第百四話 福音



「この屋敷はどうにかしないのか? 格に合わない気がするが」

「夏を目途に建て替えるつもりではいるよ」

「そうか」


 友人の家に入るのが初めてとあり、アレスはソワソワしていた。

 質素な応接室だというのに、王宮に来た田舎者の如く、小刻みに視線が揺れている有様だ。


「お、お紅茶が入りました」

「ああ、ありがとう」


 クレインは特段気に留めず案内したが、王子の態度は一向に落ち着かない。

 そんなところに給仕役のマリーが現れたので、彼は本題前の雑談がてらに話を振ってみた。


「折角だから紹介しておこうか。妻のマリーだ」

「うえっ!?」


 急な紹介を受けた彼女は、声がひっくり返るほど驚いた。用意だけ整えてすぐに撤退する予定だったので、呼び止められて混乱するばかりだ。


 一方で話の取っ掛かりができたアレスは、マリーをしげしげと見ながら言う。


「銀の利権を献上するという案は、彼女から出てきたのだったか」

「え? あ、あの?」

「他の人なら、銀山をどう扱うか考えてみたんだ。マリーだったら欲張らないと思ってね」


 アレスは口に出してから気づいたが、それは初めて謁見した際の経緯だ。

 今回の道順ではクレインの主導で献上したため、マリーに特別な相談はしていない。


「妻のことを考えながら政策を決定するとは、なかなかの愛妻家になりそうだ」

「はは、お戯れを」


 予想外の展開が続き慌てるマリーの傍らで、二人は内密に意思の疎通を図った。

 クレインは「おい」と目で語り、アレスは「済まぬ」と目で語る。


 さりとて流れるようなフォローで誤魔化されたため、アレスもすぐに話題を流していく。


「名家のヨトゥン伯爵家とも婚姻を結ぶとなれば、面倒もあるだろう。困りごとがあれば私に言うといい」

「ええと、その、あはは」

「それは無茶ですよ殿下」


 子爵家のメイドが王子と気軽に話せるはずがない。子爵夫人という立場でも、身分差は絶大だ。

 だから内情を考慮しなければ、これは社交辞令にしても滅茶苦茶な提案だった。


 しかしアレスからすれば、クレインの恋愛事情をよく分かっていないのだ。


 本当に愛しているのはマリーであり、アストリとは単なる政略結婚と見た上での発言でもある。

 そこを汲み取ったクレインも、ふと考えた。


「アストリお嬢様から、そういう印象を持たれている可能性もあるか。対応には気を付けないと」

「え、ええと」


 その辺りの誤解を解こうにも、マリーがいては深い話ができない。

 クレインはいたずら混じりに話を振ってみたが、ここで彼女を拘束してもいいことは無かった。

 

