第四十三話 影として



「お初にお目にかかります、アースガルド子爵」


 青みがかった髪をした、利発そうな青年。

 顔面偏差値は高めで、女性から声を掛けられることも多いのだろう。


 クレインがマリウスに抱いた第一印象は、実のところこれだけだ。


 学があり文官も兼任できるというので、文官不足だったアースガルド領には是が非でも雇い入れたいと思っていた。

 ほぼ無条件で採用となったのだから、面接に大した力は入れていなかったのだ。


「そう硬くならなくてもいいよ。まずは座ってくれ」

「では、失礼致します」

 

 後に活躍して頭角を現したものの、護衛役に選ぶ前の段階ではそれほど意識をしたことは無い。

 だから初対面の時のことは、ランドルフの時ほどは覚えていない。


 完璧な所作で応接室のソファーに座るマリウスに対し、対面に座るクレインもある意味新鮮な気持ちで対応した。


「無理に呼び立てて済まない。評判を聞いて、是非にと思ってね」

「いえ……私如きに、勿体ないお話です」

「そうか? かなり優秀と聞いているが」


 立場にもよるが、貴族家の当主かそれ以外かで身分がかなり上下する。

 実家のことを考えれば横柄な態度は取れないとしても、侯爵家の一族と伯爵家の次期当主が大体同じくらいの扱いだ。


 そこいくと男爵家の三男と子爵家の当主では、最下級の貴族と上流貴族くらいの開きがあった。

 しかしそれを差し引いても態度が硬いと思っていると、マリウスの方から理由を話し始める。


「兄の補佐だけを考えておりましたので。私にこのようなご提案が来るとは、露とも」

「ああ、そう言えばそうか」


 社交界での知名度がゼロに等しいということは、どこからも重要人物とは見られていなかったということだ。


 有能さの割りに全く表舞台へ出て来ず、働きぶりは全く知られていない。

 精々が実家周辺と、雇用していたアイテールが知っているくらいだろうか。


 王子と手を組む、上り調子の子爵が指名してまで迎え入れる。

 この展開は予想外としか言いようがないだろう。


「一度力を試してみたい気持ちはございましたので、有難くはございますが……本当によろしいのですか?」

「ああ、裏方は全部任せるから存分に働いてくれ。仕事ならいくらでもある」


 彼は、機会さえあれば存分に腕を振るいたいと思っていた。

 しかし生い立ちの関係で、補佐以上の仕事を振られることがなく燻っていたのだ。


 侯爵家に取られかけたこともそうだが、この点でもランドルフと似ているな。

 などと思いつつ、クレインは笑顔で言う。


「父の旧友であるアイテール男爵に頼んだのはな。絶対の信頼を置ける、側近になれる人物の紹介なんだ」

「でしたら……」


 一族や親戚から選んだ方がいいのでは。

 そう思案しかけたマリウスは、事前に調べてきたアースガルド子爵家の情報を思い返し、悟る。


 子爵家に代々仕える家臣の数は少なく、親戚とも軒並み疎遠だ。

 しかも先代当主が急逝して、クレインは地盤固めにすら数年をかけている。


 それに近頃急に増えた家臣は王家の命令でやって来た者たちや、北の出身ばかりで――家臣団の忠誠が篤いとは言えない。

 特定の勢力からばかり人を受け入れて、バランスが悪い状態でもあった。


「……なるほど、そういったご事情でしたか」

「これだけで察せる辺りからして、有能だと思うぞ?」


 王都から派遣されてきた役人に全幅の信頼を置くのは難しい。

 門下生たちもビクトールが次を紹介すれば去るかもしれないし。概ね身分が高くて引き止められない。


 一度子爵領に仕官すれば、実家で大事でも起きない限りは留まってくれる人物。

 しかも無名の人材で、大勢力の息がかかっているわけでもない者。


 求める条件がそうと定まれば、マリウスから見ても自分が選出された理由に納得がいく。


「とは言え任せるのは裏方だ。派手な活躍はできないし、誰が見ているわけでもない」

「それでも……重要な役割をお任せいただけると、そう理解しております」

「もちろんだ」


 そしてマリウスに特殊な部分があるとすれば、ここだ。

 例えばランドルフは大舞台で活躍したいと願う男であるが、マリウスは違う。


 率直に言えば、彼は兄たちの予備だ。

 それ以上を望めない人生だった。


 いくら学んでも、いくら鍛えても、実力を発揮するだけの大きな仕事が来なかったこと。

 それが解消される――つまりは、重要性が高い激務を振られることを望んでいた。


