第二十二話 意趣返し



「あの、アースガルド子爵。それには一体どういう意図が?」


 命を助ける代わりと言うならば、クレインの利益になる要求があるはずだ。

 そう身構えたサーガの前に出てきたものは――財産を安価で処分してこいという命令だった。


 一見すると何の脈絡も無い。

 どうしてそんな指示を出すのかと困惑するサーガに、クレインは解説を始める。


「お前が処断された瞬間、ヘルメス商会がサーガ商会の接収にかかるだろう」

「それは、まあ」

「今回の件もそうだが、ジャン・ヘルメスのやり方は気に入らないんだ」


 東伯はサーガを切り捨て、ヘルメスと友好関係を結ぼうとしている。それは嫌がらせをされた本人が一番よく分かっていた。


 このまま行けば商会が無料に近い形でヘルメス商会に買い叩かれて、財産を全て奪われることなど自明の理だ。

 クレインとて未来でそうなることを知っている。


「だからあの爺さんには損をさせたい。奴らが店の在庫を持っていく前に、どこかの商会に全部、捨て値で渡してくれ」


 サーガ商会が疲弊した原因は、大きく二つだ。


 一つは他地域に物を運べなくなったことだが、これは東伯以下、傘下の貴族が合同で行った排斥と予想はつく。


 そして没落原因の二つ目は、ヘルメス商会からのダンピングだ。


 サーガ商会よりも高値で生産者から仕入れて、仕入れを妨害。

 その商品をサーガ商会よりも安値で販売して、営業を妨害。


 金にモノを言わせた買い占めと価格競争。ヘルメス商会が単独で打った策は、大きくこの二つとなる。


 クレインはそこを逆手に取り、罠を張るつもりだった。


「御大を叩ければそれで良いと?」

「そうだな……もっと言えば、あいつらの散財を加速させたい」


 東で老舗のサーガ商会を没落させるために、ヘルメス商会はどれだけ散財しただろうか。

 サーガがそこに思い至れば、話は早い。


「そういうこと、ですか」

「絵図が見えたみたいで何よりだよ」


 サーガ商会は品物が売れない環境を作られて衰退していった。

 彼らを潰すための安売りは、現時点で半年ほど続いているのだ。


 東の覇権を握るために、ヘルメス商会は現時点でもかなりの出費をしている。

 クレインの望みは出費を更に嵩ませることにあると、サーガも理解した。


「会合で巨額の出資をした直後だ。嫌がらせにはいい時期だよ」

「確かに、一時期に散財が重なるのは痛手です」


 ヘルメス商会がサーガ商会を接収すれば、店舗も利権も、在庫も資金も彼らの物になるだろう。

 価格競争を仕掛けた分は、そこでの回収を見越していると予想はつく。


 しかしサーガが今すぐ東に戻り、財産を処分してしまえばどうなるか。


 付き合いのある業者に片っ端から、捨て値で在庫をバラ撒けば――空になった店舗がヘルメス商会に渡る。

 商会を乗っ取り新たに商売をするなら、店頭に並べる商品を仕入れ直さねばならない。


「東には何店舗あるんだ?」

「十六ほどです。直売所や共同経営のものまで含めれば、もう少し」

「十分過ぎる数だ」


 サーガ商会の店が何店舗あるのかはクレインも把握していなかった。

 しかし老舗なので、それなりの数があるだろうと見込んだ上での提案だ。


 ヘルメス商会が吸収するはずの二十数店舗。それらがまとめて不良債権化すれば、かなりのお荷物となる。


「価格競争で大枚を叩いたんだ。ここで仕入れの損まで含めれば、それなりだろ?」

「ええ、しかし……もっと色々と、できそうなことはあるかと存じます」


 クレインは妨害計画の一環として提案している。

 だが、サーガからすればもっと先まで見えていた。


「例えば?」

「まず、倉庫も店も空で商売ができなくなったとしても、維持費はかかります。特に人件費が」


 在庫がゼロで営業不能な商会を買い取っても、従業員への給与はコストとして圧し掛かる。

 従業員を削減すれば新しい人員の補充と教育へ余計な金がかかるので、その負債は我慢するしかない。


 そこを逆手に取り、サーガは自分がされたら嫌なことを思い浮かべた。


「全く売れていませんでしたから、在庫はそれなりにあります。捨て値でも結構な金額になりそうなので、利益は従業員への賞与として還元しておこうかと」


