02. ビッグ・イベントの闘い

 ハロウィン。

 毎年10月31日に行われる、古代ケルトが起源とされる祭りである。本来の宗教的な意味合いよりも、米国などでは民間行事として定着した、お馴染みのイベントだ。

 秋の深まる街角では、オバケ、魔女、物の怪の類に扮した子供たちが、家々のインターフォンを押し、「トリック・オア・トリート!」と、声高に呼びかけながら、たくさんのお菓子を手提げに入れてもらう。


 いつの時代でも、微笑ましい光景だ。


 そう——。たとえ、彼らがオバケの類に扮した、本物のオバケ、魔女、物の怪の類の子供ジュニアたちであったとしても、やはり微笑ましい光景なのだ。ここ、ゴーストタウンでは。

「たくさん、お菓子もらったぞ!」

「ぼくだって!」

「……!」

 そんな無邪気な声と共に、元気な足音を響かせて通りを走り去っていく。なかには、声も足音もしない気配だけのジュニアもいるが、逐一、驚く者はいない。


 そしてここに、賑やかな通りを、しょんぼりと俯きながら歩くジュニアが一人——我々が今回密着する『とある一家』の次男坊だ。


 名前は、ジャック・スケルトン。骨である。


 ジャックの手提げは、ボコボコのブリキのバケツだ。その中に、慰めにしかならないハッカ飴が二、三個と青すぎる小さなオレンジが一つ。拗ねたようにガンゴロと音を立てるバケツの中で、とっ散らかっている。

「はあ……、ただいま」

 出るのは溜息ばかりだ。

「おかえり、ジャック。どうだった、今年は?」


 出迎えてくれたのは、ミセス・スケルトン。ははである。


 ジャックは首をフリフリするだけだが、不作を伝えるには、それで十分だった。

「全然ダメだった! どいつもこいつも、骨だと思ってバカにして、真面目に取り合ってもくれなかったよ……」


 悔しそうに吐き捨てた後、ジャックは、また溜息を吐いた。苦々しい表情でバケツを一瞥し、それからポイっとほったらかしてしまう。

「あら、まあ……」

 そのまま、二階へ上がろうとした時、ちょうど末娘も帰ってきた。可愛い柄のエコバッグを両手に、溢れんばかりのお菓子の山だ。

「あー、もう。やってらんない!」


 スージー・スケルトン。ジャックの一歳年下のいもうとである。


「おかえり、スージー。今年は随分と早いわね?」

 ミセス・スケルトンが不思議そうに声をかける。帰宅したスージーもまた、ジャックと同じように憎らしそうにバッグの中身を一瞥して、ポイっと放り出してしまった。


 なぜ妹がご機嫌ナナメなのか、ジャックには理解できない様子だ。というのも、記憶に間違いなければ、スージーは、一つも手提げを持って行かなかったにもかかわらず、なぜかバッグが増えている。


「何が、やってられないの? お菓子、たくさんあるじゃないか。ぼくなんか、それっぽっちなのに……」

 見比べていっそう惨めになり、ジャックはしょんぼりと肩を落とす。片や、スージーは思い出したように怒り出した。


「もう! ジャックが一人で先に帰っちゃうからでしょ!」

「えー? 何で、ぼくのせい?」


 スージー曰く、学校からの帰宅途中、知らない大人が次々とお菓子を押し付けてきたそうだ。手提げなど持っていないと言えば、エコバッグまで付けてくる始末だったという。

 そして極め付けは、「お菓子あげるから、イタズラさせて」と、危ない大人が追いかけてきたというのだ。


「まあ! 何もされなかった? その後どうしたの?」

 ミセス・スケルトンが、衝撃発言に青ざめる。

「うん。お菓子くれようとした他の大人が、みんなで袋叩きにして捕まえたよ」

 その隙に、スタコラ逃げて来たという。

「もう! この世からハロウィンなんて、なくなればいいのに!」

 憤慨するスージーの持ち帰ったエコバッグからは、嗅ぐだけで鼻血を出しそうなほど甘い匂いが溢れている。妹の災難には同情するも、それ以上に羨ましい気持ちが強いジャックは、うっかりと身を乗り出して、そのまま階段から転げ落ちた。


 カラコロ、カラコロ、カラカラカラ——カシャン


 さすが、骨。ジャックは階段と素敵なハーモニーを奏でながら分解し、一番下の段まで軽やかに転げ散った。


「あいたたた……。あーあ、やっちゃった」

 階下の踊り場でバラバラになったまま、ジャックは少しばかり恥ずかしそうに頬を染める。

「気をつけないさい、ジャック」

 骨はデリケートなのだ。

 母親や妹の見ている前で、多少バツが悪そうにしながらも、ジャックは慣れた手つきで自分の身体のパーツを拾い集め、手早く復元しながら、時折、関節をコキコキ鳴らした。今回は、割と軽微な分解だったようだ。


