第20話 女の勘

 

 ネクタイの事は結局誰にも言えず、そして月見の鍵がなぜ池の中央に浮かんでいたのかを問う事も出来ず、数日が経った。

 月見の鍵も、ネクタイも、当人がうっかり池に落としたのではないのは明らか。つまり誰かが故意に投げ入れたのだ。


 いじめか、もしくは嫌がらせか……。


 だが少なくとも月見が嫌がらせを受けているような様子はない。

 彼女は男子生徒からの人気はもちろん女子生徒からも慕われている。宗佐を狙う者達からしてみれば最大の恋敵ではあるが、月見をライバル視こそすれども敵意を抱いている者はいない。


 ならばと直接月見に尋ねようとも考えたが、彼女自身がそれを望んでいないのだ。

「この間の鍵の事なんだけど」と言いかけた俺に対して、月見は見て分かるほどに焦り、畳みかけるように感謝の言葉を口にして話を終いにしてしまう。

 話したくないのだろう。

 だがそれが分かっても「それなら良いか」とはいかず、かといって上手く話を聞きだす話術も俺にはない。


 なんて不甲斐ない……。

 それと、


「なんだか様子がおかしいんですよね……」


 と、じっと見つめてくる珊瑚の疑惑の視線から逃れる術も、今の俺には無い。

 本当、不甲斐ない。


「な、なんだ妹。俺は一切なんの隠しごともしていないぞ」

「健吾先輩の妹じゃありませんし、今の健吾先輩は怪しさしかないですよ」

「ぐっ……なんて鋭い……。これが女の勘ってやつか……!」

「いやこれはもう勘とかの話じゃありません」


 分かりやすすぎる、と珊瑚が断言する。

 曰く、ここ数日の俺の態度は妙に余所余所しく、隠し事をしているのが丸わかりだったという。日頃宗佐や月見のことを分かりやすいと評していたが、どうやら俺も人のことを言えないようだ。

 これはどうしたものか……と僅かに悩み、チラと珊瑚へと視線をやった。


 今日も窓辺に現れた彼女は、今はジャージを着ている。

 どうやらこのあと体育の授業があるらしく、その移動中に俺達の教室前を通り、声を掛けてきたのだ。

 ちなみに宗佐はいない。残念ながらまた呼び出しである。――宗佐が宿題忘れで呼び出されたことを教えると、珊瑚は甘やかすような声色で「宗にぃってばドジなんだから」と笑っていた。……が、その後に盛大な溜息を吐いた――


「それで、健吾先輩は何を隠してるんですか? どうせ宗にぃに関係することで、それも最近の様子を見るに月見先輩にも関与してることでしょう」

「なんでそこまで分かる……!?」

「ばればれですよ。むしろ気付かれないと思ったんですか?」


 俺の分かりやすさを指摘してくる珊瑚に、仕方ないと両手を軽くあげて降参のポーズを取ってみせた。

 確かに思い返せば、月見や宗佐とは先日の一件を思い出して会話がちぐはぐになることもあったし、珊瑚を見てはネクタイの事を言いかけ言葉を止めることも多々あった。

 我ながら自分の行動は怪しいとしか言いようがない。

 素直に認めれば、珊瑚が勝利を確信してか得意げに笑った。


「それで、何を隠してたんですか? 優しくて可愛い後輩が相談にのってあげないこともないですよ」

「優しくて可愛い後輩……? そんなのが居れば俺もここまで悩まないな。で、どこで会えるんだ? その『優しくて可愛くて健気で素直な後輩』ってのは」

「さり気無く自分の好みを差し込まないでください!」


 茶化して返せば、珊瑚がきぃきぃと喚く。

 そうしてふんとそっぽを向くと「別に話したくないなら良いです」と言ってのけた。

 どうやら拗ねたらしい。というより、これはきっと「拗ねています」というアピールだろう。分かりやすさに思わず笑いそうになるが、ここで笑えば更に臍を曲げるのは火を見るよりも明らか。


 ここは大人しく彼女にネクタイの件を話すべきだろう。隠すのも限界だ。


 ……そして、これ以上一人で悩んでいても埒が明かないと考えていたのも事実である。


「茶化して悪かった、ちゃんと話す。でもさすがにここじゃ話しにくいんだ。放課後あいてるか?」

「今日ですか? 今日なら部活も無いので大丈夫です」

「それなら校舎裏に来てくれ」


 よろしく、と告げれば、珊瑚が友人達のもとへと去っていく。

 その背中を見届け、さてどうやって彼女に話すべきか考え……、


「待て、部活!? あいつまさか……!」


 ベルマーク部に入ったのか! と思わず小さくなった背中に再び視線をやれば、それとほぼ同時に宗佐が戻ってきた。

 相変わらず暢気なもので、クラスメイトに「お勤めごくろう」だの「お前はもう尊敬の域だよ」と言われても恥じる素振り一つ見せない。なぜそこで「いやそんな事はないよ」と謙遜できるのだろうか。

 そうして自分の席までくると、俺の怪訝な表情に気付いたのかどうしたのかと尋ねてきた。


「妹がベルマーク部に入ったっかもしれない」

「珊瑚か? あぁ、入ったって言ってたな。人助けをする部活に入るなんてさすが珊瑚だ」

「お前なぁ、それで良いのか?」


 人助けって言ってもベルマークだぞ? と尋ね、次いで宗佐の手の中にある小さな紙袋に目を止めた。

 ピンク色の可愛らしい紙袋だ。赤いリボンが巻かれている。とうてい、職員室で怒られて帰ってきた生徒が手にするようなものではないが……。


「またか」

「職員室から戻ってくる時に渡された。もう気にしなくて良いとは言ってるんだけどさ。俺もわざわざ用意されるとどうにも断れなくて」


 はは、と宗佐が困ったように苦笑しつつ席に座る。

 この紙袋は何か?

 例の一年生女子、早瀬からの差し入れだ。

 宗佐に助けられて以降、彼女は毎日手作り菓子を差し入れている。律儀というか健気というか、むしろ宗佐が断っているのに押しつけるように手渡すあたり強引とさえ言える。

 控えめなように見えたが、意外と我は強いのだろうか。


 だが何より俺が不思議でならないのは、早瀬からの差し入れを宗佐がいまだ『助けてもらったお礼』としか考えていないことだ。


 どうしてそこまで宗佐に惚れこめるのか。

 どうしてここまでされて宗佐は気付かないのか。


 そして宗佐がまたもモテているとクラスメイトの男達が呪詛を呟きだし、宗佐に惚れている女子生徒もそわそわと落ち着きを無くす。

 月見に至っては鞄から紙袋を取り出し、「私も作ってきたの」と宗佐に――宗佐だけにと思われないよう俺にも――紙袋を差し出してくる。それがまた男達の呪詛と女子生徒達の嫉妬を加速させ……。


 まったくもって相変わらずだ。呆れしか湧かない。


「……なんだか、俺一人が色々と考えて馬鹿みたいだ」


 そう溜息を吐けば、宗佐が「どうした?」俺を案じ、紙袋からチョコレート菓子を一つ取り出して差し出してきた。


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