閑話 ディーアモーネとマリーアネット



『アクアリウム城・プール/マリーアネット』



 ドレス、下着、装飾の一切を脱ぎ捨てて、マリーアネットはプールサイドへと踏み出した。

 お城の王族専用プールには珍しく人影がなく、マリーアネットとマリーアネットの世話をするメイド3人しかいなかった。

 惜しげもなく裸身を晒すマリーアネットの美しい姿を、メイドの三人がうっとりとした顔で見ている。

 マリーアネットはそんな彼女たちの様子をちらりと見て自尊心を満たすと、プールへ飛び込んだ。

 その後はただひたすらに泳ぎ続ける。七割ほどの力で泳ぎ、体力が尽きるまで続けるのだ。

 もはやアスリートじみたストイックさだが、マリーアネットが特別というわけではない。

 女王候補のほとんどがこうだし、貴族女性の大半が彼女たちを手本として真似をしていたりする。

 そのストイックさがプライドへと繋がり、プライドが高慢な態度へと繋がっている。

 そして、クリスの悲哀に繋がっているのだった。



 マリーアネットの裸身が水を割ってかなりの速度で進んでいく。

 裸で泳いでいるのは、この国に水着というものがなかったからである。

 王都の人々は夏になると大湖で湖水浴などをして涼を取ったりするが、その時も基本的には普段着のままか裸なのである。

 義明的な感覚だと大胆過ぎると思えてしまうが、風呂に入るのと同じようなものと考えれば、別段おかしい話でもないないだろう。

 湖で裸なのも、ヌーディストビーチと考えれば別段おかしい話でもないのである。

 文化の違いからくるちょっとした常識の違い、というやつだった。



 マリーアネットが泳ぎ続けて五往復目に入った時、誰かがプールに来た気配を感じた。

 マリーアネットは気にせず泳いでいると、後ろの方で水音が聞こえて誰かが飛び込んだことがわかった。

 その誰かはマリーアネットが六往復目のターンに入る直前で追いつかれ、すぐさま追い抜かれていた。

 ずいぶん速いと思ったら、すれ違う時に見えたその誰かはディーアモーネだった。

 女王候補の中でもトップクラスの運動能力を持つ彼女なら速いわけだ。

 マリーアネットはあっさり納得するとマイペースに泳ぎ続けた。



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 手足が重く感じたので、マリーアネットはペースを落としてクルージングに入った。

 ゆっくり泳いでプールの端まで来ると、終わりにしてプールから上がった。

 髪を纏めていたネットを脱ぎ、髪を振り乱して水を払う。


「失礼します」


 メイドが言って、背中からマリーアネットにローブをかけた。

 マリーアネットはローブの袖に腕を通すと、プールサイドにあるデッキチェアに腰かける。

 すぐに別のメイドが飲み物を側のテーブルに置き、もう一人のメイドが髪の手入れを始めた。


「みなさん、もうよろしいですわ。ご苦労様」


 髪の手入れが終わってマリーアネットが言うと、メイドたちはお辞儀をしてプールを出て行った。

 マリーアネットはフルーツジュースを一口飲むと、デッキチェアに背中を預けた。


 目を閉じて色々考えごとをしていると、水音が聞こえた。

 ディーアモーネも終わりにするようだと思ったら、こちらに近づいてくる気配を感じてマリーアネットは目を開けた。

 真っ赤なローブを着たディーアモーネがいて、隣のデッキチェアに座る。

 ディーアモーネのメイドが同じように飲み物を置いて髪を整え、プールから出て行った。


 マリーアネットは横目で訝しげにディーアモーネを見ていた。

 クリス絡みで席を同じくするようになったが、別に楽しく会話する関係になったわけではないのである。

 他にいくらでも座る椅子があるのに、わざわざ隣に座ったということは、何か話でもあるということだろう。

 それが何かと思いつつ話し出すのを待っていると、ディーアモーネはこちらに体を向けて、真っすぐ聞いてきた。


「マリーアネット、クリスはいつ帰ってくるのかしら?」


 まぁそうだろうとは思っていた。ディーアモーネと話すことなど、昔から仕事絡みかクリス関係しかなかったのだから。


「知らないわ。予定なんて聞いてないし、連絡一つよこさないもの」


 滞在が長引くなら手紙の一つでも寄越せ、と思う。

 これまでもクリスが領地に帰ることは幾度かあり、こちらも年の半分くらいは領地へ戻っている。

 その間、一度だって連絡を寄越したことなどないのである。


 それなら連絡しろと言えば良いし、こちらから送っても良い。

 実際に手紙を書こうとしたこともあるマリーアネットだったが、最終的には「どうして私から連絡しないといけないのよ!」と言って、すべてクズ籠宛てになっていた。


「そう……、わかったわ」


 ディーアモーネは納得したようにそう言ったが、言葉の中にため息のようなものが紛れていたのがマリーアネットには気になった。

 いついかなるときも凛としている彼女にしては、珍しい反応だと思ったのだった。


「クリスに何の用なの?」

「………」


 マリーアネットが聞くと、ディーアモーネは答えずに探る様にこちらを見てきた。

 また珍しい反応ね。

 ディーアモーネは答えられない質問ならすっぱり無視するし、答えられるならあっさり答える。

 こうして、答えるか答えないか迷う姿は、過去を思い返してみても一度もなかったんじゃないだろうか。


 そのことをマリーアネットが内心で驚いていると、ディーアモーネが口を開きかけた。


「マリーアネットはクリスに禁呪をかけられた時……いや、なんでもないわ。忘れなさい」


 ディーアモーネは途中で言葉を止めると、勝手なことを言ってプールを出て行った。


 忘れなさい、なんて言われても、聞いたものをその場で忘れられるわけがない。

 いや、そんなことよりも、今ディーアモーネは禁呪と言った。

 つまりディーアモーネの用というのは禁呪絡みだったということだ。

 禁呪絡みでディーアモーネを惑わすことなど、マリーアネットには一つしか思い浮かばなかった。

 『発情』である。それ以外は考えつかない。

 おそらく今ディーアモーネは理由のわからない体の違和感に襲われているのだろう。

 その理由を考えて考えて、クリスの禁呪の影響を疑ったのだろう。


 教えてあげても良かったが、マリーアネットはやめておいた。

 あれを同性に指摘されるほどみっともないこともない。

 私ならそんなことをされたら、ごまかすために烈火のごとく怒り狂うだろう。


 ディーアモーネの場合は同じように怒る気もするし、あっさり受け入れる気もする。

 どんな反応をするか読めないが怒る可能性がある以上は触らない方が良いだろう。

 怒らせても良いことなど一つもないのである。

 それにクリスが城を出てからそろそろ二週間になる。帰ってくる日もそう遠くはないだろう。

 クリスの責任なのだから、クリスが解決するのが当然の話なのである。


「だから早く帰ってきなさいよね、……バカ」


 マリーアネットは小さく呟いて目を閉じた。


 それが起きているのがディーアモーネだけとは限らない。

 けれど、それを指摘できる者はアクアリウム城に誰もいなかった。




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