第4章 終戦
第4章 終戦
第1節 明智軍左翼
明智軍左翼は津田信春の兵2,000人である。
これは桂川沿いを進む可能性のある羽柴軍を防ぐために配置されていた。
隣の斎藤利三隊は激戦の最中であったが、津田隊は戦いに参加せず固く守っている。
津田隊は、急造ではあるが前面に柵を立て、その外側に堀を設ける徹底ぶりであった。
桂川沿いから羽柴軍が迫ってくる。
まさに、雲霞(うんか)のごとき大軍であった。
だが、川沿いは湿地帯であり、泥に足を取られその動きは非常に遅い。しかも横に十分広がる余裕がないために隊列は細く、長い。中には半身が水につかってしまっている兵すらいる。
津田隊の鉄砲隊は、明智軍本隊及び利三隊から提供を受け、数百人の規模になっていた。
向かってくる羽柴軍の兵に照準を合わせ、射程に入るのを待っている。
「撃ち方はじめえええっ!」
鉄砲隊が次々に射撃を開始する。
羽柴軍側も鉄砲隊を先頭にしていたが、いかんせん隊列が細長いために射撃できるのは先頭の十数人程しかいない。撃った後に弾込めをするため次に撃つ者と前後交代したいところであるが、その余裕がない。次に撃つ者達は強引に更に前面に出て射撃しようとしたが、たちまち津田隊の鉄砲の餌食となった。撃てたのはごく一部である。
津田隊は柵の後ろから撃っているが、羽柴軍側には身を守る物がない。射撃戦は圧倒的に津田隊が有利であった。
だが、羽柴軍の兵は倒れても倒れても次の兵が前に出て射撃を行う。数え切れない死者を出しながらも先頭は柵のすぐそばまで到達した。そして鉄砲隊の後ろにいた槍隊や抜刀隊が次々と堀に入っていく。
第2節 光秀の奇襲
天王山から狼煙(のろし)が上がっている。
狼煙の色は羽柴軍本陣の危険を表すものである。
前夜、秀吉と秀長、黒田官兵衛は狼煙の色が何を表すかを決めていた。
出せる色にも限りがあるため、4つとした。
一つ目は、羽柴軍前衛が敵を切り崩したことを表す色。これが最も望ましい結果である。
二つ目は、羽柴軍前衛が敵の攻撃で苦戦し、援軍を出す必要を表す色。
三つ目は、天王山が敵軍の攻撃で苦戦し、援軍を出す必要を表す色。
四つ目は、何らかの理由で羽柴軍本陣が危険が迫っていることを表す色。
尚、四つ目の色の必要性を訴えたのは官兵衛である。
明智光秀がどんな奇策を用意しているか分からないからということであった。
秀吉は狼煙の色を見て驚愕していた。
最もあり得ないと思っていた色の狼煙が上がったからであろう。
「ここが危険?敵が迫ってるのか?」
そのとき、前衛にいた堀秀政からの使番が到着した。
「申し上げます。主の秀政は、敵本隊は天王山を迂回し羽柴様本陣へ奇襲をかける動きがあり、急ぎ備えをされたとのことにございます!」
天王山の秀長と官兵衛もこちらに使番を出しているはずであるが、山道のため到着には時間がかかるだろう。
秀吉はまず2人の若者に尋ねることにした。
「佐吉、紀之介、ここはどうすべきと考えるか?」
佐吉はすかさず、
「秀長様や堀様の奮戦により援軍を出すことなく済んだため、この本陣には十分に兵がおります。ここは本陣を動かさず守りを固めればよろしいかと存じます。」
と答え、続いて紀之介は、
「天王山を迂回する道は限られており、どの方向から敵が来るかは明白にござります。鉄砲隊を先頭にその後ろに長槍隊で槍衾(やりぶすま)を組めば防ぎきれるかと存じます。」
秀吉は2人の話に何度も頷いたが、何か考えてるようである。
蛇足であるが、槍衾とは、槍を針鼠(はりねずみ)のように敵軍に向けて隊列を組み守りを固めることである。
長い槍と短い槍を組み合わせればその効果は絶大であった。
突っ込んできた兵は、頭上から振り下ろされる長い槍と、自分に向けて突いてくる短い槍の両方をかわさねば敵の懐に入れない。
ただし、強いのは正面に対してだけであり、正面で戦ってる間に側面を襲われると対応ができないという弱点もある。
第3節 秀吉の対応
「佐吉、紀之介、どちらも悪くない判断じゃ。だが、天王山を迂回してくる敵軍を我らは想定していない。防御陣を整える場所の地形はどうなっているか、敵軍の騎馬隊が更に迂回して側面を突いた場合にどう対処するか、一切準備できていない。万が一、防御陣を整えている間に敵軍が突入してきたらどうする?光秀本隊なら動きは早いぞ。」
まさに秀吉の指摘通りであった。
光秀は乾坤一擲(けんこんいってき)の奇襲を仕掛けてくる。当然ながら地形は全て把握していると思った方がいい。秀吉本陣の兵数は多いが、準備していないためどこかに隙が出る可能性がある。
光秀は確実にそこを突いてくるだろう。
佐吉も紀之介も沈黙してしまった。
それからわずかの時間しか経っていないが、秀吉は何かを待っている。
「官兵衛からの使番はまだか?」
焦っているのか、小刻みに足を震わせている。
「天王山は秀長だけにすべきであったか。ここはやむを得ぬ。」
秀吉は立ち上がった。官兵衛からの使番を待つ余裕はないと判断したのだろう。そして本陣の兵達に向かって大声を上げた。
「これより本陣を動かす!」
周りの者達は驚いている。一体どこへ動かすのか?
