ハワイまで6430km

@koshian1996

第1話 離陸

『本日もXX航空、ホノルル行き835便をご利用いただきありがとうございます。当機の機長は・・・・・』

休日だというのに、離陸前のアナウンスを聞くと仕事のことを思い出すのは、最近海外出張が多かったせいだ。

盆休みのシーズン、ホノルル行きということもあり、周囲はカップルや子連れがほとんどで、皆今すぐにでもエメラルドグリーンの海に飛び込まんという顔をしている。その中で俺の隣に座っている男だけが、人食い鮫を発見したような顔をしている。

「大丈夫か」

大丈夫そうには見えなかったが、一応聞いてみる。

坂口は飛行機恐怖症だ。いわゆる遊園地の絶叫系もだめで、故障したら、とか墜落したら、とか考え出したらきりがないことを考えてしまう。通路を挟んで俺の隣に座っている5歳くらいの女の子も不思議そうに見ている。俺と坂口はエコノミークラスの真ん中の列に座っており、どちらも通路側だ。

「だめだ」

坂口はそのまんまを言う奴だ。高校の時もそうだった。試験前、坂口は皆と同じように「全然勉強してない」と言い合っていたが、唯一本当に“全然やってない”奴だった。

そんな坂口が俺を誘ってハワイ旅行に行こうと言う。

坂口とは高校の時にそこそこ仲が良かった。2人ともどちらかというとオタクっぽい趣味であることに気が合い、“いかに二次元の女子が三次元の女子より良いか”という検討会をしたりもした。今も一年に一回くらいは飲みに行く仲で、つい先月高校の同級生の結婚式で会った時に誘われた。

俺は今まで一度も海外旅行に行ったことがない、思い立った時に行かないと死ぬまで行かないような気がする、とまくし立てていたが、そんな通り一遍の理由にそぐわない決意のようなものを感じた。そもそも坂口は飛行機恐怖症で、海外なんか死んでも行くものかと豪語していなかったか、と違和感はあった。花嫁の細い腰に手を添える同級生を見ながら、三十路近い男がふたりでハワイに行く虚しさについても思ったが、そういえば坂口と旅行に行ったことはなかったし、機会がなくハワイには行ったことがなかったので、付き合ってやってもいいかと思ったのだ。

飛行機は俺が予約をしておくと言ったが、坂口が自分が誘った手前やると言ったので任せた。しかし、坂口が予約したのは日本時間で夕方の6時発、ホノルル現地時間で朝7時着の便で、現地で活動できる時間は増えるが、睡眠時間が取れない点ではきついスケジュールになった。坂口は海外旅行に慣れていないから、そういった調整には不慣れなのだろう。


きつい冷房の中で冷や汗をかいていそうな坂口のために、通りがかったCAにブランケットをもらう。CAの顔になぜか懐かしさを覚え、いつの恋人に似ている顔だったかと考えていると、坂口が、「今の、内田に似てない」とつぶやいた。

「内田って、高校の時の?」

機体がゴゴゴと滑走を始める。名前は聞き覚えがあるが、あまり印象がない女子だ。坂口は安全のしおりに載っている同体着陸時の姿勢のようにうずくまりながら、こくこくとうなずく。

「内田って最後同じクラスだったっけ?」

「俺は同じだった。谷崎は二組だったろ」

そうだ。それまでの二年間は俺も坂口も内田と一緒のクラスだった。俺だけ高三でクラスが分かれたのだ。とはいえ特に仲が良かったわけではなく、「今日寒いね」くらいはしゃべる程度の、普通の同じクラスの女子だった。俺にとっては。しかし坂口とはもっと疎遠だったのではないか。坂口は女子に「今日寒いね」も言えないタイプだった。

「似てたかなあ」

「まあ、口元とか」

その状態でよくCAの顔を見る余裕があったものだ。坂口はずっとうずくまっている。本当に大丈夫だろうか。速度が上がってきて、もうすぐ離陸だというところで坂口が、パラパラ漫画、とつぶやいた。パラパラ漫画?

「内田が描いてた、パラパラ漫画、授業中」

席が隣で、教科書見せてもらったら、ページの端っこに、飛行機が飛ぶ漫画。息も絶え絶えな坂口が流石に心配で、背中をさすってやる。何か話をしていた方が気が紛れるかもしれない。

「どうだった?」内田は授業中に漫画を描くような奴だったのか。

「可愛かった」

想定していた答えと微妙にずれていて俺は一瞬黙った。絵がうまかったかというつもりで聞いたのだ。機体の揺れが激しくなる。

「惚れてたとか言うんじゃないだろうな」

「そうだよ」こっそり描いてたパラパラ漫画を俺にみられて、恥ずかしそうにしてたのが、なんか良かった。

坂口がそう言った時、内臓がスッとするような浮遊感を感じた。離陸の瞬間は慣れていても少し緊張する。内田が描いたパラパラ漫画を想像してみた。漫画の飛行機の中に俺と坂口がいる。





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