第百十六話 取り立て



「クレイン様、会食のご用意が整いました」


 ノルベルトは小間使いに指示を出し、自らは出迎えのために待機するつもりでいる。

 一方で今度のクレインは、彼を撤退させる理由を用意してあった。


「分かった。念のために各所の最終確認を、爺が直接頼む」

「しかし先方のご到着は、もう間もなくでは?」


 出迎えの場に自分がいなくて大丈夫かと、青息吐息で尋ねてくるノルベルトに対して、クレインは優しい声色で命じる。


 限界寸前の人間を破裂させないようにと、無理矢理に捻り出した余裕の笑みと共に、彼はお題目を唱えた。


「出迎えの人数が多少減っても構わないさ。それよりも歓待に穴があれば、致命傷になりかねない」


 物品不足や配置の誤りなど、若手がミスをしている可能性は確かにあった。急ぎで場を整えたため、どこかに綻びがあるかもしれないのだ。


 それは値踏みされる立場からすると、絶対に避けたい事態だった。


「こっちは何とかする。挨拶で時間を稼ぐから、裏方は任せたぞ」

「……承知いたしました、ご武運を!」


 この時点ではまだ持ちこたえていたので、侯爵一行を直視しなければ大丈夫だろう。そう判断したクレインは、すぐにノルベルトを送り出した。


 一方で横に立つアレスからすると、クレインの態度が急変したことは一目瞭然だ。


「戻ってきたのか?」

「ああ、5分だけ」

「何故そこまで半端な真似を」


 ノルベルトの顔色が悪かったところを見れば、彼が倒れたために、やり直しをせざるを得なくなったのだろうと予想がつく。


 しかし倒れる寸前には違いないのだから、もっと楽をさせてやればいいだろうにと、アレスは呆れ顔をした。


「ノルベルト抜きだと、用意が終わらないんだよ」

「ここ最近は暇をしていたのだから、数日巻き戻せばよかろう」


 ここ1ヵ月のクレインは、特段の波乱がない日々を楽しんでいたのだ。そこに歓待の打ち合わせを挟むだけなのだから、アレスからすると大した手間には見えない。


 しかし冷静になったクレインは、多少の粗が見えるくらいの応対でいいと思い直していたため、何でもないように言う。


「いや、相手の狙いを見定めるためにも、一旦このままで進めたい」

「なるほどな。魂胆を見破ってからでも遅くはないか」

「そういうこと」


 いくら間者対策だとは言え、数日前には使者を派遣できたはずだ。それすらしてこなかったのだから、この電撃訪問に何かしらの狙いがあることは明白だった。


 そして未告知の訪問を、準備万端で出迎えればどうなるか。それこそ無用の警戒を招き、交渉が進まない可能性まで浮上してくる。


「動き出しが早すぎると、調べがついた時に厄介だからな。何週間か戻って負担を軽くするとしても、今を乗り切ってからだ」


 いたずらに状況を変えれば本音を隠される恐れがあると見て、クレインは相手が想定しているであろう状況、ありのままの態勢で出迎える道を選択した。


 作戦を理解したアレスも、それならば文句はないと言わんばかりに背を向ける。


「よかろう、まあ初手の話題には予想がつく。私に同席してほしければ、それが終わってから呼べ」

「はいはい、ごゆっくり」


 引き留めても無駄と知っているため、アレスの退却も素直に見送る。

 その後の風景は当然のこと、クレインが時を遡る前とほぼ同じものだ。




    ◇




「来るぞ! 総員整列!!」


 誘いに乗ってやるくらいの気持ちで再度の号令を掛けると、やがてラグナ侯爵家の騎兵たちが、次々と子爵邸の庭園に乗り込んできた。


 そして先頭に立つ男は、敬礼を受けながら悠々と進み、颯爽と下馬してクレインの前に進み出る。


「初めまして、アースガルド子爵。突然の訪問に応じてくれて、感謝するよ」


 現れたのは、猛禽類のように眼光が鋭い――反社会的勢力の首ゴッドファーザー領のような――年齢不相応の風格がある男。ヴィクター・フォン・アマデウス・ラグナだ。


 直接会うのは二度目だが、いくら急場であろうとも、初対面時に比べればクレインには余裕がある。相手の思考や望みを大筋で把握できており、今では交渉の場数もそれなりだからだ。