秀吉はそれを気にせず続けた。
「我らも池田殿、丹羽殿へ続くぞ!桂川沿いを進めえええっ!」
秀吉の答えは、光秀本隊の相手をしないことであった。
秀吉は本陣を空にして、桂川沿いを突き進むのである。
これでは光秀本隊の討つべき対象がいない。
まさに常識はずれの対応であった。
周りの者達も理解できていないようであるが、もちろん佐吉も紀之介も意味が分からない。
だが、総大将の命令である。本陣の兵達は次々と泥の中に入り、泥の中を進み始めた。
第4節 決着
泥の中を進む羽柴軍の先頭は、明智軍左翼の津田隊に辿り着いていた。
羽柴軍の兵は次々と柵に迫り、押し倒そうとしている。
津田隊はそれを必死に防いでいる。
だが、多勢に無勢、柵は倒され羽柴軍がなだれ込んできた。
「後詰はまだか?もう一度使番を送れっ!」
津田信春はこの言葉を何度言ったことだろう。その声はいつのまにか絶叫に変わっている。
津田隊になだれこんだ羽柴軍の横合いに、突如として襲い掛かった部隊がある。
利三隊の一部である。そこには利三の姿もあった。
かろうじて羽柴軍を押し返したが、その間も新手は津波のごとく次々とやってくる。
防ぎきるのも時間の問題と思われた。
「利三殿、明智殿の後詰は?」
利三は信春への返答に窮した。
だが、作戦の真実を伝えねばならない。少しでも長くここを持ちこたえるためにも。
利三が語ろうとしたそのときである。
こちらへと向かってくる土煙が見えた。
味方がいる方角からである。羽柴軍であるはずがない。
そして喚声が近づいてくる。桔梗の旗が見えた。やがて、ここに来るはずがない者の姿が見えた。
その者の姿は津田隊の士気を上げるのに十分であった。
だが、利三は一瞬でこの戦いの勝敗を悟った。決着は付いてしまったのだ。
「光秀様、なぜここに!」
利三が主君にかける言葉には無念さがこみあげていた。なぜここへ来たのか。なぜ我らを見捨ててでも勝ちにいかなかったのか。そういう作戦であったのに、だ。
「利三、済まぬ。」
「光秀様、なぜここに?」
利三はもう一度訊いた。
「秀吉の本陣は空になっていた。この戦の勝敗が決したゆえ引き返してきたのだ。今は一人でも多く逃がすとき。理由はいずれ話す。」
ほら貝の音が鳴り渡る。退却の合図である。
だが、明智軍の武将達は配下の者をできるだけ逃がそうと戦場に留まり続け、結果として伊勢貞興、御牧兼顕、並河易家、松田政近らが討死した。
羽柴軍は直ちに追撃に移るも、長い移動に加え激戦による疲れもあり鈍い追撃となった。
この戦いでの両軍の犠牲者は明智軍、羽柴軍ともに約3,000人と言われている。
羽柴軍は、明智軍の倍以上もありかつ勝者であったにも関わらずほぼ同じ犠牲者を出した。秀吉にとってさぞかし苦い勝利であったことだろう。
第5節 明智左馬助
近江国坂本城(滋賀県大津市)は、明智光秀が築いた城である。
城内には琵琶湖の水が引き込まれ、船着き場もあった。琵琶湖から見ると城が水に浮いているように見えることから、水の城とも呼ばれている。
山崎で激戦が行われていたこの日も、聞こえるのは小さな波の音だけであった。
その坂本城天守に、明智左馬助はいる。
左馬助は、別名として秀満や光春と言われており、光秀の叔父の子であったとも、光秀の古くからの家臣であったとも言われているが、真偽の程は定かではない。
左馬助の元には山崎での戦いの経過を知らせる使番が頻繁にやってきていた。
概ね作戦通りに経過しているようだが、戦いの場では何があるかわからない。左馬助は朝からずっと落ち着かなかった。
前の使番から1刻(時間)程経ったとき、慌てたように使番が駆け込んできた。
「申し上げます!光秀様が退却の合図をされ…」
「何じゃと!」
左馬助は激しく動揺した。わずか1刻の間に何があったのか?
