25回目 制御不能の激情



 クレインは子爵家のお坊ちゃんだ。子どもの頃から何不自由なく暮らし、穏やかな田舎街で過ごしてきた。

 都会や世界を知らなかった、世間知らずのご令息でしかない。


 それは彼自身でもそう思っているし、ヘルメス商会の調べでも大した情報は無い。


 領地を引き継いでからは安穏とした日々を送り、気まぐれに育てた北方作物で飢饉を回避して、何気なく調べた山からは銀が出た。

 苦境にいる第一王子に取り入り、権力にも手をかけて、人生の全てが成功している。


 挫折など一度も味わったことのない秀才。それがジャン・ヘルメスから、クレイン・フォン・アースガルドに下された評価だ。


 今までの経歴を全て洗っても、穏やかで優秀な田舎領主という情報しか出てこないだろう。

 しかし実際には、それらの経歴から描かれる人物像と、クレインの本質はまるで違う。


「なめるなよ、この怪物が」

「な、何を……!?」


 殺されていく領民たちの断末魔を聞き、一方的に虐殺される無念を味わい、理不尽に攻め滅ぼされる屈辱を受けた。

 陰謀に巻き込まれて、何度も、何度でも殺されてきた。


 それらの惨事によって、生死に対する恐怖や倫理感が、徐々にではあるが壊れ始めていたのだ。


 死線の数々を飛び越えてきた今の彼は、例え相手が、金の力で幾多の人間を破滅させてきた怪物だとしても退きはしない。

 殺され・・・る以上・・・のことが無ければ、何を恐れることがあると、何ら怯えてはいなかった。


 彼は怒りに任せてヘルメスの頭を押さえつけると、持て成しのために出された紅茶を、露わになった顔面に注ぐ。


「口でそんなことを言いながらも、今度はこれに毒が入っているかもしれない」

「ご、ごはっ!? ごぼっ!?」


 カップの中身が空になるまで、淹れたてで、湯気が立っている液体が降り注ぐ。クレインは己の手に跳ねる熱も気にせず、ヘルメスの顔に火傷を創った。

 中身が空になったカップは投げ捨てられて、陶器が砕ける音が小さく響く。


「や、やめ……ぐぼはっ!?」


 突然の暴力に対して、くぐもった声の悲鳴を上げるヘルメスを強引に引き起こすと、クレインは腹に思いきり前蹴りをして床に転がす。


「言ったよな? 商人にとって一番大切なものは、信用だと」

「そ、それが、なんだと……!」

「信用を失ったのだから、商人の流儀に従って死ね」


 怒りを抑えきれない様子で吐き捨てたクレインは、腰の剣を抜き放った。ハンスたちは部屋の入口付近に立ち尽くしたままで、そちらには命令を下そうともしていない。


 脅しでも何でもなく、彼は己の手で斬り捨てるつもりで刃をかざす。


「ヘルメス商会は色々と厄介だからな。お前を始末してから、家探しさせてもらおう」

「ふざけるなよ小僧ッ! 貴様如きが、儂をどうこうできると思うなッ!!」


 歳を感じさせない覇気が含まれた声に、衛兵たちは委縮した。しかし声だけで人は殺せないのだから、クレインは全く動じないままだ。


 大声で脅されることが怖いか。そんな段階は、とうの昔に通り過ぎている。

 死ななければどうということもなく、死んだところで、どうということもない。


 そして頭で煮えたぎる制御不能の激情を前に、剣を抜いたクレインは、冷静に考えていた。


 この老人が黒幕とは言え――彼自身に――そこまでの悪感情を感じる部分はあっただろうか?