「要件が片付いたらマリーも一緒にお茶をしよう。今後は子爵夫人として、殿下とお会いする機会が増えるもしれないからな」

「あの……同席しても、よろしいのでしょうか」

「私は一向に構わない。身内から見たクレインの話も聞いてみたいしな」


 マリーも慣れない敬語を維持しているが、そろそろ限界だ。

 パニックを起こす前に退室させてやるかと、二人はそれ以上話を振らなかった。


「ご、ごゆっくりご歓談くださいー」


 ぎこちない笑顔のマリーが退室すると、室内に少しの沈黙が訪れる。

 そして数秒が経ち、クレインの方から口を開いた。


「迂闊な」

「お互い様ということにしておけ」 


 もちろん話に多少の食い違いがあったとしても、アレスの記憶違いで片付けられる程度であり、時渡りの存在を知らない人間に対しては失言にもならない。


 さりとて時系列の整理は意外と難しく、やり直しに慣れているクレインですら混乱することが多いのだ。


 禁術にかかっていると突然打ち明けられ、散々殴られた直後に、要約した歴史を聞かされただけのアレスからすると、細部が不鮮明なところも多かった。


「過去の経緯の再確認と、直近に起きた出来事の共有。そしてこれからのことを語るには、数時間では済むまい」


 手紙のやり取りはしていたものの、情報量は限られていた。


 そのため、クレインがアレスに語った今までの人生に加えて、今回の人生で大きく動きを変えた部分についても、ここで共有する必要があるのだ。


 しかし日暮れまで話し込んでいたとなれば、伯爵家の使者から勘ぐられることは必定だった。


「今後のことを後日に話すとしても、それなりの時が要る。だが長々と話し込み、痛くもない腹を探られることはないだろう」

「確かに使者の手前、そこまでの長話はできないか」


 更に言えば、アレスからすると信頼関係の置き方も多少変わってくる。

 彼はヨトゥン伯爵家に対してもまだ用心しており、慎重な立場を取るべきだと思っていた。


「ヨトゥン伯爵家に全幅の信頼を置いているようだが、不定の影響を抑えるためにも、現時点では余計な話を洩らさないのが得策だからな」

「そこは問題ないはずだけど……まあ、余計な波風は立てない方がいいのはその通りだ」


 クレインは結婚式などで、当代伯爵や先代を含めた一族の人間たちと、直接会ったことがある。

 しかし彼らとアレスは距離を取っていたので、互いによく分からない存在だ。


 今までとは違い、クレインとアレスが本格的な共闘を始めたことも、何らかの影響を及ぼす可能性がある。

 現にアレスが南を経由してアースガルド領にやって来たことも、今までには無かったことだ。


「私の動きを把握する時間だけでも、削るべきだと思うが」

「なるほど、やはり死ぬしかないか」


 クレインからアレスに伝える情報は、アレスが知覚できなければ意味が無い。


 しかしクレインがアレスから情報を聞き出し、その直後に自害すれば、王都に関する情報共有は数秒で終わるのだ。


 自害が前提の打ち合わせもどうかと思うクレインだが、時短という意味では必要なことだ。

 苦痛なく戻れるのだから、ここに関してはもう諦めるしかなかった。


「さて、ではまず私が、王都を脱出する直前から話そう」


 両者共に浮足立っていたが、ここにきて思考は現実的になってきた。


 クレインが耳を傾けると、アレスはここに至るまでの経緯を語り始めるが、話は暗殺計画の一端が見えたことからだ。


「脱出の前日に、アクリュースの取り巻きだったエレボス子爵から、内密の話を持ち掛けられた」

「内密の話?」

「ああ、名目は適当だったがな」


 暗殺されたと思しき時期に、王女の取り巻きだった子爵から内密の手紙が届くなど――アクリュースが生きていると知っている――彼らからすれば、強烈なまでに怪しい誘いだ。


「エレボス子爵邸で謀殺されたと見るのが自然か」

「確かめてみるのも一つの手だが、まずはお前に伝えてからだ」


 側近の誰かに来訪の予定を告げて、そこで殺されれば確定まで持っていけた。

 だが情報が正しく伝わるかは分からず、場所を移してから殺される可能性もあった。


 また、殺害後に隠蔽工作が打たれてしまえば情報が得られず、変化に対応した王女の動きが変わりかねない場面でもあったのだ。

 クレインへの伝達を優先するのは、状況から見れば最適解だった。


「それなら差し当たり、その子爵については要監視。付き合いがある家もかな」

「経緯の一部は近衛騎士団長に伝えてある。奴なら手抜かりは無かろう」


 それ以外に特別な連絡は無かったため、時期を考えればほぼ黒と言える。

 敵対勢力が尻尾を出したと見て、二人は頷いた。


「誰がどこまで絡んでいるかは分からないまでも、実行犯と思しき人間が知れたのは大きいな」

「ああ。今回の件を見ても、やはりアクリュースの派閥は生きていると見るべきだ」


 仮に旧王女派でも、計画に噛んでいない貴族はいるだろう。

 反対に、今も計画に加担している家はあるはずなので、内偵調査が課題となる。


 だが、ここでクレインが考える問題は、どこまで手を打っていいのかの線引きだ。


「探っていることが露見すれば、アクリュース姫を刺激することになる。それで術の行使が前倒しになることだけは避けたいな」


 アクリュースが過去へ跳べるようになれば、何の力も持たない頃のクレインは簡単に謀殺される。


 彼らが想定していた敗北条件とは、アクリュースが本来と違うタイミングで術を行使して、クレインの妨害に回る場合にのみ、達成されるものだった。


「その点に関してはもう気にするな。完全に芽を摘んできた」

「と、言うと?」

「出がけに図書館ごと、禁書を焼き払ってきたのだ。禁術の存在など灰となったわ」


 アレスからすると、その懸念が議題に上がることは分かり切っていた。

 だからこそ焼き討ちを強行したのだ。


