第九十六話 総ざらい
暫くの時が経ち、時は王国暦501年9月まで戻ってきた。
クレインは夕暮れの執務室で、肌身離さず持ち歩いていた手帳を見返している。
これはアレスの助言をそのまま採用したもので、今までに行った政策の当たり外れを、可能な限り早い段階で記したものだ。
人生をやり直してからすぐに改善点を書き込むことにしており、内政の見直しに活用していた。
「北部の支援策は経過良好、テミス男爵領への横流しも順調そうだ」
旧小貴族領を抜けた先には、ハンスの副官を務めるオズマの実家がある。そして
今回における北方面での変化と言えば、北方面にも多少の食糧を隠す程度だ。
「先生の献策から大きく外れないし、ここは前回までとほぼ変わらないな」
仮に政策の変化があった場合、クレイン自身は反省点や改良点を分かっている。
しかし配下への指示は都度出し直しとなるため、指示に漏れが無いかは毎回確認が必要だった。
そのため、やり直しの度に発生する
「言ってしまえば食糧の保管場所が変わるだけだし、戦いの直前まで……46番までは現状維持と」
政策の番号を覚えておけば、書類の左上にある数字を確認した段階で承認か非承認かを判断できるのだ。
これがあるから作業時間が減り、今回のクレインは過労を免れている。
しかし住宅を増やして往来が渋滞するようになった場合などは、単純に増設計画を非承認というわけにもいかない。
住居が足りなければ移民を受け入れられないからだ。
そういった意味では失敗した政策をただ取り止める場合よりも、改善や変更を加えて新規に行うことが多かった。
一度失敗した政策が復活したり追加されたりして、並びが変わる点だけは注意が必要となる。
「領内の物資が不足気味という噂を、追加で流すべきかな? まあ山城に貯金ができているから、このまま進めば焦土作戦は成功するはずだ」
直近と直後の動きを確認したクレインは、次にこれまでの時系列を振り返る。
頻繁に対策の順番が変わるので、これも定期的な再確認が必要となる箇所だ。
「王国暦500年6月から商会を呼び込んで、この段階でマリウスとランドルフにだけ誘いを出した。それ以外に大きな変更は無し」
例えば当初はランドルフを11月に雇用していたが、今では7月には雇用している。彼と思い出話をした時に、クレインの認識がズレていればおかしな話になるだろう。
その場で間違いを指摘されればいいが、相手が違和感を抱いたまま何も言わない可能性もある。
こうした小さなミスも積もれば脅威となりかねないため、大変動後の決算とばかりに、クレインは出来事の総ざらいを始めた。
「7月にはグレアムを降して拠点作りを始めて、エメットが南伯と交渉か」
居場所が分かったので、早い時期からグレアムを引き抜けるようになったが――放置しておけば秘密裏かつ勝手に拠点の原型ができるのだから、この流れは変えない方が利益は大きい。
仮に次の戦いに失敗してやり直すとしても、再開時期はこの作戦以降になるだろう。
それだけ決めて、クレインはグレアムらを加入させた直後のことも思い返す。
大きな変更があったので、この点に関しては念を入れた。
「本命の作戦進行は滞りないし、南伯との交渉も全部通ったんだ。目的は達成されたから、修正した部分は上手くいったと見ていいかな」
無茶な指示を出されたエメットに皺寄せがきたものの、彼はクレインからの指令を見事にやり遂げている。
エメットの論調だが、まずはヨトゥン伯爵家に強めの圧力を掛ける方向で交渉を開始した。
領地から盗賊団を発生させた責任、更にこの問題をアースガルド家で対処したことを貸しにして、そこにグレアムに誘拐されていた寄子の救出分を上乗せしている。
エメットはこれらの貸しから、不名誉かつ不合理な作戦に付き合わせる分との
彼は一転して低姿勢になると、アースガルド家の貸しを帳消しにした上で、見返りまで約束するので茶番に付き合ってほしいと――懇願に近い丁寧なゴリ押しを選んだ。
「貸しの無駄遣いを義父からも家臣からも
ヨトゥン伯爵も名誉と実益を天秤に掛けたが、偽装討伐隊の戦功を貰うことでの名誉回復込みで、この申し出を承諾した。