 あったま、肩、膝、ぽんっ 膝、ぽんっ♪


 歌いながら待っていると、あっという間に子供ガイコツが完成した。やんちゃの盛りは、よくこういう失敗をするものらしい、骨は。


「何じゃ、何じゃ、騒々しい。帰ったら、まず手を洗いなさい、手を」

 奥の扉から、少々背中の曲がった大人の骨が、ペコポコ音を立てながら出てきた。

「グランパ・ジョージ! 生きてたの?」

「失敬な。ピンピンしとるわいっ!」


 ジョージ・スケルトン。お年のわりには、元気なそふである。


 その元気な老骨は、首をコキコキ、最後の調整をしていた孫を見て、ちっちっちと指を振った。

「階段から落ちたくらいで、バラバラになってるようじゃ、馬鹿にされても当然じゃ! ほれ、これを食べなされ」

 テレビのコマーシャルのような手付きで、グランパ・ジョージが投げよこした物を、ぱちっと受け取ったジャックが掌を広げて確認する。


「キシリ○ール配合ガムじゃ!」

 それが、老骨の元気の秘訣であるらしい。


「……」

 真っ白な歯を光らせるグランパ・ジョージの笑顔が眩しい。歯も立派な骨の一部だと考えるならば、この小さなガムが全身に効きそうな気もしてくるというものだ。知らんけど。

「あー、うん。ありがとう、グランパ」

 ジャックは手を洗ってから、ガムを頬張り、クチャクチャ噛みながら、促されるままリビングへとついて行った。リビングには一家が勢ぞろいである。


 揺り椅子がお気に入りのおばあちゃん、グランマ・ジーナ。

 三十五年ローンを背負う大黒柱のおとうさん、ミスター・スケルトン。

 お菓子をリビングテーブルのお菓子ボックスに移し替えているおかあさん、ミセス・スケルトン。

 テレビを見ているおにいちゃん、ピーター。

 ヘッドホンから爆音楽が漏れているおねえちゃん、ボニー。

 おとうとジャックと、いもうとスージー。

 そして、一番元気なおじいちゃん、グランパ・ジョージ。


 以上が今回密着する『とある一家』——スケルトン家の愉快な面々である。

 もっとも、一家の愉快エピソードを一手に引き受けているのは、主にグランパ・ジョージ・スケルトン氏だ。彼の場合、一番元気というより、一番浮かれていると表現するのが正しい。


 さて、それは何故なのか。


 理由は、ハロウィンだからである。今では、家族全員がグランパ・ジョージの浮かれっぷりを熟知していて、同時に、表情にこそ出さないよう努めているが、内心では拭いきれない不安が広がる日なのである。

 今、渦中のグランパ・ジョージは、周囲に花を撒き散らしながら、往年のロックンローラーを真似て、うずうずと腰を振ってリズムを取っている。


「グランパ・ジョージ、楽しそうだね?」

 ガムを噛む口を止めて、傍の祖父を見上げる孫その三は、ひくりと奥歯の噛み合わせをずらす。

「そりゃ、そーじゃ! 何と言っても、年に一度のビッグ・イベントじゃからな!」

 揚々としたその返事に、ジャックはハッと思い出したように地雷を踏んだことを理解し、残りの一家の心の中には、臨場感満載の戦闘用BGMが軽やかに流れ始めた。


 〈やめろ、ジャック! 聞くんじゃない!〉


 せっかく表情に出さないよう頑張っていても、骨の隙間から滑り落ちる音符のように、心の声が漏れてくる。しかし、残念なことにグランパ・ジョージの耳には、そんなものは聞こえていない。

 それどころか、一家の心の中に流れ続ける音楽と呼応するように、指骨をパチパチ鳴らしながら膝関節を左右に揺する老骨の音がうるさくて、一家の心の声もジャックには届いていない。

