第七十三話 主客転倒の計



 人を取り合っての牽制が続く中で、ビクトールは外交方面の話にシフトした。

 まず話題に挙がるのは、最終目標かつ、組む前提となる相手のことだ。


「アースガルド子爵家はヨトゥン伯爵家との関係を深めているが、更に関係を強化したいと思っている」


 ヨトゥン伯爵家とは経済的な連携を深めているし、重要な交易相手でもある。

 順当な話なので、ここについての動揺は特に見られない。


「そしてラグナ侯爵家とも盟友になりたい。その考えを基に動いている」


 問題はもう一方、ラグナ侯爵家の方だ。

 人材の敵対買収までやってしまったので、微妙な関係になっている。


 一部の家臣とクレインはその認識だが、ビクトールは気にせず続けた。


「僕としては、新たな領地を安定させた時点で――どちらとも対等な関係を結べると思っているんだ」


 この一言で、ラグナ侯爵領から引き抜いた人員の顔色が変わる。

 チャールズ辺りは何故か笑いそうになっているが、大半は驚いていた。


「なっ!?」

「そ、それは……!」


 クレインからすれば、ビクトールの予想が的中すると分かっている。

 このまま時が進むと、その状況は完成するからだ。


 しかし現状のアースガルド子爵家は地方の中堅領地で、目玉と言えば銀山のみ。

 他に特筆すべきところなど何一つ無い、普通の領地でしかない。


 全国的にはまだまだ無名なこの家が、国内最大勢力と対等な関係になれると考えた人間は――王国内でもまだクレインとアレス、そしてビクトールの3人だけだ。


 ブリュンヒルデとマリウスですら、やや従属的な関係になると思っている。


「今回の作戦は、そこに筋道を付けるためのものだよ」


 クレインは北侯と西侯の対立や、アレスの死による中央の混乱、東の動乱など、様々な要因の下で結びついた経験があった。


 しかし今回は大きく違う部分がある。

 暗殺を防ぎ、アレスを生存させるつもりでいる点だ。


 アレスが存命の場合は結びつく理由が減るどころか、調整の難易度はごく高い。

 何故なら彼は表向き、未だに北侯と戦う方針を崩していないからだ。


「殿下のご意向では、その、北侯とは……」

「大丈夫。その点も考えはあるからね」


 ビクトールがクレインから打ち明けられたのは、東の動乱についてだけとなる。

 だから未来の情報である、「アレスの死」を前提に考えてはいない。


 ここでラグナ侯爵家が王子の変節を受け入れたとしても、王子側も侯爵家側も、傘下の貴族たちがどう思うかは未知数のままだ。


 だからビクトールは現実的に、有無を言わせず同盟を組むための策を仕込んでいた。


「あ、あの……」

「まあまあ、続けるよ」


 特に北部出身の家臣は、困惑している者が多い。

 しかしそれと同じくらいに、納得顔をしている者たちがいた。


 周囲の反応が何を意味するかは咄嗟に理解できなかったものの、彼らにはクレインが見えないものが見えている。

 むしろこの点に関しては、クレインの頭の回転が遅いくらいだった。


「アースガルド領から北へ続く道を拓けば、ラグナ侯爵家の傘下となっている領地に接続する。これには色々な意味があるんだ」

「と、言うと?」


 ここで一瞬だけ経済問題に立ち返り、ビクトールは言う。


「まず、北では南からの食料輸入体制が整い、南では焼き物とか……北部の名産品が流通することになる。交易が生業のアースガルド家としては、恩恵に与れそうだね」


 本来であれば王国歴502年の秋から始まる、経済圏の形成が今すぐに開始されるのだ。

 つまり経済的な利益は、過去よりも大きく得られる。


