んでいく生徒達。

 それによって出来上がる通り道を、私は駆け抜けた。そして今、目の前には二階へと続く階段がある。

 見た瞬間、今日のチェーンメールの内容が頭にちらついた。あの予告を頭の隅に置きつつ、私は一段一段、階段を駆け上がっていく。

 途中、血だらけで倒れている生徒達もいた。死んでいるのだろうか、ピクリとも動く気配はない。

 そんな生徒達を横切ろうとした時、いきなり転倒しかかった。足元に視線を向ければ、黒い何かの手が私の左足首を掴んでいる。


「なるほど、何が何でもコックリさんの呪いを成就させようって訳だ。けど、相手が私だったってことが不運だったねっ!」


 自由の利く右足で、掴んでいる黒い手を目一杯踏みつける。すると、人間の断末魔に聞こえる低い叫び声と共に、黒い手は煙のように四散していった。

 足首が少し痛むが、走るのに支障はない。即座に二階まで上がり切ると、廊下を奥の方まで見通した。

 違和感はすぐに察する。生徒達の悪意が、私だけに向いていないのだ。理由は考えるまでもなく分かった。

 チェーンメールにあった予告を受けた人物が、この階に他にもいるのだ。悪意の矛先が向けられている先。

 そこを見据えて、私は走り出した。獣の如き唸り声に混じって、奥から高い笑い声が響いてきている。若い女だと分かる声だ。

 そして声の主の元に辿り着いた時、私はそこで行われていた光景に目を奪われた。


「こりゃあ……たまげたな」


 そこに広がっていたのは血の饗宴。一人の女生徒が狂気とも歓喜ともつかぬ笑顔で男子生徒に馬乗りになって、顔面を殴打している。

 飛び散る男子生徒の血潮。その度に乱れる女生徒のボーイッシュな短髪。

 彼女のその行為に、躊躇いは一切感じない。昂る感情によって身体のリミッターが外れているのかもしれなかった。

 男女の体格差を物ともせずに、むしろ圧倒しているのだから。

 私が見ていることに気付いたのか、彼女はちらりとこちらに顔だけ向けた。そして興が削がれたのか、殴るのをやめて立ち上がる。


「そこのあんたさぁ。こいつらとは違うみたいだけど、もしかして部外者? 制服はうちのだけど、ストッキング履く奴なんていないっしょ」


「っ……! そういう君は、秋山真奈美ちゃんで合ってるかな?」


 正体を見抜かれたかと思い、少しドキリとしたが、殴った相手の頭を足で小突きながら言うことじゃないだろと、心の中でツッコミを入れた。

 私の方もこの異様な光景を見れば、彼女こそ呪いを幾度も自力で切り抜けている真奈美ちゃんではないかと、かまをかけてみる。

 しかし、こうして会話している間も、周りの生徒達はいきり立っている。こちらのやり取りなど無視して襲い掛かってくる生徒達に私達は揃って拳骨を喰らわせ、捻じ伏せ、やがて背中を合わせて対峙する。

 背面越しに伝わってくる、彼女の感情。歪だった。精神が荒ぶる炎のように激しく赤く燃え盛っている。共感覚が乱れている今でも、それがはっきりと分かる。

 己の衝動に忠実で心のタガが大きく外れているのだと、そう感じた。


「確かに私は秋山真奈美だけど、どうして知ってるのかなぁ? あんた、誰なの?」


「私は、鳳来恵。私立探偵さ。ちょっと事情があってこの高校に潜入しててね」


「ふーん、あんたが敵じゃないなら、私には関係ないかなぁ。この騒動で同級生が私の目の前で何人か殺されたけど、やっぱり原因はあのチェーンメールにありそうだね。あれが何なのか、私にはよく分からないけどさ」