「じゃあ、やっぱり今年も行くんだね……?」


 この瞬間、一家の心情世界では、華々しく前奏が終わりを告げた。


「もっちろんじゃ! 踊って踊って踊りまくるぞ!」

 三十五年ローン返済中のマイホームを舞台に、前奏終了早々に愉快なグランパの不可避な一撃が、一家を直撃した。


〈ジャック、このお馬鹿さんが——っ!〉


 心情世界のマイホームもろとも吹っ飛ばされた一同は、腹の中で絶叫し、それは余すことなく胸骨の隙間からダダ漏れた。

 そして渦中のグランパ・ジョージはただ一人、子供のようにワクワク、ウズウズ——この時間から足先までリズムを刻んでカタカタ鳴り始めた。余力は十分だ。


「どうじゃ。今年は一つ、家族全員で行かんか? 市民会館で今夜はまるまるフィーバーじゃ!」


 両指パッチーンと同時に、華麗なターンをした老骨の視線は一家全員に向けられる。

「あたしゃ遠慮するよ。近頃は間接が痛くて、歩くのも億劫なんだからね」

 ほぼ間髪おかずの一抜けた発言は、他ならぬグランマ・ジーナだった。わざとらしく膝をさすって、ふいっと明後日の方向へ、グランパの視線をぶん投げる。

「私は、次の日も仕事があるから(遠慮する)」

「わたしも、色々とやる事がありますから(行きません)」

 次に、目を付けられてはとばかりに、ミスター&ミセス・スケルトンも即座に防衛線を張る。


 そして、上の孫たちピーターとボニーは、大人たちのやり取りの隙に、速やかにリビングを撤退し、とっとと自室に避難完了してしまった。


「むっ。ならば……」

 回り回って戻ってきた視線を、一度眼窩に受けたグランパ・ジョージは、「くるぅーりぃー」と言いながら、首だけを器用に回転させた。

 落ち窪んだ眼窩から放たれるゲッチュー光線は、三割り増しといった具合で、完全に獲物を狙うハンターのそれだ。逃げ遅れた下の孫たちは、既にロックオンされている。

「ぼ、ぼく、宿題やらないと——」

「あ、あたしも——」

 一歩、二歩、ゆっくりと後退りながら、それでも孫たちが起死回生を狙って踵を返した瞬間だった。「ぐわっし、じゃ!」と言いながら、老骨の手が孫たちの肩を捕まえた。


 孫たちからは見えていないが、捕まえる直前に突き出した老骨の指は、確かに「ぐわっし」の形であった。グランパ・ジョージは、芸が細かい。


「待たんか。哀れで寂しい年寄りを、よもや一人にする気じゃあるまいな、そこの孫たち?」

 ジャックもスージーも、手足をバタバタさせながら、何とか振り解こうとするのだが、グランパ・ジョージは、びくともしない。掴まれたのが手首とかなら、最悪そこだけ置き去りにして後から回収する術もあったのだろうが、何にせよ、時すでに遅しという感だ。


 こうして、グランパ・ジョージの、とても『哀れで寂しい年寄り』とは思えない握力をもって、孫たちの捕獲は完了した。


「あー、あー、あ——! お、お父さん〜!」

 ジャックの悲壮な声も虚しく、助け舟はどこからも出ない。両親は見て見ぬ振りで、一人は新聞を読み耽り、もう一人は台所へと引き下がる。


「どうじゃ、せっかくじゃ! 今夜は、わしと一緒に市民会館へ、レッツらゴーじゃ!」


〈NOoooooooooooっ!!〉


 声にすらならないそれは、まさにムンクの名画さえ凌駕する絶望的な『叫び』であった。視界を歪ませて全力を振り絞る孫たちであったが、上機嫌な老骨の握力が弱まることはなかった。


(頑張れよ。ジャック、スージー)


 残りの一家全員は、ひっそりと心の内でそう呟いた。あまりにささやかすぎて、そのエールが二人に届くことはない。


 さて、そんなわけで、今年の『当番』は決定した。一体、何の当番であるかは後ほど明らかにするので、ひとまず今夜の『ビッグ・イベント』について語ることにする。

 この元気な老骨が、一年のうちで最も楽しみにしているイベントというのが、前述のとおり『ハロウィン』である。もう少し詳細に語ると、最も楽しみにしているハロウィン行事があるのだ。


 それが、ゴーストタウンの市民会館で毎年催される『ダンス大会』なのである。


「今年こそ一等賞をとるぞ! ダンス・ダンスでフィーバーじゃ!」

 年に一度。それが難点ネックなのだ。

 毎年、グランパ・ジョージは、この『年に一度』のイベントでハメを外し、お約束のようにぶっ倒れている。否、正確には精魂尽きて、全身の骨という骨を、そこら中に散らかして失神してしまうのだ。


 散らかせば、当然、それを全て回収する必要がある。


「あーあ、貧乏くじだ……」

「ジャックが余計なこと言うからでしょ!」

 下の孫たちは、すっかり背中に長い影を背負って黄昏てしまっている。視線の先には、小憎たらしいばかりに小躍りしている老骨の姿があった。


 ここまでくると、感の良い読者はお気づきのことと思う。なぜ、一家全員が同行を全力拒否したのか。それは過たず、骨回収当番にならざるを得ないからである。

 彼らの気持ちは十分に察しがつく。誰だって面白くもないだろう。人ごみを掻き分けながらの骨拾いだなんて——しかもそれが身内ともなれば、もはや笑う気にもなれないというものだ。


「さあさあ、夜が待ち遠しいわい!」

 片や、毎度失神して己の失態を知らないグランパ・ジョージは、実に暢気なものである。

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