 従業員への給与支払いは、商会を引き継いだヘルメス商会が行うことになる。しかしサーガ商会に資金が残っていればそこから補填できるため、ヘルメス商会の持ち出しは無い。


 であれば予め商会の在庫という財産だけでなく、売上金の方もゼロにしていきたいと彼は考えた。

 賞与としてバラ撒いて、商会の金庫を空にしてしまえと、彼は笑いながら言う。


「いい考えじゃないか。その調子で他にも案を出してくれ」


 辛い状況に耐えてきた従業員に報い、憎き商売敵に歯噛みさせることができるのだから――サーガとしては喝采を上げたいほど、胸のすく仕返しだ。


 従業員の財産まで没収はできず、腹いせに給与を下げれば商会の評判が下がる。


 どう転んでもヘルメスの不利益にしかならない提案が平然と出てきたが、今まで散々嫌がらせをされてきたのだから、サーガも不満は持っていたのだ。


 だから彼は前向きな気持ちで、嫌がらせを考えていく。


「仕入れの方も妨害しておきませんと、すぐに利益を取り戻しそうですね」

「商会の事情には詳しくないんだが、何か手があるだろうか」


 相手は国一番の最大手商会で、仕返しができるとすれば今しかないのだ。


 こうなればとことん浪費して出て行こうかと、クレインはもちろんのこと、サーガも楽し気な顔で次の策を言う。


「例えば不人気の商品を見繕い、不良在庫を山ほど仕入れるのも有効です」

「倉庫を圧迫するのか。面白そうだ」


 売れ筋から外れた不良在庫で倉庫を埋め尽くしてしまえば、営業不能な期間は更に伸びる。


 捨てるには勿体なく、しかし売れない。


 そんな品物を持て余している時間すら体制作りへの妨害となるので、ただ空にするよりも余程手間がかかる嫌がらせだ。更にそこへ、もう一工夫が加わる。


「いえ、どうせならその仕入れを売掛にして――代金後払いで、クズのような商品を高額で仕入れておいた方が面倒でしょうか」

「それも良さそうだ、やってしまおう」


 商会を飲み込むならば、利益以外にも色々と引き継がなければならない。

 隠れた借金や信用払いの支払いも当然、買収先のヘルメス商会が引き継ぐ。


 つまりサーガが放逐されてから、時間差で多額の請求書が届く仕組みだ。


 本来なら責任を取るはずのサーガが夜逃げしてしまえば、次に責任を負うのは新たな買い主しかいない。


 前身の商会がやったことと踏み倒せば醜聞に繋がるので、これも金を払うか悪評を受けるかの二択しか用意されないだろう。

 彼がいよいよ乗り気になっているところを見て、クレインからも更に提案する。


「そうだ。ヘルメス商会へ協力していた商会から、ヘルメスの名前で借金をするのはどうだ?」

「ふふ。御大の名を出せば、快く貸してくれそうです」


 借金だけ残してとんずらという方針だが、これは在庫ではなく、ダイレクトに借入を起こしてもいい。


 サーガはヘルメスの軍門に降る予定で動いているので、ヘルメスからの指示となれば傘下の商会も金を出すかもしれない。

 東へ詳細な情報が入る前に、手下になったフリをして借りてしまえば済む話だった。


「あくどい手ですな」

「奴らに比べれば可愛いものだろ」

「……違いありません」


 詐欺ではあるが、先に手を出して来たのは向こうだ。

 何をはばかることがあると、クレインもサーガも悪い顔をする。


 全てを合算すれば、中規模の商会が二つ三つ飛ぶほどの損害が出るだろう。


 最大手のヘルメス商会とて大打撃には違いない。

 意趣返しには十分過ぎる計画だった。


「で、どうだ。今さら聞くのもどうかと思うけど……乗るか?」

「あいつらには散々煮え湯を飲まされました。ええ、計画には乗りたいところです」


 商売の妨害を超えて、弾圧に近い政策を打った東伯。

 金と数の暴力で、理不尽な乗っ取りを仕掛けてきたヘルメス商会。


 義理立てするほどの恩が無ければ、クレインに歯向かったところで命を失うだけだ。何の利益もない。


 そして極め付きが、発覚する可能性の高い無謀な暗殺だ。


 サーガを他の勢力に処分させて、接収作業を簡略化しようとする始末なのだから、彼に後ろめたさは残っていない。


「考えれば考えるほど、恨みしか湧いてきません」

「まあ、よく耐えた方だ」


 こうなればサーガも、一瞬で裏切る意向を固めた。


 むしろ昨日まで見下してきた両名に反撃する機会が来たかと、覇気が無かった目には生気が戻ってきている。