山崎からここに来るには数刻かかる。今頃は羽柴軍の執拗な追撃を受けている最中であろう。
「出陣じゃ!殿を救いにいかねばならん!」
左馬助とその配下の者達は競うように城を出ていく。
光秀は左馬助に坂本城の留守居を命じていた。
左馬助が何度山崎に出陣したいと言っても、光秀は聞かない。
それでも、光秀は羽柴軍を破るための作戦は教えてくれた。それを聞くとなおさら参加できないことが無念であったが。
坂本から大津を抜け逢坂峠に入ったとき、前方から土煙がこちらへ近づいてくるのが見えた。
相当な速さで近づいてくるあたり、騎馬隊であろう。
羽柴軍の追撃部隊とすると恐ろしい程の速さである。ついさっき敗戦を知らせる使番が来たばかりなのだ。
「戦闘隊形を取れ!」
左馬助は配下の兵達に鉄砲隊を先頭に長槍隊が続く迎撃態勢を取らせた。
土煙の数からすると大した数ではない。恐らく数十人程度であろう。しかもその後ろに部隊が続いている様子はない。
この数で追撃か?左馬助は訝(いぶか)った。
「わしの合図あるまで撃ってはならんぞ。」
先に発砲して敵でなければ一大事である。警戒態勢は取りながらも発砲を禁じた。
土煙の中から人の形がはっきりとしてくる。旗を掲げているがどの隊か分からない。
「止まられよ!止まらねば撃つ!」
左馬助は大声で前方の隊へ停止を命じた。
やはり隊の数は予想通りの数であった。その中心にいる者が先頭に出て来て下馬した。
これは戦う意思がないことを表わしている。
「それがしは、羽柴筑前守秀吉与力の織田家家臣、堀秀政と申す。明智殿の家中とお見受けする。秀吉殿の命にてお話したきことあり参上した!」
堀秀政?
信長様のお気に入りの武将の中にいたような気がするがはっきりとは覚えてはいない。
「それがしは、明智日向守光秀が家臣、明智左馬助と申す。堀殿、来られよ!」
堀秀政と名乗った者が近づいてくる。かなり若い者のようだ。
「左馬助殿、山崎での戦は我らの勝利と相成った。秀吉殿は無用な殺生を好まぬ。速やかに坂本城を明け渡して頂きたい。」
一瞬、左馬助は罠か?と考えた。
秀吉は信長の敵討(かたきう)ちをしている。信長を討った張本人の城を明け渡す程度で済むとは思えない。焼いて灰にするだけでなく、城内にいる者達を殺そうとすることも十分に考えられる。
「左馬助殿、お疑いあるな。これをお読みくだされ。」
秀政は一つの書状(手紙)を渡してきた。
その書状は、光秀が書いたものであった。
第6節 大団円
坂本城から1艘(そう)の舟が出ていく。
まもなく坂本城天守に火が付いた。
城を包囲していたのは堀秀政の隊である。秀政は床几(しょうぎ)に座りながらそれをじっと眺めている。
秀政の家臣の一人が意見した。
「敵は天守に火を放った模様。敵将である明智左馬助と明智家に関わる者達の首を持ち帰るべきではありませぬか?」
「敵は城内にある貴重な物を全て差し出し、皆で自害するため配下の兵達の助命を願い出た。そして城は落ちた。十分ではないか。」
「し、しかし、敵は謀反人でござる。本当に自害したか分かりませぬぞ。もし舟で逃げたらいかがなさる?」
「我らが秀吉様に命じられたのは坂本城を落とすことじゃ。首をはねることではない。使番!」
主君秀吉に戦況を報告するため、秀政は使番に矢継ぎ早に伝えていく。
坂本城を守備していた明智左馬助は、光秀の家族を刺し殺し、自らは自害した、と。
丹波(京都府北西部)国の山中である。
利三は山道を登っていた。ある者を支えながら。
辿り着いた場所は一つの廃寺である。
既に利三の手の者が準備を終えていた。
「殿、辿り着きましたぞ。」
利三が支えていたのは、主君光秀であった。
「皆の者には済まぬことをした。皆は信じてくれたが、わしは負けた。」
「一体何があったのでございますか?お話くだされ。」
利三が差し出した水を飲み干すと、光秀は語り始めた。
「天王山の裏手に差し掛かったとき、偵察兵により羽柴殿が本陣を空にしたことを知った。
そのとき、一人の使番が来たのだ。
その若者は津田殿が何度目かにわしに寄越した者だ。もちろん後詰を求めるものであったが、その必死の眼差しにわしは作戦の全てを話した。
