第八十七話 王国一の大商人



「ヘルメスは死んだか」

「ああ。影武者ってわけでも無さそうだ」


 財産を持って山道を逃げようとしていたヘルメスを、囲んで射殺すだけなのだから難易度は低い作戦だ。

 グレアムやランドルフなど、少数を選抜しての作戦はすぐに終わった。


「クレイン様、死体は焼却しました。証拠は何も残していませんッ!」

「よくやってくれた。午後からはゆっくり休んでくれ」


 アースガルド家の手によりジャン・ヘルメスが殺害されたという話が出回れば、王女を始めとした諸勢力がどう動くか分からない。


 だから彼に個人的な恨みを持つ山賊――没落商会の人間から襲われたという建前で、忠誠心が篤い武官と、その側近だけを派遣することにしたのだ。


 略奪品は人目に付かない山道を経由して、順次アースガルド領内に運び込まれていた。


 これ以上の輸送は無いと踏み、作戦完遂の報告に来た武官たちを見送ったクレインは、集まった側近たちの中からマリウスにも進捗を確認する。


「評判を下げる作戦はどうなったかな?」

「ヘルメスの死亡により指揮系統が失われました。既に影響が出始めていますので、南での作戦成功は確実です」


 ヘルメス商会の醜聞の中には、怨恨によって殺されたという風説を後押しするものもある。

 だから怨みによって殺されたという経緯を疑うのは一部の人間だけだ。


 しかしその一部・・が問題になる。


 国政を見ている人間ならば、ヘルメスが殺害された裏には、どこかの勢力の思惑が絡んでいると考えるのが自然だからだ。


「ヘルメスの後釜を用意しないと国に不利益がある。早めに対処しようか」

「影響を考えれば、お家取り潰しものですな……」

「分かってるよノルベルト。手は打ってあるから心配しないでくれ」


 クレインとしてはアクリュースの動向はもちろんのこと、それ以上に国王の動向を気にしていた。


 ブリュンヒルデがクレインの命とヘルメスの命を天秤に掛けた時に、国益を考えてクレインの始末を決断した過去もある。


 後始末をしなければ、調査の末に呼び出しがあることくらいは想定できていた。


「早速だけど穴埋めを始めよう。細かい動きはマリウスとトレックの指揮に任せる」

「用意は整っております」

「こちらも同じく、いつでも動けますよ」


 小貴族との戦争準備中から別作戦の用意が始まり、万全に整えてある。

 返答を受けたクレインは、締め括りの作戦開始を告げた。


「よし、それならまずは東部を除く、全地域の店舗を吸収に掛かってくれ」


 独裁者たるジャン・ヘルメスの指示が突然届かなくなるのだから、右往左往して何もできない店舗が出てくる可能性が高い。

 また、時間経過によって商会内部での主導権争いや、分裂も予想される。


 だから彼らがこれから行うのは、ラグナ侯爵家の真似事に近い。


「ヘルメス商会の買収は主にトレック殿が。暗部の動きは私が対処します」

「頼む。費用ならいくらでも出すし、どんな手を使ってもいいからな」


 各地で醜聞が撒かれ、会長を失った商会を混乱に乗じて乗っ取る計画だ。


 主には「ヘルメスから店舗の経営権を買い取った」という偽造の契約書を使う予定だが、資金力を背景にした作戦も展開される。


 いずれにせよ情報量で時間の優位を確保した以上、動き出しを最速にするとは決めていた。


「過去10年くらいで買収された商会は元の持ち主に返していくぞ。創業の援助はこちらでやるし、貸し与える事業資金の利息はもちろん低額でいい」

「その原資がヘルメス商会の資産というのは、何とも言えない話ですね」


 友好的な商会や、中立の商会に安値で店舗を売却して――経営者が変わる以外の影響を最小限に抑えるのがクレインの策だ。


 今回グレアムやランドルフが好き放題に略奪した結果、莫大な金銭が手に入っている。


 元から資金力を蓄えていたところへの上乗せなので、ヘルメス商会の支店を食い荒らす軍資金には十分だ。

 資金と人員は充実しているので、店舗さえあれば市場が多少混乱する程度で済むと目されていた。


「で、取りまとめは私の仕事ですか」

「そういうことになる」


 王国にとって最大の問題となるのは流通面だ。

 しかし全土に連なった商業ネットワークが失われたかと言えば、そうでもない。


