第5話 第二の事件
結局予定より倍の時間がかかり、三人で大慌てでごみを片付け、体育館のほうへ走って行った。
朋美の制服も、気温が高いことと風に吹かれながら作業をしたことで、だいぶん乾いて軽くなった。
「どうしたの、遅いよ!」
部員たちに囲まれて衣装合わせをしていた紀子が美香たちに怒鳴った。
メイクもばっちり施している紀子の姿は迫力たっぷりで、叱られながらも、「さすが…」と思わずにはいられない。
文化祭まであと2週間ほどしかないということもあって、紀子もピリピリしている。
玲子の王子役の衣装もできつつあった。
美香たちは神妙に頭を下げつつ、それぞれの準備を始めた。
時は目まぐるしく過ぎ、文化祭を明後日に控えた放課後。
演劇部の練習や準備も大詰めを迎え、何度も体育館での通し稽古が繰り返し行われた。
他の部活の連中も、それぞれの出し物の用意などで遅くまで学校に残っていた。
通行人役の美香や朋美は舞台での練習もそこそこに、部室などで大道具の仕上げにかかっていた。
しかしさすがに19時近くになり、教師たちも帰宅の声掛けをし始め、生徒たちがそろそろと帰り支度をしていた。
ほとんどの生徒たちは、もうすでに小林雅美のことを気にかけている者はほとんどいないかのように見える。
美香たちも表面上は口にしたりはしなかったが、少なくとも部員たちの間ではまだまだ雅美の存在感は生きていた。
今日最後の稽古を見学しながら、美香は、今更のように雅美の心情を思った。
身重の身で、過酷な練習に熱心だった雅美先輩。
もしも出産を決めていたのなら、これが最後の劇になると覚悟していたのだろうか。
もしも…これが他殺だとしたら、犯人は雅美先輩だけではない、お腹の赤ちゃんまでも殺害したことになるのだ。
なんて恐ろしいことなんだろう…
あれから高橋とかいう少年は一度も現れない。
警察に追われているかも、と言っていたが、どこでどうしているのやら。
美香自身、何も新しく知った事実はなかった。
事故の現場からも遠く離れているし、疑うには手掛かりがなさすぎる。
舞台の上では最後の場面、姫役の紀子と王子役の玲子が晴れて結ばれ、結婚式で愛の誓いを語っている。
話の中では、雅美が演じるはずだった姫の愛が成就し、王子とひしと抱き合い幸せいっぱいのラストを迎えるはずだった…。
いろいろと複雑な気持ちで、ぼんやりと舞台を見ている間に、稽古は終わった。
衣装を脱いで化粧を落としている玲子を待つ間に、部員のほとんどは帰ってしまった。
もうすでに校舎にも人は残っていない。
各階の廊下の灯りはまだついているが、学校全体が暗闇の中にぼうっと浮かび上がっていて何となく薄気味悪かった。
体育館もとっくに消灯されていた。
「玲子、まだかなぁ?」
下駄箱で一緒に待っていた朋美が廊下の方を覗き込んで行った。
「ちょっと待ってて、見てくる」
美香は上靴を履き直した。
「え、ちょ、ちょっと待ってよぉ、あたしもいっしょに…」
朋美がもたもたしている間に美香は中庭のところまで来ていた。
日中はまだまだ暑くても、さすがに9月も半ばを過ぎると、日暮れが早くなっていて辺りはかなり薄暗くなっていた。
中庭には数本の木が植わっており、地面はいくつか茂みになっていた。
玲子たちが着替えている教室は、中庭を突っ切っている外廊下の先を階段で上がったところにある。
後ろから朋美の呼ぶ声がして、美香は外廊下に出たところで待っていた。
明日は晴れるかなぁ、あんまり暑くないといいな、なんて空を見上げていると、何か黒いものが降ってきた。
それははるか上空で最初はゆっくりと、まるで宙を舞うように。
やがてぐんぐん加速して、いきなりドスンと地面に着地した。
いや、落下したというべきか。
——ヒトだった。
そしてそれは、美香たちがよく知る人間、佐々木紀子だった。
「……い、いやああああーーっ!!」
声を失って地面を見下ろしている美香の後ろで、朋美がありったけの大声で叫んだ。
その声は、すっかりひとけがなくなり静まり返っていた学校中に響いた。
暗闇の中で、パトカーの赤い回転灯がぐるぐると回っている。
美香たち三人は沈痛な面持ちで、それを学園長室の窓から見ていた。
入学してからというもの初めて入ったこの部屋の中は、先ほどからかなりあわただしかった。
学園長やら教頭やらがいろいろなところに電話をかけ、警察が数人出て入ったり、美香たちに当時の状況など同じことを何回も聞いてくる。
「困った、ああ困った…」
まだ残っていた数人の教師たちも頭を抱えたり腕をくんだりしてうろうろしている。
美香と朋美が第一発見者となり、後からやってきた玲子も加わって、並んで座らされている。
朋美はまだグスグス泣いていた。
無理もない。
目の前で人が落ちてきて、死んだのだから。
しかも見知らぬ人間ではない。
美香もまだ心臓がドキドキしていたが、両手を力強く合わせ握り、ただじっと座り込んでいる。
玲子が美香の様子を不安げに横目で見ていた。
「なんだってわが学園にこんなことが…」
電話を終えた学園長がため息をついて、どさっと美香たちの前に腰を下ろした。
「開校以来こんなことはただの一度もなかったのだぞ」
まるで美香たちを非難するかのような口調だった。
つい先月、合宿所で起こった事故の第一発見者も美香たちだった。
そんな偶然そうそうあるわけがない。
怪しまれるのも無理はなかった。
「君たち…何か知ってるんじゃないかね?」
もううんざりするほど聞かれたことを、再び質問される。
「だから先ほどから何回も言ってるじゃないですか、わたしたち何も知りません!たまたまその場に居合わせただけです!」
感情的になるのは不利だと分かっていたが、こっちだってショックを受けているというのに、まさか疑われるなんて。
それぞれの家にも連絡がいっているので、後で親も来るだろう。
「当然分かっていると思うが、このことは口外しないでくれたまえよ」
「え…」
「この事故のことを知っているのは生徒たちでは君たちだけだ。学校関係でこんなに事故が立て続けに起こるなど地域に知れたら大問題だ。今更明後日の文化祭を中止させるわけにはいかないんだよ」
「は…?そんなこと…!」
美香たちは憤った。
「だけど…紀子先輩のことはどうなるんですか!!文化祭での劇だって!」
「そのことは厚木先生とも先ほど電話で話した。文化祭が終わるまでは体調不良ということで欠席扱いし、口外しないように言ってある」
「そんな…!」
ショックだった。
顧問の先生までが学校に従うなんて。
「君たちも、くれぐれも分かってるね。他の生徒たちに動揺を与えるようなことにならないように!」
「……」
美香たちはしばらく不服そうな表情で座っていたが、やがてしぶしぶ頷いた。
「とんでもないことになったわね…」
それぞれの親が迎えに来て、ぞろぞろと校門から帰る時、玲子が美香に小さく呟いた。
美香は車に乗り込む時、校門の塀から様子をうかがう少年の姿を目にした。
少年の顔が一瞬ライトに照らされ、美香と目が合う。
なぜここに彼がいるのかと不審に思った時、美香は背筋が凍った。
——まさか、まさか…
今さらながら、美香はとんでもないことに巻き込まれているのではないかという恐怖心に襲われた。
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