第七十四話 内政政策
ほどなくして、王宮から正式に領地加増の知らせが来た。
これによりアースガルド領は、更に勢力を拡大したことになる。
「クレイン様、手配が終わりましたよ」
「ありがとう。これで北部の再建は滞りなく進みそうだな」
そんなある日の午後。
救済用物資を各地へ輸送する手筈を整えたトレックが、報告書を片手にクレインの執務室へ訪れた。
「領内の備蓄が過剰だったので、はけて良かったですね」
「あって困るものではないけどな」
食料難は全国的な問題だが、元小貴族連合の領地だった地域はどこも内政が酷いことになっている。
冷夏の影響を無視したどころか、減収分を増税で賄うという政策が主流だったからだ。
アースガルド領を大きく発展させるには食料問題の解決が必須で、しかも後々加わるであろう新領地は飢餓状態の民が多いと最初から分かっていた。
だからクレインがヨトゥン伯爵家に対し、冷害に強い作物を大量に育てるように依頼したのは、この事態に備えてのことでもある。
「保管場所に困るほど食料があったなんて、周辺領主に知られていたら事でしたよ」
「おかげで、配っても余るくらいにはあるだろ?」
この問題は後々まで大きく圧し掛かってくるので、諸問題を一気に解決すべく、以前までの歴史と比べて3倍もの食料を確保しておいたのだ。
それ以外の狙いもあるが、直近では飢饉対策のために食料が使われていた。
「ええ、それはまあ。あれだけあれば来年の収穫期までは十分です」
「それは何より」
畑をほったらかしにして子爵家へ戦争を仕掛けたのだから、今年の収穫高もそう高くはない。
だが、兵の損耗が軽微だった分、減税策と食料配給さえ行えば素早く建て直しができる見込みだった。
「しかし南伯に毎年頼るわけにもいかないでしょう。根本的な対策は必要ですよ」
「そこはきちんと考えているから大丈夫」
トレックが懸念しているのは、子爵領の食料自給率が低い点だ。
今年は何とかなっても、来年以降ヨトゥン伯爵家との商売に不備があれば、一転して食料危機が訪れる。
今は非常に危うい経営と言わざるを得なかった。
「そうですか?」
「ああ。その一環で、農業政策も進めているから」
新しい領地を加えたアースガルド領の広さは、倍近くにまで跳ね上がっている。
ただし新領地の大半が湿地帯で、開墾には不向きな土地ばかりだ。
そんな性質もクレインはきちんと理解しているし、現地を下見したこともある。
「集めた捕虜が家族を呼び寄せて、人口は調整できているし。沼地の開拓に当たっていた農村の解体も順調だ」
「そうですね」
何よりビクトールからの献策にあった、移民政策は滞りなく進んでいる。
そして生産性の低い地域の開拓村を畳み、開墾しやすいエリアや、耕作放棄地に回す作業も順調に進んでいる。
農業面では集約を図るのが主となるが、ここはクレインが予め用意していた作戦で、効率を上げられるところでもあった。
「そこで、そろそろ新式農具を配備したい」
北部の生産性を上げるために、本来であれば1年以上先になってから普及する農具を今から配ること。
それが、予めクレインが立てていた対策だった。
王国歴500年の春から製造を始めていたのだ。
最新農具を広めれば、既存農地の生産性を高めることはできる。
既に子爵領内にはかなりの数が出回っており、数を作るごとに作成速度が上がっているため、新領地へ送る在庫も既に確保できていた。
ビクトールの政策案では人流の調整が主になっていたが、そこに加えて、食料事情の改善策も追加で打とうという魂胆だ。
農具の生産計画はトレックも知っている。
だから彼は、思い返しながら話を進めた。
「……ああ、バルガスさんとブラギ会長が進めているアレですか。でも、一斉導入できるほどの蓄えが農村にありますかね?」
「利率を低めに設定して、融資をすればいいじゃないか。後払い形式でもいいけど」
融資作戦も過去に実行済みだ。
そしてこれも成功を収めている。
政策が成功すると知っているのだから、時期を前倒しするだけの話だ。
配備計画を再度行うべく、今回のために全く同じ草案を準備していた。
「なるほど、貸付なら何とかなりそうです。子爵家にはちょうど、臨時収入もありましたし」
「そうだろ? ヘルメス商会から奪った財産もまだあるからな」
小貴族家の財産は既に接収しており、その分を事業の財源とする予定だ。
そしてヘルメス商会から借り受けた資金もまだまだ残っているため、ここで大きな内政政策を打っても財政は全く揺るがない。
「クレイン様。奪ったと言っては誤解を生みますよ? あくまで借りたものです」
「そっちこそ。賠償金のことを臨時収入というのは不謹慎じゃないか?」
ヘルメス商会は既に敵対認定しているし、小貴族家の暴挙は自業自得だ。
そんな共通認識を持っている彼らは、非常に悪い顔をしていた。
「ふふ、クレイン様も商人の才覚がありそうですねぇ」
「いやいや、トレックほどではないさ」
そんな冗談を挟みつつも、目先の救済策と中長期的な内政策は十分に実行可能なことには合意形成ができた。
もちろん今回の事業で一番大きく儲けるのはブラギ商会でも、輸送や販売には友好商会をいくつか噛ませるつもりだ。
内政にはトレックを存分に使うつもりでいるクレインだが、今回は内政官が大量に増えているため、彼の得意分野でだけ働いてもらうことができる。
「規模が大きい話だからな。丸投げできるなら俺も助かる」
「治める領地がいきなり倍だと、領主様としては結構辛そうですよね」
新規に領地を得たことで、領地の面積も人口も大幅に伸びている。
戦争による怪我人も出たが、しかし今回は事前準備が実を結び、死人はほぼ出ていない。