「しかしヘイムダル男爵領より先は関所も多いです。顔は知られているので、無事に通行するのは難しいですね」

「安心しろ。南伯から船を貸してもらった」

「船……ですか」


 サーガが承諾するまで、言葉を変えて繰り返す予定だったクレインは、説得に成功する前提で――彼を東へ送る算段も立て終わっていた。


 わざわざ南伯へ追加で頼み込み、ヨトゥン伯爵家で所有する帆船を一つ、航海に出していたのはこのためだ。


「大森林を抜けた先の海上で停泊してもらう約束になっている。森の際にはボートを用意してあるから、沖に出て回収してもらうといい」


 鉱山を越えて大森林を南東に突っ切るルートの開拓。そして無人の海辺にボートの手配。

 そんな意味不明な下準備を振られたのが、クレインの後ろで話を聞いているハンスだ。


「はは、このためでしたか……」

「役に立っただろ?」


 彼は親方をやっている時に知り合った大工を数名連れて冒険に出かけ、森を抜けた先で小舟を一艘置いてきていた。


「鉱山を通るルートで南東に抜けることになるけど、途中までの道は整備されている。大森林を死ぬ気で行けば五日で海まで出られるだろうな」

「案内役を付ければ、もう少し早くなると思いますよ」


 命じられた当初は、クレインの気が触れたかと本気で心配していたハンスも。ようやく納得のいく展開になり、むしろ安堵している。


「なら口が堅そうなのを……いや、ハンスが案内してくれるか?」

「お任せください」


 相手が主君を暗殺しようとした輩なら、肘鉄を入れておいてもいいだろう。


 国内最大手の商会へ謎の喧嘩を吹っかけているのだから、ハンスの胃は依然として痛んでいるが。狙いは見えたので、口を出すことなく協力しようとしていた。


 東への密航ルートが確保されていると知り、具体的な動きを考え始めたサーガは、表情を真剣なものにして言う。


「時間との勝負ですか」

「そうだ。ここから先は先手を打つぞ。……あのジジイは敵を確実に仕留める性格をしているからな。三週間後には東を脱出する予定で動こうか」


 ヘルメスが伝令を駆けさせて最速で動けば、どこかの勢力から捕捉されるかもしれない。


 知られれば利益を損なうかもしれないのだから、東へ向かう商隊に手紙をリレーさせて、確実かつ秘密裏に届けていくだろう。


 だからクレインはサーガが処分されたと伝わるまでに三週間ほどを見込んでいる。

 それはヘルメスの性格を知った上での計算だ。


「向こうへ着くまでに一週間ほどで、その後工作へ使える日数は二週間……いえ、西側はもう少し早く撤退する必要がありますか」


 周到に用意をして、水面下で陥れるのが常道だ。

 勢力が強大な以上、焦る理由はどこにも無い。


 だからこそヘルメスは派手な動きや、迅速な動きはしないと踏んでいた。


「どこまでやるかは任せるが、東伯から気取られない範囲にしておけよ?」

「もちろんです」


 ヘルメスも東伯も、暗殺が失敗する前提で動いていただろう。

 クレインがあっさりと謀殺される可能性は、低いと見ていた公算が高い。


 何故ならば。クレインは不作の回避や銀鉱山の開発など、一代で財を築き上げそうな商才と内政能力がある。

 そして王家と接近するほどの政治、弁舌の能力があるとも見られている。


 良く知らない人間が見れば、才気に溢れた青年だ。


 世間知らずでまだ青いボンボンだが、貴族として毒殺回避の教育くらいは受けているに違いない。サーガの暗殺くらいなら軽く躱すはずだ。


 クレインは敵の思考をそう見立てており、事実として近しい推測は為されていた。


「まあ、実際には殺されたわけだが……」


 今のクレインには、暗殺が成功した場合の流れも見えている。


 クレインが死んだところで子爵領内を掌握すればよく、北侯がサーガ商会を始末するのも時間の問題だ。


 成功しようがしまいが、損が出ない計算の上で嵌められたのだろうと、過去の自分を哀れに思うほど見事にやられているのだ。

 これにはクレインも、溜息しか出なかった。


「え、あの」

「違う違う。そうだな。お前は今日、ここで死んだという意味だ」


 やるせなさから思わず口に出した愚痴を慌てて修正し、クレインは続けて、今後の予定をサーガに告げる。


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