第15話 ファースト・コンタクト


 あれからどれくらいの時間が経っただろう。


 黒く、深いまどろみの中に包み込まれている。

 そこは全てが静かで、心がひどく落ち着ける安らかな居心地だ。

 まるで命が生まれ出る前に居た場所にも似ている。


 ずっと此処に居たい……。

 俺はこの中へ全てを預けたいと思った。


 何もかも……全部……。




「――ねえ。大丈夫?」




 声が微かに聞こえた。誰だろう?


「ねえったら。起っきろー」


 声は俺に対する呼びかけだった。

 前よりもはっきりと聞こえたそれは同時に身体を軽く揺さぶる。


「おーい。こんな所で寝てるとモンスター、、、、、に襲われちゃうぞー」


 三度みたび呼びかける声にハッと目が覚め、暗闇だけが敷き詰められている世界が明転する。

 鮮血に染まっていたはずの空は、いつの間にか元の色に戻っていた。


「おっ、やっと気が付いたね」


 そこへ何かがいきなり視界を占拠してきた。

 突然現れたそれは、どうやら女の人のようだった。


 麦畑のように輝く金色の長い髪に、凛々しさを感じる整った顔立ち。

 空よりも濃い蒼色の瞳が、顔を覗いている。


「ん? どうかした?」


 もう一度言おう。女の人だ。

 それも、とっても可愛い美人だ。


「ど、どぉえぇぇぇ!?」

「わっ!」


 情けない驚声を上げ、ゴキブリの如く両足をしゃかしゃか動かして後ずさった。

 相手も俺の反応に驚いてしまったらしい。

 

 か、顔が近くてびっくりしたあ。しかも女の人だし……。


「もぉー、急に変な声上げないでよ」


 ぶーぶーと機嫌を損ねているその人物は見たところ、俺より年上っぽい。

 そして金髪がよく似合っている。テレビに出てくるハーフタレントみたいだ。


 さすがにマーニには勝らずとも劣らない端麗さがあり、男なら誰もが一度は見惚れてしまうだろう。その実、俺が見惚れてしまっている。

 加えて、男勝りという程ではないが気丈そうな雰囲気が出ている。これは同性にも人気が出そうだ。


 視線を移すと、彼女の着ていた服装――中世か近世らしいが、ゲームなんかで見るファンタジー色の強い格好だ――は所々に身を守る為のライトアーマーを纏っている。


 胴体のブレストプレートは風変りなことに前側で留める仕組みになっていた。


 左腕には盾がベルトで固定してあるらしく、表面は鈍色に光る二枚の刃がV字に付いていた。

 ただの装飾には見えないけど、何の意味があるんだろう? 


 この身なり、あの装備……まるで何か、、と戦う為に着込んでいるようだ。

 彼女は兵士なのか? それにしては対人用の戦闘服には見えない気もするが……?


「君は……何者? なぜここに倒れていたの? いったい何があったの?」


 金髪の女性は少し乱れた髪を指で梳くように整え、尋ねてきた。


「この辺りモンスターが激しく動き回った痕跡があるけど、変なんだよね。君の血らしき跡があるのに怪我はどこも見当たらないし……」

「え……?」


 それを聞いた俺は自分の顔を何度も触り、それから全身を確かめた。


 頭が……潰れていない。顔のどこもやられた跡がない。

 噛まれた足と、切り裂かれた背中の傷も……ない……!


 それだけではない。今度はボロボロだったはずの服もいつの間にか新品のような状態に戻っていた。


「またこれだ……」


 あの時、俺は確かにあの大きなバケモノに頭を喰われてしまったはずだ。

 はっきりと覚えている。絶対に記憶違いも気のせいでもない。確実に起こった出来事だ。


 なのに……なんで俺は生きているんだ?


「どうかした?」

「えっと、その……かなりデカくて獰猛な動物に襲われたはずなんだけど、記憶に自信が無くて……」

「デカくて獰猛な動物? ああ、それってモンスターのこと?」

「もんすたぁ?」


 アニメやゲームでよく出てくるあのエネミーのことか?


「え? まさかモンスターのこと知らないの? うっそだあ。大陸中に蔓延っている人畜有害な生き物だよ?」

「いや、あの……」


 知らなくはないが、聞き馴染みのある単語がここで聞けるとは思わなかった。

 トールキンにもモンスターが存在するとは、まんまRPGの世界じゃないか。


「随分と見かけなかったから、ちょっと忘れていただけなんだ。はは……」


 モンスターなんて実在するわけないだろ、と言うとややこしい事になる気がしたので、敢えて合わせることにした。


 ここは異世界。現実世界の常識はあまり通用しない。

 だが大丈夫。俺は異世界ファンタジーに慣れているからこういう展開に適応できる自信はある。


 金髪の女性は俺の返答でまかせに妙なものを感じているようだが、そのうち「ふうん……」と相槌を打った。


「不思議な事もあるんだねー。でも大した怪我が無くて良かったよ。君を見つけた時、死んじゃっているのかと思っちゃった」


 怪我も具合の悪いところも無いと見て、金髪の女性は安心したらしい。

 だが一方、俺は腑に落ちないものを抱えていた。


 自分の身体をもう一度確認してみる。だがやはりどこにも傷や怪我が確認できなかった。


 死んだはずなのに死んでいない。記憶に混濁が起きているのか?

 それとも……何かの力が働いてる?


「あ……」

 

 奇妙な事に思考を巡らせていると、肝心な事が脳裏に舞い戻った。


 思い出した。ここはトールキンのどの場所で、戦争はどうなっているのか。

 やっと人に会ったのだからトールキンの現況を聞いてみないと。彼女なら何か知っているはずだ。


「あ、あのっ」

「――ん?」

「っ……い、いえ……何でもないです……ハイ」

 

 声が上擦り、聞きそびれてしまう。

 彼女の澄みきった双眸しせんに、ついアガってしまったのだ。


 くっ……なにやってんだよ進児……!


 異世界に来て初めてのコンタクトがこれとは……異性への免疫が薄い自分をなじりたくなる。


「なんだよ~、何でもないって。おかしなの」


 挙動不審な言動が可笑しいのか、金髪の女性が目を細め白い歯を見せてくれる。

 笑顔が輝いていて、眩しかった。


(うぅっ……可愛い……! )


 この感じ……まるでゲームで美少女キャラと会話しているみたいだ。いやまさに会話してるんだけどさ。

 そうだよ、これだよ。異世界に来たらやっぱり異性とのイベントがないと旨味が無いってもんだ。


 いやあ嬉しいなあ。最初の会話がこんな綺麗な人となんて……って、あれ……?


「――!?」


 再び金髪の女性を見た時、一つの異変を見つけた。それは彼女の右腕だ。

 さっきまでは左肩から右脇に向けて掛けてあるショルダーバッグの陰に隠れて見えないと思っていた。だが実際は違っていた。


 右側の袖が風にひらりと舞っている。その内側に通っている、、、、、はずのもの、、、、、が無いらしい。それはつまり…………。


(右腕が……無い……? ) 


 金髪の女性は、隻腕だった。

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