第36話 謝罪とクッキー



 目を丸くさせて珊瑚が俺を見上げてくるが、一方俺も突然のことにどうして良いのか分からず硬直していた。

 謝らなきゃいけないとは分かるが体は動かず、かといって立ち去るわけにもいかない。互いに驚愕の表情で立ち尽くしている俺達は、端から見ればさぞやおかしな光景だろう。

 現に数人の生徒が不思議そうに視線を寄越してくるが、慌ただしさの中で声をかけてくる者は居ない。


「……えっと」


 それでもなんとか先程のことを一言謝ろうと、俺が声を出した途端……。


 音がしそうなほど勢いよく珊瑚の顔が真っ赤になった。

 その勢いたるや、つられて俺まで自分の頬が熱を持つのが分かる。


「あっ、あの、その……」


 真っ赤になった珊瑚が、あたふたと見て分かるほどに動揺しだす。

 視線はあちこちに泳ぎ、手を胸元で合わせたりかと思えばスカートの裾を掴んだりと落ち着かない。その分かりやすい反応に俺まで動揺してしまう。


「あの、その、お、お疲れさまでした」

「あ、あぁ、悪いな。なんか、その、舞台に立たせて」


 違うだろ、俺。

 謝りたいのはそこじゃないだろ。


 そう分かっていても言葉にできないのは、俺だって頭の中がパニック状態だからだ。

 嫌われる覚悟はしていた。それでもせめて怒っていてくれと願い、泣いていたらどうしようと案じていた。謝ろうと決めてはいたものの、謝罪も話も聞いて貰えず逃げられ避けられる可能性だって考えていたのだ。


 だというのに、真っ赤になって慌てられるのは想定外である。


 というか緊張がヤバい。心臓が痛いくらいに跳ね上がっていて、頬が熱を持っているのが自分でも分かる。

 目の前の珊瑚と同じくらいに真っ赤になっているのだとしたら、これは相当ではないか。


「あの、その、クッキー……。クッキーです! クッキーがあるんです!」


 何かを思い出したのか、珊瑚がパッと顔を上げて俺の顔を見る。

 だが次の瞬間、慌てて再び俯いてしまった。

 やめてくれよ、その反応。俺の心臓がもたない……と思いつつ、そんなことを言えるわけがなく、俺は心臓の痛みを感じながらも「そうか」とだいぶ上擦った声で返した。

 あぁ、声すらも余裕がなくて情けない。


「く、クッキーを、持ってきたんです。デリバリーで、クッキーを、それで……」


 しどろもどろな珊瑚の言葉を要約すると、

『委員長のデリバリーと一緒にクッキーを持ってきたので、みなさんで食べてください』

 ということらしい。

 それを聞き出す為に『クッキー』という単語を十回近く聞いた気もするが、動揺しているのだから仕方あるまい。俺も何度も「そうか」だの「分かった」だのを繰り返していた気がするが、もはや自分が何を言ったのかも定かではないのだ。


 第三者がこの場に居れば、きっとうんざりするだろう。

 それほどに俺達の会話はしどろもどろで聞くに堪えないものなのだ。


「なんか、わ、悪いな、気を使わせて」


 だから違うだろ、俺。

 謝りたいのはそこじゃないだろ……。


 そうは思えどやはりあの一件を口に出来ない。

 そんな自分の情けなさを心の中で悔やんでいると、珊瑚がはたと何かに気付いたように自分のスカートのポケットを漁った。

 取り出したのは携帯電話。その画面を見て、珊瑚が「あっ」と小さく声をあげた。


「わ、私、そろそろ行かなくちゃ……。部活が、あの……部活の呼び出しが」

「そうだよな、い、忙しいもんな。ごめんな、ずっと引き留めて……」


 だから、そうじゃなくて。

 ちゃんと言わなきゃいけないことがあるだろ!



