第6話 真夏のプール

 


 先日の戻り梅雨が嘘のように快晴が続き、天気予報では今年の最高気温が毎日のように更新されていく。

 それがたとえ期末試験中と言えども容赦はなく、学生達の向上心を溶かしたいのかと思えるほどに暑い。



「甥のガキ達は今日水泳の授業があるんだと」


 本日分の試験を終えた昼休み。昼食を食べながら羨むように話せば、向かいに座る宗佐が「水泳かぁ」と呟いた。

 蒼坂高校には残念ながら水泳の授業はない。校内にプールそのものが無いのだ。

 小学校・中学校時代は体育の一環としか考えていなかったが、無いとなると惜しくなる。水泳とは暑い中で合法的に水浴び出来る貴重な授業だ。


「良いなぁ……。試験も何もかも捨ててプールに飛び込みたい」


 宗佐の声色には、水泳を羨む色と、試験勉強からの逃避の色が混ざり合っている。

 きっと今日の試験も散々だったのだろう。思い返せば昨日の昼休みも宗佐は現実逃避していた。というか、去年も試験の最中は現実逃避の言葉をよく口にしていたので、これはもう試験時の風物詩と言えるかもしれない。

 そんな期末試験の定番風景を横目に昼食を進め、食べ終えるとさっさと弁当箱を片付けはじめた。


 試験期間に入ると学校は午前のみとなる。

 試験後の過ごし方は自由で、昼休みを食べずに帰る者もいれば、普段通り校内で昼食を食べてダラダラと過ごしてから帰る者もいる。他にも図書室や空き教室で勉強に励んだり、一応校則では禁止されているはずのバイトに励んだり、試験勉強そっちのけで遊びまわったりと過ごし方は様々。

 俺と宗佐は昼食を食べてダラダラと過ごすタイプである。試験の疲れを癒す長閑な時間ではあるが、放課後になるやエアコンが切られてしまうのは些か厳しいところだ。窓を全開にして何とか暑さを凌いでいる。


「そうだ、夏休みに入ったらプール行かないか? ほら、遊園地の隣にあるじゃん」


 遊びに行こうと誘ってくる宗佐は、放課後を現実逃避に費やすタイプである。目の前の試験やその先に待ち構える通知表の事は思考の隅に追いやり、どうやら心は夏休みに突入したらしい。瞳がやたらと輝いている。


 ちなみに宗佐が話しているプールとは、数駅先にある遊園地に併設されているものだ。

 定番の流れるプールや波が出るプール、それにウォータースライダー。他にも様々なプールがあり、ここ数年は夜になるとライトアップし大人の客も集めている。

 数年前までは毎年夏になると家族で遊びに行っていたと宗佐が話す。

 それに対して「俺もだ」と言いかけ……脳裏に蘇る記憶に眉を顰めた。大家族な敷島家の都合上、家族で遊びに行ったというよりは、はしゃぎまわる甥達の付き添いと言った方が正しい気がする。きっと宗佐と俺の『家族で遊びに行った』は若干の違いがある。


 そんな思春期には若干切ない思いを小さく頭を振って掻き消し、遊びに行くなら他に誰を誘うか決めようとし……、


「素敵な計画ね」


 と、聞こえてきた楽し気な声に、俺と宗佐は同時に振り返った。


 そこに居たのは、妖艶に笑う桐生先輩。

 夏の暑さを微塵も感じさせない優雅な所作で宗佐の隣の席に腰を下ろすと、「プール、良いわね」と惚れ惚れとするほど麗しく微笑んだ。


「遊園地に併設されてるプールよね。私、行った事ないの」

「そうなんですか?」

「えぇ、遊園地には何度か友達と遊びに行ったんだけどね。プールはどうしてかみんな誘ってくれなくて」


 なんでかしら? と桐生先輩が首を傾げれば黒髪がはらりと揺れた。

 彼女の瞳が無言ながらに「誘って」と強請っているように感じられる。きっと気のせいではないだろう。

 魔性、と思わず心の中で呟いてしまう。世の男の八割、いや九割九分は、今の桐生先輩を目の前にすれば一緒に行こうと誘うはずだ。


 だがその誘いの言葉は、意外なところから発せられた。


「桐生先輩、それなら私とプールに行きませんか……!」


 と、横から割って入ってきた声に、俺と宗佐はもちろん、桐生先輩まで驚いてそちらへと視線をやる。

 誘いの言葉を口にしたのは、桐生先輩の魅力に当てられた男子生徒……ではない。


 月見だ。


 遊びに誘うには些か強張った表情をしており、じっと桐生先輩を見つめている。


「月見さんが、私と?」

「は、はい。私もそのプールに行った事ないんです。だから私と行きましょう!」


 月見の口調はらしくなく強く、桐生先輩にノーと言わせまいとしているような圧さえある。

 その様は必死とも言えるだろう。


 だが彼女が必死になるのも仕方ない。

 なにせ桐生先輩は宗佐に惚れていて、そして宗佐に惚れている女子生徒達の中では群を抜いて行動力に溢れているのだ。

 きっと今の流れで宗佐から誘われなくても、桐生先輩ならめげずに挑むだろう。どこからか入園券でも手に入れて、「はじめて行くから案内して」と直接誘い出すかもしれない。裏工作も上等な彼女のことだ、最初は数人で遊ぼうと宗佐を誘い出し、当日になって実は二人きり……なんてこともやりかねない。