 喝采や賞賛を求めるわけではない。

 己の力で何を為せるか。

 ただそれを追求したいという、求道者のような性格も持っていたのだ。


「情報を持って逃げられたら、子爵家が滅亡するくらいには重要な仕事だよ」

「……それを、私にお任せくださるのですか?」

「ああ」


 実直で勤勉。そして仕事で結果を出す男。

 何より、どんな窮地でも絶対に裏切らなかった。


 側近にするにあたり、これほど頼もしい者もそういない。

 だからクレインも強く求める。


「マリウス、俺に仕えてくれ」


 能力だけを見れば代用が利いたかもしれない。

 しかし人格や性格まで同じとはいかない。


 東伯軍と戦うことになろうが、陰謀渦巻く王都へ共に行くことになろうが。彼はいつでも冷静にクレインの後ろを付いてきた。


 どれだけ危険な任務であってもクレインを信じ。

 時には方向性を軌道修正して共に歩む男。


 北との関係が悪化して、同盟の際に多少の不利益を被ることになろうとも。マリウスのことを確保しようと決断したのは、信頼という面が大きい。


「……承知致しました」


 それを知らないマリウスにも、クレインが正面から己に向き合おうとしていることは分かった。

 だから彼もそれに応え、ソファーの横へ跪くと、臣下の礼を取る。


「不肖、マリウス・フォン・メーティス。本日よりアースガルド子爵のため、忠義を尽くすことをお約束致します」


 兄の影に隠れ、黒子として一生を終える。

 その覚悟を持ち人生を歩んできた男は、自分を求めるクレインの熱意を受けて何を思ったのか。


 今度は、彼の影として生きることを。

 暗部の一切を引き受けることを、自らの意志で誓った。


 たとえ汚れ仕事だろうと構わない。

 自分を欲して任せてくれる人物にならば、命を懸けて仕えようと決意したのだ。


 その様を見たクレインは大仰な誓いに驚き、そして笑う。


「なあマリウス。雇うにあたって、一つだけ条件があるんだ」

「どのような条件でございますか?」


 生真面目過ぎるのも考えものだと思いながら、クレインはたった一つの条件を彼に伝える。

 そしてそれは、そう難しいものでもない。


「今後はもう少し気楽にしてくれ。長く付き合うには、それも大事だから」

「……善処致します」


 互いの表情が苦笑へ変わったが、側近が無事に戻ってきたことへ、クレインは安堵している。

 しかし笑ってばかりもいられない事情は山積していた。


「さて、ここからが大変だな」


 マリウスを始めとして、他へ取られそうな人材の大半は先に確保できるようになった。

 最難関がマリウスであり、彼が獲得できたのだから今後は動きやすくなるだろう。


 もちろんこの決断が、同盟関係に悪影響を与えることも予想される。


 しかしクレインは最上の未来を目指し、完璧な結果を出していくと誓ったのだ。

 自分の右腕を代用で済ませることはできない。


「ここから先は、俺の交渉能力次第か」


 そう決めて、クレインも席を立つ。

 そして跪いたままでいるマリウスの前に立つと、しゃがみ込んで彼の肩に手を置いた。


「早速働いてもらうぞ。言った通り、任せたい仕事ならいくらでもあるんだ」

「お任せください。アー……クレイン様」


 これで各地の情報収集が可能となる。

 今回の道で初手を変えた結果がどう出ているか、他勢力への影響はすぐにでも調べる必要があった。


「相談事もある。激務になることは覚悟してくれよ?」

「元より覚悟の上です。私でお役に立てることがあれば、何なりと」


 他所の家に借りを作ってまで、己を獲得しようと力を尽くした。

 自分の実力と可能性を、そこまで買っている男が主君となったのだ。


 今後の関係次第ではあるが、それだけでも忠義を尽くす理由にはなる。


 仕官の経緯から、本来よりも士気の高くなったマリウスを配下に加え。

 クレインはかねてからの懸念だった、サーガからの情報を活用する算段を立て始めた。



――――――――――――――――――――


 マリウスの士気が上昇したことにより、以下の変化があります。

 忠誠心の向上。

 全能力が時間経過で上昇。


 特に忠誠心は、身代わりにされても躊躇ためらいなく死ねるレベルにまで到達する見込みです。

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