第12話.過去


 ▽


 頭がぼーっとする。自分が今寝ているのか起きているのか分からないふわふわ感が全身を包み込んでいる。


「──目が覚めた?」


 そんな言葉が聞こえると霧が晴れ、雲の上から落下する様な感覚と共に俺は目を開けた。


「え、えぇっと……ここは……」

「私の家。また記憶が消えたなんて言わないでよ?」


 そこにはフレイさんが俺を見下ろすようにして立っていた。その髪にはまだ水滴が付いているので、風呂から上がったばかりなのだろうか。

 フレイさんは俺が起きたことを確認するなり近くの丸椅子に座り、大きく欠伸をした。


「たしか……ココアをのんで……」


 ……駄目だ。頭の中がぼんやりとして上手く思考が纏まらない。喋り方もフニャフニャとした情けないものになってしまっているのが自分でもわかるくらいだ。


「はぁ……信じたくないけど、魔力酔いを起こしたのよアンタは」

「魔力酔い……そっかあれか……」


 確か神様にそんな事を説明されて──立ち上がろうとした所で意識が途切れたんだっけ。


 出来れば思い出したくもない出来事だったが……まぁ起きてしまったものは仕方が無い。まだ頭がポカポカしてて変な感じだが、さっきよりかは遥かにマシだ。


「にしてもアンタ、ココアを飲んで魔力酔いするなんてどんな身体してんのよ……。スライムにやられ掛けてる時は私達を騙そうとしてきてると思って警戒していたのに……疑ってた私が馬鹿みたいじゃない」

「は、はは……すいません……」


 あぁ、最初のあの蛇の様に睨みつけていたあれは嫉妬心からではなく警戒していたからなのか。確かに今は、フレイさんの目付きが優しい気もする。


 いや、でも警戒していた割にはすんなりと家に入れてくれたよな……よく分からん。


「それで、記憶喪失ってのはどうなのよ。嘘だと思ってたけど、これも本当なの?」

「えっ、あぁー……その……」


 フレイさんは首を傾げる。

 ……どう答えるのが正解なんだろうか。

 記憶はある──なんならこの世界に来る前の記憶もバリバリに残ってるが、ここで記憶喪失だと言えばフレイさんは信じてくれる事だろう。


 だが嘘だと答えたら? まず話したとして俺の話を信用してくれる可能性は? 人と対面する受付嬢さんですら俺の話を信じなかったのだ。この話をしてフレイさんが素直に納得する可能性は極めて低いと考えていいだろう。最悪の場合ここから追い出されてしまう事もあり得る。


 嘘をつかなければ面倒な事になる。

 嘘を付けば楽な道を歩く事が出来る。


 ──俺は首を振って、フレイさんに記憶喪失が嘘である事を伝えた。


「……そう」


 意外にもフレイさんは冷静であった。その顔は真剣そのもので、怒る様子も馬鹿にする様子も感じられない。


「お金は本当に無いの? 知り合いは? 何処までが本当で何処までが嘘?」

「……お金がないのも知り合いがいないのも本当です。嘘を付いたのは記憶が無いって所だけです。騙してすみませんでした」


 俺は頭を下げると、その頭にゴツンと思い衝撃が走る。

 俺は何事かと顔を上げると、フレイさんが何時の間にか持っていた分厚い本で叩かれたみたいだった。


「別に謝らなくていいわよ。ココア程度で魔力酔いを起こすほど魔力がすっからかんの状態。今もこうして話せてるのは普通では有り得ないのよ。何かしらワケがある事くらい誰でも分かるわ」


 例えば──とフレイさんは分厚い本を宙に浮かせると、自立してパラパラとページがめくれていく。そしてめくれるのが止まると、そのページを俺に見せてきた。


「呪い、とかね」


 ドヤァっ、と聞こえてきそうなほど見事なドヤ顔を決めるフレイさん。そのページには色々と文字が書かれているが、どうやら日本語ではないようで俺に読む事は出来なかった。


「……すいません。文字が読めなくて……それと呪いでもないです」

「なっ……う、うぅん! まぁいいわ」


 一瞬だけ豆鉄砲でも食らった鳩の様な顔をしたが、すぐに持ち直してあくまでも何事もなかったと言わんばかりのオーラーを醸し出す。

それで誤魔化せるはずもないことは1番フレイさんが分かっているハズなので、ここは無視して無かったことにするのがいいだろう。


「信じてくれるなら、話します。笑わずに冗談だと決めつけないのなら話します」

「なっ……なによそれ……。もしかして結構やばい話なの……?」


 フレイさんはそう言って心配そうにするが、俺は首を振って否定する。だがそれだけだと勘違いされそうで不安だったので、ただ、と付け加える。


「今日話した人には……信じてもらえなかったので」

「あ……そ……そういうことね……」


 わかっている。フレイさんは俺の話を聞いても信じてくれなくとも絶対に笑わないだろうということは。

 それでも、それでもどうしても地球での出来事が俺に保険を掛けさせる。


「絶対に笑わないことを今ここで、『フレイ・アーミヤ』の名に掛けて誓うわ」


 真剣な眼差しが俺に向けられる。それが嘘ではないことは態度やその目から簡単に察することが出来た。

 それでも俺は離すことを躊躇した。フレイさんはそう言ってくれているが、話して信じてもらえなければ? 嘘だと、冗談だと笑われたりからかうなと怒られてしまったら?


