第七十話 クレインの興味
「よし、始めてくれ」
全部隊の撤収に伴い、クレインも領都に引き上げた。
その2日後、待っていたものは今回の戦いに決着をつけるための裁判だ。
「あの、子爵。これは戦後処理の裁判です……よね?」
「もちろんそうだよ」
法務官の青年がクレインから目線をずらすと、準男爵が2人と騎士爵が1人、縛られた状態で引っ立てられていた。
彼らは罪人のように跪かされ、憔悴した様子でいる。
「では彼らにも一応、その、体裁を整えさせた方がよろしいかと存じます」
「そうかな……」
貴族同士の戦いに決着をつけるというよりは、領地へ攻め込んできた野盗に審判を下すかのような雰囲気があった。
元々が強盗紛いの事件だったので、青年文官からしても周囲からしても、大体同じ印象を抱いている。
「略奪目的で味方に戦争を仕掛けるような奴らへ、名誉を守るような配慮は必要だろうか?」
「正規の手順で行いますので、できれば」
ごく平然と聞くクレインを前にして目を泳がせた青年だが、裁判をやるなら、できれば形式通りにやりたいと思っている。
今回の取り調べはハンスではなくマリウスが行ったものの――相当苛烈に行われたようで、わめく元気すら失われているからだ。
これではまるで、弱った人間に追い打ちをかけるようで。自分が悪人のように見えるのが嫌だという気持ちは青年の心中にあった。
「レスターがそう言うなら、その意見を尊重しよう。縄を解いてやれ」
「畏まりました」
マリウスが進み出て縄を解くが、その眼光はいつになく鋭い。
下手な動きをしても――しなくても――隙あらば殺す。
言外の意志が目から読み取れる上に、彼らの背後には完全武装状態のランドルフまで控えている。
変な発言をした次の瞬間には、首が宙を舞うだろう。
それは誰の目から見ても明らかだった。
「では、今回の件を始まりから整理します」
状況を理解しているため、捕らえられた二人は大人しいものだった。
そんな中で裁きが始まる。
「子爵家の主張は、言い掛かりをつけて攻め寄せてきたとのことですが。これに異論はありますか?」
アレスの家臣である法務官の青年。レスターという男は、解放された二人へ優しめに聞いた。
過去ではこの時点で非難の嵐が飛んでいたが、今回は色々と違う。
「お、仰る通りです」
「何卒、寛大なご処置を」
「命は……命だけは……」
「そ、そうですか」
当事者のクレインでもなく、裁判を担当しているレスターでもなく、何故かマリウスの方を向いて3人は言う。
釣られてレスターも彼の方を向いたが、謎の威圧感を放つだけでマリウスは無言のままだ。
特に裁判を妨害しているわけではないので、そのまま話は続く。
「子爵家としては本件の賠償に……全財産を請求しています。貴族法の倫理規定に反しているので、領地も没収となる見込みです。これを受け入れますか?」
本来であればクレインが主張するはずの内容だが、事前に打ち合わせが終わっているためレスターが尋ねた。
アースガルド側の要求は彼らの全てだ。
財産の他にも地位や名誉がかかっている。
「それは……」
「その……」
この要求には流石に、彼らも返答に迷う。
踏ん切りがつかずに口ごもり、何か弁明しようとする気配はあった。
しかし彼らの背後には2匹の悪鬼がいる。
片や、一切無表情のマリウス。
片や、憤怒の表情を浮かべたランドルフだ。
「返事」
「は、はい」
「……受け入れます」
「私も、受け入れます」
マリウスが短く催促すれば、これまた素直に認めた。
減額交渉も何も無い。全面降伏だ。
「では子爵、その方向で処理をしてよろしいですか?」
「ああ、構わない」
話がスムーズに終わるなら、クレインとしては歓迎できるところだ。
しかし以前であれば、レスターが売り言葉に買い言葉で、アースガルド家に財産の全てを引き渡せと恫喝していた。
今回はそのセリフを聞いていないため、念のためにクレインは聞く。
「賠償金が支払えるか分からないし、彼らの領地はうちに編入したい。できるか?」
「王都へ使いは送りますが、恐らくそうなるかと存じます」
無傷に近い形で終戦したのだから、王都の法衣貴族たちが領地獲得に動くこともあるだろう。
政治的に見れば、多少の横槍はあるかもしれない。
しかしレスターは実家まで含めてアレス派なので、派閥の一員であるクレインが有利となるように報告書を書く。
それに国王や宰相の立場からすれば、隣地を治めているのが内政能力に優れているクレインなのだから、まとめて任せておいた方が無難でもある。
高確率で領地はアースガルド家のものになるだろうと、彼は予想していた。
「その辺りに問題が無ければいいか。財産と領地の明け渡しで手を打とう」
「では、これにて結審いたします」