 本来の歴史でスルーズ商会が吸収合併されていようと、会長を消されたサーガ商会が接収されようと、世間的には何の影響も出ていなかった。


 ならば逆でも問題は無い。


 ヘルメス商会の大部分は敵対的買収によって吸収する算段のため、今回はヘルメス商会がスルーズ商会に置き換わるだけだ。


「はぁ……仕事が増えますね」

「もっと喜べトレック。出世だぞ?」


 東側との経済的な繋がりは切れつつあるので、アースガルド領より西側が王国の全てと言える。その子爵領以西で最大勢力になるというのが、どういうことか。


 つまりトレックは繰り上げで、国一番の大商会長になる公算が高かった。


「そう、上手くいくでしょうか?」

「多分大丈夫だ。便乗してくる貴族や商人はいくらでもいるだろうけど、俺たち以上に早く動ける勢力はいないからな」


 クレインは必要に応じて、ヘルメスが死亡したという噂を広めていくつもりでいる。

 だが、ヘルメス商会が慌ただしくなれば、何をせずとも時間経過で話は広まるだろう。


 噂を聞いた貴族や商会が裏を取り始めるのが1ヵ月後、用意を整えて買収に乗り出すまでには、更に数週間と見ている。


 つまりこの先2ヵ月ほどは、誰にも邪魔されずに削り取れると予想していた。


「資金面と政治面は俺に任せてくれ」

「クレイン様が直接動くわけじゃないでしょうに」

「まあ、正確に言うと俺が資金を出して、殿下が調整役になるかな」


 アレスには事前に相談してあり、スルーズ商会への手出しを牽制するように動くと話は付いている。


 権益拡大を目論む諸勢力をどこまで抑えられるかは未知数だが、準備万端で先手を取ったのだから、有利は約束されていた。


 それでも国の行く末に関わる問題に発展するので、国王や宰相にも事後報告をした上で、何らかの取引や便宜供与が発生する懸念は示されていたところだ。


「宮中の問題をエメットに任せるのは身分の問題で無理だし、ベルモンドは中央行きを希望していない。だからここは、ブリュンヒルデたちに任せるよ」

「承知しました。お任せください」


 アレスの暗殺対策について言えば、ヘルメスが横槍を入れる前に戻っている。


 だから秋の終わりにはブリュンヒルデ、レスター、ビクトール他数名が王都に向かうことになるが、その頃には国王も事態を把握しているはずだ。


 国王が実際にクレインの呼び出しを行うかは別として、話をするにはいい時期だと判断していた。


「何か交換条件を持ち帰って来ると思う。今後はトレックにも、王家から指示があるかもな」


 アレスの保護に加えて、商業政策に関する擦り合わせも追加された。

 しかし派遣する人材はアレスの直属が大半なので、動きには期待できる。


 トレックにはアースガルド領内での仕事があるため派遣はしないが、人員を送ると同時に、今回の事件もまとめて処理をする腹積もりでいた。


「勘弁してほしいですね。クレイン様からのお願いだけでも手一杯なのに」

「まあまあ、戦力は整っただろ?」

「それはそうですが、うちのやり方に合わせてもらうのも一苦労ですよ」


 問題はトレックのキャパシティだが、今では拾い上げた大量の元商人がいる。


 古巣の商会が既に店舗ごと撤去されて行く当ての無い人間や、復讐を終えて人生の目標を失った人間も多い。


 ある程度教育された、浮き駒となっている多くの部下を手に入れたのだ。

 1年もあれば全員が慣れて、戦力になると計算していた。


 また、現状では不確定な要素や未確定な情報が多いものの、それらは障害にならない。

 どこかに不都合があれば手を変えるだけと考えて、クレインはトレックを励ます。


「元から御用商なんだから、もっと積極的にいこう。ヘルメスの分まで儲けられると考えればいいじゃないか」

「儲けならアースガルド領だけでも十分過ぎるくらいですが、まあいいです。やりますよ」


 戦力が増えたので、過去のような過労に陥ることは無い。

 だが、身分が上がる分だけ面倒事は降ってくる。


 これから始まる激務を想像したトレックが、頭が痛そうな顔をしていた一方で――クレインは笑顔のまま書類の束を差し出した。


「こんなお土産まであるから、有効に活用していこう」

「これは?」

「中央側に残った隠し財産の在りかだよ。他にも色々あるから、水面下で隠れ家を確保して家探しだな」


 初めてヘルメスの逃走ルートを特定した際には、クレインが直々に現場に出ている。


