Dragon Killer
文目鳥掛巣
第1話 ソフィー編
海が鳴る。
水平線の向こうは白くきれいな光が浮かんで、岩肌にぶつかって飛び交う飛沫は蛍のようだ。
「海は、好きかい?」
白のコートを海風になびかせて男は問う。
腕に抱かれた幼子は手をいっぱいに広げて笑った。
「僕も好きだよ」
海はどこまでも深い蒼をしていて、揺らめく光は鮮やかな色彩を生み出している。
「その蒼い瞳にしっかりと映しておくんだ」
上機嫌の幼子は大きな蒼い瞳を男に向けている。
その蒼は海と空を混ぜたような澄んだ蒼だった。
「きっと、このシレイトの海が君を守ってくれる。ずっと、ずっとだ」
見据える先の海は遥かかなたまで広がる。
未来を語るように男は呟いた。
「きゃうぅ」
幼子は男の首にかかるペンダントに手を伸ばした。
服装に合わないその飾りが揺れる。
「これは、父さんの大事なものだよ」
ざわざわと風が騒いだ。
「世界でたった一人だけ、すべての竜の支配を許された」
幼子を抱きしめる。
強い風をまとって舞い降りたのは立派な翼をもった…
「ドラゴンキラーの証だ」
雄大な山々が連なるグランドマウンテンを境に東西に広がる国 イヤードレイク
原生の自然が多く残るこの土地には太古より竜が暮らしていた。
人と竜は共に暮らし、いつしか互いの魂を結ぶ契約を行うようになる。
孤高の竜を人が支配できるのは契約を交わした一頭のみだ。
竜王に認められたDragon Killerを除いては。
Dragon Killerの継承は竜王に直接魅入られるか、先代より証を受け継ぐかの二通りで、同じ時代に複数の継承者が現れることはなく、世界で支配を許されるのはたった一人だ。
現在 Dragon Killerは不在とされている。
―イヤードレイク東部 シレイト地方―
岩肌の海岸に釣り糸を垂らす青年が真っ白の長髪を海風になびかせて静かな午後を過ごしていた。
時折うきが揺れているが魚がかかる気配はない。
隠された右目はうかがえないが、それでもただのんびりと水平線を眺めながら釣りをする。
遠くで何か呼んでいる声がするが青年は気にすることはない。
声の主は白い髪の青年を探していた。
「どこだ??ヒロ!!返事をしろ!!」
苛立つ声は確かに聞こえているはずなのに返事は一向に返ってこない。
「ったく、なんでまた突然釣りなんかに…」
岩をつかんで行ったり来たりする黒い瞳には疲労がうかがえる。
「ヒロォォ!!!」
叫んでみたものの、声は空に吸い込まれすぐに波の音だけが悲しく残る。
彼、陸稲リョウはこのシレイトの住民であり、捜索中の海谷ヒロの幼馴染でもある。
自由奔放なヒロに対しリーダー気質のリョウの二人がいれば、振り回されるのはいつでもリョウだった。
この日も少し目を離した途端釣りに行くと姿を消していた。
「あのバカ…行先くらい伝えてから行け。探す身にもなれってんだ」
相当苛立っているリョウは海岸の特に荒い岩肌を登る。
この辺りはよく魚が釣れるが水深も深く危険地帯でもあるのだ。
もちろんそのことは二人とも知っているはずだ。
ピクリと動くうきを見て、のんきなヒロは嬉しそうに竿をつかんだ。
「おい、ヒロ、返事くら…い…」
ようやく見つけたとため息をついたリョウの視線の先、釣竿を思いっきり引き上げたヒロの向こうに、きらきらと水滴を宙に散りばめて飛び上がったのは、人の背丈をゆうに超える巨大な魚(?)だった。
その姿はとげとげしい鰭をいくつももち、口にはぎっしりと鋭い牙をもつ。
「お前は何を釣ってんだぁぁぁぁぁ!!!???」
慌てるリョウに対しヒロは冷静だった。
「リョウ!大物や!!」
否、自らの危機に気付いていなかった。
飛び上がった巨大魚は鋭い牙を煌めかせ、大きく開けた口でヒロの真っ白な頭をとらえた。
「あ」
抵抗などする暇なく、かぶりついたヒロを連れて巨大魚は海に潜ろうとする。
「のんきにしてる場合かぁぁ!??」
