川口直人 20

 加藤さんと会えない日々が続いていた。会いたくてたまらなかったけれども、仕事帰り、加藤さんの部屋の明かりがついているのを目にする事で心の平穏を保つことが出来た。


 それはバレンタインデーの前日の出来事だった。今日は早番で仕事から帰って来たのだが、冷蔵庫にビールが入っていないことに気付き、コンビニへ行く事にした。


「今夜は冷えるな…」


ダウンジャケットを羽織って外を歩いていると、見知った人がこちらへ向かって歩いてくる。その人は…。

途端に胸が高鳴る。

まさか、こんな偶然に…今一番会いたかった人に会えるなんて…!


「もしかして…加藤さん?」


街灯の下で足を止めると声を掛けた。


「え…?川口さん…?」


加藤さんは手に重そうな荷物を持っている。


「何だか久しぶりに感じるな。…元気にしていた?」


本当は、会いたかったと伝えられる間柄ならどんなにか良かったのに…。


「う、うん。元気にしていたよ…?」


加藤さんは何故か目を逸らせている。一カ月ぶりに会えたと言うのに…正直、そういう態度を取られてしまうと悲しくなる。こうなったら強引にでも加藤さんと話をしよう。


「加藤さん。その紙袋、重そうだね。マンションの前まで持って行ってあげるよ。」


コンビニなんか、もうどうでも良くなっていた。


「え?あ…そ、そんな。これ位は1人で持てるから大丈夫だよ」


「いいからいから。マンションまではまだ5分以上歩くし、そんな細い体なのに重そうな荷物を持って…。さっきふらつきながら歩いていたじゃないか」


俺は嘘をついた。別に加藤さんはふらついてなどいなかった。


「川口さん、本当は駅の方に用事があったんじゃないの?だってマンションの方から歩いてきたじゃない」


「あ…うん。実はコンビニへ行こうとしていたんだ。でも別にいいんだ。行かなくてもさ。ほら、持つよ」


「あ」


俺は半ば強引に加藤さんの手から荷物を取ってしまった。


「…」


少しの間、無言でマンション目指して2人で歩いていたけれども…俺は口を開いた。


「ねぇ、これ…何が入っているの?」


つい、中身が気になって尋ねてみた。


「え?あ、あの…明日はバレンタインだから職場の人たちにチョコレートを作ろうと思って…その材料だよ」


「そうか…明日はバレンタインだったね。彼にもあげるの?」


バレンタイン…誰にあげるつもりなんだろう?


「え?彼って?」


「加藤さんの幼馴染だよ」


「…ううん。あげるつもりは無いよ。それに会う約束もしていないし…」


その話に安堵する自分がいた。それなら…少し位図々しいお願いを聞いてくれるだろうか…?


「どれくらい作るつもりなの?チョコ…あまりそう?」


「え?」


「好きなんだ…」


加藤さん。君の事が…。


「え?!」


加藤さんの顔に驚きの表情が宿る。…しまった。つい、調子に乗りすぎてしまった。


「俺…実は甘いものが大好きなんだ。それで、さっきもコンビニへ買いに行こうかと思って…」


咄嗟に誤魔化すと、加藤さんの顔に笑みが浮かぶ。


「何?」


途惑って質問した。


「でも…川口さんは彼女からチョコ貰えるんじゃないの?」


「いや、彼女とは別れたから」


すみれの事は思い出したくも無い。


「え?あ…そ、そうなの?ごめんなさい…」


加藤さんが申し訳なさげに言う。なら…少しだけ、付け込ませて欲しい。


「それじゃあさ、お詫びついでに俺にもチョコ作ってくれるかな?」


「え…?」


途惑う加藤さんに俺は笑みを浮かべた―。



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