 例えばブリュンヒルデ・フォン・シグルーンは何度も己を殺してきた。正直に言えば苦手だが、しかし一緒に仕事ができるくらいの折り合いはついている。


 例えばドミニク・サーガはブリュンヒルデと並ぶほどに、己を何度も殺害した。しかし彼の境遇には同情を覚えて、何か命を助ける道は無いかと思案もした。


「考えても、分からないことかもしれないけど……。この不快な気持ちはなんだろうな」


 そこいくと、ジャン・ヘルメスという人間は、ただ殺害をそそのかしただけだ。ブリュンヒルデに殺害を命じてきた、第一王子と同じ位置にいるとも言える。


 第一王子にそこまでの恨みがあるかと自問しても、ベッドの上で枕に八つ当たりすれば晴れる程度の怒りしかない。


 何故、自分はこんなに荒れているのか。


 どうせリセットができるのだし、どんな手を使っても構わないと考えた時から――タガが外れたのだろうか。

 短い時間の中で色々と考えを巡らせたが、答えは出ないままだ。


「まあいい、有言実行だ。陥れてきた人々に、精々あの世で詫びてくれ」

「何をしている! 早く助けろ!」


 クレインが剣を振り上げた瞬間。応接室のドアが激しく、しかし音も無く開かれた。

 室内に飛び込んできた人影は、そこまで大きくはない。


 長い金糸のような髪を燭台の光に反射させて、一瞬、流星のような煌めきが走る。クレインの目で追えたのはこのシルエットだけだ。


「ブリュンヒル――!?」


 猛将が戦場を進撃する時に、「無人の野を行く」という表現がある。障害物など無いかのように、敵を一瞬で蹴散らして進んでいく様を表す言葉だ。


「あっ!?」

「ぐあっ!!」

「ク、クレインさ――がッ!?」


 今の彼女を表現する時に、これほど相応しい表現も無かった。


 一歩目で1人目の歩哨の首筋を切り裂き、二歩目で2人目の歩哨の首を刎ね飛ばした。

 そして続く三歩目で、応戦しようとしたハンスの喉を貫く。


 駆け抜けるついでに首を落としていったブリュンヒルデは、一切速度を緩めないままに、クレインのもとへ辿り着いた。

 彼女はヘルメスに振り下ろされた剣を跳ね上げながら、返す刀でクレインの胴を薙ぐ。


「が、は……ッ!?」

「申し訳ありません、閣下。今はまだ、王国にヘルメス商会の力が必要なのです」


 謝罪の言葉は口にすれど、彼女はクレインをあっさりと斬り伏せた。


 眉が数ミリほど下がっているので、いくらかは申し訳なく思っているのだろう。

 いくらかの情も湧いたのだろうと彼は推測したが、それだけだ。


 結果としてはいつも通りに、クレインは血だまりを作って、ブリュンヒルデの前に倒れている。


「……いずれは不要となる、というような口ぶりだな。小娘」

「言葉の綾です、御大。……ああ、いけない。苦しませてしまいましたね」


 死に際であっても、クレインは冷静に状況を考える。


 王子もブリュンヒルデも、ヘルメス商会が暗殺に一枚噛んでいること――もっと言えば、ラグナ侯爵家と裏で繋がっていることを知っているようだ。


 要は裏で敵だと思っていても、表では友好的な勢力として扱っている。だからこそアースガルド領で活動してほしいと要望を出せたのであり、ヘルメス商会も応えたのだ。


 敵だと承知の上で、まだ、取り除くだけの力が足りない。

 だから今は動けない。動ける時期ではなかったのだ。


「大丈夫です。すぐに、楽になりますから」


 国政にも関わるほどの商会を今すぐに取り除けば、内乱の粛清で力を失った王国は、更に力を失うことになる。

 そうなればこの国は、歯止めが効かないほど凋落ちょうらくするかもしれない。


 荒れ果ててボロボロの国を引き継いでも、そんなものはすぐに崩れる砂上さじょう楼閣ろうかくだ。

 王子もそんな事態は望んでいないのだろう。


 命を失う寸前だというのに、平然と計算を続けている己の思考に気づいて――ああ、やはりタガが外れているなと――クレインは己の思考に呆れ果てた。


「閣下、残念です。……せめて良き眠りを」


 少なくとも、感情の制御すらできていない自分には無理だった。


 しかし第一王子、どこまでも冷静で冷徹そうな彼ならば。この男から見返りを貰いつつ、上手に制御ができるのだろうか。

 そんな疑問を持ちながら、クレインの意識は途絶える。




 王国暦500年8月22日。


 領主の急死により、アースガルド家の歴史は終わりを告げた。

 アースガルド領は後に王家の直轄地となるが、後に動乱の中で、ヴァナルガンド伯爵家の飛び地に編入された。


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