第17話 お兄ちゃんのお兄ちゃん
いかにクリスマスといえども受験生、浮かれつつも勉強を放棄するわけにはいかない。試験の結果に一喜一憂し、それでいて街中の雰囲気が変わるのを見て心躍らせて、そしてまた受験について考え、と日々気分の上がり下がりが忙しない。
とりわけ珊瑚から「B判定が欲しい」というシビアなプレゼントを強請られた宗佐の悲惨さと言ったらなく、クリスマスソングを口ずさんだかと思えば「頭にパンを詰められる……」と呻きながら頭を抱えてと、見ていておもしろ……もとい、哀れに思える状態だった。
そんな中で迎えたクリスマス。俺は朝っぱらからクリスマスプレゼントの玩具で遊ぶ双子を横目に英単語帳を捲っていた。
昨夜寝ている隙に兄貴か早苗さんが置いたのだろう。興奮しながらラッピングを破る様はなんとも子供らしく、たまたまトイレのために部屋を出た俺は運悪く捕まり、玩具自慢に付き合わされる羽目になって今に至る。
ちなみに俺の手元にもラッピングされた箱がある。これは頼んでおいたゲームソフトだ。
律儀に枕元に置いてあったのだが『受験終了まで開封禁止』と太字のメモがまるでお札のように貼られていた。その光景はまさに封印。
珊瑚ほどではないが敷島家のサンタクロースもシビアなものだ。そんなことを考えながら、受験が終わるまでは視界に入れるまいとゲームソフトをテーブルの隅に追いやっておく。
「なぁ、お前らサンタクロース捕まえなくて良いのか?」
そう双子に尋ねれば、鼻で笑われてしまった。曰く「サンタなんているわけないだろ」とのことで、「信じてるのは子供だけ」とまで言って寄越してくる。
それに被さるように、パタパタとスリッパ特有の足音が聞こえてきた。リビングに入ってきたのは厚手のパジャマにガウンを羽織った早苗さん。
「あんたたち、この時期は健吾君に迷惑かけちゃ駄目って言ったでしょ!」
双子を窘める声はなんとも母親らしい。
思わず俺が苦笑を浮かべれば、早苗さんが謝りながら台所へと向かっていった。しばらくするとポットの電子音が響き、カップを二つ持って戻ってくる。
そうして俺にカップを一つ渡して向かいに座ると、いまだ玩具に熱中している双子を眺めて深い溜息を吐いた。
「ごめんねぇ、健吾君。一度は寝かせたんだけど駄目だったわ」
「良いよ、俺もちょうど起きたとこだったし。それよりあいつらもう完全にサンタクロース信じてないんだな」
「そうなの。今年なんて直接クリスマスプレゼント強請ってきたわ」
つまらない、と肩を竦める早苗さんに俺も笑って返す。
双子がサンタクロースの正体に気付いたのは一昨年あたりだったか。小学校で友人に聞かされたらしく、今ではもう冷めたものだ。
何年か前、「サンタクロースが一晩で全ての家を配れるわけがない、この家にサンタクロースの手下がいる!」と絶妙な知恵をつけて家族中を疑っていたのが懐かしい。それを聞いた俺と健弥が腹を抱えて大爆笑し、クリスマス数日前からわざと怪しい行動をして楽しんでいたのだ。
「あれをもう楽しめないのか……。煩かったけど、そう考えると惜しくもあるなぁ」
「あら、大丈夫よ」
早苗さんが穏やかに笑い、ゆっくりと自らの腹部を撫でた。以前は平たく括れていた彼女の腹部は今では大きくなっており、ゆっくりと撫でる手が緩やかな弧を描く。
次はこの子の番だと言いたいのだろう。確かに、敷島家のクリスマスはまだしばらく続きそうだ。
そんな会話をしていると「お、もう起きてたか」と声が聞こえてきた。
リビングに入ってきたのはスーツ姿の長兄。
クリスマス直前から冬休みに突入した学生と違い、社会人はクリスマスと言えども仕事らしい。羨ましがりながらも出勤準備をする兄に、ひとまず労いの言葉を送り……、
ニヤニヤと妙な笑みを浮かべてくるので思わず身構えてしまった。
「……なんだよ」
「いやぁ、クリスマスだなと思って。今日、女の子と一緒なんだろ?」
「はぁ!?」
思わず声を荒らげてしまった。
