第10話 抜け駆け主義
木戸がさも当然のようにそこに居るので、俺も何も言えずに「よぉ」と軽い挨拶で済ませてしまう。0
対して珊瑚はまた小さな悲鳴をあげ、俺の背中にさっと隠れた。
「お前、なに自然に加わってるんだよ。あいつらと一緒に宗佐を連れていかなくていいのか?」
「いやぁ、俺もそのつもりで来たんだけどさ。芝浦妹、大丈夫だから出てこいって。俺も単独なら何も仕出かさないから」
安心しろ、と木戸が珊瑚を宥める。――『単独なら』という条件を付けているのが気になるところだが、ひとまず今は聞き流しておく――
珊瑚がじっと疑惑の視線で木戸を見つめ、納得したのか「良いでしょう、信じます」と告げて俺の背中から堂々と姿をあらわした。先輩に対する態度とは思えないが、木戸相手に敬えという方が無理な話か。
「それで、木戸先輩はどうして残ったんですか? 宗にぃを屋上で磔にするなりイベントステージで吊るし上げるなりするんじゃないんですか?」
「そう敵意剥き出しにするなって。そりゃ俺も今日はそのつもりであいつらと来たんだ。……だけどな、気付いたんだよ」
声色を落として意味ありげに話す木戸の空気に当てられ、思わず俺も張り詰めた空気を感じてしまう。
珊瑚も同様、真剣みを帯びた声色で「何に気付いたんですか?」と先を促した。
「親衛隊のやつらと一緒に芝浦を連れていこうとした。だがその瞬間、俺は気付いたんだ! ここに残った方が得じゃないかと!!」
その宣言の力強さといったらない。俺も珊瑚も唖然としてしまう。
次の瞬間、試着ブースから「なに騒いでるの?」と声が掛かり、次いでさっとカーテンが開かれた。
桐生先輩である。今度はエスニック系の刺繍がデザインされた水着を纏っており、これもまた似合っているのは言うまでもない。完璧とさえいえる美貌とスタイルは、シンプルな水着も派手な柄の水着も着こなしてしまう。
だが当人は水着もそっちのけで怪訝に俺達を見ている。カーテンを開けるたびに人数が変動していれば驚くのも当然。
「減ったと思えば今度は増えてる」
「う、美しい……!」
目の前に現れた水着姿の桐生先輩に、木戸が言葉にならないと言いたげに震える。胸の前で手を組もうとしだすのは無意識に拝もうとしているのか。とりあえずその手は叩き落としておく。
桐生先輩が呆れを込めて肩を落とし、「拝むんじゃないわよ」と木戸に言いつけた。
「芝浦君に見て欲しいのに、まったくもう……。で、どうかしら、この水着?」
「最高だと思います、ありがとうございます!」
「敷島君、木戸の手を押さえて」
拝ませないで、と桐生先輩が俺に頼んでくる。それに従い、今まさに拝みだそうとしている木戸の手を掴んで制止した。
ちなみに俺が手を掴んだ瞬間に木戸がはっと我に返るあたり、もしかしたら無意識で拝んでいるのかもしれない。信奉にも程がある。
それを呆れながら眺め、次いで桐生先輩が俺達に視線を向けてきた。「どうかしら」と改めて感想を求めてくる。
「どうって……。そ、それも似合ってると、思います」
「桐生先輩、健吾先輩は今後どの水着に対しても『似合ってると思います』しか言いませんよ。健吾先輩の語彙力は今地の底にあります!」
珊瑚の鋭い指摘が俺の胸に刺さる。さっきまで俺の背中に隠れていたというのに、余裕が出ると途端にこの態度だ。今度俺の背に隠れてきた時は問答無用で突きだしてやる。
だが珊瑚の言う事は事実でもある。水着姿の桐生先輩を前に冷静な感想など述べられるわけがない。
図星ゆえに反論出来ずに唸っていると、珊瑚がひょいと桐生先輩に一歩近づいた。
「桐生先輩は柄が着いたものよりシンプルな方が良いですよ」
「本当? それならこっちにしようかしら、形で新鮮さを出しても良いわね」
珊瑚の意見に、ありがとうと一言告げて桐生先輩が再び試着ブースへと引っ込む。
それに代わるように出て来たのは月見だ。
「珊瑚ちゃん、敷島君、これなんだけど……増えてる!」
月見が声を荒らげる。
