巨人生態学原論

ジュン

第1話

近代

13世紀の北イタリア諸都市から近代を迎えることになる。古代ギリシアや古代ローマの、人間を生き生きととらえたあの時代を思い起こした。それで、ルネサンスがやってくる。文学にはじまって、絵画や彫刻に、人間の理性と感情を交えて生き生きと表現しようとした。科学精神は、合理的な方法で世界を人間の側からとらえようとした。15世紀には大航海時代を迎えることになる。ポルトガルとスペインが新しい航路を開拓し、新大陸を「発見」し、ラテンアメリカの古代文明を滅ぼした。ポルトガルのリスボンは世界商業の中心都市となる。スペインのフェリペ2世はポルトガルを併合し「太陽の沈まぬ王国」を現出した。16世紀前半は宗教改革が起こった。ルターの宗教改革。カルヴァンの宗教改革。16世紀後半はオランダが世界に進出する。スペイン、ポルトガルに代わってオランダが強くなる。17世紀。王権の伸長、商人の活躍、そして、中間権力層の貴族・諸侯の没落。王と市民の対立。絶対王政を市民階級が倒す。市民革命は、フランス革命、ナポレオン1世によって、ヨーロッパ全土に波及する。資本主義は確実に肥大していく。ウィーン体制の成立から崩壊に至って、舞台はドイツへ。ビスマルクのドイツ統一。ビスマルク解任。フランスの孤立化がだめになって、バルカン戦争から第一次世界大戦へ。戦間期、ドイツの賠償金が支払い困難、世界恐慌が拍車をかける。ファシズムの台頭、第二次世界大戦勃発。戦後、米ソ冷戦構造の高まり。62年のキューバ危機。デタントの進行。89年から91年に至る米ソの対立の終焉。その後の世界、現代。

資本主義の端緒は中世から現れ、近代以降、肥大していく。ルネサンスは人間の理性を信頼し、科学精神をもたらし、科学は、科学技術となって実体のあるものになった。たとえば、羅針盤の発明や、造船技術の発達におおいに貢献した。それで、大航海が可能になり行き着いた地を征服して、商業と相まってこれを支配し、資本主義はますます発展し、カルヴァン主義が信教的な後押しをして、市民階級が台頭し、革命に至る。資本主義の発展は、資本家と労働者の対立を引き起こし、イギリスのチャーティスト運動、フェビアニストの主張、マルクス主義などが発生する。

科学

近代以降の科学の出現。科学精神、方法論の模索。ヨーロッパの大学は、中世末の大学設立当初から、神学、法学、医学、哲学(一般教養)を大学の4科とし整えてきた。近代をとらえるときに、科学というものを無視できない。近代以前の世界観にはキリスト教が中心にあるが、近代以降は、キリスト教を決して否定しないが、人間の理性を重視し、感情を取り戻し、人間の側から世界を描こうとした。科学は、狭義の意味では自然科学をいう。というのは、科学的な発見とは法則の発見ということでもある。法則の発見には、科学的な方法を必要とする。論理過程の明瞭さは論理学を、経験することを可能にするために実験を必要とする。観察する主体は当然に必要となる。そこから生まれた個々の結果また結論は、より普遍的な法則を導きだし、普遍的な法則の発見は、個別の性質を拾うために有効であった。

システム

いろいろな内容は、ある決まったとらえ方から整理されていく。体系的にとらえるために内容は体系化される。組織化、分類、序列、階層化といったものは、総じて形式といってよい。近代以前の神話的システム期。アリストテレスの形而上学がキリスト教に影響して、ヨーロッパの中世世界観を決定的なものとする。近代以降の科学的システム期。そして、新しい段階として、現代のネットワーク期を迎えている。集中社会から局所社会へ、という表現でもいい。

有機化学

100種類以上ある元素のなかで、炭素を中心にした化合物を有機化合物といっている。炭素の価電子の数は4である。最外殻電子軌道の電子数は、一番内側のK殻以外は、最大8個まで電子が入る。1個から3個なら陽イオンになりやすいし、7個から5個なら陰イオンになりやすい。炭素は4個だから共有結合する。各々の元素は、周期表上同じ族の元素であれば、その化学的性質が似ている。元素の周期表はひとつのシステムである。ある決まった視点から整理されたものであるから。たくさんある元素のなかでも、炭素がとりわけ注目されるのは、多様な化合物をつくるため、新しい性質をもった物質をつくることが期待できるからである。

ネットワーク

一人の人は、他の人と出会う。いろいろな場所で、いろいろな状況で。人は生物的に哺乳類であるとか、高等動物であるとか、いろいろに限定される。けれど、出会うことはその人の有り様を変えていく。有り様の変化は、在り方の模索にも影響を与える。人は「炭素」であるし、ネットワーク元素としてとらえられる。

