川口直人 55

「冗談じゃありません。何故貴方にそのような事言われなければならないのですか?とにかく俺は恋人と別れるつもりも無ければ、貴女とも婚約するつもりは一切ありません」


俺は女を冷たい目で見た。


「な、何ですって…っ?!私が誰か分かっていてそんな口を叩くのっ?!うちの会社が日本屈指の商社だと言う事…分かって言ってるの?!」


突然女はヒステリックに喚いた。


「落ち着け、恵利。彼は突然お前との婚約話を持ちかけられて混乱しているんだよ」


常盤社長は娘を宥めると俺と父をジロリと見た。


「まぁ…そこまで拒絶するなら…業務提携の話も無しだ。お引取り願おうか?」


「な、何ですって…そ、そんなっ!」


父が青ざめた顔で常盤社長を見た。


「当然じゃないか。恵利は大切な娘だ。その娘を蔑ろにするような人物がいる会社に協力するほどこちらもお人好しではないのでね?でも…いいのか?調べた所、倒産寸前じゃないか?川口家電は…」


えっ?!倒産寸前…?


父を見ると、うつむき顔が青ざめている。そして更に常盤社長は父を追い詰める台詞を吐いてくる。


「社員を全員露頭に迷わせてもいいのかね?今のままだと半年も持たずに倒産するだろう?だが…」


次に社長は俺を見た。


「君が恋人と別れて…娘と婚約するなら業務提携してやろう。どうだ?」


「…で、ですが…肝心のお嬢さんは政略結婚なんて嫌なのではありませんか?」


しかし女は言った。


「私はね…昔から欲張りな女なのよ」


「え…?」


一体何を言い出すつもりだ。


「手に入れるのが困難であればあるほど欲しくなるのよね…。まして恋人がいる男性なら尚更。それに貴方は私のタイプだから」


「な、何だって…?」


俺は信じられない思いで女を見た。駄目だ、この女は鈴音とは真逆だ。とてもではないが受け入れられるはずがない。


だが…。


「いいのか?社員3500人が露頭に迷うことなっても…」


常盤社長が追い打ちをかける。


すると…。


「頼むっ!直人っ!」


いきなり父が俺に頭を下げてきた。


「会社を…社員を守りたいんだ…。頼む…恋人と…別れくれ…お願いだ…。そしてこちらの御令嬢を…」


「と、父さん…」


何て事だ。父さんが…人前で俺に頭を下げて来るなんて…。チラリと常盤社長と娘を見ると2人とも何処か楽しげに父を見ている。


「どうするのだね?君の父があんなに必死で頭を下げているのに…一時の感情で大勢の人間を犠牲にして自分だけが恋人と幸せになるつもりなのか?」


「な、何ですって…?」


俺は目の前の2人に激しい憎悪を抱いた。父を馬鹿にし…今、俺から愛する鈴音を奪おうとしている。


だが…俺に頭を下げて肩を震わせている父を…見捨てることが出来なかった。いや、そもそもこうなってしまった発端は俺にも原因がある。

会社の事を全く顧みなかった俺の怠慢がこの様な結果を産んでしまったのだ。川口家の長男で…本来なら会社の後を継ぎ…守っていかなければならなかったのに…。


「それとも買収してやろうか?川口家電を…まぁ、そうなると川口家電の社員は全員クビにする事になると思うが…勿論社長は退陣だ」


買収だって…っ?そんな…っ!


すると父はソファから降りると床に座り、いきなり土下座してきた。


「お願いしますっ!ど、どうか買収だけは…見逃して下さいっ!お願いですから…」


父が小刻みに震えている。…もう俺のするべきことは決まった。俺もソファから降りると土下座をすると言った。


「お願いします。どんな命令でも聞くので…買収は考え直して下さいっ!」



「ああ…それでいい。良かったな?恵理」


「ええ、そうね」


悪魔の様な親子が楽し気に話している。



鈴音…。


ごめん…。イブの日にプロポーズするつもりだったのに…。


俺はこの日、愛する鈴音に心の中で別れを告げた―。












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