 情報を吸い上げるだけ吸い上げてから、自ら率いてきた兵に号令を下したものの――仇討ちに参加できなかった商人たちの不満を買った。


 そのため、全員が参加できる方式に切り替えたのが今回の襲撃だ。


 しかしいずれにせよ、クレインは自分の仇討ちを正史にするつもりは無かった。

 アースガルド家の関与を伏せる以上、彼は表に出られないからだ。


「遠隔地の物件を確保するのも手間ですね」

「だからスルーズ商会の力を使いたいんだよ。他の商会長たちには、まだ詳しいことを話してはいないからさ」


 ヘルメスとクレインの対峙は、クレイン以外は誰も知らない歴史の影だ。


 一度は自らの手で決着をつけたという事実を胸に刻み、効率だけを重視して再開した結果が今に繋がっていた。


 顛末は闇に葬られたが、情報を聞き出したという結果だけは確かに残っている。

 それに情報が正しいか否かを検証する時間ならば、無限と呼べるほどにある。


 だからアレスとしか共有できない問題を除いて、総浚いをする方針を固めていた。


 反乱の具体的な計画書が残されているとはクレインも思っていないが、ヘルメス商会の暗部を消される前という条件付きで、敵対的買収や乗っ取りを終わらせなければならない。


「……その接収まで、私の担当にするおつもりで?」

「俺に付いて来ると言っただろ?」


 ヘルメス商会の今後を考えれば、トレックからしてもこれ以上無い形で復讐ができる。


 しかし彼はそもそも、自分の商会が潰されたことを覚えていない。

 精々が嫌がらせで業績を悪化させられたくらいの認識だ。


 これもクレインしか知らない、あったかもしれない歴史の一つに過ぎない裏事情となる。


「はいはい、私たちは運命共同体ですね。今さら撤回しませんよ」

「それならいいんだ」


 自身の初めての部下であり、気の置けない友人であり、頼れる後援者でもある男。

 本来の歴史で、トレックはどのような人生を送っただろうか。


 経営難で思いつめた顔をしていたところはクレインも見た。商会を潰されてからはヘルメスの奴隷になった可能性も高い。


 末路は他の商人と変わらず、サーガと同じようにどこかで使い潰されたのではないか。


「これからが大変だろうけど、今後も存分に働いてもらうからそのつもりで」


 領地を滅ぼした元凶を排除できたこと。

 友人の代わりに仇を討てたこと。


 全ての事柄は誰も知らない裏事情だとしても、打ち立てた目標を達成できたクレインの胸中には充足感が満ち足りていた。


 だが、満面の笑みが崩れないところを見たトレックは、頭が痛そうに首を振る。


「……まだ追加の仕事がありそうですね」

「分かってるじゃないか。中央の対処はするけど、この間持ち掛けた砦の建築計画に変更は無いから」


 ヘイムダル男爵邸での出来事が、暗殺を計画した最も大きな理由ではある。


 だが、ヘルメス商会の吸収に際して、他の友好商会と比べてスルーズ商会を優遇したのは――自分以外の誰も覚えていない、友人の仇を討たせるという側面もあった。


 利益のために他者を虐げたヘルメスを、借金まみれの集団に始末させたこともそうだ。


 全ての意趣返しは終わり、復讐にも一段落ついたと言えた。

 となれば休む暇も無く、話は次の段階に移る。


「あの砦ですか。また何に使うか分からないものが出てきましたけど……これも必要なんですよね?」

「ああ。あれが無いと困るんだ」

「はぁ……分かりましたよ。万事抜かりなくご用意しますので、今後とも当商会をご贔屓に」


 資金力の大幅強化と、恩を与えた商人たちの囲い込みができた。

 経済圏を形成してからは、過去一番の繁栄をアースガルド領に齎すだろう。


 予期せぬ人員拡大で多少の混乱があるとしても、東伯が襲来する半年後までに、最低限の状況が整っていればいい。


 今回の寄り道をそう結論付けて、クレインは中止していた本来の流れに戻る。


「となると、次も失敗できないな」

「次……? ああ、ヨトゥン伯爵家との縁談ですか」

「そうだ。まあ、上手くまとめるよ」


 前回の会談で失敗した部分を潰したのだから、今度こそ。

 その想いを胸に、クレインは使者の到着を待つことにした。


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