第27話 小悪魔様の勝負水着

 


 夏休みという事もあり、プール内はどこも混雑している。

 それも流れるプールや波の出るプールといった人気どころならば猶更、気をつけていても客同士ぶつかってしまう。といっても大半は肩や腕が触れる程度で、ぶつかったことも気付かずに終わるか、気付いて軽く謝るか、当事者同士で終わる話だ。

 だがそんな中、今日に限って『ぶつかったと思ったら、水着の紐が解けて……』というアクシデントが頻繁に起こっているという。


「そうか、だからアナウンスが何度も流れてたのか」


 そういう事かと呟けば、それを聞いたスタッフが頷いた。

 客同士の衝突に対する注意喚起。頻繁に流れる事には気付いたが、まさかそんな事情があったとは。


「お客様の中には『解かれた』とはっきりと仰る方もいるんです。なのでこちらも対策は取っているんですが……」


 注意喚起を細かに流し、見回りのスタッフも増やす。中にはスタッフだとばれないよう、まるで遊びに来たといった風貌で客に交じって見張っている者もいる。

 だが施設は広く、客は多い。いつどこで起こるかは分からず、結局いまに至るまで犯人を捕まえられずにいるという。

 不甲斐なさを感じているのか、話すスタッフの口調は申し訳なさそうだ。せっかく来てくれたのに……と今にも詫びだしそうな雰囲気に、珊瑚が気遣って宥めだ。


 そのやりとりを見ていた桐生先輩が、なにやら考え込み、かと思えばテーブルに広げられている園内マップに視線を落とした。


「人が多くて、ぶつかっても怪しまれない場所……」

「桐生先輩、どうしました?」

「ちょっと考えてみたの。犯人特定とまではいかなても、行動を起こしそうな場所ぐらいなら絞れるでしょ」


 穏やかに微笑みつつ桐生先輩が「次は……」と話す。


「次はきっと流れるプールよ」

「次は流れるプールだな」


 と、二つの声が被さった。

 桐生先輩と……そして、木戸だ。はっきりとした断言に俺達が揃えて視線を向ける。何故かと問えば、木戸が壁に掛けられている時計を見上げた。


「あと十五分ぐらいすると流れるプールのライトアップが変わるんだ。時間毎にやる特別演出ってやつだな。それを目当てに人が集まるだろ」

「なるほど、人が集まればぶつかってもばれないか……」

「桐生先輩も同じ考えですよね?」


 木戸が問えば、桐生先輩が頷いて返した。


「演出時間は短いものだけど、その間は周囲が暗くなるの。人が多くなれば多少ぶつかっても怪しまれないし、暗くなればより見つかりにくくなるわ」

「なるほど……。でも、桐生先輩も木戸も、よくライトアップの事を覚えてましたね」


 さすがだと感心しながら話せば、桐生先輩と木戸が顔を見合わせた。

 次いでこちらを向くと、さも当然と言いたげに、



「どうにか芝浦君を連れ出して二人きりになろうと思ってたのよ」

「なんとか桐生先輩を連れ出して二人きりになろうと考えてた」



 と、またも声を揃えて断言してきた。


 なんて堂々とした抜け駆け宣言なのだろうか。

 月見と珊瑚がなんとも言えない表情で桐生先輩を見ているのは、彼女の策略を聞いたからだろう。二人の顔が「油断ならない」と警戒の色を宿しているが、その視線を受ける桐生先輩もまた警戒上等と言いたげだ。

 己に絶対の自信を持つ彼女にとって、正面切って警戒の色を示してくる後輩二人は好ましいものなのだろう。


 そして宗佐はと言えば……、

 静かに、神妙な面持ちで、そしてどことなく冷ややかな空気を纏いながら、園内のマップを睨みつけるように見つめていた。


「宗佐。おい、宗佐聞いてるのか」

「……えっ。あ、ごめん何だっけ」


 数度名前を呼べば、我に返った宗佐が慌ててこちらを向いた。

「ぼーっとしてた」とへらと笑いながら話すが、なんて下手な誤魔化しだろうか。宗佐を知る者ならばそれが嘘だとすぐにわかるはずだ。


 宗佐は珊瑚を大事にしている。

 そこには家族としての愛情しかないが、それでも家族としての愛情ならば十分過ぎるほどにある。常に恥じることなく兄妹仲を誇り、なにかと珊瑚を優先し、そして我儘を言われても満更でも無さそうに応じるのだ。その様はまさに妹溺愛。

