第28話 満員御礼



 体育館に着くと出入り口の扉は締められており、賑やかな音楽が漏れ聞こえてきた。


 今の時間は吹奏楽部の演奏会。客入りは盛況なようで、扉の隙間から覗けば並べられたパイプ椅子は全て埋め尽くされており、その後ろには数え切れないほどの立ち見客まで居る。

 その客が全てそのまま次の時間枠――俺達のクラスの劇を見てくれるとは限らないが、それでも何割かは残ってくれるだろう。以前に委員長が座席分のチケットは全て捌けたと言っていたし、これはもしかすると相当な客数が見込めるかもしれない。


 そんな期待を抱くも、隣を見れば月見が見て分かるほどに緊張していた。

 表情は強張り、不安そうに眉尻を下げている。目の前の客の人数に当てられたのだろう。裏方の俺とは違い彼女は客の目の前で主演を務めるのだ、緊張するのも仕方ない。


「月見、大丈夫か?」

「い、いよいよだって考えると、緊張してきちゃって……」


 小さく笑い返してくるものの緊張の度合いが見て取れ、当てられたのか西園まで表情が硬い。

 一方宗佐はと言えば暢気なもので「結構ひとが入ってるな」の一言。更には「もっと人が来てほしい」とまで言ってのけた。

 相変わらず空気を読まない神経のずぶとさだが、今は心強い。……素直に褒めてやる気にはならないが。


「宗佐に緊張なんていう繊細さがあるわけないよな」

「失礼だな。さすがに俺だって緊張するよ。でもせっかくの舞台なんだから、出来るだけ多くの人に見てもらいたいだろ」


 あっさりと当然のように宗佐が言い切る。緊張よりも期待が勝ると言いたげな口調。

 次いで、いまだ緊張している月見と西園に向き直った。


「月見さん、西園さん、頑張ろうね!」


 宗佐が満面の笑みで声を掛ければ、二人は頬を染めながらもコクコクと頷く。

 どうやら宗佐に当てられ緊張は消えたらしい。それどころか瞳を輝かせ、頑張ろうと意気込んでいるではないか。先程まで強張っていたのが嘘のよう。


 これぞ恋心の成せるわざか。

 これまたお見事。

 

 そんな事を考え、三人の後を追うように体育館の裏手へと向かった。



 ◆◆◆



「あ、芝浦君達来たわね。早速着替えて、最終確認に入ってちょうだい」


 体育館の裏側『関係者以外立ち入り禁止』の扉から中に入れば、舞台裏は目まぐるしいほどの慌ただしさを見せていた。

 大道具を運び入れ、照明係や音響係があちこちで確認し合う。化粧箱を持って数人が駆け寄ってきたかと思えば、あっという間に宗佐達を連れて行ってしまった。

 俺達の次に体育館を使う団体も準備を始め、かと思えば吹奏楽部の手伝いが楽器ケースを片手にあちこちで話し合っている。


 そんな慌ただしさの隙間を縫うようにして動き回り、カシャカシャと軽快な音をたてるのは……。


「写真部か。こんなとこまで撮るんだな」

「よう敷島。そりゃあ月見さんと芝浦が主演だからな、それに西園さんまで舞台に立つとなれば、これ以上の被写体は無いだろ」

「だからって舞台裏まで来ることないだろ。演奏の方は撮らないのか?」

「あっちはあっちで担当がいるんだ」


 曰く役割分担して撮影をしているらしい。その話に納得していると、演奏が終わったのか盛大な拍手が聞こえてきた。

 次いで賑やかな声が聞こえ、舞台袖から吹奏楽部が戻ってくる。誰もが晴れやかに笑い成功を称えあい、中には感極まって泣いている者さえおり、まさにシャッターチャンスと言える光景に写真部が彼等に近付いていった。

 それと入れ替わるように大道具を抱えたクラスメイトが舞台へと向かっていく。入れ替わりの時間は少なく、その間に一幕目のセットを終えなければならないのだ。

 見れば既に照明係は照明用通路に控えており、音響係も舞台袖で進行と曲順を確認をしている。


 先程まで演奏会らしい空間だったのに、あっという間に舞台に様変わりだ。

 まさにいよいよといったその光景。更に出入り口から客が姿を現し、体育館内がざわつき始める。

 チケットが全て捌けただけあり座席の埋まりは早く、既に立ち見の場所を確保する者さえいた。


「予想以上に入ってるな」

「あら、これくらい当然よ」


 予想を上回る客入りに圧倒されていると、そんな俺の姿が面白かったのか委員長が隣から顔を覗かせて場内に視線を向けた。

 満足そうに頷いたかと思えば、近くに居たクラスメイトに「立ち見をもっと詰めて」だの「宣伝してきて」だのと指示を出し始める。誰もが緊張の面持ちを見せるこの状況下において、なお発揮されるこの手腕。さすがの一言に尽きる。


「朝から忙しそうにしてたけど、委員長はどっか見て回ったのか?」

「いいえ、どこも。あっちこっちから呼ばれてそれどころじゃなかったわ。ひたすら教室と体育館の往復よ」

「ご苦労さまです……。あ、なんか買ってきましょうか」


 慌てて労えば、彼女は溜息と共に苦笑をもらした。


「珊瑚ちゃんのところでデリバリーを頼んでるから平気よ。お昼時を外せば届けてくれるって言うからお願いしておいたの」

「メイド喫茶の割には結構手広くやってるんだな。もしかしたら陸上部と提携して走ってくるかもしれないぞ」

「やだ敷島君ったら、変な冗談言わないで。それに、珊瑚ちゃんが直々に持ってきてくれるって言ってたわ。本当、今回のことも珊瑚ちゃんが居なかったらどうなってたことか……」

