元カノ、という女
SAYURI
第1話元カノ、という女
「聞いた?お前の元カノ、彼氏できました~って、SNSに写真載せてるらしいよ。」
「へえ。ま、よかったんじゃね?ま、もう関係ないしな。」
僕は友人の前で、できるだけ関心なさそうなそぶりをして、つけたばかりの煙草を灰皿に押し付けた。
「そっか、そうだよな。別れてから全然会ってないんだったよな。」
「うん、ほら、こっちもさ、今の彼女が嫌がるからさ。」
「そっか。でもそんな風にSNSにわざわざ出すとかさ、お前への当てつけなんじゃないかとか思っちゃうんだよな。だって、一緒に暮らしてたのにさ、彼女の知り合いだったんだよな?浮気した…ま、今はその子が彼女なのか。」
「うん、まあ、知り合いって言うか、顔見知りなのは後で知ったんだよ。でも別れたのは他にもいろいろあってさ。お互い納得してのことだったし、あいつも幸せになったらいいと思ってるよ。」
「まあ、そりゃそうだよな。悲しい思いさせちゃったんだから、幸せになってくれてたら何よりだよな。」
「てゆっか、お前がそんな話するまで完全に忘れてたわ。」
ほんのちょっとの会話で、僕は友人にいくつも嘘をついてしまった。
その1、本当はどうでもよくなかった。
その2、実は元カノとは最近まで時々連絡をとっていた。しかも理由をつけて自分から。
その3、別れる原因の一つの浮気相手にはとっくにふられていた。(と言うか、そもそも付き合っていない)
その4、元カノと別れたことにはまったく納得いってなかった
その5、元カノだけ(自分以外と)幸せになるなんてありえないと思っていた。
その6、忘れていたどころか、毎日元カノの事で悶々としていた。
別れてからなお思ったが、女ってやつは本当に切り替えが早い。 僕は元カノにフラれてから、未練がましく何か理由をつけては連絡をしていたが、メールのやり取りでは以前と変わらないノリで返信が来ていた。
なので、これはもしかしたら元サヤいけるんじゃないか?と思って、「付き合ってた時の事、本当にごめん。」とか「気持ちは全然変わってない。」とか「また会えたら嬉しい。」とか送ると、いきなり既読無視される。
かと思えば突然翌日に「前一緒に行ったタオル屋さん来てるよ。」とか写真付きの返事が来たりする。
僕はそんな元カノの気持ちがさっぱりわからず、【男女の違い・脳と心理学】とかいうオンラインセミナーまで受講したくらいだ。
「男は付き合った女を別々に脳内保存、女は付き合った男は上書き保存」という項目がセミナー資料の中にあったけれど、本当にそんな気がする。
元カノとは一緒に住んで半年、付き合ったのは2年近くだ。
そんなに短い付き合いではないし、そのまま結婚したりするのかもな、なんて思ったりもした。
元カノは付き合っている時はさんざん「愛してる。」「あなたは特別な存在。」 と言っていたが、その割には平気で男友達と夜遅くまで飲んだりしていたし、それを咎めるのもまるで器の小さい男みたいで、当時の僕は言い出せなかった。
僕の浮気は、本当はそんな彼女への当てつけとか、寂しさを埋めるとか、そんな部分が大きかった。セックスまでするつもりはなかったのだけど、飲みに行った相手の女の子がすぐにOKな空気だったのもあり、魔が刺したと言うか。まぁ、もちろん言い訳でしかない。
だけどそれがあっというまにバレてしまい、あっというまに別れることになったのだ。
たまたま元カノとその女の子は顔見知りで、共通の友人数人を通してバレてしまったのだ。
しかし女って何で誰とセックスしたとか、その人には彼女がいたとか、こんな風に口説かれたとか、周りの友達にペラペラしゃべるのだろう。
男同士なら顔見知りでもこんな風な形でバレることはない気がする。
もちろん、そもそも浮気した僕が一番悪いのは間違いないのだけれど。
そして別れると決まったとたんに、元カノは次の人生に向けての準備を着々と進めていった。
僕がダラダラと言い訳をしている間に新しい仕事や新しい住まいをさっさと決めて、これまたあっというまに出て行った。