「まあ、領民から恨みを買っていないから、生活を楽にすれば信頼は得やすいだろう」
「それは……前任がアレでしたから。普通に統治するだけで天国ですよ」
そんな目論見の中で大商会を動かして、北部地域は最速で立て直すつもりでいた。
発展させるエリアと安定させるエリアを分けることで、バランスを取る政策だ。
今まではスルーズ商会の財産に頼ることも多く、依存的な関係だった。
しかし今回の人生では砦の建築費もヘルメス商会から借りた資金で賄えるので、まっとうな協力体制が構築できる。
公共事業で特定の業者に儲けさせると言えば悪だが、働いてもらう分の見返りを用意できるという点では、クレインはむしろ過去より健全な関係になると思っていた。
「北部から引き抜いた文官に活躍の場ができるからな。武官組が出世したところを見て対抗意識を燃やしていたし、張り切ってやってくれるはずだ」
新領地の経済活動は、戦争の準備期間辺りからほぼストップしている。
しかし道の普請という大規模な公共工事を打つので、すぐに景気は取り戻せる算段だ。
各種の作戦指揮には大量に流入した文官たちを当てる予定であり、今回はこの二人の負担を軽減させる予定で動いていた。
「武官たちの掃討作戦が終わったら、順次手を入れていく。本音を言うと俺も楽をしたいから、トレックも頑張ってくれよ?」
「それが正しい貴族の在り方ですよね」
しかし商人の実働部隊を最前線で動かしている上に、諜報部とも仕事をしているのだからトレックの仕事は確実に増えている。
金勘定に敏く信頼できる部下は貴重なので、クレインもトレックを使うべきところでは存分に使うつもりのままではあった。
「……しかし、私も会長なので、本当なら楽ができるはずなんですが」
本来であれば重要な商談にだけ出て行けばいいはずが、内政官のトップのような地位に就いてしまっている。
何かがおかしいなとは思いつつ、トレックもクレインに付いて行くと決めたのだから苦笑する程度だ。
「まあいいだろ。これからも儲けさせてやるから、存分に働いてくれ」
「分かりましたよ。物品手配はお任せを」
北に進んだ分ラグナ侯爵家の勢力とも近づいてきたので、これでアースガルド領は東伯と南伯の他に、本格的な北侯対策が必要になってきた。
それでも勢力図を見れば敵になる可能性は低いので、まずは目先のことだとクレインも頭を切り替えていく。
「効率的な開墾計画による自給率の底上げ……で、課題はクリアにならないかな」
「どうでしょう。ならないと思いますが」
ビクトールからは、同盟に向けた一連の流れを改良するようにと課題を出された。
子爵領に飽きてどこかに出て行かれても敵わないので、クレインとしても真面目に取り組む必要がある。
「……だよなぁ。まあ、隠し玉があるから安泰だとは思うけど」
「隠し玉ですか?」
新型農具の配布はビクトールに言っていなかったので、救済事業の改善策として使うつもりだった。
しかしこの程度では計画の一部が、少し良くなっただけだ。
クレインにはもっと根本的な部分を改良する――過去とは何も変えないつもりの部分がある。
「ヨトゥン伯爵家のアストリお嬢様と、婚約しようと思っている」
「いやぁ……無理じゃないですかね?」
「無理かな?」
「だって今や、南伯の影響力は絶大ですし」
元から名門大貴族という上に、食料不足の王国内で無視できない勢力となっている。
自由に選べる立場にいるので、普通に考えればいくら重要な取引相手とは言え、大切な娘を格下の嫁に出すとは考えにくかった。
「それなら賭けるか?」
「お、いいですね。ワイン1年分とかでどうです?」
「どれだけ見込みが無いと思っているんだ、お前は……」
同盟を組むまでプランには、確実に改善できる狙い目があった。
すなわち、本人とアレス以外は誰も予想できないであろう、クレインとアストリの婚約だ。
ビクトールが北部出身ということもあり、北についてはかなり具体的なロードマップが示されたが――その一方で南方面に対する意見は、現状の関係を強化、発展というくらいしか出ていない。
「皆と話し合った結果の政策で、満足してもらえるとは思うけど……。いっそ先生が驚くほどダメ押ししていこう」
血縁は外交関係の基本。
その考えを体現してやろうと思いながら、クレインは笑みを浮かべる。
とは言え政策は政策できちんと整備していた。
家臣はもちろん、友好商会まで巻き込んだ計画は、いくつか始動済みだ。
「ふふ、あと一歩。あと一歩なんだ」
縁談の話を持ってくる使者が来る予定の日は、残り1ヵ月ほどにまで迫ってきていた。
ここに来るまで暦の上で1年半ほど待ったし、散逸した武官の再招集などで、更に1年ほど体感時間が伸びている。
そのことを思えば、現実的な考えよりも再会の待ち遠しさの方が勝ち、クレインの頬は緩々になっていた。
「クレイン様の、その笑顔を見せるだけで破談に持ち込めそうですねぇ」
「失礼な」
未来への展望が開け、そこに向けた準備も順調に進んでいる。
そして何より、ようやくアストリとの結婚を再度考えられるところまできたのだ。
クレインのやる気が満ち溢れているところを見て、トレックは苦笑いしていたが――互いに勝ちが確定したと思える賭けを交わしつつ、話し合いはお開きになった。
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作者のTwitterに、アストリとクレインのキャラデザインをアップしました。
来週は書籍のカバーイラストを投稿しますので、お楽しみに!
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