具体的な返事が来るのは1、2ヵ月経ってからになるが、処理が終わってからすぐにその手続きは行われる。
現状でできるのはここまでだが、クレインからすれば最上の結果になった。
あとは今後の流れに対する説明などが事務的に伝えられたが、これで解決だ。
「両者合意の上でのことなので、財産の処理を行うために、子爵家が領内へ立ち入ることを許可します」
「助かる。早めに手出しをしたいところだったんだ」
普通ならば身代金を取る場面だが、敗残兵は全員クレインの領民となる予定でいる。
あとは返還して、飢饉対策を打てば話は終わりというのがクレインのプランだ。
処理が順調に終わって満足気にするクレインの眼前では、マリウスがごく小さな声で呟く。
「やはりブリュンヒルデ殿から学ぶことは、まだ多いな……」
「え?」
近くにいたクレインは何とか拾える声量だったが、今回の取り調べにはブリュンヒルデが関わっていたとは、彼もここで初めて知った。
「取り調べは2人でやったのか」
「私の部下も数名同席しておりますが、彼女には指示を仰ぎました」
「……参考までに、どんな話を?」
過去に彼らの取り調べを担当したハンスは平民だし、居丈高でもない普通の男だ。
貴族を相手に遠慮をしており、それで調子に乗られた面がある。
だが、マリウスは男爵家出身だし、ブリュンヒルデなど伯爵家出身だ。
出身からして格上となる彼らには、一切の遠慮が無かった。
そこでどんな取り調べが行われたかと言うと――
「経緯を考えれば、山賊の親玉を処分するのと何ら変わらないですね。徹底的に詮議をしましょう」
マリウスは開口一番、真顔で言い放った。
一切の敬意を払わず、淡々と締め上げることしか考えていない彼を前にして、生き残った当主たちも焦りを見せる。
「ま、待て」
「それは言い過ぎであろう!」
素直に全て差し出すか、この場で首を差し出すか選べという二択を突き付けるところまでは。領主たちも怯えながらではあるが交渉の道を探していた。
しかし問題は、同席していたブリュンヒルデの方だ。
「いえ、名誉のために潔く、ここで命を終わらせて差し上げるのが慈悲です」
「えっ」
ブリュンヒルデは、誰を殺して
3人いるのだから、2人は殺してあげてもいいだろう。
いっそ死んだ方が、潔さで名誉を守れる。そんな前提で話をしていた。
「裁判のために、1人は残さなければならないのが……不憫ですが」
「えっと」
「あの」
交渉もへったくれも無い。
話も聞かずに――善意で――さっくり殺そうとしていたのだ。
「……それは素直にもなるか」
当主でないと言っても、両名の出身は男爵家と伯爵家で、しかも中央貴族だ。
田舎の騎士爵、準男爵という身分はご免状代わりに使えない。
しかも戦争に勝ち、生殺与奪を握っている側の2人は。
特にブリュンヒルデは命を軽く見ている節がある。
これでは調子に乗る暇も無く、生き残った3人はただ現実を認識するに留まった。
だから潔く諦めて、命乞いの方向にシフトしたというのが真相だ。
同じ立場だったことがあるクレインは同情したが、やることは変わらない。
「子爵。この件はシグルーン卿からも殿下へ」
「ああ、詳細は彼女に送ってもらおう」
事務手続きはレスターが行うが、基本的な連絡はブリュンヒルデの裏ルートを使い届けられる。
そうと知っているのはアレスが本当に信頼できる側近中の側近だけだ。
「お任せ下さい、クレイン様」
横で控えていたブリュンヒルデはごく普通に、いつものように引き受けた。
レスターも普通に仕事をするだけなので、特別何があるというわけではない。
しかしクレインとしてはまた少し別な印象だ。
彼らが揃うと、どうしてもアレスの墓での一件を思い出す。
この2人を同時に意識した瞬間がそこしかないのだから、ある種当然の問題ではあった。
「はぁ……もういい、忘れよう。いや、忘れちゃならないこともあるけど」
「あの、どういったお話ですか?」
レスターはクレインの意味不明な言動の数々に引き気味で、今回の道筋では全体的に歯切れが悪い。
だが、クレインからすれば大事なことでもある。
なにせクレインが、裁判を担当する青年役人の名前をレスターだと認識したのは――数日前だ。
「そろそろ裁判になるし、あの役人。ヴァーリ子爵家出身の文官で……ええと、名前は……」
ビクトールの策がそろそろ完成という段階になって、事後処理の相談をしようとすれば。彼はレスターの名前をうろ覚えだった。
これは何もレスターに限った話ではない。
クレインは王都出身の役人や騎士に対して、顔と名前が一致する者が少なかった。
基本的には領地以外の世界に興味が無く、彼らのカテゴリは「第一王子の部下」でしかない。
つまり外部の人であり、仕事の付き合いしかないので興味が無かったと言える。
