第九十五話 熱き男の誓い
「最初はうちが単独で戦う予定だけど、敵の弱点は補給だ。だから焦土作戦を打つことにしたら、この砦が重要拠点になったんだ」
遠方から速攻を仕掛けてくる可能性が高いので、焦土作戦で敵を困らせる作戦だ。
しかし作戦後にはアースガルド領が食料難に陥るため、領地の反対側に倉庫を作っておきたい。
そんな目論見を、クレインは平然と語った。
「そりゃあまた、随分とデカい話だな」
「怖気づいたか?」
相手は国内有数の実力者なのだから、恐れるのが普通だ。
しかしグレアムは酒を呷ってから空を見上げて、珍しく思案していた。
「いや、悪かねぇな」
グレアムは貧乏暮らしが嫌で故郷を飛び出してきた。
何でもいいから一旗揚げたいと思っていたのだ。
そんな彼からすれば、派手な立ち回りをするのは――音に聞く東伯と事を構えるのは、むしろ本望なくらいだった。
「昔から腕っぷしだけが自慢で、末はチンピラかゴロツキか。そんな未来しか見えていなかったんだが……人生ってのは何がどう転ぶか分からねぇもんだ」
生き方を模索してフラフラしていたところ、この度思いがけず仕官が叶った。
かと思えば意味の分からない茶番と、倉庫の建築を手伝わされるだけの毎日だ。
これでは前にも増して将来が見えなかったが、事情があるなら問題は無い。自分が輝けるのは争乱の中でだけと知っているので、望むところではあったのだ。
「でもよ、本当に反乱なんて起きんのか?」
語ることが本当であれば、確かにこれは極秘任務で、新参者に目的を隠すのも自然なことだろう。
だがグレアムも、頭から全て信じはしない。
問い返して反応を見ようとしたが、一方のクレインは至極真面目な顔で断言した。
「再来年には起きる。うちに仕官していれば、遅かれ早かれ戦うことになるな」
「そうかよ」
迷い無く言い切るのだから、裏取りくらいはしているはずだ。
つまり大乱が起きる前提で行動するのがベストと、グレアムは割り切った。
当初の予定通りに行動するなら、これからアースガルド家の傘下に加わり、強大な敵と戦っていくことになる。
国家間の争いと同等の修羅場が想定されており、アースガルド領はその最前線だ。
「上等じゃねぇか」
行く道は逃げるか、抗うかだ。
ここからの選択肢が多くないとは言え、今はロクに見張りも付いていないのだから、身の安全を考えるならすぐに逃げるのが正解だろう。
しかしとんずらした場合は、その後の人生がしょうもない。逃げてどうするのかと自問しても、やりたいことが無ければやるべきことも無いのだ。
この二択であれば、グレアムの答えは決まっていた。
「俺らみたいなごく潰しが、お国の一大事のために立ち上がるか。何だか現実感の湧かねぇ話だが、面白そうではある」
路傍の草と同じくらいの扱いを受けてきた自分たちが、国の行く末を決めるほど大きな戦いに身を投じようとしているのだ。
それはグレアムからすれば、いたく痛快なことだった。
お山の大将で燻っているくらいであれば、一花咲かせるのもいい。
意地や見栄といった虚飾は無く、それが己の本心だとグレアムは悟った。
「で、確かにそんな作戦、気軽に話せるわけがねぇけどよ……どうして今言ったんだ?」
「主力として働いてもらう予定だからさ」
最高に派手な暴れ方ができそうで面白い。
加えてグレアムには、もう一つ興味深い点があった。
それが何かと言えば、目の前の青年は己のことを――元山賊の貧民を――大きな戦力として見ていることだ。
身分や出身も関係するが、アースガルド家の階級は実力主義だ。
それこそグレアムにも出世の機会があると思わせるくらいには、垣根が低くなっていた。
罪人をまとめて雇用しようというクレインの肝の太さ。そして器の大きさは、雇用の話を持ち掛けられた時から認めていたところでもある。
それでも軍の中心に据えると言われれば、首を傾げざるを得なかった。
「俺らを主力として扱う、ねぇ」
グレアムから見れば、クレインは無害そうな顔をして意外とやり手だ。下に付けば食いっぱぐれることはないだろうという、打算で仕えたところもあった。
つまりは流れで、何となく手下になったという認識だったのだ。
