川口直人 18

 何故、あの時俺は加藤さんに声を掛けてしまったのだろう…?すみれが一緒にいるこんな状況で…。


「あ…こんばんは…」


加藤さんはペコリと頭を下げるとすぐに視線をそらせてしまった。


「あの、それでは失礼します」


そう言って立ち去ろうとする姿を俺は引き止めることが出来なかった。なぜなら直ぐ側には嫉妬の目で加藤さんを睨みつけているすみれがいたからだ。

ごめん、加藤さん…。声を掛けてしまって…。心の中で彼女に謝罪した。


その時―。


「待って」


なんと今度はすみれが加藤さんを呼び止めた。


「あ、あの…な、何か?」


加藤さんは怯えた様子で返事をする。すみれが彼女を睨みつけているからだ。


「貴女ですか?彼の好きな女性って」


すみれがとんでも無い事を言い出した。


「え?私が?」


そして加藤さんは助けを求めるかのように俺を見た。


「やめろ、すみれ。加藤さんは何の関係も無い」


加藤さんを巻き込んでは駄目だ。


「嘘よっ!今だってこんなに外は暗いのに、直人は彼女だとすぐに分かって声を掛けたじゃないのっ!」


「そ、それは…」


何て事だ…。すみれに完全に見抜かれている。すると今度は加藤さんが口を開いた。


「あの…何か勘違いされているようですけど川口さんと知り合ったのは、私の引っ越しの担当をしてくれた方だったからなんです。それで、たまたま近所で会った時にお互いのマンションが隣同士だったってだけの関係ですから」


隣同士だったってだけの関係…密かにその言葉に傷つく。しかし、こんなことくらいではすみれは納得しない。


「本当に?本当にただそれだけの関係なんですか?一緒に出掛けたりしたことは?」


「そ、それは…」


思わず答えにつまってしまう。


「ほら、やっぱり…直人っ!最近連絡が取れなくなったのはあの人と付き合い始めたからのね?私、もう彼とは別れるって言ったでしょう?お願いだからやり直そうよ…」


そう言ってすみれは泣き始めた。…なんて女だッ!オレが加藤さんの前では強く出れないのをまるで分かっているかのようだ。


「す、すみれ…」


何とかなだめて帰って貰わなければ…。


「あなた…加藤さんていったわよね?酷いじゃないっ!人の彼氏に勝手に手を出して!」


またしてもすみれが爆弾発言をする。早いところ黙らせなければ。声をかけようとしたその時…。


「ご、ごめんな…さい…」


突然加藤さんが俯いて謝った。


「え?加藤さん…?」


何故だ?何故謝るんだ?その言い方じゃまるで俺達は付き合っているようにとられてしまうじゃないか!すると案の定、すみれが言った。


「ほら!やっぱり謝った!貴女が原因だったのね?直人が私を振ったのはっ!」


すみれは加藤さんを指差して怒鳴る。


「本当に…ごめんなさいっ!」


そして自分のマンションへと逃げ帰っていく。


「待って!加藤さんっ!」


しかし、加藤さんは俺の静止も聞かずに去っていってしまった。


「はぁ…」


思わずため息が出る。


「直人…」


すみれが俺の腕に触れてきた。


「!」


その腕を無言で振り払うと、俺はすみれを睨みつけて声を荒らげた。


「どういうつもりなんだっ!さっさと帰ってくれっ!俺とすみれはとっくに終わったんだよっ!」


「な、直人…」


すみれは目を見開いて俺を見た。恐らく驚いているのだろう。俺だって自分自身に驚いている。今迄女性に対してこんな風に声を荒らげたことなど一度も無かったのに…。


「…悪かった…大きな声を上げて…。だが、本当にもう迷惑なんだ…頼むから帰ってくれ…」


「わ、分かったわ…。帰るわよ…帰ればいいんでしょう…?」


「…ああ」


こんな夜に1人で帰らすのは気が引けたが、もしここで送っていくと言い出せばすみれの事だ。再び自分の都合良いように解釈するに決まっている。


「…さよなら」


「さよなら」


俺はすみれの方を振り返りもせずに返事をする。やがて、足音が遠くなって行くのを背中で聞きながら、加藤さんの部屋を見上げると、カーテン越しにかすかに光が見える。


「…ごめん、加藤さん…」


加藤さんの部屋の窓を見上げながら、ポツリと言った―。


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