カーテンを開けたら俺と宗佐が居て驚き、一度着替えて再びカーテンを開けたら宗佐が居なくなり、今度は木戸が増えているのだ。驚くあまりに目を白黒させ、まるで手品を見たかのよう。
対して驚かせた張本人の木戸は悪びれる様子無く、月見の水着姿を見ると「似合うね」とへらりと笑った。
「えっと、隣のクラスの……木戸君だよね? 木戸君も買物?」
「そうなんだよ。たまたま偶然ここを通ったら親友の敷島の姿が見えてさ」
しれっと木戸が嘘を吐くが、純粋な月見はそれを疑うことなく「そうなんだね」と笑った。
そっとカーテンに身を隠すのは、俺と珊瑚に対しては慣れたが、木戸に対して水着姿を見せるのに恥じらっているのだろう。恥じらう姿がまた可愛らしい。
「さっきはクラスの男の子達も来てたみたいだし、みんな学校が早く終わったから買物に来てるんだね」
己の魅力が男達の嫉妬を募らせ、そして募らせるあまりに彼等に妨害行為をさせているなど欠片も思っていないのだろう。月見はあまりに無垢だ。
彼女を純粋天使だと褒めそやす親衛隊の気持ちが分かる。
……もっとも、性格は純粋で無垢だが、「どうかな?」と恥ずかしそうに見せてくる水着姿の魅力は男に致命傷を負わせるレベルなのだが。
これに対しても俺が小学生の作文のような感想を述べたのは言うまでもない。
……いや、小学生の方がもっと語彙力はあるかもしれない。
その後も桐生先輩と月見は何着か試着をし、そして俺は語彙力皆無な感想を返していた。
ちなみに感想のレベルに関しては木戸も同様。それどころか桐生先輩が着替えるたびに拝みかけていたので、まだ俺の方がマシだと思える。……多分。
そんなやりとりの中、木戸が携帯電話を手に取り「やばい」と呟いた。
「そろそろ戻らないとまずいな」
「戻るって、どこにだ?」
「そりゃ親衛隊のところにだ。芝浦を吊るすのに飽きたんだろうな、俺がいない事に気付いたみたいだ」
本来ならば木戸はここに居るはずではない。桐生先輩の親衛隊の一人として仲間と共に現れ、そして宗佐を連れて去っていく予定だった。
そこを一人だけ「残った方が得だ」と考えたのだ。そして実際に残ったおかげで慕っている桐生先輩の水着姿を拝めている。
――木戸の話を聞いた珊瑚が「人の兄を吊るしておいて飽きるって何ですか!」と怒っているが、もっともだ――
そういえば、桐生先輩に限らず誰の親衛隊も『抜け駆け禁止』と決まっていると以前に聞いた事がある。俺からしてみれば高校生にもなって何をやってるんだと呆れが勝るところだが、あいつらなりに秩序があるのだろう。
それを話せば木戸が頷いて返した。
曰く、とりわけ桐生先輩の親衛隊は規律が厳しいらしい。当の桐生先輩が時に悪戯に男心を弄びちょっかいを掛けてくるから猶更、抜け駆け禁止を徹底しているのだという。
「まぁ俺は平気で抜け駆けするけどな」
「お前、堂々と言うなよ……」
「バレなきゃ良いんだよ、バレなきゃ。それに高校生にもなって『皆で仲良く見守りましょう』なんて馬鹿らしいだろ」
鼻で笑うように言い捨て、「じゃぁな」と一言残して木戸が去っていった。
その後ろ姿は堂々としており、潔さと格好良ささえ感じられる。
もっとも向かう先では宗佐が捕まえらえており、木戸はそれを嫉妬で囲む面子に加わるのだ。そう考えると格好良さとは無縁な気もするが。
「珊瑚ちゃんの言う通り、やっぱりシンプルなデザインの方が良いわね。あら、木戸はもう行ったのね」
「これだとちょっと派手かな? でも派手な方が逆に体のラインが隠れるかも。……減ってる!!」
と、桐生先輩と月見が同時にカーテンを開けたのは、木戸が去っていくのとほぼ同時だった。
片方でも直視しがたい魅力だというのに、それが二人同時に。それも、木戸が去った今、この場にいる男は俺一人……。
「……宗佐を助けに行ってくる。後は任せたぞ、妹」
よろしく、とこの場は珊瑚に託して、木戸を追うように水着売り場を後にした。
逃げたわけではない。
……いや、嘘だ。これは立派な逃亡である。
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