 月見はそれを危惧し、そして自らが桐生先輩を誘うことで阻止したのだ。


 桐生先輩もそれを察したのか、きょとんと眼を丸くさせていたかと思えば、途端に楽しそうに笑みを浮かべた。月見の申し出にご満悦と言いたげな表情だ。

 彼女は宗佐に惚れてはいるものの、恋敵が多いことには悲観せず、むしろ奪い合いを楽しんでいる節さえある。


「月見さん、私と一緒に行ってくれるの?」

「はい! 私、泳げませんし、ウォータースライダーは怖いし、あと初めて行くので迷子になっちゃうかもしれませんけど、ご一緒させてください!」

「なんだか私が保護者にされそうね」


 名乗り出たわりには頼りない月見の申し出に、桐生先輩が笑みを零す。普段の妖艶な笑みとは違い、どこかあどけなく、そして年相応の笑みだ。

 次いで彼女はパンッと手を叩くと「そうだわ!」と明るい声をあげた。


「それなら皆で行きましょう? ねぇ、芝浦君?」

「え、皆って……」

「初めて行く場所だから案内してほしいの。それに女の子二人だとちょっと不安で」


 駄目かしら? と桐生先輩がじっと宗佐を見つめて尋ねる。

 それに対して宗佐は僅かに言葉を詰まらせ、ちらと月見へと視線をやる。月見の顔は随分と赤い。だがここで折れるまいと考えたのか、彼女はぎゅっと胸元で手を握ると「一緒に行こう」と震える声で誘った。なんていじらしい勇気だろうか。

 それを受けた宗佐はより顔を赤くさせ「俺達で良いなら」としまりのない表情で答えた。


「一緒に行ってくれるのね、嬉しい。そうだわ、水着を新調したいから一緒に買いに行きましょう」

「わ、私も新調しようと思ってたんです! 芝浦君、一緒に買いに行こう!」


 桐生先輩が妖艶に微笑んで誘えば、それに触発されて月見も負けじと名乗り出る。

 間に挟まれた宗佐は大変そうではあるが、同情心は一切湧かない。かといって見慣れた光景すぎて羨む気にもなれない。

 むしろこの暑い中でもよくやるものだと感心すらしていると、桐生先輩が「決まりね」と嬉しそうに笑った。


「私はいつでも合わせられるから、日にちは芝浦君と敷島君で決めておいて」


 桐生先輩が結論付け、月見も「私もいつでも大丈夫だよ」と続く。

 それを聞き、宗佐がいつにするかと俺に向き直った。



 ……いや、ちょっと待て。

 いま桐生先輩は「芝浦君と敷島君で」と言っていなかったか?

 月見も宗佐と俺を見ている。というか、宗佐が直接俺に日にちの相談をしてきている。



「え、お、俺もですか!?」

「あら当然じゃない。元々は芝浦君と敷島君で行く予定だったんでしょ?」

「いや、でも、まさか俺も一緒とは……」

「もしかして、私と月見さんが一緒だと不満なのかしら」


 桐生先輩の問いかけに思わず言葉を詰まらせてしまう。もっとも彼女の事だ、俺の胸中など優に察し、あえて尋ねているに違いない。

 対して月見は純粋に俺の返事を待っている。小首を傾げつつな仕草は相変わらず可愛らしい。

 そして宗佐はと言えば、この展開に浮かれ切って俺の言動を疑問にすら思っていない。心は夏休みに突入どころか、既にプールに浸かっているのだろう。


「いや、そんな別に不満なんて……」

「そう? 良かった。それじゃ水着も一緒に買いに行きましょうね。男の子の意見って貴重だから、ぜひ参考にさせてちょうだい」


 よろしくね、と桐生先輩が微笑む。相変わらず麗しい笑み。それを受けて俺は言葉を返せずにいた。


 だが考えてみろ。桐生先輩も月見も目当ては宗佐。

 彼女達の事だから俺を無下にはしないだろうが、それでも二人の視線は宗佐に向けられている。俺はそれを間近で見るだけだ。校内でさえうんざりだと思えるやりとりを、わざわざ夏休みに、それもプールという場所で。

 それに今回の件を受け入れれば、男達の嫉妬が俺にも向けられる恐れがある。水着を着た月見と桐生先輩とプール……なんて、いくら恋愛絡みは蚊帳の外でも羨まれるポジションだ。


 邪魔が入るのは分かりきっている。どうせまたややこしいことになる。そのうえ下手すれば俺もターゲット入り。

 平穏な学生生活のために、ここは適当な理由を着けて断るのが得策……。


 ……なんだけど。


「もちろん、喜んで同行させて頂きます」


 と、考えとはまったく真逆の言葉を口にしてしまった。


 だって仕方ない。月見と桐生先輩とプールだ。

 これを断れる男は居ない。さすがの俺だって欲望に負けるというもの。思春期真っ盛りの男子生徒ならば誰だって同意を示すだろう。

 そう己に言い聞かせる。もっとも、


「返答まで十秒……」


 と、聞こえてきた声に、慌てて窓の外へと身を乗り出した。。

 言わずもがな珊瑚である。普段は窓辺に立っているはずなのに今日は身を隠すようにしゃがんでおり、俺が覗き込めば「即答と考えるべきか、一瞬とはいえ思い留まったと考えるべきか……」となぜか冷静に分析をしていた。



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