第四十四話 本当の敵(前編)
明けて翌日。クレインは執務室へブリュンヒルデ、マリウス、トレックの三名を呼ぶと、人相書きを手渡した。
即座に調べる必要があるのは、早めに声を掛けても獲得できなかった武官の行方だ。
取り分け、特に獲得したい男はもう一人いる。
平民というよりは住所不定の流民の方が近く、仕官するような縁故も無いのに、忽然と姿を消した男。
「グレアムという男を探してくれ」
人材なら十分にいるのに、何故そこらの平民を?
そんな疑問を挟む者はいなかった。
ブリュンヒルデはこれも何か狙いがあるのだろうと判断したし、マリウスはそれが何であれ、初仕事なのだから成功させるだけだと思っている。
トレックも空気を読んで、「とりあえず必要なんだな」と理解して終わりだった。
「王都から南へ行った村に住んでいたはずなんだが、手紙を送っても返送されている状態なんだ」
「元の住所が分かっていれば、そう手間はかからなさそうですね」
「いや、それが……」
正直に言えば、クレインもグレアムを追うのが一番楽だと思っていた。
しかし前世までで行われたヘルモーズ商会の聞き込みでは、春には既に引っ越しをしていたと言う。
クレインが北部を経由して、王都へ到着した頃にはもういなくなっていたのだ。
調べる時期が遅かったこともあり、ロクな調査結果が上がっていなかった。
「まあいい。トレックは今後マリウスと組んでくれ。ブリュンヒルデは調整係だ」
マリウスとブリュンヒルデの間には謎の連絡網があったようだと、クレインは知っている。
マリウスとトレックの組み合わせも定番だったので、特に心配はしていない。
「お二人とも、よろしくお願いしますね」
「ええ、どうぞよろしく」
「は、はい。ええ、はは、こちらこそよろしくお願いします!」
ブリュンヒルデとトレックの組み合わせは見たことが無いので、そこは懸念だったものの。
どこか浮ついた様子のトレックを見れば、全く問題無いと判断された。
「……まあ、上手くやっていけそうで何よりか」
マリウスはごく普通に答えたが、トレックは頬が緩んでいる。
――見た目に惑わされると死ぬんだよな。
などと思いつつも、明らかに好感触なのだからクレインから言うことは無い。
「まずはグレアムを筆頭に、このリストに書いてある人物がどこへ行ったのかを調べてほしい。諜報に使えそうな人材がいれば自由に引き抜いていいから」
「承りました」
組織作りについても、変に口を出すことではない。
敢えて言えば元門下生のエメットにも協力をさせるくらいだろうか。
エメットの出身は騎士爵家なので変に高貴ということもなく、境遇や能力に近しい点が多いので、上手くやっていけるのではという目論見があった。
武官の行方調査で仕上げに入ること。同時に諜報部の設立は必須のことだ。
しかし今は大局のことも話さねばならない。
すなわち、初回の東伯戦を越えた先にある未来のことをだ。
「さて、全国的な動きを把握する必要はあるが、東のことについては特に相談をしておこうと思う。……これを見てくれ」
「地図ですか?」
マリウスが加わり、情報収集の目途が立ったことによって、サーガからの情報をようやく活用することができる。
クレインが取り出した地図には、王国に存在する各勢力の影響力がどこまで及ぶのかが、大雑把に書かれていた。
色分けは適当であるものの、勢力圏の分け方としては不自然ではない。
「多分、一般的な認識としてはこうだ」
「ええ、その通りかと」
「それで……これがどうしたんです?」
目下最大の懸念。サーガから齎された報せは、絶望的と言えるほどの凶報だ。
地図には彼からの情報を元にして、クレインの手で修正が加えられていく。
「東伯と東侯は共に、東方異民族を背後に置いている。いつでも紛争状態だったのは知っているよな?」
「ええ、まあ」
「長らく争っていたことは存じております」
サーガが国境沿いだった村から大量の牛を買い付けて、突然ヘルメス商会に送り付けるという嫌がらせを実行する際に――偶然仕入れた情報。
それは今まで疑問に感じた敵の動きを、納得させる材料であると共に。クレインにとってはこの上なく嫌な事実だった。
「既に、東方異民族の国家は滅んでいる」
村人に聞けば、王国歴499年の秋に主だった勢力を全て平らげ、今では反乱鎮圧程度の戦いしか起きていないという。
軍需物資の送付という名目でヘルメス商会が辺境への流通を担い、隠蔽されていたのだ。
そのため彼らの版図が広がっていることは、東部の民や商会の者にもほとんど知られていないくらいだった。
「国としての体制は崩壊済みだ。各部族がただの放牧民族のような形になり、いくつか独立しているに留まっている状態だな」
外敵の領土をほぼ完全に平定して、今では東伯、東侯らの領地に組み込まれつつある。
つまり東伯と東侯の勢力図が、一般に知られているものとまるで違ったのだ。
これを知ったクレインは、違和感の大元が氷解していく気分を味わっていた。
アースガルド領に対し、外国への備えを全くしていないかのような、大兵力を送り込んできたこと。
その点に関する疑問は何度か持ったが、事実として外国が既に存在せず――背後へ備える必要が、ほぼ存在しない状況だった。
「凄い話ですが……それがどうしたんです? アースガルド家とは特に親交が無い家だと思いますが」
「最悪なことに、俺たちの仮想敵はこの二家になる。このままいくと、遠からず戦いになる予定なんだ」
「それは、本当に最悪ですね……」
トレックは引き笑いをするが、戦いは現実に起きる可能性が高い。
というよりも、クレインの中では既に確定事項だ。
地理を見れば、アースガルド領周辺が決戦の場になることも決まっている。
避けられない戦いへ備えるにあたり、クレインはここで反乱に関するほぼ全ての情報を、三人に打ち明けるつもりだった。
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