 今ここで話す必要性は……本当にあるのだろうか。


 そんな疑問が次々に俺の脳内を支配していき、隙間なく埋め尽くされていく。口がパクパクと動くだけで肝心の声が出ない。

 フレイさんは俺の異変に気付いたのか心配するような声をかけてくれたような気がしたが、なんて言っているのかはくぐもっていてよく聞こえなかった。


 動悸が早くなる。心臓がバクバクとうるさくて、それを掻き消す勢いで過去の嗤い声が大きくなっていく。

 受付嬢さんも俺を馬鹿にしている。人と対面するのが仕事の人が笑うほどだ。どうせ話しても鼻で笑われて馬鹿にされる。

 ならば話さないほうがいい。話す必要がない。自ら進んで傷つく必要なんてない――


「ねぇ――ねぇってば!!」


 肩を掴まれ、激しく揺らされた俺はハッと正気に戻った。さっきまで視界を支配していた光景は嘘みたいに消え失せ、代わりにフレイさんの綺麗に整った顔が間近に映し出された。

 その顔は俺も初めて見る俺の事を真剣に心配した顔だった。言葉だけではなく、しっかりと俺に触れ、俺のことを思って声をかけてくれた事がフレイさんの焦りようからも察することが出来た。


「は……はは……すいません……」


 いまだに心臓はバクバクと激しく鼓動している。それは収まる気配が今のところないが、それでも幾分かは心が楽になった気がした。


『考えるな。ブラザーの好きなようにやればいい。今のアンタがいるここは地球じゃないんだ。見た目も違う。何を恐れる必要があるんだ?』 

 

 今まで黙っていた神様がそう言ってくれる。

 確かにそうだ。今の俺は違う。地球の時の俺とは別人だ。俺を馬鹿にするような奴はここには居ない。

 なんか俺、神様に助けられてばっかだな。


『ひひっ、気にすんな。誰だってチュートリアルにはお世話になる。それをセコイだとか、受けたから弱いだとかいう奴はいないだろ? 気にする必要なんか一切ないさ」


 神様はそう言って笑って見せる。

 ……顔は見えないが、なんだかそんな感じがした。


「話したくないなら無理にとは言わないわ。ただ、私に協力できるような事なら協力してあげたいの。その……疑ってたとはいえ今日は酷い対応しちゃったし……その……」


 フレイさんは後半になるにつれ声が小さくなっていき、やがては聞き取れないくらいの声でごにょごにょと話した。

 嘘は感じられなかった。俺のセンサーがこれは本当であると告げている。


「今日はこれくらいにしましょう。服は今洗ってるから、また明日乾くまで待ってちょうだいね」


 フレイさんはそう言って椅子から立ち上がると、部屋を後にしようとする。

 俺はその言葉で初めて俺が違う服を着ている事に気が付いた。長袖のシャツだったのが少しキツメの白の水玉模様にベースがピンク色のパジャマになっている。下も同じ柄のズボンになっていた。

 フレイさんが着替えさせてくれたのだろうか。にしてもなぜ?

 そんな疑問を読み取ったのか神様が『ひひっ』といつもの気味悪い笑い方をする。


『ブラザーは意識を失う前に漏らした――あぁ、粗相をしたって言ったほうがいいか? ひひっ、まぁいい。その後にフレイが風呂から上がってきてその場を目撃。風呂から上がってきたばかりなのにフレイは気にせずすぐにブラザーを移動させ、床を掃除したのちに自分の服に着替えさせたんだよ。大体1時間くらいか? ブラザーが起きるまで自分が眠たいのを我慢しながら風呂に入りなおしたりブラザーの服を洗ったりしていた。それでもまだ――信用できないだなんていうつもりか?』


 そんなことが……フレイさんはそれを俺に伝えないで気にしないほうがいいって言ったのか。俺が漏らしたなんて言ったら傷付くと心配して気遣ってくれたんだ。

 それなのに信じてくれないだとか、嘘だと決めつけるだとか、なんて俺は馬鹿なことを考えていたんだ。こんなにも他人に尽くせる人が嘘を付くわけがないのに。俺を信用してくれている事は明らかなのに。

 自分で自分が嫌になってくる。地球でも味わった感覚の何倍も大きくて、申し訳なさと罪悪感が俺を一斉に押し潰してくる。


「フレイさん――! 待ってください」


 誠意を見せるべきだ。ここまで面倒を見てくれたのだ。ここまで俺に優しく接してくれたのだ。話すべきだ。いや――話さなければならないのだ。

 俺が男であることも。俺がこの世界の住人でないことも。俺が弱すぎるステータスを持っていることも。俺の能力が『模倣』であることも。

 全部。この人になら話しても大丈夫だ。問題ない。馬鹿にして言いふらしたりするような人じゃない。


 俺は変わるんだ。いつまでも弱いままではいけない。

 ステータスが弱いんだ。心まで弱くてどうする。せめて心だけは――精神だけは強く生きなければならない。


『ひひっ、その意気だブラザー。それでこそ俺の相棒だ』


 立ち止まり、振り返るフレイさんに、今度は俺が真剣な眼差しでフレイさんの目を貫いて見せた。


「全部話します。おれ……私の――俺の過去について話します」


 その言葉を聞いたフレイさんは、気のせいか少し微笑んだ気がした。


「その前に、アンタの名前は?」


 俺も、この世界に来て――いや、地球も含めて初めて、人前で笑ったような気がした。


「クロマです」

「クロマ……か。私はフレイ。フレイ・アーミヤよ。これからも、、、、、よろしくね」


 差し出された手を握り、握手を交わす。

 これが、俺が産まれて初めての友人が出来た瞬間であった。

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