更に言えば、雇用されてからすぐにクレインが領地へ引き上げたため、グレアムからすると何の信頼関係も無い。
「俺が東に駆け込んで、チクるとかは考えなかったのか?」
「その時はその時だ。仕方ない」
「さっぱりしてんなぁ」
クレインはいくらでもやり直しが利くので、ここで話して情報が洩れるようであれば展開を変えるだけだ。
だから何の不安も抱えておらず、微塵も動揺していなかった。
普通の人生は一発勝負なので、クレインの主観と他者が抱く印象は大きく違う。
これはグレアムからすれば、命を懸けた決断を、迷いなく下せる男と取れた。
裏事情を知らなければ、クレインは大層な博打打ちだ。
頭のネジが数本外れていると思えるほど、突き抜けた生き様をしている。
「盗賊活動は来年の秋まで続けてもらうけど、本隊はそろそろ子爵領に移民してもらおうと思うんだ。軍政改革に取り掛かるから、グレアムにも一軍を率いてほしい」
「なぁ、俺が一軍の将ってガラかよ」
クレインは指揮官への就任を決定事項としているが、これも普通ならおかしな話だ。
例えば山賊の頭目などは、数名の手下がいれば名乗れる。
食い詰め者が勝手に加入してくるので、なるのは意外と簡単だ。
しかし軍勢を率いる将となれば、どこかの偉い人に認められて、その地位に相応しいと思わなければ任命されない。
「自分で言うのも何だがな、人選ミスだろ」
「そうかな?」
「俺は山賊の親玉で、あんたの領地に被害も出してんだぞ」
グレアムには知識が無く、知恵が無い。礼儀を知らなければ品格も無い。
最底辺の生まれであり、山賊団を作るまでは扱き使われる側の人間だったのだ。
彼が思う指揮官像と自己評価は、全く重ならないほどかけ離れていた。
しかしクレインは、実力以外の面を一顧だにしていない。
「過去のことはいいさ。まあ王国も広いんだし、一人くらいこんな将がいてもいいと思う」
武力と手下を統率する能力に長けており、全国的に見てかなりの高水準だ。
前線の指揮官に求められる能力は十二分にある。
かと言って実際に任せる人間がいるかと言えば、確かにクレインくらいのものだろう。
グレアムには様々な疑問が浮かんだが、クレインは一般的な貴族が重視する、イメージや欠点などまるで気にしていない。
生き残るために必要な人材であれば、どのような手段を使っても獲得するだけだった。
「身分も態度も気にしないから、俺の側近として、最前線で大いに働いてほしい」
ぽっと出の山賊に虎の子の軍勢を預けて、領地の命運を賭ける。
クレインはこれを本気で実行するつもりなのだ。
一体どんな采配だと、グレアムは笑いが抑えきれなくなっていた。
「く、くく……はっはっは! クレイン様よぉ、実は結構イカれてんな?」
「何故だか最近、よく言われるよ」
ここまでくれば歴史に名を刻むだとか、国の命運だとかの、題目すら問うところではない。
今グレアムが予感しているのは、付いていかなければ恐らく一生後悔するということだ。
時流と勢いを読む天性の勘は、ここが人生の転機だと告げていた。
「俺からはこんなところかな。今なら引き返せなくもないけど、どうする?」
「そうだな、一丁やってみっか」
奇妙な逃亡劇の先に待っていた壮大な戦い。
それは思っていた以上に、グレアムの心を震わせた。
それでも彼としては一区切りを付けたいところだ。
要するに、決意に伴うけじめを求めていた。
「将軍になるってんなら……騎士の誓いとか臣従の儀式とか、何かねぇのか?」
「形はどうでもいいけど、証が必要ならこういうのはどうだろう」
クレインはグレアムに向けて、自分の拳を突き出した。
今回は配下になってすぐに命令を飛ばしたので、この握手すら交わしていなかったからだ。
「忠誠なんてものは、行動で示してくれればいいさ」
「そうかい」
クレインの中では既に、十分過ぎるほど示されていることだ。
過去の東伯戦で砦の防衛指揮を成功させられたのは、グレアムだけだった。
今回も無駄な行動力で拠点を確保していたからこそ、食料の避難案が出せた。
彼が不在だと、滅亡を避けられない場面が二ヵ所もあったのだから、ここを避けられるだけで殊勲の働きと言える。
側近に据えるだけの信用と、命運を預けるに足る人物だとは確信していたのだ。