しかし論理で詰めてきた使者が急に、理も筋も無いパッションを前面に押し出しつつ、アースガルド家にそれほど得があるとも思えない奇妙な作戦を提案してきたのだ。
それで丸く収まるならと承諾はされたが、先方からすると釈然としない結果に落ち着いていた。
「俺の評価がどうなっているかは怪しいけど、一度で成功して良かったと思おう」
何にせよクレインの立てた作戦は成り立ち、エメットは出世して、ヨトゥン伯爵家は借りが帳消しになるという、三方よしの結果ではある。
しかしこの交渉が成功したのは外的要因が、すなわち山賊の拠点が領主不在の、空白地帯ということが大きかった。
発生源がどうであれ、ヨトゥン伯爵家から見れば領外での盗賊被害だからだ。
目撃者もいないような土地なので、風聞が限定的という見方はあった。
「常備軍が運んでくる分は全量納品されたことにもしたし、次があるならまたこの手でいこうか」
加えて山賊が誘拐してアースガルド家が救出費用を請求するというマッチポンプも、ヘルメス商会に露見することなく略奪作戦は終了した。
保管作戦は全て片付いたため、あとは東の密偵から捕捉されていないことを祈るばかりだ。
「借りが多めになったから、婚約の話はもう少しスムーズになると思ったけど……まあここも前回通りだったな」
これら王国暦500年7月の変更は、今のところ目に見える影響を出していない。
501年の夏に持ち上がった婚約の話も、駐留軍の話も全く前回通りだったと思いつつ、クレインは振り返りを続ける。
「8月は商会長たちと会合。サーガを味方に付けて妨害作戦を打って、それからすぐにビクトール先生と門下生たちが着任。500年内は無難に内政を続けて終わりだ」
ビクトールや新任の者たちについても、領外での動きが多いため影響は無い。
役割が変わったのもエメットくらいのものだ。
「少し飛んで王国暦501年5月に小貴族連合を撃破。その後は先生の作戦に則りつつ、内政方面では本当に、山城とテミス男爵家への輸送以外は特に変化なし……と」
政策に変化が無くとも、人の動きは変わっている。
クレインが特に気にかけていたのは、楽隠居の先生を前回よりも働かせた点だ。
ビクトールは暇潰しと称してランドルフやグレアムに座学での教育を施し、時折ベルモンドらと共に練兵まで担当していた。
小貴族戦後すぐに隠居生活に戻っていた前回と比べれば、役割が増えている。
その後に依頼したアレス救出作戦への承諾は得られていたが、師匠を使い倒せる限界はこの辺りだと、クレインの中である種の基準ができていた。
「今は先生が先発、ブリュンヒルデたちが後発でアレスの救出作戦が開始されたけど、結果が出るのは東伯戦後だろうし……この顛末次第ではまた戻ってくることになるかな」
領地の防衛戦に勝利したとしても、まともな味方となったアレスが暗殺されれば修正が必要となる。
これはまだ結果が出ていない部分なので、戦後の課題だった。
クレインは大まかな変更点を確認し終えて一息ついたが、来年までにやるべきことは明確だ。
あとは粛々と進行するだけであり、東伯戦までの道筋は完全に整ったと言える。
「でもこれで先に進めるかは、来年の展開によるか。随分長い間が空く」
未来を指定したやり直しは不発に終わるため、思いついてもすぐに実行できないのがもどかしいところだった。
「1時間前」と念じてから「5日後」と口に出してみれば、1時間前の方が優先されるのだ。
いずれにせよ、未来への移動は不可能だと分かっている。
「うん、まあこんなところかな。他にやれることが無いかは、政策を微調整しながら考えていこう」
転換点での軌道修正は完了しているため、ここから先は前回までの戦いと変わらずに進んでいくと予想がついた。
ここに特に波乱は待っておらず、王国歴501年は何事も無く過ぎていく。
◇
かくして日付は王国暦501年11月15日を迎えた。
戦いまで2カ月を切り、決戦準備も大詰めだ。
しかしやるべきことを全て把握しているため、クレインには余裕があった。