「ですが今の段階で大規模な動きをすると、北の諸勢力からも警戒されませんか? それに、勝手に道を延伸するとなれば、色々と問題がありそうな気はしますが」


 予定よりも早く大きな動きをすれば、今度は東と王女だけでなく、北まで刺激することになりかねない。

 懸念を示したクレインを前にしても、ビクトールは相変わらず笑顔だった。


「はは、もっと踏み込んでいいと思うよ。良き隣人とはなれるだろうし……周りのことをよく見てみるといい」


 彼は居並ぶ武官の中から、まずオズマに目を付けた。


「小領地の最北端を抜けた先。その真北を治めている貴族家はどこかな?」

「恐れながら、テミス男爵家です」

「そう。オズマ君の実家だね。もう2つ隣接領があるけれど、関係者はここにいる」


 唐突に話しかけられたオズマは硬い声色で返事をしたが、それは事実だ。


 確かに彼の実家は、ラグナ侯爵家の本拠地から南東に位置しているため、小貴族家の領地からほど近い。


「例えばその北西にはエメット君の実家。いくつか領地を挟むけれど、北東方面に向かえばチャールズ君の実家がある」

「あー……なるほど」


 統治の補佐ができるほど教育された、名家の子息を根こそぎ集めたのだ。

 20名近くも集めたのだから、血縁を辿ればどこかしらの家に必ず当たる。


「縁戚は外交の基本だね。ほら、これも今であれば、伝手はたくさんあるじゃないか」


 例えばオズマやエメットの実家は領地持ちの貴族なので、親兄弟に共同開発の話を持ちかければ済む。

 チャールズの実家など名門なので、周辺勢力や商会にまで顔が利くくらいだ。


「彼らの実家と一緒に商売でもして、今のうちから利を分かち合うといい」

「共栄、ですか」

「そうそう。共に栄えれば、仲良くなれるさ」


 北侯寄りの貴族家は統制が利いているので、小領主たちとは疎遠な方針だった。


 しかし後任であるアースガルド家がまともな存在で、知り合いの子息が大勢いるなら、むしろ縁を結びにいくのが自然だ。


「……それが正しい、地方領主の生存戦略ですね」

「そういうこと。寄親はもちろんだけど、近場の有力者とは顔を繋ぎたがるものだよ」


 クレインが王都で同盟締結前に語った内容が、まさにそれだった。


 生き残るためには近隣の有力者と仲良くして、可能な限りで助力を願う。

 災禍を防ぐ傘はいくらあってもいいのが、領地持ちの地方貴族だ。


「北侯傘下の貴族でも、南側に位置する家と関わりを持つことで足場ができる。そして子爵領から北に向けて整備した道は……交易以外にも色々と使えるんだ」

「例えば、どんな使い方ですか?」


 ここでようやく本題に入る。ビクトールの本命は、周辺勢力と誼を結ぶことでも、子爵領の経済がよく回ることでもない。


「馬車がすれ違えるくらいの道幅なら、立派に主要街道だ。何かあ・・・った時・・・に、速やかな援助が期待できるだろう?」

「あっ」


 使者が王都方面に迂回しても、浮くのは精々、数時間から数日くらいだ。

 しかし軍勢の移動ならば話が変わる。


 行軍可能な経路と言えば王都方面でも主要街道のみであり、王都方面の道は往来が活発なため、通行の邪魔になるものが多い。


 だからここを整備すれば、ラグナ侯爵軍が到着するまでの時間は――1週間ほど短縮される。


「そうか、その発想は無かった」


 クレインとて交易用に、道の整備はする予定だった。

 しかし拡張工事をするほどの手が足りず、石や岩を除くくらいが精々だと判断していたのだ。


 そしてラグナ侯爵家と同盟を結んだ暁には、主には西侯を押さえてほしいと考えていたが――数万の援軍は欲しいと思っていた。