それから1ヶ月もすれば平然と僕のことも、何事もない普通の男友達のような扱いになっていた。
元カノのSNSは見ないほうがいい。それはわかっていたが、時々つい覗いてしまう。するといつもそこには元カノの満面の笑みと、充実した生活ぶりが画面にあふれていた。
僕といる時には、こんなに楽しそうにしていなかった気がする・・・そう思うと胸の奥がザワザワしてきて、大勢での飲み会や、ドライブや、キャンプに参加している写真を見ると、下世話にもそこに映る男たちの中で、どいつが元カノと怪しいか?などと考えてしまう。
時にはしょっちゅう一緒に映っている野郎のページに行って、プロフィールをチェックしたり、投稿の中で元カノとの共通点がないかを探していた。
こんなこと、かっこ悪くて誰にも言えない。
だけどある時からいきなり元カノのページが見れなくなっていた。
最初はSNSの状態がおかしくなったのかと色んなところから元カノのページを見ようとしたが、「該当する情報はありません」と出てくる。
ブロックされたのだ、と気づいた時には、思わず本人に電話しようかと思ってしまったが、できるはずもない。そんなことをすれば、「いつも覗いてたんです」と言ってるようなものだ。
僕は相当に女々しい男だ、と我ながら思う。
出来心の浮気から今日にいたるまで、まるで悪い夢を見てるようだった。
あの時につい、あの子の酔った誘いに乗らなければ今頃は・・・そもそも、あの日に飲み会にいかなければ・・・そんなバカげた「たられば」ばかりが浮かんだ。
もうあいつは僕の「彼女」じゃなくて、「元カノ」なんだ。
それから数日後、元カノから突如電話がかかってきた。
スマホに元カノの名前が出た時にはやたらとドキッとした。 期待と不安が混じりつつ、電話に出る。
「もしもし。」
「もしもしー!私!元気ー?」
「おお、元気よ。どした?なんか用か?」
精一杯平静を装う。
「なんかさー、今度みんなでキャンプいこうって話が出てさ、ほら、あのあなたの仲良かった先輩と同級生だったイセダさんっていたじゃん?あの人がさー、二人でどうよって言ってきてさ、でももう別れたんですけどーって言おうと思ったらさ、なんかもう人数に入ってるって言われてさ、んでやっぱ、いかないよねー?って思ったんだけど、いかないよねー?っていうか、あれ?今日ってあなた休みだっけ?」
「・・・相変らず話の内容があちこちに飛ぶな。どの部分が質問なんだよ。」
「あはは、ごめんごめん!今、自宅にいるの?」
「いるよ。休みだもん。」
「今から行っていい?」
「えっ!?」
「何?まずい?」
「いや・・・別にまずくないけど。」
「じゃあ行くわ!ちょうど渡したいものあるんだ。」
「お・・・おおぅ。わかった。いや、でもお前さ…その、いいの?」
「何が?」
「いや、何でもない。」
僕は思わず「新しい彼氏に悪くないのか?」と言いそうになった。危ない危ない。
そんなことを言ったら人にSNSを覗き見してもらったとのかとか、もう別れたのに何期待してんの馬鹿じゃないこいつ、とか絶対思われるじゃないか。
きっと何か渡したままの物を届けに来るだけだ。 それでも僕は慌てて部屋を整えたり、消臭したり、なぜか歯磨きをしたりしていた。歯磨きとか、何を期待しているんだ?そんなわけないじゃないか。
小一時間ほどで、半年前まで一緒にいたこの部屋に元カノが現れた。
インターホンに向かって「おーい!来たよ!」と手を振る彼女の笑顔は、SNSの笑顔同様、とても楽しそうに見えた。
「おひさ~!」
「おう。」
「なんかさー、まいるよねー。結構みんな知らないのよね。私たちもう一緒に住んでないのにさ。あ、ご飯食べた?」
「いや。」
「昨日さ、ビーフシチュー作りすぎたから持ってきたよ。冷凍もできるよん。」
タッパーに入ったビーフシチューは、見るからに美味そうだった。 よく作ってたよな、これ。今は、誰のために作っているんだろうか。
「おお、ありがとうな。え?渡したいのってこれ?」