また、今日の護衛は勤務態度が不良なチャールズであり、お目付け役はいない。
そのためクレインの態度はのんびりしたもので、いくつかの書類を片付けるくらいの、緩い昼下がりを過ごしている。
「……そろそろ約束の時間か」
「あれ? アポイントなんてあったか?」
壁にもたれ掛かって読書をしていたチャールズは、特に来客の予定など聞いていない。
しかしクレインが置時計に目を向けるのと同時に、部屋のドアがノックされた。
「実は内密の話があるんだ。チャールズ、人払いを頼むよ」
「へーい」
ゆっくりしたいのは本心だが、時間を空けておいたのは配下に密命を下すためでもあった。
東伯戦に向けた準備は、実質的にこれが最後となる。
ひらひらと手を振って退出するチャールズと入れ替わりで、クレインの執務室に、前日のうちに呼び出しておいたピーターが姿を現した。
「お呼びでしょうか?」
「ああ、少し仕事を頼みたい」
「仕事ですか」
相も変わらずにこやかな笑みを浮かべたピーターに、クレインは早速要件を切り出す。
これは何度も依頼しているので、クレインの中では既定路線と呼べる命令だった。
「前々から備えはしてきたけど、東伯と一戦交えることが本決まりしたんだ」
「ふむ、それは大事ですな」
要件を教えてからすぐに、クレインはピーターへの命令書を取り出して、執務机の上を滑らせる。
「この戦いで、ピーターには別動隊を率いてほしい。詳細はここに」
「拝見いたします」
ピーターが優雅な所作で受け取ると、書状には別動隊長として、5000の兵を率いて山越えをするように書かれている。
また、ヘイムダル男爵領に進撃し、敵軍の物資貯蔵庫を焼き払ってほしい旨も明記されていた。
「随分と大所帯のようだけど、補給基地が無くなれば撤退せざるを得ないだろ?」
「ええ、まさに。良案かと存じます」
「どうせなら徹底的にやりたいんだ。だからついでに一つ、もう一つ頼まれてほしい」
防衛戦の展開が大きく変わったため不発に終わっているが、今回の山越えには、以前までとは違う作戦が追加されていた。
追加部分を口頭で伝えられたピーターは、尚も笑顔で頷く。
「承りました」
「命じた俺が言うのも何だけど、難易度は高いと思うぞ?」
「いえいえ、何も問題はございません」
「……そうか」
クレイン自身が鍛錬を積んだ結果、目の前に立つ人間を見立てて、何となくの強弱や気配のようなものは感じ取れるようになっている。
性質が武官寄りになるにつれて、ピーターの雰囲気が不吉に思えるようになったのは事実だ。
しかし戦力になるなら、クレインも細かいことは気にしない。
「こちらからは以上だけど、何か質問は?」
「ございません。取り掛かるといたしましょう」
そもそも彼と深い話をするのはヨトゥン伯爵家、ラグナ侯爵家と同盟を結び、王都で会談を行う辺りと考えている。
だから現時点では特に言及せず、ピーターもお安い御用とばかりに任務を引き受けた。
「分かった。それならマリウスが下準備を整えてあるから、動き方は相談してくれ」
「ええ、お任せを」
2カ月後には戦いの時を迎えるが、ピーター隊は北西の山道を迂回していくため、他の部隊よりも先に出陣する予定だった。
しかし北部の治安維持を目的として動かすには、5000の兵は多過ぎる。
名目作りから集合、進軍経路までの全てはマリウスが算段を立てているため、今回の作戦では彼らが合同で動く運びとなっていた。
執務室から退出したピーターを見送ってから、クレインは大きく伸びをする。
「あとは任せておけば大丈夫なはずだ。さて、午後は練兵の視察にでも行こうかな」
打てる手は全て打ち、勝利への算段は整った。
敵の手も見えているため、確認できる範囲に誤算も無い。
全てが上手くいくことを祈りながら、クレインは年が明けるのを待った。
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次回更新は8/13予定です
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