 彼は当然のように、北からの援軍と、中央から派遣される王国軍をアテにした戦力で計算している。


 しかし東伯が攻め込んでくると知り、南伯に援軍を頼んだ際にすら、増援部隊が間に合わなかった。


 更に遠方にある北侯領から迂回路を使っていては、将来的な決戦に間に合わないかもしれない。

 これも最終目標を考えてみれば、当たり前の懸念だった。


「なるほど。それで、こちらがメインと」

「そうなるね」


 クレインが今にして思えば、東側の戦略はかなり鋭い。

 東伯であれば、北侯軍が到着する前に勝負を決めにくるくらいはする。


 決戦をするなら歩兵の扱いが重要になるが、敵は騎兵だけでも十分な戦力が揃うのだ。


 王国側の主力となるであろう北侯軍は、騎兵で子爵領を滅ぼしてから、歩兵を追い付かせてじっくりと倒すという戦法もあり得た。


 それを踏まえると。北侯領までの最短経路を拓くことは、軍略的にはこの上ない利益となる。


「西との関係が怪しい今、ラグナ侯爵家としては南方の安定を何より求めている。だから友好関係を結びたいのであれば、いい時期なんだ」


 同盟は元々、各家にメリットがあるから組まれたものだった。


 東西の動乱を知らない人間は腑に落ちていないが、情勢を踏まえると、現実的に考えられるところにまではきている。


 そして、その流れを後押しするものが、今回の作戦だ。


「ほら。北とも交易による関係を築いて、傘下の家と協調路線を取りながら――共に歩む道が見えてきたじゃないか」


 南北を味方に付けるなら、繋げて間を取り持つことは同盟全体へのプラスとなる。


 それに商会経由で北侯の寄子から頼まれ事などもされていたのだから、関係の構築はいずれ必要になることだ。


「そうか。経済分野なら今からでも始められるし、近隣領主の頭越しに決めるよりも強固な関係ができる」


 これまでの歴史を振り返れば、東伯戦の直後から急速に提携の話が進み始めるものの、急ごしらえなところは否めなかった。


 過去では交易を始めた傍らで、使者を往来させながら、順次細かい取り決めをしている。

 つまり同盟までの道のりも、改善できる余地は十分に残されていた。


「更に道を拓いておけば、何か・・があった時に、最速で助けを受けられると」

「ああ。用意だけなら、今すぐにでも始められるよ」


 同盟を組む前提で、協力体制の下地を作ること。

 今回の作戦はその動き出しをするのに必要な要素を、搔き集めるためにあった。


「……確かにこれは、戦いが目的の策ではなさそうです」

「別個に片付けていけば手間だけど、一度にやるとすぐに済むからね。その比重が逆転しただけの話さ」


 落石計略のためというよりは、道の整備箇所を調査をするために測量をして。

 敵味方の被害を減らすというよりは、大規模動員に備えた労働力を確保するために脱走を促して。


 過剰に仕入れた物品は軍需品ではなく、難民たちを受け入れる開拓拠点のために使い。ついでに一括の仕入れで商会の負担を削減して。

 結果的に、救済予定の人々は自分から保護されにやって来た。


 負担になるはずの新領地と飢えた領民を、経済活性化の計画に組み込みながら、命綱としての道を切り拓かせていく。

 その先に待っているものは、既に多少の関わりがある――北侯配下の諸貴族家だ。


「つまりは盟約を結ぶ下準備のついで・・・に、小領主たちと戦争をさせてもらったんだ」


 この作戦が、生き残るための大前提。南北との同盟へと繋がっていく。


 目先の戦争よりは経済政策の比重が大きく、それよりも更に、外交と安全保障の比重が大きい作戦だ。

 ここまでくれば、小貴族たちとの戦いの方が副産物というのも頷ける話だった。

 

