謎解きは舞台の上で
綾波 碧
第1話 白樺木立
夏真っただ中。
白樺の木立の間から、少女たちの声が響いている。
山々に周囲を囲まれた林の中に開けた場所があり、学生向けの合宿所が立っていた。
規則正しい発声練習の声が、ガラス張りの窓の大部屋から休みなく聞こえている。
東京にある私立の女子高演劇部の、夏の恒例合宿であった。
9月に入るとすぐに行われる文化祭での出し物があるため、連日の練習にも熱が入っている。
Tシャツにジャージ姿の二十人ほどの少女たちがみな頬を真っ赤にして、首にタオルを巻きつけている。
額から大粒の汗が流れ落ちていた。
筋トレ、発声練習だけでもう30分以上。
一体いつまでするんだろう、と誰もが思っている。
ただ一人を除いては。
皆と向き合うように一人立って、ひときわ大きく声を出している少女、小林雅美。
演劇部部長で、常に主役のヒロインを演じている。
当然のごとく美しい顔立ちをしていて、長い黒髪に華奢な体つきで、日本の歴史ものの舞台も外国が舞台の演技も、見事にこなしていた。
「おい…小林、もうそろそろ終わってもいいんじゃないか…?あんまりやりすぎると…」
顧問の厚木達夫が恐る恐る雅美に言った。
顧問のくせに、熱心な雅美に気おされて弱弱しい。
もともと気弱で穏やかな性格なので普段から生徒たちを叱ることもめったになく、騒々しく血気盛んな女子に囲まれていては、なかなか言いたいことも言えない、といういささか情けない教師なのであった。
しかし部員の一人である田辺美香は、すでに意識がもうろうとしていた。
窓を開け放してあるとはいえ、夏真っ盛りである。
クーラーもかけず、時折木立を抜けて入ってくるひんやりとした風だけが、唯一の救いであった。
あ…もうダメかも…
ふっと目を閉じた瞬間、すぐ隣でドンッという鈍い音が床に響いた。
はっと我に返り見下ろすと、美香と同じクラスで部活も一緒の友人の一人、亀井朋美が大口を空けてのびていた。
「ちょっ…朋美!だ、大丈夫⁉」
「……いた」
「えっ…?」
みながあわてて心配そうに朋美を取り囲む中、朋美の腹の音が鳴り響いた。
「おなか…すいた…」
結果から言うと、朋美のおかげで練習が中断し、みなが休憩に入れたので感謝すべきかも知れない。
しかし美香は、
「もう!熱中症かと思って心配したじゃない!」
とぷりぷりしている。
一瞬、救急車を呼ばなければいけないかもと思った。
「だってぇ~、ここのごはん、少ないしおいしくないし…」
朋美は甘えん坊でへたれなとこがある。そこがかわいいというので、けっこう男子からはモテていた。
「一理あるわね」
ペットボトルの水を飲んでいたもう一人の友人木野崎玲子が冷静に言った。
玲子は理性的なタイプで成績優秀。すらりと長身なため、劇では男役をやることが多かった。
今回の文化祭で披露する劇でも、部長でヒロイン役の雅美の相手の王子役を担うことになっている。
しかし確かにこの合宿所の食事は、食べ盛り育ち盛りの少女たちの腹を満たすには量も味付けも不足していた。
まかないのおばさんが一人で切り盛りしているのだが、食事内容に関しては他の部員たちにもおおむね不評だった。
おまけに菓子類の持ち込み禁止。
おやつの時間に出るのは土地柄トウモロコシとかすいかとかが大量に、そういうものばかりだった。
今や彼女たちのこの合宿の唯一の楽しみは、最終日の夜のBBQのみであった。
「このトウモロコシ昨日も食べたし。今日は蒸されてるけど」
玲子が二本目を手に取った。
ちなみに昨日は焼きもろこしだった。
他の部員たちも庭に出て思い思いに座り、トウモロコシをつまんだり、水を飲んだりしている。
「ね、この後どうすんだろ」
「また基礎練するのかなぁ」
口々にぼやいていたところへ、副部長の佐々木紀子が歩いてきた。
「ね、雅美知らない?」
探し回っていたのか、頬が赤くなっている。額に汗が浮かんでいた。
佐々木紀子もなかなかかわいい顔立ちをしていて、時々雅美の代役などをこなしていた。
しかし実は雅美に対して強烈なライバル心を抱いていることは、部員なら誰でも知っていた。
「どこ行ったんだろ、この後の練習について、確認したいのに…」
「こっちでは見なかったですけど…探してきましょうか?」
ついつい気を遣ってしまう美香が立ち上がった。
「ええ、私もあっちのほう探してみるから、お願い」
言いながら別棟の建物のほうへ歩いていく。
美香はまだトウモロコシにむしゃぶりついている朋美たちに後でね、と目配せをして紀子とは反対のほうへ向かった。
建物の中にいるのだろうか?それとも、外に?
美香は周囲の林の中を歩き回ってみることにした。
ひとけのない林の中は、ひんやりとしていて、気持ちがいい。
風が吹き抜けていくのが、快感だった。
歩き出してほどなく、雅美が木に手をついてうつむいているのが見えた。
「あ、雅美先輩!…」
思わず声をかけてから口に手を当てて立ち止まった。
木の陰で見えなかったが、雅美のそばに少年が立っていたからだ。
美香や雅美たちと同じくらいの年齢、だが女子高のため、当然見覚えがない。
それより、かなり明るい茶髪で派手な刺繍のスカジャンを着ている様子が、どうもまともな学生には見えなかった。
その少年の切れ長の目が、はっとしたようにするどく美香を捕らえた。
父親や教師を除いて、普段同世代の男性とあまり関りがない美香は、一瞬恐れおののいてしまった。
雅美が振り返った。
そしてあわてて少年に何か言い、立ち尽くしてこちらを見ている彼を置いて、こちらに歩いてきた。
「田辺さん、どうしたの?」
さきほどの険しい表情が一変し、何事もなかったかのようにいつもの完璧な美少女スマイル(というものがあるのかどうかは謎だが)に戻っている。
美香はなぜだかうろたえて、答えた。
「あ…えと…紀子先輩が探してました…」
雅美は頷くと、皆がいるほうへ歩き出した。美香もあわてて後を追った。
少年のことは当然聞きづらく、雅美もなにもなかったかのようにすましている。
あの人、一体誰…?彼氏?
それにしてもこんな合宿所まで来るなんて…。
しかし恋人同士というには何だか険しい雰囲気だった。
何だか様子が普通じゃなかった…。
頭の中が疑問符だらけであるが、後輩である自分には結局何も聞けなかった。
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