26回目 イタズラとトキメキ



「あー……失敗したな。調子に乗り過ぎたか」


 またしても秘書官に殺害された男。感情のおもむくままに暴れたクレインは、珍しく気落ちしていた。


 どうせやり直せるのだから、どんな後ろめたいことでもやりたい放題だ。

 どうせリセットできるのだから、何をしてもいい。


 それは事実としてあれど、前回はその考えが悪い方向に作用した。リセットが前提の動きをしたせいで、理性が飛んで暴走したのだろうかと反省していた。


「話術で情報を引き出すことが、正解だとは知っていたはずなんだけど……」


 何故か、どうしても抑えが利かなかった。

 殺害を命令していたとしても、そこまで恨んでいる節は無いはずなのにと、彼は暴挙を自戒する。


 しかしその直後に首を振って、それはそれでおかしいと、考えを一部改めていく。


「いやいや冷静に考えよう、何度も殺されたら普通は怒るんだ。……違うか。何度も殺されかかったら、怒るのが普通なんだ」


 死ぬことが当たり前になり過ぎて、自分の命を低く見積もるにも限度がある。

 価値観のバランスを取るのが難しいところだと、彼は一人悩んでいた。


「普通は、一度だけの人生だからな」


 少なくとも、「どうせリセットできるのだから失敗してもいい」という考えだけは改めよう。

 クレインがそう決意したのと同時に、いつも通りに寝室の扉が開いた。


 心がささくれているところに、メイドのマリーが間延びした声でモーニングコールにやってきたのだ。


「おはようございまーす!」

「ああ、おはようマリー」


 マリーはいつも通りの朝に必ず居てくれる存在であり、クレインとしてはもう、平和の象徴にすらなりかけている。


 そんな彼女は水差しを枕元のテーブルに置きつつ、クレインから遠い位置のカーテンを半分だけ開けに行った。


 寝坊しがちなクレインがすぐにベッドから起きて目を覚ませるようにと、起きる理由を探した結果がこのルーティンだ。

 気づけば5年以上もの長期間に亘り、この習慣が続いている。


「なあ、マリー」

「なんです? クレイン様」


 さて、ベッドから降りたクレインがカーテンの半分を開けつつ、心を落ち着かせるにはどうしたらいいかを考えた時。

 とにかく幸せだった頃の記憶を探ってみれば、彼女とのエピソードも一つあったなと気づいた。


「髪の匂いを嗅いでもいいかな?」

「へ?」


 彼は2年後・・・の収穫祭で、酔った勢いでマリーといい雰囲気になり、髪の毛へ顔を埋めたことを思い出していた。

 茶髪のロングヘアーはよく手入れされていて、いい匂いで幸せに浸れたのを覚えている。


「ちょっと気分を変えたいんだ」


 マリーの髪に顔を埋めよう。それで関係が拗れるならいっそ自害してもいい。

 そんな考えを浮かべつつ、クレインはベッドから起きた。


「夢見が悪かったようでね。いい匂いで打ち消したいんだよ」

「え、いや、あの……?」


 しかし切り出し方が下手すぎた。両手を広げて、「髪の匂いを嗅がせてくれ」と言いながらにじり寄ってくる領主。

 この動きをどういう風に捉えたのか、マリーは回れ右して逃げ出した。


「わ、私、お手付きはダメですからぁぁああ!」


 いい雰囲気になって、そのまま最後まで・・・・突っ切ってしまうことを想像したマリーは、顔を真っ赤にして部屋から飛び出していった。


「はは、残念」


 甘い雰囲気を作って幸せに浸ることはできなかったが、しかし図らずもイタズラには成功して、クレインは上機嫌になる。


「朝っぱらから、そこまでやらないってのに」

「閣下。何かあったのですか?」


 そして入れ替わりで、ブリュンヒルデが顔を見せた。

 彼女が部屋に顔を出す度に、腰を抜かしそうになっていたクレインではあるが、今朝は少し違う。


「せっかく覚悟を決めたんだし……やってみるか」


 勢いついでとばかりにクレインは、「どうせなら彼女にもイタズラをしてみよう」という、普段の彼ならば絶対にやらないであろう行動を取った。


「なあブリュンヒルデ」

「はい、閣下」

「髪の匂いを嗅がせてくれないか?」


 顔を歪めて冷めた目をするのか。顔を赤らめて、意外と乙女な部分を見せるのか。それともマリーのように逃げ出すのか。

 クレインが興味津々で反応を待っていると、彼女はサラサラのロングヘアーを一房掴んで差し出した。


「どうぞ。閣下」

「え? あ、いや……」


 ブリュンヒルデの表情は変わらず、微笑んだまま髪の毛を差し出している。

 この対応が一番あり得ると、予想はできたはずだ。


 しかし今のクレインは、何の躊躇いもなく許可が降りたことに驚き、陽光に照らされた金糸のような髪を凝視していた。

 禁断の果実に手を出した気分になった彼は、目の前に立つ女性に――何故かときめく。


「い、嫌じゃないのか?」

「ええ、構いません」


 外見だけを見れば、ブリュンヒルデは顔のパーツが恐ろしく整っているのだ。初めて意識的に顔を見たクレインはまず、小さく艶々した桜色の唇に目が行った。


 スタイルも完璧だ。引き締まっているのに胸は大きく、二の腕辺りも健康的に引き締まっている。


 先ほどから着目している髪の毛などシルクのような光沢を放っており、気づけば髪を手に取らずとも、甘い香りが漂ってきた。


「……?」


 ここにきてクレインは、「そう言えばブリュンヒルデは美人」という事実に気づいてしまった。

 これまで武人か暗殺者としてしか見ていなかったので、彼は謎の不意打ちを食らう羽目になったのだ。


 そして男性が女性の髪の毛に口づけをするのは、口説く時の愛情表現でもある。それに近いポーズを取るだけで、誤解されるくらいにはポピュラーなものだ。


「どうしたのですか、閣下?」


 正面から口説いたというのに、当のブリュンヒルデは全くいつも通りな態度で受け入れた上に、全く動じていない。

 その分クレインの方がドギマギしながら、逃げ出すことになった。


「い、いや、変なことを聞いた! ちょっと顔を洗ってくるから、それじゃあっ!」

「あ……」


 声まで蠱惑的こわくてきに聞こえてきた。そんな印象を振り払いながら、クレインは顔を真っ赤にして逃げ出した。


「こ、これだとマリーを笑えないぞ!」


 そもそも自分への殺害回数が首位な女を相手に、何をときめいているのか。

 己で己の軽挙妄動を、全力で叱りつけたいところではあった。


「ん? いやでも、どうせなら……」


 大混乱の最中さなかには、惜しさの感情も混じった。どうせ・・・そのうち無かったことになるのだから、嗅ぐだけ嗅いでおけばよかったという気持ちだ。

 つまり起き抜けに刻んだ戒めを、彼は早速破りそうになっていた。


「いやいや、何を考えているんだ俺は!?」


 そう言えばマリーともいい雰囲気止まりで、結局何の発展もしなかったんだよな。

 そんな考えが頭を掠めていく中で、彼はとにかく目を覚ますべく、水場まで走っていった。


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