 憤りを覚える俺に対して、珊瑚はいまだ真っ赤になったまま「失礼します」と頭を下げた。

 そうして踵を返して去ろうとする。ふわりとスカートが揺れ……、


 俺は咄嗟に、彼女の腕を掴んだ。


 振り返った珊瑚が目を丸くさせて俺を見る。

 真っ赤な頬、躊躇いを色濃く宿した瞳。困惑を顕に下げられた眉尻。小さく聞こえてきた息を呑む音……。

 そんな珊瑚の腕を掴んだまま、俺は意を決したと彼女を見据え、

 

「ごめん。あの時、俺、妹に……、本当にごめん!」


 想いのままに謝罪の言葉を口にした。

 詳しく話す余裕なんて無い。何が、なんて言えるわけがない。

 それでもとにかく謝らなくてはという焦りが胸にあるのだ。

 余裕もなにもない支離滅裂な俺の謝罪に対して、珊瑚はいまだ顔を真っ赤にしたまま俯いてしまう。「私……」と呟かれた消え入りそうな声に俺の心臓が跳ねあがった。


 何を言われるのか分からない。

 だからこそ乞うように続く言葉を待てば、珊瑚は僅かに言い淀んだ後、パッと顔を上げた。



「せ、先輩の妹じゃありません!」 



 と、俺に対して言い切る。いつもの返しだ。

 それを聞いて、俺は思わず目を丸くさせてしまった。

 

 そんな俺に対して、珊瑚はいまだ顔を真っ赤にさせたまま、それでも言い聞かすように「良いですか」と話し始めた。

 真っ赤な顔。上擦り、それどころか裏返りかねない声。


「そ、その、健吾先輩の妹じゃなく、今の私はメイドです。メイドは忙しいんです!」


 ツンと澄まして俺に言い聞かせてくる。咎めるかのような口調だ。

 もっとも、声も口調も些かわざとらしいあたり、本気で咎めているわけではないのだろう。


 きっとどうして良いのか分からず、だからこそいつも通りのやりとりをと考えたのだ。

 ならば俺もこれ以上は口にするまい。

 そう考え、俺はそっと掴んでいた彼女の腕を放した。

 

「そうか……。そうだな、悪かった。部活で何か言われたら教えてくれ、俺が説明するから」

「……はい。それじゃあ、あの、失礼します。クッキー、うまく焼けたんで、食べてくださいね」

「お、おう。分かった」


 たどたどしく話し、今度こそ珊瑚が軽く頭を下げて去っていく。

 ふわりとメイド服のスカートを翻しながら。

 その姿は誰が見ても文化祭らしい光景に移るだろう。現に通りすがりの客もさして気にすることなく珊瑚とすれ違い……、

 そして、徐にしゃがみこんで頭を抱える俺にぎょっとして、少しばかり距離をあけて通り過ぎていった。


「あの反応は許してくれたって事だよな……!? とりあえず希望は持って良いんだよな!?」


 誰にともなく、どころか頭を抱えながら呻く俺の問いに、当然だが返事はない。

 そもそも俺自身、誰かに尋ねたわけではないのだ。いわゆる自問自答、もっとも答えは望めないのだが。


 ……でも、泣いてはいなかったよな。

 怒ってもなかったようだし、クッキーもくれた。



 なにより、いつものやりとりをしてくれた。

 


 ぎこちなくも交わした会話を思い出せば、俺の胸に安堵感が湧く。

 少なくともこれで終わりでは無いようだ。しばらくは気まずい空気が続くかもしれないが、いずれ以前のような関係に戻れるだろう。


 いや、戻るだけじゃなくて、その先にも……。


 そんなことを考えながら、俺は珊瑚が出てきた用具室の扉を開け……。


「実稲の珊瑚ちゃんを奪うものは末代まで呪われれば良いのよ……」


 恐ろしいことを言いながらクッキーをむさぼる東雲の姿に思わず額をおさえた。



 ……置いていくなよ。


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