何となくの出身であるとか、何の仕事をしているかであるとか、属性を漠然と把握しているだけだった。
「そういうところから失敗することも、あるからな」
武官たちにしても、名前を覚えたのは主力メンバーだけだ。
目立つ者たちと日常的に接するようになり、初めて名前を覚え始めた。
一度に50人以上の部下が増えたのだから、覚えきれなくても無理は無いと自己弁護する一方で。
10回目の人生あたりから、今までずっと仕えているような武官でも名前が分からなかったりする。
もちろんランドルフやマリウスのように、最初から特殊な位置にいれば話は別だ。
しかしクレインは身内に優しい方であっても、逆に言うと、親しい人間以外にはさほど興味が無い。
そもそもがラグナ侯爵家の進軍を思い留まらせる盾として招いていたので、王都から出向してきた役人の大半は、いずれ帰るお客様扱いだった。
それがあの悲劇を引き起こした一因だと反省し、できる限り顔と名前を一致させようとしている。
現状はそんなところだ。
「あの、子爵?」
「ああいや、すまない。苦労をかけるがよろしく頼むよ」
名前と所属くらいでは表面上しか知れないので、いずれ趣味嗜好くらいにまで幅を広げてもいいかとは思っている。
目をかけたり、気に掛けたりすれば好感が得られるというのは、既に何名かで実証済みだ。
だから、理解を深めるのは大事だなと――今さら気づいたクレインは、細かく配慮していくと決めた。
「ブリュンヒルデ。殿下への報告書にはレスターの活躍も書いておいてくれ」
「承知しました。クレイン様」
人をきちんと褒めることは大事なので、クレインは裁判の功績についても讃えようとする。
しかしこれにはレスターも戸惑い顔だった。
「あの、活躍というほどのことは……。実際には何もしておりませんし」
何せ彼は人生を諦めた人間に、最後の確認をしただけである。
実質的に何も仕事をしていないのだから、プッシュされても困るだけだった。
「出世の機会なのに、欲が無いな」
「まともな案件で活躍した際に、お引き立ていただければ幸いです」
思いつきで行動し、何やらコミュニケーションに失敗しかけているところはある。
しかしクレインは、何でもいいから相手に興味を持ち、行動を起こすことが重要だと考えていた。
例えばアレスについても殴り合いの以前では個人として意識しておらず、第一王子という身分でしか認識していない有様だったからだ。
「……やることも、覚えることも。いつまで経っても減らないか」
失策一つで暗殺してくる、できれば距離を取りたい存在だったアレスも今や味方だ。
相互理解を深めれば、どういう頼り方をすればいいのかが見えてくる。
つまり外部の人間に興味が無いというのは、今ではマイナスでしかない。
その意識改革は自主的に行われていた。
「そもそもアストリですら最初は、美少女以外の感想を持っていなかったし」
実際に生活を共にするまで、ヨトゥン伯爵家の娘以上の興味は持っていなかったのだが――と、そこまで考えて気づく。
「そうか、内政が片付いた頃には話がくるんだ」
これは完全な独り言だが、北部を安定させた頃にはアストリとの婚約が待っている。
そうとなれば全力で仕事を片付けるのみだ。
「戦後処理も早めに終わらせないとな」
あまり仕事を残しておくと東伯後にしわ寄せがいき、結果として過労に陥る羽目になる。
その先に待つのは、クレイン史上最高に恰好のつかない死に様だ。
より良い未来を築くべく、彼は早めに動いていくことも念頭に置いた。
「まずは論功行賞ですね」
「その前に作戦の全体像を共有するところかな。先生のことを侮っている若手も多いし」
近衛騎士たちからも特に意見が飛んでくることはなく、騎士団長以下数名の援軍も無事に送り出せたので、あとは内々の処理となる。
幸いにして北部に与える損害は少なくて済んだので、建て直しの難易度は下がった。
あとは家中のパワーバランスを整えるために、クレインは作戦の反省会から始める。
――――――――――――――――――――
過去におけるレスター(青年文官)の動き
子爵領の領地経営に携わっていた
裁判で小貴族にトドメを刺す&子爵領の加増を働きかけた
縁を使い、クレインに宰相を紹介した
暗殺されたアレスの側近を匿い、派閥をまとめ上げた
若手の中では有望株な彼が、新キャラじゃないのに新規登場です。
元々のクレインは怠け者、出不精、家庭菜園に引き籠りがちといったところ。
しかし社交的でないところは、今となってはただの弱点になります。
とは言え目先のこと以外にも目が向くようになったので、小さいことから始めた結果がこれでした。
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