 この階でもさっき見たのと同様に、頭などから血を流して息絶えている生徒達が、ちらほら廊下や教室内に転がっている。

 攻撃対象となっているのが、真奈美ちゃん達三人だけじゃないとしたら、響子が言っていたことを裏付ける事実だ。

 チェーンメールは、すでに広く暴威を振るっている。他人に拡散されていく条件はまだ何か分からないが、このまま放置すれば犠牲者はねずみ算式に増えるだろう。

 誰かが歯止めをかけなければ、あるいは日本中に拡大することも……。


「一介の探偵としては職務外だけど、まだ助けられる命があるなら救いたい。私がここまで来たのは、君を助けるためだよ、真奈美ちゃん」


「私を? 言っとくけど、私は自分の身くらい自分で守れるつもりだよ、長身のお姉さん。まあ、そうしたいって言うなら、反対はしないけどさぁ」


 そう言って真奈美ちゃんは、飛びかかってきた黒い感情に支配された男子生徒の顔面を裏拳でぶん殴る。

 相手は派手に窓ガラスを割って突き破り、下半身だけで窓枠にぶら下がった。顔立ちは大人しそうに見えるが、その目は狂気だ。

 必要ならば人だって殺しかねない、漆黒の闇を両眼に宿している。しかし、戦い慣れている訳ではなさそうだ。

 喧嘩慣れしている私から見れば、動きは素人に近い。この強さは一切の躊躇いがない精神性によるものだと感じた。


「と言っても、君以外にも生き残っている生徒がまだこの階にいるなら助けたい。こいつらの感情の流れを見れば、あっちにもまだ抵抗してる生徒がいるみたいだし」


 私は廊下の奥を見据えながら、真奈美ちゃんに声をかける。すると、彼女はここで初めて私に普通に笑った笑顔を見せてくれた。


「それは私も同意見かなぁ。見捨てると、寝覚めが悪くなりそうだしね。じゃあ、勝負といかない? どっちが先に向こうまで辿り着くか、徒競走ってことでさぁ! よーしっ……それじゃあ、スタートっ!」