「ううん、違うの。あ、でも今度でもいいかもー。」
今度?今度があるのか?こいつ、もしかして本当に・・・
「食べない?」
「あ、食べます。」
「でしょ!んで、じゃーん!」
「ワインって・・・飲む気かよ。まだ明るいぞ。」
「飲まない?」
「飲むよ。」
完全にペースに巻き込まれている。元カノが勝手知ったるという感じで、キッチンでさっさとシチューやらパンやらワインやらを器にセッティングしている。
実際、何しにきたんだろう。
『お前、僕をSNSブロックして、しかも彼氏できたんだろう!』
なんて、とても言えない。
それよりも、この時間がこのまま続けばいいのに。
そんな事を考えてしまうほど、元カノの笑顔は僕にとっては最高に可愛いのだ。
元カノはちゃっちゃと準備しながら、電話の内容をもう一度説明をしていた。
「あ、でもさー、あのキャンプ場行ってもいいかもよ?ちゃんとログハウスに泊まるのよ。この前、友達とみんなで一緒に行ったんだけどさ、清潔で安全なところがあるのよ!川が近くて!しかも安いの!んで今度はもっと人数増やしておっきい方に泊まろうって!」
知ってるよ。お前のSNSにそう書いてあったから。
などとはとても言えず、
「ああ、うん。でもアウトドア、あんまり好きじゃないし。」
「だよね~!一応聞いてみたのさ。」
「うん、ありがとうな。」
誰がお前が他の奴ら(男)と楽しそうにしてたキャンプ場なんかいくかよ!!
それから二人でシチューを食べたり、ワインを飲んだりして、たわいもない話をした。はじめはぎこちなくしか対応できていなかった僕も、お酒の力もあってだんだんリラックスし、すぐに以前と変わらないほどに、楽しく会話をしていた。
元カノはやたらご機嫌になっている。
「ね、桃太郎って、実はエロい話って気づいたのよ。」
「なんだよそれ。」
「だって、『桃』だよ?あの姿は女の象徴じゃん? それを、おじいさんが真ん中から『包丁を入れて』割ると子どもが生まれるんだよ?」
「ははは、そんなこと言ってたら浦島太郎が『亀』に乗って 『海の奥』に行くのもエロく感じるじゃん。」
「そうよ!あれも!ほら、スーパーマリオって、『キノコ』で大きくなって、 『花』を取ると、『火の玉』を飛ばせるのよ!エロイじゃん!」
「昔話じゃないじゃんか。」
「誰が昔話しばりって言った?」
「言ってないな。」
二人でやたら笑った。
ああ、楽しいな。いつもこうやって、バカみたいな話して笑っていたんだよなぁ。
「物語を作る人は、昔からエロいってことを私は言いたいのれす。」
「れす、な」
そう言って元カノのほうを向くと、思いっきり目が合った。
あれ?すんげえ顔近くね?つうか、気づいたらめっちゃ隣に座ってるこいつ・・・まさか・・・いや、でもそんなはずは・・・
「ね。」
「ん?」
「私、変わった?」
「え・・・いや、え?何?髪切ったの?」
「切ってないよ。」
「あ、そういうことじゃなくてね。ああ、えっと。」
ここは何を言うのが正解なんだ?
そんなことを考えていたら、元カノが僕の顎のあたりに唇を当ててきた。
つまり、僕の顎にキスをしてきた。
え、どゆこと?何?やっぱりこいつ、まだ僕のこと・・・元カノは微笑みながら、何度か僕の顎や首に軽いキスをしてきた。
僕が目を合わせると、とんでもなく可愛いいたずらっぽい顔で、微笑む。もう、ここで何もしない男なんていないだろう。
僕は元カノを抱きしめて、唇にキスをした。少しずつ舌で唇を開けても、抵抗しない。もう、これは・・・いいんだよな。
そのまま僕たちはお互いを求めあうようにやたらとあちこちを触れあった。
元カノの可愛らしく漏れる声に、確信を持った。何度も触れたこの身体。覚えているよ。君が反応する場所も、言葉も、全部。
僕は元カノの耳元で、少し低めの声で囁く。
「なぁ、ベッドに行こう。」
もちろん元カノは、
「ううん、それはいい。」
・・・・・はい?
「私、そろそろ帰る。」
おいおいおいおい!!ちょ、待てよ!!!え?何?何?何がいけなかったんだ??
