第百五話 攻撃的逃亡策



 アレスは郊外に伸びる脱出路から、王都東方面の城壁外へ逃れた。


 しかし追手が掛かることはほぼ確実と言える状況であり、徒歩で移動すればすぐに捕捉されることは想像に難くない。

 逆に移動速度を上げて王都から離れた分だけ、敵に捜索の時間をかけられる状況だ。


 そこで彼らは年末のうちから、粗末な小屋に馬を繋ぎ、脱出の用意を整えてあった。


「者ども、すぐにここを離れるぞ」


 付き従う8名の配下がそれぞれ騎乗して、彼らは東方面へ発つ。


 しかしいくら選別したとは言え、この中に裏切り者がいる可能性は高い。それでも策を弄するのは街に着いてからのため、アレスは休憩もせずに馬を走らせた。


 冬場の凍てつく空気の中を夜通し駆け抜けて、朝日が昇った頃、彼らは王都から見て北東にある衛星都市まで辿り着いた。


「シグルーン卿が用意を整えてあるはずです。スルーズ商会へ向かいましょう」

「良きに計らえ」


 ここまで自力で逃れることは計画通りだ。

 事前の連絡通りに、スルーズ商会の支店が彼らの合流場所となっていた。


 朝一番の来訪ではあったが、近日中に動きがあると聞いていた待機要員たちは、すぐにアレス一行を出迎える。


「殿下、お待ちしておりました」

「お前と会うのも久方ぶりだな、ブリュンヒルデ。それで……何故だ。何故貴様がいる」


 作戦に関わる者たちの顔を見渡したアレスは、その中にいたビクトールの姿を認めるなり、心底嫌そうに顔をしかめた。


「あれ? クレイン君から聞いていなかったのかな? 今回は僕も同行するよ」

「何だと」

「作戦の発案も、僕がしたからね」


 にっこりと笑うビクトールが手を振ると、アレスは舌打ちで答える。

 不満を露わにしつつ、文句を言いかけた彼は、溜め息を吐いて気を落ち着かせた。


「……クレインの采配なら、とやかくは言うまい」

「参ったねぇ。性格が丸くなったと聞いていたのに」


 頭を掻きながらぼやくビクトールから目を離して、アレスは作戦の確認に入る。


「まあいい。ここからはどう動くつもりだ」


 事前の打ち合わせ通りに、彼はこれからアースガルド領まで避難する予定でいる。しかし間者への対策として、細かい動きはこの場で伝え聞くことになっていた。


 説明を求められたブリュンヒルデは、優しく微笑みながら簡潔に受け答えをする。


「殿下は私と共に、北部へ」

「北だと?」


 ブリュンヒルデを供にして北に向かうと知り、アレスは訝し気な顔をした。

 目的地がアースガルド領ならば、東以外の経路は大回りになるからだ。


「殿下の最大のお味方はアースガルド家です。追手もそれを見越した行動をすると予想しておりますので、まずは予想がつかぬ方向へ参ります」

「一理あるな」


 どこに間者がいるか分からないのだから、アレスはこれまで周囲の人間に、「北侯は敵だ」と言い続けてきた。


 逃げるにしても、ラグナ侯爵家の勢力圏に近づくとは誰も思わないだろう。

 敵の裏をかく意味では、北へ迂回するのは間違いではなかった。


「で、北は貴様の庭というわけか」

「はは、まあね。話を通してきたついでに、護衛を調達しておいたよ」


 本作戦にはラグナ侯爵家も、非公式ながら協力の立場を取っている。アレスを守護する体制作りに便宜を図っている他、人員の提供までしていた。