ショッピングモールのショーに当選したことは家族には言っていない。今日出かけることも『モールに遊びに行く』とだけ伝えておいた。
もちろん珊瑚の名前は出さず、母さんの「誰と行くの?」という質問には冷静を装って「友達」とだけ返した。事前に返答をシミュレーションしていたおかげで怪しいところなく取り繕えていたはず。
それなのになぜ……! と警戒の視線を向ければ、兄貴がしたり顔で笑った。
「去年までは『クリスマスは新作ゲームソフトを買ってもらえる日』としか考えず、はてには『混んでてどこにも行く気にならない』とまで断言してたお前が、わざわざクリスマス当日に出かけるんだ。気付かないわけがないだろ」
「ぐっ……」
「玄関に掛かってる上着も新しいやつだよな。良いよな、あれ」
似合いそうだ、と兄貴が頷きながら話す。
これに対して全て図星な俺は反論など出来るわけがなく、己の顔が真っ赤になるのを自覚しつつも唸るしかない。
事実、今日一緒に出掛けるのは女の子で、出掛けるのもクリスマスだからであって、そして上着も新調している。だがそれを実兄相手に認めることのなんと恥ずかしいことか。
唯一の助け舟になりそうな早苗さんはと言えば、俺達のやりとりを「男兄弟ねぇ」となぜか微笑ましそうに眺めるだけだ。
「……気付いたなら言わないでおくぐらいの大人の対応見せろよ」
「まぁそう言うなって。ほら」
兄貴が楽しそうに笑い、次いで鞄から財布を取り出すと一万札を一枚取り出して俺の目の前に差し出してきた。
いったい何なのか。意味が分からず目を丸くさせる。
「……なにこれ」
「軍資金。高校生だからさすがにディナーだのは奢ったりはしないだろうけど、ちょっと良い店でお茶ぐらいはするかもしれないだろ。その時に財布が心もとない……なんて情けない事にならないようにな」
そのための資金という事なのだろう。
なんとも兄らしい気遣いは俺にとっては恥ずかしく、同時に有難くもある。むず痒いのをなんとか堪えて礼を言って受け取った。
いくら兄とはいえ相手は社会人、それどころか三児の父親。否、四児の父。適うわけがない。
そうして「頑張れよ」とこれでもかと楽しそうな笑みを浮かべて家を出る兄を見送り、再びリビングに戻って冷めたコーヒーに口をつけた。
ちなみにこの間も早苗さんは物言いたげな表情を浮かべているのだが、これはきっと根掘り葉掘り聞きたいのだろう。それでも何も言わずにコーヒーのおかわりを用意してくれるのは義姉としての餞別だろうか。
そうして早苗さんは俺の向かいに座り直すと、今度は惜しむような溜息を吐いた。
「健吾君、春には家を出ちゃうのよねぇ。これから色々と面白くなりそうなのに」
「面白くって、もう少し言い方が……。それに家を出るって言っても、自転車で戻ってこれる距離にするつもりだけど」
「それでも離れちゃうんでしょ?」
早苗さんの心境は、家族が一人離れることへの寂しさか、それともベビーシッターが一人減ることへの不安か……。
どちらか尋ねるのは気が引け話題を変えようとしたところ、玩具に熱中していた甥の片割れ浩司がひょいと顔を上げてこちらに近づいてきた。
いっちょまえに俺と同じコーヒーを要求してくるが、そこはもちろん早苗さんが制してホットミルクで我慢させる。それでも背伸びしたい子供心を組んで俺のカップからコーヒーをスプーン一杯注いでやれば、白いミルクに茶色が刺したことで満足したのか大人しく飲みはじめた。
「兄ちゃん、うち出るの?」
「大学生になったらな。時期を考えると、受験の結果が出たらすぐに部屋探しした方が良いのかもなぁ」
「……そっか」
ポツリと呟いて浩司が再びカップに口をつける。
グイと豪快に煽れば口の周りにホットミルクの白い膜がつき、それを見た早苗さんがまったくと溜息を吐く。だが俺はそんな早苗さんに対し「大丈夫だよ」と笑いながら告げ、ウェットテッシュへと手を伸ばす浩司を眺めた。
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