黒いお化け

旦開野

不思議な生物との共同生活

ある夜、仕事を終えて一人で暮らすマンションの部屋に足を踏み入れると、そこには見たことのない生き物がいた。それは間違いなく生き物だった。そいつは独りでにモゾモゾと動いていたのだ。その丸くてもふもふで真っ黒な生き物は、部屋に落ちているゴミをむしゃむしゃと食べていた。



母は、部屋の片付けのできない私にこう言った。「部屋をきれいにしていないと、その気配を嗅ぎつけて、汚いところが好きなお化けがやってきちゃうよ」と。私はそんなお化け聞いたことない!とネットやら本やらを使って必死に調べた。しかしそんなお化けの話はなく、その調査結果を母に突きつけてやった。母としては、そんなことに情熱を燃やさずに、部屋の掃除をして欲しかっただけだろうけど。


そんな母の話を思い出しながら、私はゆっくりゆっくりと口らしきところをもぐもぐさせている真っ黒い毛玉を観察していた。黒いもふもふは柴犬のような垂れた耳を持ち、二足の足で歩くようだった。見たところ、この生き物には手がない。目は真っ黒な毛に隠れていて見つけることができなかった。口元は犬そのもので、私がそのままにして床に落ちていた飴の包み紙やら、部屋の隅っこに溜まっているほこりなんかを口に運んでいた。この子はどうやら私たちがゴミと認識するものを食料とするらしい。


突如現れた黒いモフモフは、母の言っていたお化けなのだろうか。お化けというか獣みが強い…お化けって怖い存在だと思うんだけど、この子を見ても全く怖くない。むしろその姿に癒される。どういう生物なのかはよくわからないけど。


そんなことを考えながら黒い物体をじっと見つけていると、視線が気になったらしく、黒いもふもふはこちらを見つめ返してきた……多分。目が見えないからどこを見つめているのかがわからない。


「よしよし。たくさんお食べ。」


私は近くに落ちていたゴミを黒いもふもふにあげて、その頭を撫でた。見た目通りにふわふわとした触りごごちは、まるでぬいぐるみのようだ。このヘンテコな生き物を私は追い出すこともできたが、私はしばらくこの子を置いておくことを選んだ。ルンバよりもかなりゆっくりではあるが、ゴミを食べてくれるのであれば万年散らかりっぱなしの私の部屋も幾分マシになるだろう。そう考えたからだ。


クロ……その真っ黒なモフモフの生き物を私はそう呼ぶことにした。クロはただひたすらに、私の部屋に落ちているゴミを口に入れて食べていた。私が呼べばやってくるが、それ以外は基本食べている。ただ本当に食べるペースが遅い。私の部屋はお世辞にもきれいだとは言えない。忙しくてなかなか片付けないからだ。そんな部屋のゴミは、クロが食べるペースではなかなかきれいにはならなかった。


食べるペースはゆっくりなはずなのに、クロはどんどんと大きくなっていった。仕事から帰ってきて、クロの様子を毎日見ていたが、大きくなっているな、くらいにしか思っていなかった。しかし事態は、もう少し深刻であった。


クロがうちにやってきてから5日目。今日は仕事が休みだった。11時ぐらいに目を覚ますと、クロはもう起きて、相変わらずムシャムシャとゴミを食べていた。しかし私はやっとクロの異変に気がついた。ゴミをひたすら口に運んでいるクロの顔はどうも苦しそうなのだ。大きさは最初、ハンドボールくらいの大きさだったのに、今はバスケットボールほどの大きさになっていた。体は、はちきれそうだ。それでもクロは食べるのをやめなかった。


「ちょっと、限界ならもう食べないで!」


そう言って抱き上げたクロの体は重かった。抱き上げている間はクロは大人しくしていたが、いつまでも抱っこしているわけにはいかない。しかしおろすとまたすぐに、床にあるゴミを見つけて食べてしまう。どうやらクロには食べない、という選択肢はないようだった。この状態で私が出来ること、クロをこれ以上苦しませずにするには……答えは出ていたが、私はうーんと唸った。しかしやらないわけにはいかない。


「片付けをするか……」


今日は忙しいという言い訳は通らない。だって休日だから。いや、今までだって別に片付けができないほど忙しかったわけではない。忙しさを理由に部屋を片付けたくなかったのだ。


とりあえず私は大きなゴミ袋を広げ、クロが食べてしまうであろうお菓子の袋やレシートなんかを拾い上げた。ついでに読みっぱなしの本やゲーム機はあるべき場所に戻して、休日もろくに出かけもしないくせに、無駄に多い洋服は、全く着ていないものは処分した。母に散々片付けをしろと言われても岩のように動かなかった私が、まさかよくわからない生き物のために、片付けをするようになるとは思ってもいなかった。


久々にスッキリと片付いた私の部屋。なんとなく空気もきれいになったような気がした。クロが空腹になった時のために小さなビニール袋にゴミを入れて置いて、押し入れの中に入れて隠しておいた。今のクロには必要がないだろう。クロは周りに食べるものが見当たらず、あたふたしていたが、しばらくすると諦めたらしくソファの上にゴロンと横になった。


それからまた1週間。私には珍しく部屋は相変わらずきれいなままだった。クロには職場で出たゴミを少しだけ鞄に入れておいて、帰ってクロに与えてあげた。クロは嬉しそうにゴミをムシャムシャと食べていた。


ある日、家に帰るとクロの姿が見当たらなかった。どこかに隠れているのかと思い、部屋中を探したけれど、クロは見つからなかった。まるで水が蒸発してしまったかのように、何も残さず、クロは消えてしまったのだ。2週間ほどの短い間ではあったけど、結局あの生き物ははなんだったのか、よくわからなかった。部屋がきれいになってから消えたということは、母が言っていた片付けられない部屋に現れるお化けだったのかもしれない。きっと真っ黒のモフモフは、ゴミを求めて別の片付けられない人のお家に行ったのかもしれない。私は少し寂しさを覚えながらコンビニで買ってきた缶チューハイの缶を開けた。この空き缶を捨てずに放っておいたら、またクロが戻ってくるかもしれないなんて、淡い期待を抱きながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

黒いお化け 旦開野 @asaakeno73

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