決めかねていたのは、胸中を共有する時期だけだった。
「それじゃあ、これが俺なりのやり方ってことで」
グレアムからすると、自分がどうしてそこまで買われているのかなど分からない。
出会って間もなく、クレインのことなど何も知らない。
それでも彼はクレイン・フォン・アースガルドを主君と定めた。
そして、この約定が破れることは決して無いと、確信しながら拳を突き出す。
「――誓うぜ、忠誠ってやつをな」
クレインについては何も知らないが、自分から裏切られた瞬間に、領地ごと破滅を迎えることだけは分かっている。
それを承知で己を信じ、話を持ち掛けてきたのだから、誠意を踏みにじるのは義に
熱き男の誓いを
拳をぶつけた瞬間から、彼は仁義と心中する覚悟まで決めていた。
「頼りにさせてもらうから、よろしくな」
「おう、まあ大船に乗ったつもりで、俺様に任せとけや」
先々の展望を共有し、志をもとに正式な仕官要請に応じたのだから、熱意は最高潮になっている。
前にも増して頼れる戦力になるだろう。
功績も群を抜いているのだから、クレインもこれで本当に頼りにはしていた。
――が、ここで終わらせてはならない事情もある。
「よし、そうと決まれば話は早い」
「あん? なんだそりゃあ」
「教材」
現在の彼には致命的な弱点がある。それは学が絶望的に無いという点だ。
教養はゼロに等しく、学力は悲しいほど低い。
これはどう転んでもプラスには作用しない部分だ。
「いざと言う時に「作戦の内容が分かりません」じゃ困るからな。今日からみっちり勉強してもらおうか」
「……そ、そういうのは、勘弁してくれねぇかな。俺は感覚派だしよ」
機転は利くので、頭の回転はそこまで悪くない。しかし自分の名前すら読めず、本能で生きている男がグレアムだった。
勉強嫌いの彼は後ずさりしたが、クレインは微笑みながら教材を突きつける。
「ダメだ。主な先生はハンスだけど、補佐にはランドルフを付ける」
「えっ」
来たる決戦でランドルフと両翼を担う存在になるならば、5000人ほどは彼の配下に入るだろう。
だが相手は王国最強だ。
戦術理論抜きの勘だけで乗り切れるほど、甘い戦いにはならない。
そのためクレインは、目に見える弱点は徹底的に叩き直すつもりでいた。
「逃げ出そうとしたら、ランドルフが地の果てまで追うからな?」
「うへぇ」
にっこりと笑うクレインは、学習が進めば高名な先生であるビクトールの指導を受けさせてやるし、文官になれるほど鍛えてやると付け加えた。
その上で、名案を思い付いたとばかりに手を打つ。
「そうだ。実は身分を隠している侯爵家出身の武官もいるんだ。宰相候補とか言っていたし――」
「分かった分かった! やってみるから、これ以上変な奴を増やさねぇでくれ!」
子爵家の家臣を教育してきたノルベルトは熟練であり、アースガルド家で召し抱えた文官のほとんどは高度な教育を受けている。
次世代を育成するためという名目で借りた、王都から来た教官たちもいる。
今はまだブリュンヒルデも自由に動ける時期なので、お目付け役も指導員も十分過ぎるほど充実していた。
「それじゃあ根性を見せてくれ。たまには俺も指導に行くからさ」
「……あーあー、熱い展開のまま終わらないのかねぇ」
どう見ても本気なので、これにはグレアムも一転して及び腰になった。
しかしクレインとて、高名な私塾で2年半も先生をしていた時期がある。
教育には一家言あるので、配下の育成を妥協するつもりは毛頭無かった。
「まあ、上の立場になるには学も必要ってことで」
「へいへい、分かりましたよっと。まあ、できる限りでやってみるわ」
学問の師で言えば、国内最高峰と言えるほどの教師陣が揃っているのだ。
いい機会だからと、クレインはランドルフに続き、グレアムの教育にも取り掛かった。
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グレアム編は終了です。
グレアムの士気、忠誠心、向上心が上昇。
統率、知力、政治能力が時間経過で上昇。
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