「じゃあまたね~」そう言って、テキパキと乱れた服を直し、バッグにスマホやらを戻す元カノ。
僕はパニックになりながらも、なんとか元カノを引き留めようとした。
「あの、あのさ、ごめん。今の、そんなつもりじゃなくてさ。つい、見てたら可愛くって・・・」
「え?別に大丈夫。私怒ってないよ。」
怒ってないのかよ!なんなんだ?
「いや、ほんとに、会えて嬉しかったんだ。その・・・そうだ、僕に渡したいものって?」
「ああ、それね、何だったかな。」
「え?だって、今日・・・」
「じゃ、ほんとにありがとう。今日は楽しかった!」
そう言って、颯爽と元カノは去っていった。
元カノにつられて、「おう。」と言って手を振った。
僕は一人になった部屋で何が何だかわからないまま、グラスにわずか残ったワインを飲み干した。
パンツの中がひんやりしている。
泣くな息子よ。
しかし今日のはいったいなんだったんだろう。
僕は以前受けた男女心理学のセミナー資料を引っ張り出した。そこには「女性の言葉に意味はない」ということや、セックスの後の別れ際に女性が言う「今日は楽しかった」は「今日のことはなかったコトに!」という意味が含まれる、と書いてあった。
いやいや、セックスしてないし。
「ああもう・・・なんなんだよ!」
僕は元カノを誘い損ねたベッドで突っ伏した。結局は今日、何もわからなかった。
元カノに新しい彼氏がいるのかも、僕をどう思っているのかも、渡したいものが何だったのかも、なぜ誘ったようでかわされたのかも、全部全部わからない。
元カノは、一緒にいる時よりも激しく僕の心臓をグリグリとえぐる存在になった。今日のことで、僕はまた女々しくあいつを引きずってしまう。
チリン、とスマホが鳴る。元カノからだった。
「今日はありがとう!久しぶり会えて嬉しかったよ。やっぱり、あなたといると安心するわ。今日は時間なかったけど、今度はゆっくり飲もうね!」
おい、なんだよ、このどうとでも取れる内容は。
元カノの本心はさっぱりわからないけれど、ふと頭をよぎるのは、僕の浮気のこと。
そこが僕の、最大の引け目だからだ。
今日のことに関係あるかもしれないし、ないかもしれない。
でももしかしたら元カノは、あの出来心の浮気の罰を、僕にじっくりと時間をかけて与えているのかもしれない。
別れる時の去り際はあっさりだったけど、そのショックを抱えたままの僕を長い時間をかけて苦しめるのだ。
あの可愛らしい笑顔で、僕を最高に苛め抜くつもりなんじゃないだろうか。
それは「元カノ」という女だけが、できることだから。
「おつー。」
「待たせちゃった。ごめんね。」
「大丈夫。飲んでたし。元カレ、元気だった?」
「うん。なんか、嬉しそうだった。」
「また会っちゃうんじゃないの?」
「もう会わないよ。」
「そなんだ。エッチした?」
「最後まではしなかった。したい気もしたんだけど、もう二度としないって思って別れたのになんか嫌じゃん。」
「じゃあ家に行くのが変じゃん。」
「最後に確認したかったの。」
「あね。あるよね。」
「あるでしょ。」
「元カレ、また会えるって期待してそう。」
「そだね。メールもしたし。また遊ぼうねって。」
「うわ、つらい。」
「全然だよ。私別れた時相当しんどかったもん。」
「そだよね。」
「だって、本当に大好きだったんだもん。」
「うむうむ。よしよし。泣いていいぞ。」
「うぇえん。ありがとう~!」
「確認して、すっきりした?」
「うん。」
「幸せになるんだからさ。イセダさん、ずっとあんたのこと大好きだったし、すぐ結婚前提で付き合いたいってハッキリ言ってくれたじゃん。」
「うん。」
「もう元カレ会っちゃダメだよ。」
「だから会わないってば。今日は確認。」
「あるよね。」
「あるでしょ、二回目だけど。」
「元カレ、エッチしたかっただろうな。」
「すんごい興奮してたよ。」
「かわいそ。でも、男って元カノは簡単にエッチできると思ってるよね。」
「そうなのだよ。それも確認できたのだよ。」
「だからふっきれたんだよね。」
「そんな感じかな。」
「そんな感じだよね。」
「元カノだもん、私。」
「元カレにとってはね。でもイセダさんにとっては今カノ。」
「そだ。今日から完全な今カノだ。」
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