「油断するなよ委員長、宗佐のことだ、最後に何かしでかすかもしれないぞ」

「不吉なこと言わないでちょうだい。……私も、ちょっと考えかけてるんだから」


 どうやら委員長も何かしら感じているのか、俺の言葉に対し僅かに声を潜めて呟いた。


 宗佐はそういう男なのだ。

 根からのトラブルメーカーと言うべきか、騒動の星のもとに生まれたと言うべきか。宗佐が発端の時もあれば、宗佐の周りが騒動を起こす事もある。

 もっとも最後には上手く纏まるのだが、毎度巻き込まれる俺からしてみれば堪ったものではない。


 だから今回も何か起こるかもしれない……。

 そう話せば、同意なのだろう委員長が「祈っておきましょう」と溜息と共に呟いた。


「最後は神頼みか……。まぁでも、勝負の神様も宗佐に惚れてるみたいだから平気だろ」

「勝負の神様?」

「あぁ、以前に妹と話してたんだ」


 宗佐は根からのトラブルメーカーで、厄介な性格、そのうえ馬鹿。

 だが土壇場での勝負ごとにはとことん強く、運も味方し決める時にはきちんと決める男である。 

 きっと勝負の神様は女性で宗佐に惚れこんでいるのだろう、そんな冗談を以前に珊瑚と交わしたことがある。


「だからきっと、何かあってもなんとかなるだろ」

「本当は何もなく無事に終わるのが一番なんだけど」


 委員長の発言に尤もだと頷けば、いつの間にか準備が終わったのか場内が徐々に落ち着きを見せ始め、開演前のアナウンスが流れだした。



 ◆◆◆

 


 シンデレラと言えば誰もが知っている物語である。

 ゆえにそのまま演じては面白くないと考え、本来の物語をなぞりつつ、それでいて随所にオリジナリティのあるストーリーに仕立て上げた。文学部の連中が脚本を読み上げるのを聞いたときには、その発想力や構成力に思わず拍手を贈ってしまったほどである。


 演じる時間に合わせて場面を増やし、観客が飽きぬようにと多少の笑いや重みをプラスし、はてには本来の物語には居ない役まで作り上げる。

 西園がまさにだ。『王子の付き人』という本来であれば台詞があるか否かの彼女は、その人気と集客効果と衣装を着た際の麗しさから、台詞どころか単独の見せ場まで設けられている。

 劇の山場でもある舞踏会のシーンで、誰が西園と踊るか女子生徒達の中で争奪戦が起こったのは言うまでもない。それを眺めるモブ役の男達の悲壮感といったら……。


 とにかく、俺達のクラスが演じる『シンデレラ』は本来の筋をなぞりつつも改変されており、とりわけ宗佐や月見達は出番と台詞も増えているわけだ。



 その増えた台詞を、宗佐が今まさに舞台上で喋っている。


 途中でつっかえることも噛むことも、言葉を濁して誤魔化すこともなく。

 台詞を思い出すために演技がおろそかになることも、棒読みになることもなく。


 その姿は、まさに王子そのもの!


「そ、宗佐が……、宗佐が一字一句間違えずに喋ってる!」

「すごいわ、それに立ち位置もバッチリ合ってる! 奇跡よ、これは奇跡よ敷島君!」

「俺はあいつが出来るやつだと信じてた……!!」

「泣かないで敷島君、彼の晴れ姿を最後まで見届けるのよ!!」


 舞台の袖、括られた緞帳どんちょうの陰に隠れながら、思わず委員長と共に目頭を押さえてしまう。

 大袈裟と言ってくれるな。それほどまでに初期の宗佐は酷く、目も当てられないとはまさにあの事。

 対して、今舞台に立つ宗佐のなんと立派なことか。

 ポンコツ王子だの国が傾くだのと言われていた日々が嘘のようで、西園と並んでいても喰われることなく王子役を全うしている。


 これなら珊瑚も亡命なんて考えないだろう……。

 と、そこまで考え、俺はふと観客席を見回して首を傾げた。


 珊瑚の姿がない。

 宗佐の母親は居るのに、その隣にも、それどころか会場内のどこにも彼女の姿がないのだ。


「委員長、宗佐ってチケット何枚とってた?」

「芝浦君なら、お母さんの分で一枚よ」

「一枚? それじゃあ珊瑚の分は……?」

「珊瑚ちゃん? 彼女は見に来てないわよ。部活と時間が被って来られないんですって」


 残念ね、と委員長が話す。

 それを聞き、俺は居ないと分かっていても客席へと視線をやった。

 そこには、やはりというか当然というか、珊瑚の姿はない。


 部活というのはベルマーク部の喫茶店だ。さすがに一日中働いているわけではなく、きっとシフトのように給仕する時間を決めているのだろう。

 運悪く時間が被り、劇を見に来られない。それ自体はなんらおかしな話ではないだろう。



 だけど俺には、珊瑚が『来られない』のではなく『来ない』のだと思えてならない。

 だがそうは思えども、珊瑚が『来ない』理由は分からない。

 


 そんな疑問と迷いを抱きながら舞台を眺めていると、カタンと背後で物音がし、ついで「あら」と聞き慣れた声がした。


「あら敷島君、王子様もお姫様も放って舞台袖で逢引きだなんて、あなたも結構やるのね」



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