第百九話 水面下の交渉



「お待たせしました」

「済まぬな」

「いえいえ、有事の後でございますゆえ。積もる話がございましょう」


  脱出を手引きしたのがアースガルド子爵だというなら、ある程度の打ち合わせを済ませるのは当然のことだ。南伯の懐刀と呼ばれるいつもの使者はそう考えて、待たされたことを大して気にしてはいなかった。


 応接室にはクレインとアレスが並んで座り、彼らの対面に使者が座っているが、話をするのは主にクレインと使者だ。 


「後続の首尾はいかがでしょうか?」

「順調に進んでおりましたので、それほど時間を置かず到着する見込みです」


  水面下で婚約を交わし、東伯との戦いを乗り越えて、戦後処理も一段落した。


 そしてようやくアストリの輿入れ準備が終わり、これ以上の問題が起こらないと確信できるところにまできたのだ。

 大仕事の終わりが見えたとみて、使者もほっとした表情を浮かべた。


 「お嬢様がご結婚とは、月日が経つのは早いものです」 


 使者は相変わらず、孫娘の結婚を見届けるが如き態度だ。

 彼にとっての関心の全ては、今のところアストリにある。


  もちろんクレインからしても最大の関心事項ではあるが、今回は挙式だけに集中できない要因もあった。


「ときに同盟案のことは、どこまでお聞きになりましたか?」

「こちらの記載内容に即した事柄を、ビクトール殿から一通り伺っております」 


 使者は用意がいいことに、提出された草案の原本を持ち込んでいた。 差し出された草案の文面はもちろん、クレインが語った構想に基づく取り決めの数々だ。


 最終的に詰める予定の条項が幾つか抜けている程度なので、このまま結んでも問題のない内容ではある。


「なるほど、提案内容に相違はありませんね」

「侯爵家に異論がないのであれば、後は我々次第かと」


 今回はただでさえ性急に動いた婚姻に加えて、経済、軍事の協定まで一度に済ませるつもりで進めていた。


 しかし通常であれば、ここまで重大な案件は家臣を通じて何度も調整が図られるものであり、合意するまでに数年掛かりとなる場合もある。


  その上更に、ここにきて唐突に、ラグナ侯爵家との同盟までまとめて締結する動きが加わったのだから、まさに激流のような速さだ。


 侯爵家からすれば渡りに船だとしても、クレインの想定から大幅な前倒しになったこの展開を、ヨトゥン伯爵家がどう見ているのかは気になるところだった。 


「伯爵のご意向は?」

「ご提案は大筋で受け入れております。物騒な世の中ですので」 


 アースガルド家との各種協定はあらかじめ決まっていたものであり、そこに後ろ楯が追加されるだけという認識だ。


  家臣たちからも強い反対意見が出ない以前に、そもそもヨトゥン伯爵家からしても、王国の最大勢力と手を結ぶ動きは歓迎できた。


 「当家としてはアースガルド領を中心にした、南北の交易路には特に関心を持っております」

「そうですか。大過なくお話が通ったようで何よりです」

「はは……まあ、選択肢が用意されていなかったというのも、本音でございますが」


  遠く離れた地域の大貴族なのだから、交易で協力することは利になるだろうが、敵対や中立で得られる利点はない。