 そんな宗佐が、珊瑚が危機に晒されたと知り『上の空で話を聞いていなかった』なんて状況になるわけがない。

 だがそれを言及するのも気が引け、ここは誤魔化されてやることにした。「ちゃんと聞いておけよ」と宗佐の背を軽く叩けば申し訳なさそうに笑う。


「でも、場所の目星はついても広すぎるよな」


 広いプールの端から端まで、それも一人一人を常に監視するのは不可能だ。流れるプールは施設内でも一番広いもので、そのうえ集まった客は常に流れに沿って移動しているから猶更。

 そのうえ特別演出のため周囲が暗くなるのだから、いくら見回りを増やして監視の目を張り巡らせても犯人を捕まえるのは難しいだろう。

 それはスタッフ側も分かっているのか、同意こそしないが眉根を寄せて難しい顔をしている。

 それでも俺達の視線に気付くと「大丈夫ですよ」と告げてきたのだが、その強がりを素直に信じられるほど俺達も子供ではない。といっても、かといって無理に指摘する気も無いのだが。


 そんなやりとりの中、桐生先輩が「誰を狙うのか分かれば良いのよね」と呟いた。


「誰を狙うかって、桐生先輩、分かるんですか?」

「分からないわ。でも……」


 意味深なところで言葉を止め不敵な笑みを浮かべると、桐生先輩が徐に立ち上がった。

 次いで彼女は宗佐へと視線を向け、どうしたのかと不思議そうに見つめ返されると柔らかく微笑んだ。


「本当はね、芝浦君にだけ見せてあげたかったの」


 甘くそれでいて残念そうな声で告げ、桐生先輩が着ていたトップスに手を掛けた。

 ゆっくりと見せつけるかのように脱ぎ、肌を晒す……。


 その姿に、男はもちろん女性陣さえも息を呑んだ。


 かぎ編みトップスの下に着ていたのは、シンプルな黒の水着。飾り気は少なく、腰の両サイドを結ぶ紐が揺れるだけ。

 晒される腹部は薄く腰は細い、そこからすらりと伸びる長い脚。かといって痩せすぎているわけでもなく、体つきもバランスも見事というほかない。

 黒一色という大胆な水着だが、それを見事に着こなしている。むしろ堂々とした美しいその佇まいは『飾りなんて必要ない』と宣言しているかのようで、並のモデルどころか絶賛活躍中のモデルだって今の桐生先輩を目の前にすれば大人しく負けを認めるというもの。


 その凛々しく美しい姿に、言葉を失い唖然としてしまう。

 そんな俺達の反応が面白かったのか桐生先輩はご満悦に笑うと、片手でゆっくりと黒髪を掬いあげた。

 白い項が露わになる。そしてそこには……ホルターネックの結び目。


「誰を狙うか分からないなら、狙わせれば良いのよ」


 そう微笑んで告げる桐生先輩の美しさと言ったらない。

 恋愛感情抜きで接している俺でさえ、今の彼女はとびきり眩しく見える。美しく、そして格好いい。

「高校生……だよね?」とは、数度瞬きを繰り返す女性スタッフの呟き。気持ちは分かる。今の桐生先輩は、その仕草も、態度も、美貌も、高校生の域を優に超えている。


「桐生先輩……。良いんですか? 危ないですよ」


 彼女の意図を察し、宗佐が案じる。

 それに対して桐生先輩は柔らかく微笑んで返した。


「可愛い後輩のためだもの。それに、何かあったら守ってくれるでしょ?」


 宗佐に対して尋ね、次いで俺と木戸にもちらと視線を向けてくる。

 いざという時には自分を守れと言いたいのだろう。それに対して呆けるのは終わりだと俺と木戸も我に返り、深く頷いて返した。




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