リョウの叫びはもっともで、大した抵抗もすることなく海へと落ていく。
余談ではあるがヒロは泳ぐことができない。
最も、巨大魚は頭を掴まれていては誰だって泳ぐことはできないのだろう。
ザブンと音を立てて水中に逃げた巨大魚を追い、リョウも海に飛び込んだ。
海は静かで、遠くではカモメの声がする。
実に平和な午後の海、プクプクと泡が水面に増える。
ふわりと現れた黒い影が穏やかな水面をかき乱して、浮上したリョウは思いっきり息を吸い込んだ。
ぜぇぜぇと息を乱しながら海岸に腕をかけるその肩にはだらりと身体をかけているヒロの姿がある。
「おい、無事か?」
リョウの背で頭を上げたヒロは巨大魚に噛まれた傷だろう、額からだらだらと血を流していた。
しかし、本人はけろりとしていて
「すごい魚やったなぁ」
などと、まったく緊張感のないセリフを言うのだ。
「よし、無事なんだな」
慣れているのかあっさりとした返事が気に食わなかったのか今まで預けっぱなしだった身体をひねるとリョウの首に飛びつき
「これが無事に見えるんか?」
と、怒鳴る。
後ろに引っ張られたリョウはその反動で岩を掴んでいた手を放してしまう。
先ほどの潜水の体力は回復していない。
当然二人の姿は再び海に消えることとなった。
「はっくしゅん」
長閑な田舎道にくしゃみが響く。
肩を抱えてがたがたと震えるヒロはリョウの後ろをとぼとぼとついていく。
「あかん、リョウ。寒い、死ぬ」
「誰のせいだ…もう少し我慢しろ」
濡れた上着を担ぐリョウは湿った煙草を見てさらにうなだれている。
振り返ってみれば紫の眼を下に向けた顔色の悪いヒロが小さくなっている。
自業自得だと責め立てたいところだが、ここは長い付き合いだ。
あんな場所に一人で釣りに行くには何か理由があるはずだ。
「魚なんか釣りに行く必要があったのか?特別な日でもあるまいし」
シレイトでは祝い事には必ず魚料理がふるまわれる。
豊かな海の幸に恵まれた海岸沿いの風習だ。
思い当たる節のないリョウに対し、ヒロは左目を丸くしてさも当たり前というように答えた。
「特別やろ?もうすぐ仲間の祝いなんやから」
ここでようやくその意味を知ったリョウは結局ヒロを咎めることができなかった。
遠くからその仲間が手を振って迎えに来る姿が見えたからだ。
隣でヒロは寒さに震えながらもニコニコとしている。
「えぇ?お、俺のために魚を?それで海に落ちたんですか?」
目を真ん丸にして驚く彼は篠原コウ、リョウやヒロの仲間である。
「大物やったんやけどなぁ…逃がしてまったわ」
笑って話すヒロのそばで、魚は苦手なんだけど、とこぼすコウの声は届いてはいない。
濡れた衣服を預かって釣りの経緯をヒロは楽しげに語る。
その話を聞くリョウとコウは釣りの目的は自分が楽しみたかっただけなのではないかと疑うのだった。
「コウももうすぐ一人前になんねやなぁ」
『一人前』
その言葉は嬉しくもあったが少し怖く、無意識に手に力が入ってしまう。
そんなコウに気付いてか、ヒロはくしゃくしゃとコウの頭を撫でまわし笑みを向ける。
「もうすぐ世界が変わる。
楽しいことだけやないけどな。
コウなら大丈夫や」
世界が変わる。
それは分かっていたことなのに、再び思い出した。
彼が何を目指してきたのか。
誰のために努力をしてきたのか。
胸の奥からジワリとこみあげてくる感情に返事をしようとすると、
「へっぷし!!」
「ヒロさん!??」
コウの口から言葉が出る前にヒロの大きなくしゃみが響いた。
どうやら寒さは風邪をもたらしたようだ。
「コウにうつすなよ」
リョウに頭を掴まれ下がるヒロは苦笑いだ。
気温はそれほど冷たくはないが、海に落ちた二人には弱い海風も身に染みるのだろう。
コウも苦笑する。
「早く帰って温まりましょう。ミサさんがシチューを作って待っていますよ」
その言葉に元気を取り戻す二人は意気揚々と帰路についた。
少し小高い山に登って先にある人里離れたところに家がある。