 ビクトールが軽い口調で答えながら促すと、後方に控えていた侯爵家の武官が進み出て、アレスに略式の礼をする。


「殿下がご搭乗される馬車は、私が護衛いたします」

「ガードナー君は優秀な将だ。任せておけば安心だよ」


 彼はラグナ侯爵家の武官であり、クレインが見た歴史の中では、3万の兵を率いるランドルフの副官として抜擢されていた。


 つまり経験の浅い将軍の、補佐兼お目付け役を任せられるほどの人材だ。


 ガードナーは質素な茶色の外套に身を包んでおり、見た目はお堅く地味な壮年といった風体だが、第一王子の護衛に就くだけの実力はあった。


「いいだろう。では北にいくついでに、ヴィクターの顔でも拝んでおくとするか」

「表向き敵対していた家に乗り込むとは、随分と豪気だねぇ」

「クレインのところに貴様がいるのだから、何の問題がある」


 ビクトールがクレインに協力する過程で、ラグナ侯爵家の傘下を動かしたこともある。


 彼らがある程度の情報を共有して動いているなら、本心から敵対しているわけではないと伝わっているはずだ。

 つまりどこまで話したかは別として、クレインの口から立場は伝達済みという理解だった。


「そういうことだね。あとは囮が方々へ散れば、目隠しは完璧。当面は侯爵領に滞在という算段かな」

「貴様の掌にいるようで気乗りはせんが、その策に乗ってやる」


 アレスが相変わらず不機嫌そうに言えば、ビクトールはおどけて見せた。


 しかし公衆の面前で、主君が不快感を露わにしているのだ。そのためレスターは不敬が過ぎると、釘を刺そうとした。


 武官の一人がそれを、やんわりと止めるように間へ立てば、ビクトールは少し困ったように眉を曲げる。


「今はこうして味方なのだから、そう邪険にしなくてもいいじゃないか」

「……黙れ無礼者が」


 アレスがビクトールを嫌っているというか、強烈な苦手意識を持っている原因は様々ある。


「君を気絶させたのは、もう10年も前の話だろう? 剣術の訓練だったことだし、そろそろ水に流してほしいな」


 王子の教育係として招かれ、徹底的に教育した結果――やり過ぎたことがあった。

 過酷な教育の結果が、今日までの因縁に繋がっている。


「それ以外にも数々の非礼があろうが。忘れたとは言わせんぞ」

「王の候補を育てろと言われたら、それは厳しくもするさ。まあその辺りの愚痴も、今は置いておこう」


 現状では昔の因縁を掘り返す時間すら惜しい。彼らには少数の護衛しかおらず、どこかの私兵を差し向けられるだけで窮地に陥るからだ。


 速やかに移動するべき状況とは誰もが思っており、ブリュンヒルデもすぐに説明を再開した。


「皆様は2人1組で馬車に乗り込み、各方面に出発していただきます。目的地は御者に指示してありますが、現地での行動は資料をご覧ください」


 作戦開始地点に集合する人間は、ブリュンヒルデによって予めリストアップされており、その予定に変更は無い。


 この点ではアレスの側近やラグナ侯爵家の武官だけでなく、スルーズ商会からも同時に仕入れの馬車を出すため、台数は大幅に水増しされていた。


 事前に決められた班分けに従い、15号車までの馬車に人が割り振られていく。

 これは東西南北と中央に3台ずつ送られる予定だ。

 