 アレスが王国史上稀に見る暴挙に打って出た結果、敗北の時を迎える可能性は既に、消滅したと言っても過言ではなくなっていた。


「それはまた、思い切りがいいな」

「……私が王太子となれるかは怪しくなったが、勝てばこそだからな」


 統治上で必須となる情報が封じられた書架を、無許可で焼き払ってきたと言うのだ。これは今までに散々無茶をしてきたクレインですら、引くほどの大問題だった。


 だが、一大騒動を巻き起こしたにもかかわらず、アレスの表情にそれほどの暗さは無い。


「処刑されない程度の点数は、今回の反乱阻止で稼ぐしかあるまい」

「お互い、負けられないわけか」

「そうなる」


 王家の秘密や秘伝を、ただ焼き払っただけなら狂人だが、それが国家転覆を防ぐために必要なことだったと――国王が理解できればいい。


 時渡りの術が反乱軍に渡りかけていたと知れば、図書館が焼け落ちたことは事故として揉み消しにかかるだろう。


 アレスの関与が無かったことになり、反乱鎮圧を主導したという功績が上乗せされれば、次代の王となれる可能性も残る。


 そこは今後の立ち回り次第として、アレスは館内の状況も説明した。


「封鎖区画に人が立ち入った形跡が無かった以上、事前に禁書だけが奪取されていたとは考えられない。ただ、確保に関して言えば、扉を破る時間までは無いな」


 後の謀略に使用する機密文書を奪取するために、アクリュースは配下を忍び込ませた。

 それ以外に合理的な説明がつく状況は無いので、アレスはこのシナリオを確実視している。


「できれば確保したかったけど、回収は無理そうか?」

「常時の見張りが付いている身ではな」


 この術は生命線となるのだから、クレインからすると、できる限りの情報を集めたいところだ。

 だがアレスからすると、そもそも確保作戦は行わない方が安全と見ている。


「術を再発動させる必要も無いだろう。リスクを考慮しても、ここは一旦棚上げするべきだ」


 余計な真似をして敵方に勘づかれ、暗殺や侵入までの時期が早まるリスクがあれば、持ち出した後に奪還されるリスクもある。


 国王に事情を話して書架を開けてもらうという手も、過去を変えて鍵を拝借するという手も、実行に移せる可能性はごく低いため、危険に見合った見返りがあるとはアレスには思えなかった。


「確実に敗北が打ち消えた現状から、もう一度賭けをするほどの理由は無いか」

「情報を引き出したくば時期を待つことだ。討伐軍を編制し終えた段階ならば、陛下としても無下にはできないだろう」


 反乱鎮圧の最前線を担う対価として、国王が知る限りの情報を強請ゆするというのが妥協点だ。


 クレインとしても、現在の流れがどう転ぶかは予測できていないため、今後の動きを見てから考えても遅くはないという判断になった。


「何にせよ、アクリュースは片翼をがれたも同然……ということだな」

「それは朗報だ。これで俺も、ここからはどんな手でも使い放題になる」


 これまでのクレインは、何をすれば王女が暴発するか分からず、慎重策を執ることが多かった。

 時間を巻き戻すという強力な力に、敵の状況が見えないが故の制限がかかっていたのだ。


 しかしアクリュースが、術を再発動させる機会は失われた。


 つまり、今後は誰にどのような手段を取ろうとも、敗北条件を満たすことは決して無いとクレインは判断した。


「少なくとも、1月8日以降は確実だ。それ以前の時刻に戻る時は注意しておけ」

「つまり東伯との戦い以降は、何でもできるということか」


 これより先はより直接的で、攻撃的な策を取れるようにもなる。物量作戦などの、工夫で抗えない事態が訪れれば話は別だが、謀略によって詰むことはない。


 言うなればこの報せは、クレインにとっては能力の強化を告げる福音だった。


「まあ手記が別途で保管されていた可能性や、口伝くでんで知った可能性もあるがな」

「いや、それは無いと思う。既に知っているなら東伯が撃退された時か、ヘルメスが処分された辺りで始動を試みるはずだ」

「確かにそうか」


 クレインは推測に上乗せして、保険があるなら既に使いたい場面が、幾つかあった点に着目した。


 未だに何の変化も動きも無いことから、アレスの暗殺と並行した機密の確保が、彼女の本命であったことは想像に難くない。


「それからもう一つ。機密文書を大規模に輸送するとは考えられないから、まだ王都近郊に潜伏しているはずだ」


 これらの条件から、クレインが選べる作戦は大まかに二択となる。


 積極的に仕掛けて、王都に潜むアクリュースを炙り出すか。

 受動的に罠を張り、王都から脱出しようとする彼女を待ち構えて、捕縛するかのどちらかだ。


「探し出すなら今が好機で、逃亡を見張るにも急ぐ必要があるな」

「いずれにせよ、奴がまだ動いていなければ、限りなく詰みというわけだ」


 手がかりとなる貴族も見つかっており、アレスが訪問する以前とは状況が根本から変化している。


 制限が取り払われて、一転して攻勢の時を迎えた。というのがクレインの認識だ。


「助かる。これで勝ち筋が現実的になってきたな」

「それは何よりだ。感謝して私を敬え」

「流石はアレス殿下でございます」


 状況は予断を許さないが、冗談を挟める程度には明るい報せだ。

 暗殺未遂前後のことを話し終わり、王都脱出までの情報も共有できた。


「で、ここからが本題だけど、どうして南から来たんだ?」

「……そこにはあの大馬鹿者が深く関わるのだが、まあ、語ろう」


 大馬鹿者とはビクトールのことだろうなと予想しつつ、クレインはアレスの口から語られる、脱出劇へ耳を傾けることにした。



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 次回は明日の更新となります。

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