 彼は国内随一の大貴族を前にしても、冷静さを保ったまま握手を求めた。


「こちらこそ、お会いできて光栄です」

「……ふむ。まだ若年だというのに、堂々としたものだ」


 今のクレインはお偉方と対話した経験が豊富であり、現実的には起こり難い、凄まじい状況にも幾度となく出くわしている。


 王子と殴り合いをしてみたり、部下になった女性が宰相を気絶させて、廊下に立て掛けてみたり、国一番の商会長を罠に掛けて、怒り狂わせてみたりと様々だ。


 そして同一の戦場が多いといえど、戦争も30回以上経験している。修羅場を潜り抜けた数で言えば、並みの人生ではあり得ない回数になっているのだ。


 慌てていたのはあくまで予定外の襲来についてであり、交渉そのものに大きな不安は抱いていないため、実際に話せばそれほどの動揺はなかった。


「君のことは高く評価していたつもりだが、想定よりも傑出しているようだ。これは嬉しい誤算だな」

「光栄です」


 ここまで素早くやって来たということは、裏を返せばそれほどアースガルド家が重要視されているということになる。

 そのためクレインは、人物評価を下げないことに重きを置き、粛々と対応することを決めた。


 しかし握手を交わした直後。ヴィクターはクレインの背に右手を回し、そっと肩を組んだ。


「もちろん当家にも例の話は通っている。末永く良好な関係を保ちたいと考えているよ」

「え、ええ。そうなれば幸いです」


 クレインが思い返せば、初対面の席で手を組もうと提案された時には、それが悪魔からの誘惑にも思えていた。

 その時はテーブル越しの対話だったが、今回は距離が近い分なおさらだ。


 目上の大物から親し気に肩を組まれて戸惑っているクレインに対し、ヴィクターは視線を前方に固定してから、唐突に話題を変えた。


「まあ、それはそれとして」

「……ん?」


 優しくささやくような声色はそのままに、ヴィクターは声のトーンを一段落として、余人に聞こえない声量で尋ねる。

 だがその声色は――裁判の席で――罪状を読み上げる際のトーンと似通っていた。


「当家の機関で育成した人材を、随分と雇い入れたそうだね?」

「え、ええ。はは」


 周囲から見れば、年代も身分の差も超えた親密な友人と接する、非常に美しい友情を現したような絵面だ。


 しかしクレインの右肩が、不意に痛みを訴えた。


 ヴィクターの指が肩に食い込む様を横目で見つつ、クレインは、慎重に言葉を選ばなければ死ぬことになるであろうと、嫌な予感を抱きながら返答する。


「私も入塾しておりましたので、職にあぶれた御同輩を、少々」

「それはいいさ。用意できる役職にも限りはあったのだから」


 クレインが釣り上げたのは貴族の子弟ばかりであり、ラグナ侯爵家からしても、変に下の階級で雇用するわけにはいかない者たちだ。


 家格や実力に見合うだけのポストを用意できなかったのだから、その点は水に流すと宣言しつつも、ヴィクターは更に続ける。


「だがその後が――いや、その前がいただけないな」


 ふと会話が途切れた隙に、クレインはあらゆる事情の計算を試みた。しかし状況を好転させる発言など思い浮かびはしない。


 片やヴィクターは暫し無言になったが、その間にも肩を摑む力は次第に強くなっていく。

 重苦しく不穏な沈黙が数秒流れた後、やがて彼は確信めいた口調で告げた。


「アースガルド領にいることは、分かっているんだ」

「いる、とは?」

「……今さら、隠さなくともいいじゃないか。私が遺憾に思っているのは、当家の顧問のことなのだが」


 ヴィクターが微笑みを浮かべるのと同時に、肩への圧力が一段階引き上げられた。しかし痛みよりも驚きが勝り、クレインはひたすらに戸惑うばかりだ。


 そんな彼の耳元に、口元を寄せながら囁いて、曰く。


「ビクトールは、ここで厄介になっているのだろう?」

「あっ」


 これまでのクレインはほとんど無意識で、自らの師に対する現実逃避を続けてきた。


 よく考えればマズいと分かっていながらも、物事がすいすい進むからと、ある種の見て見ぬふりをしてきたに近い。


 ――アレスが言っていた、初手の話題とはこれか。


 そう察すると共に、彼は王国暦500年4月から現在までに溜まった、ツケの取り立てがきたのだと、この状況を一瞬で理解した。


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