 そして軍事に関しては言うまでもない。味方に付ければ安泰だが、ラグナ侯爵家と正面から敵対すれば、いくらヨトゥン伯爵家と言えども滅びかねないからだ。


  話が持ち込まれた時点で断ることはできず、どのような形であれ協力するしかなかった。


「それは……そうですね。もう少し余裕を持たせるつもりだったのですが、突然で申し訳ない」

「いえいえ、お気になさらず」


 やはり性急に過ぎるか。そう反省したクレインに笑顔を向けた懐刀だが――ここでアレスは、きっぱりと断言する。


「やり直しだ」

「え?」

「ただでさえ不確定要素が多い中で、無用の借りを作るな」


 ヨトゥン伯爵家の利益になる提案であっても、アースガルド家から振り回されたことは事実。


 そんな言葉を一々借りにカウントしていては、外交交渉をするどころの騒ぎではないと、アレスは呆れ交じりに言った。


「でも、角が立たないか?」

「これで揉めるのであれば、仕掛けてきた向こうの責任だ。というよりも、その程度で波風立てる人間を、使者に据えるはずがあるまい」


 この使者が波風立てない人間かと言われれば疑問が残るが、さりとて今までも、クレインからも言うべきところは言ってきた。


 例えば婚約の公表時期を最大まで延期させて、戦争までの時間を稼いでいたが、過程にどれほど問題が起ころうとも、最終的には両者が望む形で着地できているのだ。


「そういえばそうか」 

「だろう?」


 中身はどうであれ、いつも最後には話がまとまっているのだから、多少揉めたとしても上手く収拾される未来は容易に想像できた。

 それを踏まえて、アレスは険しい口調で使者をたしなめる。


「言ってみるだけなら自由。それが通らば通すと考えるのは、交渉屋の悪い癖だな」

「……事実を申し上げたまでですが、手厳しいご意見ですな」


 相手もプロだが、クレインは伯爵家側の望みや答えを事前に知っているのだから、これまでは下手を打たずに対応できていた。


  しかし逃げ道を無くすような話の組み立てや、情熱全開の恫喝などで、思えばこの使者からの提案もほぼ全て通ってきたのだ。


  これから先で、無体な要求はしてこないだろうという信頼があり、クレインとしても実利や今までの恩から敵対はあり得ないが、易々と口実を与えるのは下策でしかない。


 するとアレスが言うように、この会話には修正が必要という結論に落ち着く。


 「なるほど、それなら早速」

「助言は要らないのか?」

「場の流れを読んで、適当に合わせてくれるだろ?」

「まあ、な」


 大体のストーリーを思い描いたクレインは服毒した。

 回帰する瞬間は、彼が使者の言葉を素直に受け止めた時点だ。


「はは……まあ、選択肢が用意されていなかったというのも、本音でございますが」


  クレインにとっては、未来の情報を基に考えた――事前に答えを知っていなければ立てられない――作戦を誤魔化すのも慣れたものだ。 


 やるべきことが決まったのだから、今度の彼は淡々と返した。


 「それは理解しますが、こちらも計画を大幅に変更することになりました」

「計画とは、どのようなものでしょうか?」


 そして彼の表情や雰囲気が突然変わったのだから、アレスにも何を失敗したのかは大体予想できた。

 