 到着先で何をすべきかが書かれた指令書まで配布すると、彼女はアレスの横に控えて、ビクトールが指揮を引き継いだ。


「さて、アレス君の馬車にはブリュンヒルデ君とガードナー君を乗せる。他は定められた道順で進み、各方面で攪乱かくらん工作に入ってほしい」


 目晦ましのために、各方面へ散るというのはいい。

 しかし中央行きを命じられた6名は、怪訝そうな顔をしていた。


「我々は王都行きですか?」

「王都に出戻り、潜伏したという目撃情報も欲しいんだ。僕らの行動は監視されている前提で動こう」


 アレスが城から逃れるまでが賭けであり、ここから先には策が講じられている。


 敵を欺くための方策を練る時間は十分にあったので、ビクトールも今回の作戦には自信を持っていた。


「途中の街で搭乗者を入れ替える計画もあるんだ。人により任務は異なるが、各員はくれぐれも予定から外れないでほしい」


 最後に念押しを重ねてから、ビクトールも馬車に乗り込んだ。

 彼が乗車したものを1号車として、各馬車が順次発車していく。


 しかし誰よりも早く北へ向かうビクトールは、出発からほどなくして、同乗したレスターから不安そうな顔を向けられた。


「計画を公開してもよろしかったのですか?」

「まあ、何人かは内通者がいただろうね」


 彼はあっさりと、間者の可能性を肯定する。それどころか、むしろ裏切り者が出ることを前提に救出作戦を立てていた。


 アレスの周囲には相当数の間者が入り込んでおり、クレインが一部を排除したとは言え、どこに敵が潜んでいるか分かったものではない。


 考えるまでもないことなので、そこはビクトールも織り込み済みだ。


「それでも戦力が足りていれば、ここに来るまでの道中で仕掛けていたはずだ。側近の中には潜んでいても、1人か2人といったところかな」


 事実として、王都に向かった馬車の中には王女側の人間が紛れている。

 むしろ怪しい人間を選別して送り出していた。


 しかしそれを聞いたレスターは、不可解そうな顔をする。


「信頼が置ける少数で動くか、あの場で炙り出す方が安全だったかと存じますが」

「裏切り者にも使い道はあるものさ」


 脱出ルートについては全員が共有しているため、間者がいればすぐに、アレスが向かう先に追手が放たれる。

 実のところ、それこそが彼の望みだった。


「水面下の暗闘だから、敵方も大きな動きはできないだろう? 虚偽のルートに、無駄な人員を振ってくれた方が助かるんだ」


 味方からすると、大々的に軍を動かせば保護は可能だが、動乱を各地の勢力に把握される。

 敵方からすると、王子を始末するために手勢を動かせば、体制側に動向を察知される。


 つまり目立つ動きは、当事者の誰からしても避けたい行動ではあった。

 この点で、動員できる手勢が少数となれば、追手側のリソースを少し削るだけで打撃となる。


「実際の目的地が東でも、暗殺の首謀者が行き先を伝え聞けば、人の割り振りは北をメインにせざるを得ないからね」


 そこで彼が考案したのは、間者に偽情報を渡して混乱を招く方法だった。

 無駄な労力をかけさせれば、アレスが安全になるという側面・・がある。


「もちろん全ての馬車に追手を掛けてあるし、最寄りの街にも監視は配置済みだよ」

「……つまり彼らは、撒き餌ですか」

「そういうことになるね」


 馬車の群れを放ったのは、護衛対象の行き先を隠す囮というよりも、敵方の攪乱が狙いだ。


 もっと言えば、攪乱よりも上に、敵対勢力の割り出しという目的が置かれている。

 作戦第一段階の主題も、実のところここにあった。


「第一王子殿下を始末したいのなら、中央が混乱していて、王宮から離れていて、かつ護衛も少ない今が好機。焦って食いついたところを一網打尽……となるのが理想かな」


 要するに、偽情報を掴んだ裏切者が駆け込む先、又は連絡を送った先から敵対者を炙り出すための――逃げよりも攻撃に重点を置いた策だ。


 真の狙いは不穏分子の一斉摘発であり、この作戦には国王の承認も取り付けている。

 アイテール男爵を始めとした、密勅を受けた味方陣営も既に動き始めていた。


「どれほど巧妙に隠そうとも、欲を出せばほころびが見える。即興で打たれた作戦には、粗も出るものだ。ここは一つ敵の拙速を期待して、釣りと洒落込もうじゃないか」


 アクリュース側はアレスの暗殺に失敗したことで、急遽作戦を変更することになっている。


 現状では完全に潜伏しているが、対応策の変更を伝達したり、実働部隊を揃えたりする過程が、通常よりも発覚しやすい状態だ。


 それに対し味方は、この状況を見越して万全の用意整えていたのだから、相当に有利な盤面で索敵行動を開始できる。


「まあ、ここまできた時点で、最低限の勝利は約束されているからね。気楽なものだよ」

「そういうものですか……」


 誰かが相当の失態を犯さない限りは、この状況から護衛対象が暗殺されることは考えにくい。

 そして敵がアレスの追跡を諦めれば、それはそれで目標達成でもあった。


 そのためビクトールからすると、どう転んでも負けや引き分けは無い勝負だ。


「ですがやはり、殿下を囮にするのはいかがなものかと」

「はは、まあ不敬な作戦だよね。とは言え、無事に送り届けることが最優先ではある。そこは忘れていないから大丈夫だよ」


 先ほどまでの準備は身の安全よりも、王都周辺に潜む反抗的な勢力の一掃を優先していた。

 第二段階以降が、純粋にアレスの身を守るための作戦となる。


「間もなく予定地点のようですが、よろしいですか?」

「ああ、それでは攪乱策の第二段、いってみようか。……回頭!」


 見える範囲に人影が見えないことを確認してから、御者は転回して、馬車を反転させた。


 北西方面を目指して北上していた彼らは、次の手を打つべく、来た道を真っ直ぐ引き返していく。


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