そもそもが、勝つために津田隊を捨て石にする作戦であったこと、その成功のため津田隊には後詰するとの偽りの約束をし欺いていたこと、これから本隊すべては羽柴軍本陣を奇襲するため津田隊に後詰をする兵は一人も残っていないことを。」
光秀は一呼吸置いた。
「その若者は、わしを責めるでもなく喜んで勝利のための捨て石となると、そして津田殿を説得し秀吉の首を取るまで必ず持ちこたえて見せると申した!そして急いで自分の隊へ戻っていった。
そのときわしは考えたのだ。この戦の目的を、そして戦の後のことを。」
この戦いの目的は、光秀か秀吉か、どちらが国の政治を担うのにふさわしいかを決めることであった。
どちらが勝っても、国の政治を担うことに支障を出さぬため、犠牲は最小限にしなければならない。
そのため光秀は、長期戦や消耗戦の原因となる地形を生かした強固な防御陣を作ることをせずに、短期決戦を挑んだのである。
桂川沿いを進んだ秀吉本隊を追い掛けることはできる。だが、そうすれば戦いは長期化し消耗戦となる。更に多くの者が死ぬ。恐らく光秀が作戦の全てを教えたあの若者も死ぬだろう。
しかも、長期戦や消耗戦となれば数が物を言う。光秀が勝つことはない。つまり長期化させるのは勝敗の結果を先送りし無意味な血を流し続けることに過ぎないのである。
秀吉が本陣を空にした時点で光秀の負けは決した。であれば迅速に戦いを終わらせ、これ以上の犠牲を出さないようにすることが大事なのだ。
光秀は本隊を直ちに引き返させた。
津田隊の窮地を救い、一度羽柴軍を押し返すとすぐに退却の合図を出したのである。
この間に光秀は、秀吉へ一通の書状を出していた。
そこには、勝敗は決したためこれ以上お互いが更に血を流すのは無駄であること、家臣達にも無駄な抵抗はやめて秀吉に降伏するよう促すこと、坂本城を明け渡すため家族と家臣達の助命を願うことなどが書かれている。
「殿、果たして羽柴殿がその申し出を聞き入れましょうか?」
「全てではないが、羽柴殿は聞く。いや、聞くしかない。一刻も早く織田家の取り纏めにかからねばならぬからだ。わしと長く戦ってる場合ではない。」
「しかし、筋から言えば織田家筆頭家老である柴田殿が取り纏めるべきではありませぬか?なぜ羽柴殿が?」
「良いか利三。織田家が大名であれば筆頭家老の柴田殿で良い。だが、幕府が滅んだことで織田家は今や国の政治を担う存在となっている。つまりその器量のある者にしか織田家の取り纏めは務まらぬのだ。
柴田殿にその器量はない。織田家にその器量を持つ者は羽柴殿しかおらぬ。それは羽柴殿自身が分かっていよう。わしはその器量に賭け、書状を出したのだ。」
やがて、利三が周辺の情報収集のため派遣した者達が集まってきた。
最初の情報は、坂本城が一戦もせずに落ちたことである。
坂本城を包囲した堀秀政は城内の兵の助命嘆願を受け入れ、しかも秀政の軍は城内に攻め入ることもなく城が焼け落ちるのを何もせずただ見ていたということであった。
まるで逃げる者達を追うつもりがないかのように。
次の情報は、亀山城が高山隊と中川隊の攻撃で落城し光秀の嫡男光慶が自害したということであり、これは光秀を大いに悲しませるものであった。
その次の情報は、福智山城(京都府福知山市)が開城したということだった。
「娘は?左馬助の嫁はどうなった?」
光秀は娘の心配をする一人の父親となっていた。
この娘が何ら危険なく逃れたことは、父親を大いに安心させるものであった。
その後も続々と情報が入ってきたが、光秀の家臣達はほぼ全て降伏し、秀吉も彼らを罰することなく召し抱えたようである。
光秀の賭けは当たった。
利三が廃寺に逃れて次の日の朝となった。
廃寺の周りには紫陽花の花が群れのように咲き、青や紫に染まっている。昨日はその美しさに全く気付いていなかったが。
前夜からの雨が上がったためか、紫陽花の群れの上には美しい虹がかかっている。そのあまりの美しさに利三の目はしばらくくぎ付けとなった。
ふと、光秀のいる離れが気になった。いつもなら起きている時間である。
胸騒ぎがした。急いで駆けた。
離れに着くと、主君がいた。床一面を朱に染めて。
利三は思わずその場に泣き崩れた。
(第4章 終戦 終わり)
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