「はぁ……。先に言ってくださいよ」

「配下からの献策。その結果が何を生むのかを、考えるのが当主の仕事だよ? ついでに言うと、どこまで実行するかの決断。それから家中の意見調整もかな」


 クレインも今回の戦いでは後のことを考えて、最良の結果を期待していた。


 そして期待以上の成果が出てきたため、文句なしに最上の結果だ。

 多少の予想外を含んだものの、クレインは結果に満足している。


「それで、殿下のご意向は……」

「クレイン君が話をするから大丈夫だよ。これは廻り回って殿下にも利益があることだから、嫌とは言わないだろうし。……ね?」

「あはは、まあ。任せてください」


 過去のアレスも敵対勢力と、手を結べるところでは協力する方針だった。

 クレインの真意がどこにあるかは別として、順当に許可が下りる可能性は高い。


 実際にはアレスとも協調路線を歩んでおり、彼も既に同盟へは同意しているが、そんな裏を知るビクトールは、完全にとぼけていた。


 第一王子派閥の人間を納得させることは、それこそ意見調整だ。

 それに裏切り者の動きを監視しておけば、敵方の動きも見えてくるだろう。


「まあ、それはそれとして……」


 しかしビクトールとしては、これで終わってもらっては困る。

 これはあくまで献策だからだ。


「僕の案は、あくまで客将からの提案と捉えてほしいかな」

「えっ?」


 領主に対する命令ではないし、このまま受け入れられると、クレインの成長を阻害する要素にしかならない。

 何より自分の株が上がり過ぎて、クレインの求心力が低下しても問題はある。


「特定の人間を信頼し過ぎると、争いの元になれば、判断を誤る原因にもなる。他の家臣や実行する人間の意見も聞いて、最後には自分の意思で決断すること。いいね?」


 参考意見を求められたから答えたのだ。

 まるごと全部採用されては、むしろ師として立つ瀬が無かった。


「ということで、計画の改良を課題にしようか」


 だから当然、課題は出す。

 彼からすれば、これも教育の一環だからだ。


「ここまでお膳立てされた上で、改良、ですか」

「うん。提出物はいらないよ。結果で見せてもらうから」


 計画が多岐に渡り過ぎて、どこから手を付けたらいいかもまだ分かっていない。


 むしろクレインは、この計画のどこを改良しろと言うのかと頬を引きつらせたが、ビクトールは相変わらずにこやかに笑うだけだった。


「むむ……」


 同盟は組むし、下準備はやる。

 移民政策にも力を入れるし、復興は復興で必ずやる。

 マリウスが言っていたように、大筋ではこの作戦の通りに進めるしかない。


「これでは小貴族たちと、一緒のような……」

「君は、そうはならないよ。クレイン君には是非、頑張ってほしいね」


 つまりクレインがどれだけ悩み、細部を変えても、結果はさほど変わらないのだ。

 それでもどれだけ改善していけるかは、彼の手腕にかかっている。


「統治はクレイン君の仕事として。これだけ働けば当面の間、僕は休暇を貰ってもいいはずだ」

「……ええ、お好きなだけ。賞与までお付けしますよ」


 クレインの望みはまず生き残ることであり、あくまで、ここは通過点となる。

 通過した先の道筋まで整備してくれたのだから、彼にも言うことは無い。


「まあ、欲しいものは、追い追い考えてもらうとして」


 ここまでやってくれたのだから、もう存分に怠けてくれていい。

 ここから先は家臣一同で、特に――


「ハンス、エメット。仕事だ」

「……ええ、途中からもう、分かっていましたとも」

「……外交部の出番ですね」


 工兵隊を全力投入して、思うさま普請をしていこう。

 外交部を動員して、北方貴族との関係を強化していこう。

 そんな決意をした。


 過去と比べて、改良できる点を探しながら来たクレインにとっては、ここから先は全く新しい未知の領域になる。

 もちろん子爵家の全部署、全家臣に仕事が舞い込むので、当面の間は総力戦だ。


「調整することは多くなるし、忙しくもなるな……」


 リーダーとして必要な能力を伸ばすために、家臣からの意見具申をどう捌くか。政策をどう磨き上げるかという項目の課題も追加された。


 近隣の領主たちと、どの分野でなら協力していけるかの精査もある。


 エメットに丸投げはできないので、いずれは他家の当主と会談することもあるだろう。


「前途は多難だけど、成果は凄そうだ。やってみる価値はあるか」


 激務が待っているとは思いながらも、彼は希望に胸を膨らませていた。




――――――――――――――――――――

 以前の時系列で言うと、クレインを含めた子爵勢が第三章「武力強化編」の序盤をやっている時に、一人だけ第四章「同盟締結編」をやっている男がいました。


 子爵領から小領地を抜け、北侯勢力圏までの一本道をぶち抜く計画が本命となるため、戦争での完封勝ちはオマケです。


 大まかな方針としては、親分の侯爵家に先駆けて、子分たちと仲良くなっておこうというものでした。


 今回の作戦により経済協定を結ぶ時期が、実質的に1年2ヵ月ほど前倒しになります。

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