  使者は単に恨み節をぶつけてきたのではなく、クレインに多少の負い目を感じさせて、後に何らかの譲歩を引き出すのが目的だ。 


 しかし交渉能力に差があることは分かり切っているため、クレインは最低でも引き分けに持ち込むべく、無駄に壮大な作り話を始める。


「元々は、東西に商業路を繋ぐ予定だったのですよ」

「ヴァナルガンド伯爵家と、友好関係を構築する計画でしたと?」

「そうなります」 


 確かにアースガルド領は元々、王国の東部と中央部を繋ぐ要衝として栄えていた。


 山を削り道を開き、ゼロから南北への交易路を通すよりも、元から存在している東西の道を整備する方が簡単で、周囲の理解も得やすいだろう。


 サーガからの暗殺未遂により失速したまでも、まだまだ好転の目が残っているところに、避けられない縁談を持ち込まれて関係が破綻した。


 つまりお互い様だという主張を受けた懐刀とて、強く要求を通すつもりはない。

 しかし、クレインが出鱈目を言うとは考えにくいが、彼は念のために話を掘り下げた。


「昨年から既に、北への道を整え始めていたのでは?」

「加増された地域との行き来をしやすくするためです。救援物資の送付も必要でしたから」


 流れは自然だと納得した使者に対して、これまでの事情をほぼ把握しているアレスは、鋭い眼光を飛ばしていた。


 そしてクレインの作り話に乗るならば、どの方向が適切かをシミュレートしてから、彼はおもむろに口を開く。


「その計画を発案したのは、私なのだがな」

「さ、左様でございましたか。しかし殿下御自らが交易路開拓の指示を送られるとは……何故でございましょうか?」

「王位継承を納得させるためには、実績が要ろうよ」


 クレインが適当に語った、ありもしない東との友好。

 それに現実感を持たせるために、アレスはカバーストーリーを展開していく。


「アースガルド家に資金力がつくならば、東から中央、中央から西という経済活性は現実的な案だからな。銀山の取引で登城した際に、声を掛けておいたというわけだ」

「……ふむ、なるほど」


 中身が全て虚偽であっても、後ろ楯を欲したクレインと、手足となる人材が欲しかったアレスという大枠は変わらない。

 非公式会談での密約でもあるため、この嘘が発覚する確率は限りなく低かった。


 そして第一王子が玉座に就く計画の一つを潰したのだから、貸しにしようなどおこがましい。

 むしろ計画が延期された分、貴様らに貸し一つだと、アレスは無言で圧力を掛けた。


「殿下、この辺りにしておきましょう。ヨトゥン伯爵家も、今後は殿下と同陣営なのですから」

「まあ、そうだな。過ぎたことを言っても栓のないことだ」

「……ご寛恕かんじゅいただき、幸いでございます」


 これでアレスはヨトゥン伯爵家に対して、ごく僅かな精神的優位が取れた。

 取り成したクレインにも、細々とした問題に目を瞑ってもらえる程度の保険はできた。


 しかし味方から貸し借りを搾り取るとは、と渋い顔をしたのも一瞬のことだ。

 気を取り直したクレインは、当初の議題であった草案に立ち返る。


「いずれは侯爵家とも内容を詰めていきますが、彼らがまだ本腰を入れていない今のうちに、我々だけで話すべきこともあるはずです」

「……と、仰いますと?」


 ここで懐刀にしては珍しく、会話に理解が追い付いていない表情を見せた。

 きょとんとした顔をする彼に向けて、クレインは言う。


「今の場面を見れば、味方同士でもある程度の押し引きがあるはずです。侯爵家の立場が強いのですから、ある程度は水面下で歩調を合わせておきたいのですよ」

「む、ああ、なるほど」


 問題はこの歴史の流れでも、ラグナ侯爵家が以前と同じ条件を飲むか否かだ。


 何せ以前までは「敵対さえしなければそれでいい」というスタンスだったが、しかしアースガルド家に余裕があるのなら、もう少し負担の割合を増やせという話にもなりかねない。


「子爵領の発展は順調です。このままいけば当初の想定よりも高く、我々の腕を売り込めるかもしれません。となれば対価に何を望むかを考えておきませんと」

「ふむ、まあ、考えて損はありませんな」


 侯爵家からすると、商業的な利益は副産物であり、安全保障の問題に注力している。

 欲しいのはそれだけなので、この交渉で妥協を引き出すのは不可能に近い。


 軍事的に強化された分だけ、負担が増えるのも十分に現実的な話だ。しかしそうなると、当然見返りも増える――というのがクレインの目算だった。


「……そう、上手くいくといいがな」


 クレインが大局的に計算したところ、経済や政治では譲ってもらえると予想した。と言っても彼は財産を吸い取る方向ではなく、技師や技術者の派遣などで融通を求めようと思っている。


 アレスが後ろ向きな考えを浮かべる傍らでは、更なる発展と優位性の確保を狙うための会議が、日が暮れるまで行われることになった。



― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


 次話は5月15日(月)に更新予定です。

 次回更新だけ曜日が変わりますが、よろしくお願いします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る