ここは彼らが仕事場を兼ねて共同生活をしている場所で、不便そうにもみえるが街には一本道で出られるため案外便利な場所だったりもする。
看板には『鳥獣捕獲・駆除隊』との文字がある。
寒さに耐えてやっと帰宅した三人は「ただいま」とその扉を開けた。
「おかえりなさい…って、どうしたの?ヒロさんも兄さんも!風邪ひくよ?」
出迎えたのはリョウの妹であるミサだ。
家の中にはシチューのいい匂いが漂っている。
「いやな、リョウのせいで二回も海に落ちてな」
「お前のせいだよ。早く着替えてこい」
鼻水を垂らしながらも楽しそうなヒロをリョウが引きずっていく。
いつもの光景とはいえ、ミサは少しひていた。
大した説明もなしに去っていく二人のフォローはコウに任されることとなり、彼は二人から聞いたことを簡単にミサに伝えるのだった。
「だったら温かいシチューにしないとね」
ミサはそういって大きな鍋に火をかけた。
コトコトと湯気の立つシチューはその匂いだけでもおいしさがわかるほどだ。
ニンジンやジャガイモがごろごろ入ったあったかいシチューを器に盛り付け、コウがそれを運んでいる。
「祝いの日って、まだ先なのにね」
お玉を片付けながらミサが問うとコウは笑った。
「うん。ヒロさんなりの気遣い何だろうけどさ」
流石にびっくりしたという。
自由なヒロは時々とんでもないことをしでかすのだが、それが自分のためだったと言われてはなんだか申し訳ない気分だ。
「ほんと、昔から何をするかわからない人よ」
ミサは兄のリョウと共にヒロとは長い付き合いになる。
幼いころからの知り合いで、特に嫌な思い出はないのだが、いつでも突然何かを始めているのがヒロだった。
そして、それに振り回されているのは必ずリョウで、時にはミサはヒロと一緒になって迷惑をかけたものだ。
「でもね、無意味なことはしない人よ」
いつでも何かのために。
嫌な思い出がないのはそのせいかもしれない。
そっとコウの肩に寄り添うと、ミサは少しほほを染めてコウと向かい合った。
「私も、コウ君のこと応援してるからね」
「うん。ありがとう」
そっと抱き合う二人はどこから見ても幸せなカップルだ。
台所にシチューを楽しみにしながらやってきたヒロが見たのは、妹の幸せと兄としての嫉妬のジレンマに頭を抱えて座り込むリョウの姿だった。
「どうしたん?な、泣いてんのか?」
「なんでもない」
これにはさすがのヒロも戸惑うばかりである。
「ミサ。シチュー食ぁべよ」
子供の用に入ってきたヒロに驚いてミサとコウは慌てて距離をとった。
ぎこちない感じに疑問符を浮かべるヒロだが、その後ろから「良いぞ。ヒロ」と満足気なリョウが入っていた。
リョウにしてみれば二人を妨害したヒロは勇者なのだろう。
リョウの禍々しい視線を受けるコウは身の危険を感じている。
ダイニングの机には椅子が五つ並べてある。
四人が座りシチューをほおばっていると、ヒロが思い出したように
「ん?サラは?」
と問いかけた。
サラはここで生活している女性で、女ではあるが機械に強くエンジニアとして仕事をしている。
「中央に出張だそうだ」
「また遠いですね」
中央は首都セクトマルト付近、ここシレイトからはグランドマウンテンを超えなくてはならない。
もちろん、一日や二日で行き来ができるような道のりではない。
「サラちゃん人気者だもんね」
工具から医療機器まで扱うサラはシレイトでは有名で彼らの中では一番仕事量が多い。
「サラくらい仕事があればいいんだがな」
そういえばここに三日仕事がないとリョウが愚痴を言う。
彼らが行うのは看板通りの生き物を扱う仕事で、おもに危険生物や害獣の捕獲などを行っている。
最も捕獲はするが殺処分は専門外だ。
「仕事ねぇ…」
電話のベルがものすごい勢いでなり始めたのは話の流れが途切れた時だ。
「……リョウ、運良いんちゃう?」
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