 真奈美ちゃんはスタートダッシュの姿勢を取ると、一足飛びで廊下を駆け抜けた。

 いきなり勝手に勝負に持ち込まれたが、負けるのも癪だ。僅かに出遅れた私もやる気を見せ、すぐに彼女を追って全力で疾走する。

 しばし、接戦になったが、こと身体能力に関しては私の方に軍配が上がった。やがて彼女の隣に並んだ私は、今度は抜き去ろうとよりスピードを上げる。

 だが、そんな私に横から真奈美ちゃんの徒手が飛んだ。私は驚きつつ咄嗟に躱すが、お次は勢いの乗った回し蹴りが放たれ、私の頬を掠めた。


「状況が分かってるのかい、真奈美ちゃん」


「悪いけど、長身のお姉さん。負けるのは、大っ嫌いでさぁ、私はっ!」


 前と後ろから生徒達が飛び掛かって来る中、廊下を駆けながら私達は激突する。拳を、蹴りを繰り出し、それらをガードし、ぶつかり合った。

 たとえ完璧なタイミングで防ぎ切っても、真奈美ちゃんの攻撃はどれもが強烈。受ける度、その箇所に鈍い痛みが走った。

 しかし、ゴールは間近に迫っている。正気のままの生徒達が両開き扉を中から押さえて立て籠もっている突き当たりの教室まで、今一歩。

 ついに辿り着いた私達は、走った勢いのまま教室の扉を蹴り飛ばした。扉を押さえていた生徒達も吹き飛ばす形になったが、中は惨劇を免れていたようだ。


「あ、いたいたぁ。生存者が。生徒六人に、教師一人。全員で七人か。たったこれだけの人数しか生き残れなかったなんてね」


 真奈美ちゃんは、教室内を見回して言った。しかし、中にいた七人は私達を敵だと思ったのか、手に箒などを持って抵抗の構えを見せている。

 いや、そんな中で唯一の大人である男性教師だけは、教室の隅っこで頭を抱えて座り込み、震えていた。

 大の大人が情けないと思う者がいるかもしれないが、教師だって人間だ。こんな極限の状況では、決して彼を責められまい。


「心配いらない、私達は君達を助けにきたんだ。これから私の指示に従って欲しい。でも、まずは……とっ」


 私は蹴り開けた教室の扉を再び閉めて、動かないように背中で押さえた。外にいる生徒達を侵入させないためだ。

 教室の窓にはカーテンがかかっている。あれを何枚か結んで長さを伸ばせば、それを伝って二階から地上まで下りることが出来るはずだ。


「カーテンがあるだろ? それを結んでロープを作るんだ。この扉がいつまでも壊されない保証はないからね。急いでくれっ」


「わ、分かった。君もそれまで持ち堪えてくれ」


 私からの頼みに、今まで蹲っていた男性教師は震える声で返事を返す。

 そこからの男性教師と生徒達の動きは、迅速だった。何が何でも生き残りたいと、この希望に縋っているのだろう。

 彼らはそう時間をかけずに、ロープを完成させてくれた。その間にも、私の背面で押さえた扉を叩き付けてくる暴徒達は手を止めることがない。

 私は急かすように、彼らに言い放った。もうこの扉はあまり長く持たない、そう察したからだ。


「早く降りてくれ。学校の敷地外に出れば、きっともう大丈夫だから。でも、最後に聞かせてくれないか。君らも受信したのか、あのチェーンメールを?」


 私の質問に、六人の生徒達と男性教師は驚いたように顔を見合わせる。

 そして恐る恐る何人かの生徒はスマートフォンを取り出し、こちらに画面を見せてくれて、他の何人かは私に肯定の返事をしてくれた。

 受信トレイをすべて確認した訳じゃないが、その動作だけで分かってしまう。やはりこの事件は差出人不明のあのチェーンメールの呪いが引き起こしたものだと。


「やっぱりか。この惨状を作り出した元凶は、チェーンメール。ありがとう、もう行ってくれていい。逃げ延びてくれよ、学校から」


「す、すまない。こんな時に何も出来なかった私は、教師失格だな。君達も上手く脱出してくれ」


 男性教師のその言葉を合図として、六人の生徒達が窓枠に固定して地上に垂らしたカーテンを伝って一人また一人と順番に降りていく。

 男性教師も、不甲斐ない所を見せた負い目があったのだろうか。自身は最後まで残り、生徒達全員が降り終えるのを見届けた後に、降りていった。


「よし、後は私達だけだな。覚悟はいいか? 行くぞ、真奈美ちゃん」


「いいよ。その扉、開けてもさぁ」


 私の正面に立つ真奈美ちゃんは、恐れる様子もなくそう言い放つ。またあの悪意が渦巻く海の中に戻ることなど、何とも思ってもいないようだ。

 その意思を確認し、私は扉から勢いよく離れた。途端、ダムが堰を切ったように、厚みのある木製の扉が砕け割れる。

 そこから先は、あっという間だった。暴徒と化した生徒達が教室内に雪崩れ込み、敵と認識した私達をその肉の壁で押し潰さんと、殺意を向ける。


「こんな数相手に律儀に戦うのも面倒だ。私達も地上に飛び降りるぞ、真奈美ちゃんっ」


「言われるまでもなくねっ、長身のお姉さん!」


 もはやカーテンに掴まりながら降りるなんて、悠長なことは言っていられない。窓枠に手をかけると、ほとんど身を投げる形で私達は地上に降り立った。

 二階の高さから大ジャンプしたのだ。受け身を取ったとはいえ、当然、着地と同時に全身に痛みが走る。

 しかし、地獄の饗宴のような状況は終わった訳ではなかった。一階の窓から生徒達が飛び出すように現れ、私達に攻撃の矛先を向けようとしている。


「……つぅっ。走れるかい、真奈美ちゃん?」


「これしき、何てことないかなぁ。で、あんた、これからどこに向かう気なの? 何か目的があって高校に潜入してたんでしょ?」


「それなんだけどね、後で無事に生き残れたら教えてあげるよ。それよりも君は早く高校の敷地を離れた方がいい。チェーンメールの予告から逃れるには、それが一番確実だからね」


「いいや、高校から出る気はないよ。何だか、あんたといたら面白そうな体験ができそうだしね。たとえばこのチェーンメールの真相に迫れる、とかさ」


 私からの忠告を、真奈美ちゃんは笑いながら拒否した。愉快そうな笑みを浮かべて、好奇心に忠実に従っている様子だ。恐れなど微塵も感じられない。

 その顔を見て、彼女は私や響子と同類だと思った。興味を引くことのためなら、どんな危険も顧みない探求心があるのだ。

 私は今まで得体が知れないと思っていた彼女に、少しだけ親近感が湧いた。


「……しょうがないな。だったら、離れずについて来てくれるか」


「オーケー。で、どこに連れていってくれるのかなぁ、長身のお姉さん?」


「管理棟の保健室だよ。そこで待たせてある二人がいるんだ」


 私は言い難いのをごまかすために、頭を指先で軽く掻きながら答えた。さらりと言ってのけてみたが、実はこれは苦渋の決断だった。

 なぜなら、あの棟の保健室には由奈ちゃんと亜希ちゃんがいるのだから。

 真奈美ちゃんとあの二人には、因縁がある。コックリさんの派生儀式によって呪いをかけられようとする程に。だから、真奈美ちゃんとあの二人を接触させるのは、考えられる限り最悪の展開になるかもしれないのだ。

 しかし、やむを得ないと諦めた。高校から出ないと言い張る真奈美ちゃんを一緒に守るためには、これは最悪の中の最善なのだと、私は自分に言い聞かせる。

 そして顔を上げて迷いを払った私は、彼女を連れて管理棟へと進んでいった。襲い来る暴徒達を蹴散らしながら。

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