55回目 地雷回避



「俺が先生ですか」


 なろうと思えば、なれないことはない。

 最初は飛び入りしてきた年上の男をコテンパンにしてやろうと、息巻いていた生徒たちも今では大人しいものだからだ。


 クレインの口から、実際に見てきたかのように具体的な政策案が出てくること。

 次から次へと異常な量の知識が出てくることに、舌を巻いていた。


 今では周囲から一目置かれていたし、顔が広いアイテール男爵からの紹介なので嫌がらせを受けることも無い。

 問題はそれで友人が一人もできていないことだが、何にせよ、先生を引き受けてもナメられることはないだろう。


「いや、しかしガラでもないような」

「まあ無理にとは言わないよ」


 しかしクレインからすれば働いてみることへの不安はもちろんあるし、少し年下とは言え、同世代を相手に指導をしろと言われてもしっくりきていなかった。


 名家の人間が多い私塾で、先生をやるのは少し荷が重い。

 ヘタをすればクレインよりも高い身分の人間が現れるかもしれないのだから、当然尻ごみしていた。


「もし先生が嫌なら、実際に力を試せる職場へ推薦しようと思うんだ」

「職場と言うと?」


 その点も織り込み済みだったのか、ビクトールは笑顔で本命の話題へ続ける。


「ラグナ侯爵家ではいつでも若い人材を募集しているからね。特待生の就職先も基本的には侯爵家さ」

「えっ」


 先生への就任に消極的と見るや、ビクトールは次の案を口にした。

 が、予想外の提案に、クレインは目を丸くしている。


「君の実力ならすぐに出世できるだろうし、どうだろう? 僕の方から採用担当に話をしてみて――」

「先生の仕事を引き受けます」


 その瞬間クレインの脳裏にチラついたのは、金髪のオールバック。

 そして得体の知れない、鋭い目つきをした侯爵の姿だ。


「え? いいのかい?」

「はい。面白そうですし」


 今生では目立たず、中堅勢力のまま北候の配下に入ることを目標にしている。

 しかし変に覚えが目出度くなれば、どうなるか。


 陰謀の片棒を担がされたり、何かに利用されたり。

 ろくでもない事態が起きる可能性は格段に高くなる。


 侯爵家と直接の接点を持った時点で、危ない橋を渡ることになるだろう。


 深入りしないまま、遠くの味方勢力という着地点を目標にしているクレインとしては避けたい展開だ。

 だから彼は掲示された二択から迷わず、多少面倒だとしても、先生の役目を引き受けることにした。


「侯爵家へ仕官できれば、そこらの貴族家よりもいい条件だとは思うけど。まあ、君がそれでいいなら……いいか」


 ビクトールとしては、塾の先生よりも侯爵家への推薦の方が本命だった。

 クレインの将来を考えれば、そちらの方が未来は明るいからだ。


 しかし仕えるなら当然、身元の調べが入る。

 そこは紹介者のアイテール男爵からすれば、別に隠すことでもない。


 むしろ侯爵家とクレインのパイプ作りに。

 善意で。

 全力で協力してしまうだろう。


 もしも仕官の道を選んだ場合、クレインが考え得る流れとしては。


「この子、実は子爵家の当主なんですよ」


 と、まずは男爵が猛プッシュする可能性がある。

 次の可能性としては、ビクトールからの推薦が最高評価となることだろうか。


「有望な子だからね。北侯の傍で使ってあげてくれないかな」


 などと、社会的信頼を勝ち得ていそうな二人が推薦すれば、高確率で採用だろう。

 問題は採用されたあとだ。


 侯爵家としてもそんな人材が本拠地に滞在していれば、領地ごと囲うだろうと想像はつく。

 例えば親戚の子女と政略結婚、その提案くらいはあるはずだ。


 ともすれば、一門衆に加われて安泰。

 目標はこれ以上なく達成できる。


 だが。今このタイミングで侯爵家と接近すれば、王子の勢力と真っ向から殺し合うことになる。

 北侯に手は出せないとしても、北候の勢力圏から外れたアースガルド領は狙い撃ちにできるのだ。


 余計なトラブルを考えるなら、ここは無難にビクトールの提案を受けた方がいい。

 彼の判断はそんなところだった。


「はは、引き受けてくれて嬉しいよ。最近では色々大きい動きが多いからね、成り上がりを狙って塾に通わせようとする親が多いんだ」


 そんなことを知らず、ビクトールは笑っていた。


 クレインは体よく仕事を押し付けられた形になるが、勉強になるなら特に不満は無い。

 むしろ地雷を回避できて、ほっと一息ついているくらいだ。


「最近も何人か増えましたよね」

「ああ。半端な時期に入ってくる子は特に面倒を見ないとだから。これで意外と忙しいんだよ」


 というわけで、これはビクトール側にも利益がある提案だった。

 それはいいとして。


「でもビクトール先生の教えを期待して、出てきたのがこんな若造だったら……父兄の皆様から怒られませんか?」

「そこを何とかするのも勉強。世渡りのお勉強かな」


 面倒な親も出て来るだろう。

 そこを何とかする経験など、名家の坊ちゃんが積んでいるはずもない。

 ビクトールの提案はそこも想定していた。


 彼からすれば、教えられることが無くなってきたのは事実。

 だから提案を飲まずに、卒業となっても構わない。


 教師を引き受けて貰えるか、侯爵家に紹介できれば嬉しい。

 最低でも引き分けだ。どう転んでも彼に負けはなかった。


「してやられましたか」

「兵は詭道きどうなり。戦いの基本は騙し合いということさ」

「上手いこと言ったつもりでしょうが。……いえ、もういいです」


 日常生活で急に、駆け引きの戦いを仕掛けて来るなと思うクレインではあるが。

 何にせよ未知の体験ではある。


 だから彼は前向きになり、先生役を受け入れることに決めた。


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