借観論

自然科学は、個別には、物理学や化学など、実証を通して、事実であると確かめていく学問の領域です。人文科学、社会科学は、人という存在抜きに起こることはなかっただろう。自然科学の有り様を人の有り様のモデルとして積極的に借りてくる。物理的、化学的性質は、人文や社会を科学としてとらえようとする者には好都合のように思われる。けれど、はたしてそうだろうか。人をとらえようとする人文科学や社会科学は、熱力学とか、高分子化合物とか、量子力学とか、そこでの発見の効力の範囲に、人の有り様を含められるだろうか。人も物理的制約をうけています、とか、人体はタンパク質でできています、とか、そういう視点ではなく、物理学や化学の世界観を人間の有り様にも積極的に借観してきて、人間の表現の行為の一部としていっていいと思うのです。

反転論

意味システムということでいうと、ここまで書いてきたことは、まま意味が成り立っているだろうと思います。学問はシステム、体系化すなわち、形式上の制約を必ずうけている。それで、近代以降、というかそれ以前にも「意味付ける」ということは繰り返されてきた。意味付けることで腑に落ちる。納得するから安心する。そこで、意味システムの吟味から、本来、意味そのものはシステムの制約をうけないのかもしれないということをこれから書いていきます。

神と人

神というのは人ではないはずです。神学では、やはり神は人ではないというふうにあらねばなりません。神は神である。それ以上、私はなにも言いたくはない。人はやはり神ではない。人は人である。人は、人という在り方から離れられない。そういうふうに考える。

迷子

よくヒトから人間になったとかいいます。人間は人間の在り方でなければならない。道徳や宗教も、人は人間という、特別な在り方で、サルの延長線上というとらえ方ではだめですよ、というわけです。それで、こういう考え方や、あるいは、いろいろな哲学や思想も、本当に明瞭で意味が通っています。ニーチェの思想はニーチェの在り方に意味が合っています。人間社会は、ヒトの集まりでなく人間の文化的集団であるというのは本当のようです。それでいて、人間はどこにいるのでしょうか。

狂人

教科書に原子の構造の図が掲載されています。原子核の周りを電子が回っている図です。だけど、この図は原子そのものではない。当たり前です。電子顕微鏡で原子を観ても実際の大きさで観てない。これも当たり前。写真に載っているおいしそうな料理も料理そのものではない。自分の歩いている真横を、自動車が駆けていく。「非常に危険な状況」にも平気なようです。我々が生きている日常はかなり異常な事態であるのに誰もが平然としている。自分は人間だということは当たり前すぎて考えることもしないしそれはそうでしょう。この日常、当たり前の日常あるいは、普段の生活というのは、実に巧妙な装置であるという気がします。

巨人の王国

人間は「自分自身」は、日々の生活を普通に送っていると思う。人間社会も、まったく定型の過程のなかでとらえられている。意味の成立は、邪道でも王道でも否応なしに意味の生成の典型からはみ出すことはない。

それで、一個人の自由な行為も、人間社会の「全体的な動き」も、否応なしに逃れられない。意味のシステムから離れられない。金を得るために黒人を売りさばいた商人の意味システム。それで、キリスト教に救いを求めた黒人の意味システム。否応なしに「人間として」生きた……けれど、やはり、このシステムから逃れられないのです。人間社会を動かしているのは巨人です。神ではなく、人であることを前提にした「何者か」で、それでいて実体は見えてこない。人間のこの巧妙な意味システムは、世界を「こういうふうな」もの、「こんなふうな」感じ、というようにとらえさせるのです。それで、このシステムが壊れると、たとえば、次のような問いが浮かんできます。

「なぜ、日本人はバッタじゃないのか?」

「なぜ、東京は、きょうの食事は?」

「なぜ、とうもろこし、さもいるし?」

「どらK.おもK1y#?」

どこにも実体のないような「そんなふうな」社会は、確かに社会を成している。けれど、人間は巨人の下僕で、人間らしい!自由な!「そんなふうな」生き方を否応なしに選んでしまっている。

抵抗

徹底的に対話する人は、上記の「狂人」の問いに答えようとする。けれど、その人もまた狂人である。狂人は巨人に抵抗する。その人は「私は」人であるとか、ヒトであるとか、人間であるとか、そうではなくて「私は得体の知れない有機物です」と答えるかもしれない。しかし、これはまったくもって正答だ。「私は得体の知れない有機物ではありません」とは、巨人の世界でも意味が通らない。だから、彼の正答は、巨人の世界でも意味が通る。けれど、巨人が人間に仕組んだ解答ではなく「私の」返答なのだ。

巨人を白昼の下へ

日常を告訴する。巨人を白昼の下へさらし、その「善いこと」も「悪いこと」も明るみに出す。そして、巨人に自由を背負わせる。そうしたら、狂人は巨人と和解できるから。巨人の生態を明るみへ!

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巨人生態学原論 ジュン @mizukubo

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